2016年6月19日 (日)

音楽:宮前フィル第40回定期演奏会

  指揮 河地良智001

  演奏 宮前フィルハーモニー交響楽団

  曲目 ベドルジハ・スメタナ:連作交響詩「わが祖国」
     ユリウス・フチーク :剣闘士の入場(アンコール)

  会場 多摩市民会館大ホール
  公演 2016年6月12日14:00~16:00(休憩15分)

 スメタナの連作交響詩「わが祖国」は6曲で構成される。単独で演奏される機会の多い「ヴァルタヴァ(モルダウ)」は通俗名曲の類と言える。ただし全曲通しで演奏される機会はそう多くないように思う。

 チェコの「プラハの春音楽祭」は、スメタナの命日の5月12日に幕を開ける。毎年、冒頭に演奏される曲が「わが祖国」。チェコの人たちにどれだけ愛されているかは想像できる。特に1990年、ラファエルクーベリックが42年ぶりに祖国の土を踏み、チェコ・フィルを指揮した「わが祖国」の演奏は名演の評判が高く、ライヴ録音のCDで聴くことができる。重い歴史も秘めているようだ。

 私は何十年か前に一度聴いたことがある。指揮者もオーケストラも既に定かでないが、海外オーケストラだった。雑誌で読んだ関連記事に、選曲の理由として「ハーピストを帯同したかったから」との指揮者の言葉が記録されていたような。印象的な動機(B♭-E♭-D-B♭)を2台のハープが奏でて曲は始まる。ただし、第1曲「ヴィシェフラド(高い城)」は2台、第2曲「ヴァルタヴァ」は1台が演奏して、以降の出番がない。

 宮前フィルはアマチュア・オーケストラである。若い友人がトロンボーンで参加している縁で聴きに出かけた。2回目だ。自称後期初心者の私、年に数十回の演奏会に出かける。大半がオーケストラ、もちろんプロである。アマは宮前フィル以外を聴いたことがない。ゆえに演奏も、そこに至る過程も、各奏者のモチベーションも、何もかもに興味を抱いている。

 編成は基本的に10型、ただし一部に変則的なところがある。トロンボーンは全曲3本の指定だが、ステージ上には5人、1人はバストロンボーンだが。概ね総奏では全員が、それ以外は3本で奏でていたようだった。
 人違いかも知れないが、第1ヴァイオリンの最後方に、前回(一昨年)のコンマスだった方が座っていたような。
それが正しければどのような意図があるのだろうか。
 最近は年2回の定期演奏会のようだが、貴重な機会を全員で楽しむのはアマの特権、楽しむことが最優先で良いように思う。聴く方だって楽しめるし、次第に思い入れも強くなると言うものだ。

 第1曲「ヴァルタヴァ」、吟遊詩人を思わせるハープのカデンツァが終わり、次第に盛り上がる時に、何かざらっとした響きを感じたけれど、その時だけで以降、気になることはなかった。

 第3曲「シャールカ」は、愛する男性に裏切られたシャールカの復習がテーマ。クライマックス、シャールカに殺される騎士ツティラートの叫びをトロンボーンで表現するが、小気味よい演奏、ばっちり決まっていた。恰好良かった。

 全体を通して実に立派な演奏と感じた。難解な曲を見事に演奏したとも。2時間ほどを存分に楽しめた。心より敬意を表します。また聴かせて頂ける機会のあることを切望いたします。

 そうそう、頂いたプログラムも写真入りの大層充実したものでした。付け加えておきます。

   (2016年6月18日記録)

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2015年2月14日 (土)

音楽:チェンバロの魅力Ⅲ「Toccare ~ 触れる」

  チェンバロ・お話 大塚直哉

  会場       神奈川県民ホール小ホール
  公演       2014年2月11日14:00~16:00(休憩15分)

 

 メインはチェンバロのレクチャー・コンサート。今回のテーマは「Toccare」、触れるという意味。その後にチェンバロの見学、公開レッスンが続きます。

 指導者の話を聞く機会などありません。チェンバロという楽器に沿いますが、音楽の成り立ちや変遷など勉強になります。私自身は楽器も弾けないし、音楽の勉強も中学校まで、こういう機会をありがたく思います。

 大塚直哉は、「バッハ・コレギューム・ジャパン」などの通奏低音奏者としても活躍しているそうですから、あるいは聴いたかも知れません。ただ、単独コンサートは聴いたことがありません。強いて言えば前回の「チェンバロの魅力」です。

 

 レクチャー・コンサートのプログラムは次のとおり。聴いたことがあるのはJ.S.バッハのみ。
Img_20150213_0003

 解説で気になった所は次のようなことです。

 フローベルガーのトッカータは2弾鍵盤用に作られていますが、上6本・下7本の楽譜に記載されているが、これは左手と右手用に分けてある、フレスコバルディは6本・8本、歌のように弾いて、途中でやめても良いとの指示がある。師弟関係で言えば、ルッツァスキー・フレスコバルディ・フローベルガ―。ダングルベールは、小節性のないプレリュードだが、トッカータと同じ。音の長さがないので響きをデザイン、響きを楽しむことが求められる。クープランの書は、触り方の書とも言われるが、タッチで音色が変わる。

 C.P.E.バッハは、トッカータに似ている。ファリオとは狂っているの意味、当時の人は聞いてびっくりしただろう。ドゥ・フリースはピアノ用に作曲されたが、チェンバロでも弾かれるようになった。J.S.バッハは40代で作曲されたが、当時、既に古くなっていたトッカータを挿入した。

 トッカータが判ったとは言えませんが一歩一歩です。私としては、スウェーリンクから旋律の明瞭になったことが印象深かったです。

 

 前回はあった質問時間がなく、すぐにチェンバロの見学・説明が始まりました。

 

 公開レッスンのプログラムは次のとおり。
Img_20150213_0004

 興味深かったのですが、私は2番目まで聞いて退場しました。後の用もあったので。

 ゴールドベルクは3・40代と思われる女性でした。何番目の変奏か判りませんが、初めはとても平板な演奏と感じましたが、次第に表情がついていきました。
 インベンションは小学校3年の女の子でした。普段はピアノを弾いていて、チェンバロは初めて弾くとのことでしたが、とても上手と感じました。言われたこともすぐにフォローして、これからどんどん伸びるだろうと感じました。最後にカップラーを繋いで演奏しましたが、とてもふくよかな演奏になりました。

 少し余計なことですが、全ての子供に音楽でなくても良い、の特質に合わせた環境の与えることが大人の役割だろうなどと考えてしまいました。この小学校3年の女の子を様子を見ていてのことですが、この女の子には何の関係もないことです。

 

 私にはとても充実した時間でした。来年の開催もほぼ決定しているようでテーマは「舞曲」。年に一度は歯がゆい思いもすのですが、楽しみに待ちます。興味がありましたら、来年3月頃の県民ホールのスケジュールを監視して下さい。

   (2015年2月13日記録)

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2015年2月 5日 (木)

音楽:神奈川フィル第305回定期演奏会

  指揮   サッシャ・ゲッツェル(首席客演指揮者)

  独唱   チーデム・ソヤルスラン(ソプラノ)

  演奏   神奈川フィルハーモニー管弦楽団   

  曲目   コルンゴルト  :組曲「シュトラウシアーナ」
       R.シュトラウス :4つの最後の歌
       ブルックナー  :交響曲第9番ニ短調(ノヴァーク版)

  会場   横浜みなとみらいホール(1階13列22番)
  公演   2015年1月25日14:00~16:00(休憩20分)

 

 組曲「シュトラウシアーナ」   既に県民ホール定期演奏会を聴いているとはいえ、年が変わって初の定期演奏会、祝意を表す選曲であろう。とは言え、録音でも聴いたことがない。ポルカ・マズルカ・ワルツの3部からなる構成。ピッチカートで始まった曲は、シュトラウスⅡ世の「新ピッチカート・ポルカ」のようだ。「シュトラウシアーナ」とはそういうことと後で気づく。シュトラウスⅡ世の本歌取り、華やかさを増してウィーンの香りが色濃くなったのだろうか。まあ、知る由もないのだけれど。

 

 4つの最後の歌  ソヤルスランはゲッツェルより背が高いように見えた。足元がドレスの中で確認できないが。身体もがっしりした印象、声は太めと感じた。経歴には、「魔笛:夜の女王」役でデビュー、「後宮からの逃走:コンスタンツェ」「リゴレット:ジルダ」などに出演とある。オペラ歌手は運動選手ではないけれど、フィジカルの優れていることも大切だろうと感じた。

 「4つの最後の歌」は死をテーマにする哀しみを淡々と歌い上げる。ソヤルスランの声質にもよるのだろう、言葉の理解を欠く私にも思いは十分に伝わってきた。
 オーケストラ伴奏の歌曲を生で聴くのは初めて。録音のようにはいかないと思っていたが、オーケストラも抑制しつつ、歌手を良く引き立てていた。ビオラとチェロは終始二つのパートに分かれ、他のパートも曲によって分かれる。ホルンやヴァイオリンのソロ、フルートの鳥の描写などを含めて繊細な印象で響いた。
 オーケストラ伴奏による歌曲を聴く機会は初めて、基準がなかったけれどこんな感じに響くと言うことを知った。ただ、聴く機会は少ないので、次はオペラのソヤルスランを聴きたいものだ。

 交響曲第9番  休憩を終えてステージ上も賑やかになった。第1ヴァイオリンが1プルト増えて5プルト、ホルンが8など、ステージ一杯に楽員が広がっている。

 未完成の3楽章構成ながら1時間ほどを要する長大な楽曲。ブルックナーは未だ疎遠な作曲家で確固たる思いは無いけれど、作曲の経緯などを加味すれば深奥なものが底流に漂うのだろう。しかし長大な楽曲ながら、そこまで時間を要したとは思えないほど短く感じられた。それを軽みと言ってしまえば、この曲に対しての賛辞にはなりそうもないけれど、必ずしもネガティブな思いは込めていない。

 第2楽章の大胆な響きとリズム、それは「春の祭典」を想起させるように、あるいはもっと迫力を持って迫ってくるように感じた。そういう部分もあるのだが、生々しい方には落ち込まない、達観した響きに終始した思いがする。東洋的な雰囲気があるような気もするし。ゲッツェル+神奈川フィルの作り上げた世界だけれど、それも悪くないと思った。

 残念ながら録音では判らない所もあるし、生演奏を何回も聴きたいところだが、そう狙って聴けるものでもないし。修業は必須だけれど、さてどうしたら良いものか。

 コルンゴルトは本歌取りの面白さを含めて、楽しさ溢れる楽曲。R.シュトラウス、ブルックナーは閉じ行く人生の崇高さを表現しようとしたもの。しかし、わりと淡々と聴き入ったのは、演奏と当日のプログラムの妙のようなものだろう。門松が冥土の旅への一里塚ならば、年初にあたってさりげなく歳月の流れを感じるのも良いことだ。音楽は、そういうことをソフトに気付かせてくれる。

   (2015年2月4日記録)

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2014年11月15日 (土)

音楽:神奈川県立音楽堂60周年記念 オーケストラ・コンサート(やや長文)

  指揮 篠崎靖男

  独奏 宮田まゆみ:笙
     加藤訓子:マリンバ

  演奏 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

  曲目 武満徹      :セレモニアル -秋の頌歌
     ドビュッシー   :海 -管弦楽のための3つの交響曲的素描
     一柳慧      :マリンバ協奏曲
     ストラヴィンスキー:火の鳥
     ワーグナー    :ニュルンベルグの名歌手・序曲(アンコール)

  会場 神奈川県立音楽堂(15列17番)
  公演 2014年11月9日15:00~17:25(休憩20分)
Photo

 

 神奈川県立音楽堂オープンは1954年11月4日、今年で60周年。11月3日からの一週間は、「還暦!記念週間」としてミニ・フェスティバルが開催されました。プログラムを列記すれば、3日が「音楽堂で聴く聲明」、4日が「大野和士のオペラ・レクチャーコンサート」、5日が「音楽堂建築見学会特別篇」、そして今回。

 司会者のいる目出度い演奏会ですから、演奏もさることながら雰囲気をお伝えします。
 マチネーでしたから男性奏者は略装でしたが、女性はカラフルなドレス着用でステージは華やぎます。指揮者はモーニング着用で、胸の赤いポケットチーフは赤いちゃんちゃんこの代わりでしょう。

 

 セレモニアル  祝祭の幕開け。雅楽に用いられる笙が前奏・後奏を務める管弦楽曲。笙の響きは超小型オルガンのようで包容力を感じました。管弦楽は音の重なりが笙のよう、旋律らしきものは感じられません。現代音楽の曲の特徴はどう表現したら良いものでしょうか。

 演奏後の宮田まゆみへの短いインタビュー。使用した笙は会場を意識して黒檀製とか。音楽堂には合唱コンクールなどで出演しましたが、大学4年の時には神奈川青少年オーケストラのソリストとしてリストP協を演奏したそうで、へー。かって、パーカッションの高田みどりとの共演を利賀フェスティバルで聴いたことはありますが、ずっと雅楽畑の演奏家と思っていました。

 

   海の見えた丘の上に音楽堂は位置していますので、その関係で選ばれたかと。神奈川フィルは、ご承知のとおりでしたが、やや控えめだったように感じました。

 

 マリンバ協奏曲  木で作られた楽器は少なくないけれど、まさに木を叩いて音を出す楽器のマリンバは、木のホールにふさわしい。それに作曲者の一柳慧は神奈川芸術文化財団の芸術監督でもあるし。

 二楽章からなる第一楽章は、ゆっくりしたテンポで、マリンバの低音部から高音部までを丹念に使って様々な木の響きを堪能させました。後半は速いテンポで力強い響きでしたが、マリンバのカデンツァはテンポを落とし、最後は再び力強く、高揚して終わりました。音楽としてどうだったかと言えば、説明する手がかりを掴めなかった感じです。

 演奏前に一柳慧の解説。日本はマリンバ王国で、素晴らしい奏者が多い。60年前にマリンバはなかっただろう。加藤訓子の演奏について、叩いてない方の手は上にあげたり、片足立ちしたりと言うので、注意がそちらに向いたきらいがあります。管弦楽への意識も薄れて、

 

 火の鳥  新しい60年に向けて更なる飛躍を目指すという、心構えの表明と捉えました。

 チェレスタがあったので1919年版でしょう。重々しく始まり、華麗に終わる。祝宴の最後を飾る素晴らしい演奏でした。どの曲も素晴らしい演奏に違いないのですけれど、私にはこの曲が輝いて聴こえました。神奈川フィルがオーケストラ・ピットに入った舞台を見たくなりました。

 ところで、音楽堂にオーケストラピットがあるのをご存知でしょうか。「音楽堂建築見学会特別篇」でも見ることができたと思うのですが、私は以前の見学会でオーケストラピットの空いているところを見ました。

 

 ニュルンベルクの名歌手序曲  60年前に倣って名歌手と表記します。火の鳥にも増して輝かしく、そして重厚でした。すぐにでもオペラの幕を開けて欲しい思いになりました。火の鳥を含めて、指揮者との相性も良いのでしょう。

 60年前の音楽堂に最初に流れた音楽のようで、当時のプログラムが、当日のプログラムに掲載されていました。それによれば、「NHKシンフォニーホール(公開録音)」の第1曲目でした。
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 アンコールは、60周年記念演奏会を終えて2回目の60年の始まりを意味すると思いました。その最初の演奏を務めた神奈川フィルが、神奈川県の音楽界をリードする意味が潜在しているでしょう。もちろん県内に留まらぬ、全国・海外にまで名声が知れ渡るようになることも祈念してですが。

 

 決して密なお付き合いではありませんでしたが、私が音楽堂に脚を踏み入れて50年以上が過ぎています。スメタナQ、ズスケQ(ゲヴァントハウスQ?)、ベルリン・フィル・ゾリステン(シュバルベ?)、ポール・トゥルトゥリエ、赤い鳥、小室等と六文銭、朱里英子、何でも音楽堂でした。時には演劇も上演されていたように思います。中学校は近所でしたから、時には写生の対象にもなりました。

 最後になりますが、そのような音楽堂の60周年を心よりお祝いいたします。いつまでも存在感を発揮して下さい。

   (2014年11月15日記録)

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2014年7月 1日 (火)

音楽:神奈川フィル第300回定期演奏会

  指揮  川瀬賢太郎

  演奏  神奈川フィルハーモニー管弦楽団

  独唱  秦茂子 (S)
      藤井美雪(Ms)

  合唱  神奈川フィルハーモニー合唱団

  曲目  マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」

  会場  横浜みなとみらいホール(1階13列22番)
  公演  2014年6月27日19:00~20:40

 

 極めて真摯な演奏であったと思う。いつだって神奈川フィルは真摯な演奏をするけれど、オルガン前席を埋め尽くした合唱団、客席から見えない舞台袖で演奏するバンダまで、一体となって300回記念演奏会を印象深いものに仕上げたという意味で、より真摯な演奏と感じた。

 

 話は少しそれるが、前回定期から今回定期までの間の神奈川フィル関連の出来事を少し。

 第1ヴィオリン・メンバーのお二方のリサイタルを聴く機会を得た。取り上げた曲も違うし、会場・雰囲気も違う。ブログに感想を書きそびれたけれど、各々を四文字熟語で表せば「胆大心小」「温厚篤実」になるだろうか。当たり前のことだけれど、アーティストとしての自己主張を垣間見た。そういうお二方というか、今回の第1ヴァイオリンは6プルト・12人だったけれど、一つの到達点に向かって演奏する姿を思い浮かべて、神奈川フィルの凄さを改めて感じた。

 もう一つは、前日の公開リハーサルに参加する機会を得た。大体、誰でも参加可能だから、興味あれば神奈川フィルのホームページをこまめに見ていれば判るだ。練習所(かながわアートホール)も同様。そのリハーサルに先だって、指揮者・川瀬賢太郎のプレ・トークがあった。そこで「僕のような若い指揮者には、マーラーは金もかかるし、なかなか振らせて貰えない」との一言(そのままではない)が印象的だった。その思いをぶつけるのは、今でしょう。

 

 第1楽章が始まり、ヴィオリンなどがトレモロで奏でる中、低音弦が息を継ぐように荒々しい第1主題を提示、各楽器が加わって激しさを増して一旦納まる。ヴァイオリンが上昇音型の慈しみ深い第2主題を提示。ホルンと低音弦が快活な新しい旋律を提示して発展、ホルンとオーボエが葬送行進曲風の旋律を奏で、ハープが提示部を結ぶ。

 演奏に20数分を要する第1楽章の4分の1まで進んだことになる。この時点で、既に冒頭に述べた真摯な演奏、大曲であるのに何とも自然体の演奏との印象がほぼ形成された。とするなら、聴く方だって、週末の2時間をゆったりした気持ちで楽しめば良いだろうとも思った。緊張感を欠くという意味ではない。

 

 第300回記念演奏会が素晴らしいものになったことは言うまでもないが、いくつか思うことを整理しておく。

 常任指揮者・川瀬は今回で2回目の定期演奏会の指揮。前回のブラームスで上手く表現できない何か気になる部分を感じたが、今回はそのようなことはなかった。神奈川フィルとも良い関係を築いていけそうに感じた。メンバーが若い指揮者を盛り立てていることもあるだろう。

 暫く前からティンパニー・パーカッションが気になりだした。音楽が良く締まる、緊張感を高めるとの意味。今回は特にそれを感じた。管も素晴らしいし、弦は言うまでもない。神奈川フィルを連続して聴くのはここ5年、その中に2010年5月の創立40周年記念演奏会における「復活」が含まれる。どうだろう、神奈川フィルは着実に前進している。

 合唱が座ったまま歌いだして意表を突かれたが、今回も素晴らしい響きで演奏を盛り上げた。それと、バンダの演奏も見事、舞台上との響きの遠近感も適当、多くない私の体験の中で今回のバンダが一番素晴らしい。

 メゾソプラノ・藤井、第4楽章で歌いだすと、まるで地の底から響くように感じさせて緊張感を増した。ソプラノ・秦は長いこと待たされるが、第5楽章で歌いだせばやはり華。

 

 余韻を持続したままに、暫く前に加えて貰ったお仲間と懇親会へ。第1ヴァイオリンのHさんも駆けつけて頂いた。盛り上がったことは言うまでもない。はっきりいえば、いつも盛り上がっているけれど、特に。

 終えたばかりで何だけれど、次は2020年の50周年記念、年に10回の定期演奏会だからおよそ10年後に第400回記念。自分自身が元気でいることが必須だけれど、戦争や紛争のない世界の実現こそ不可欠。音楽も楽しめる日常が持続して欲しい。それには何がしかの微力を尽くすことも必要、考えよう。

   (2014年7月1日記録)

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2014年4月 1日 (火)

音楽:神奈川フィル第297回定期演奏会

  指揮  金聖響

  演奏  神奈川フィルハーモニー管弦楽団

  曲目  藤倉大 :アトム
      マーラー:交響曲第6番イ短調「悲劇的」

  会場  横浜みなとみらいホール(1階13列22番)
  公演  2014年3月20日19:00~21:05(休憩20分)

 

 消え入るように演奏が終わり、誰もがフリーズ。静寂がホールを支配した。一人ひとりの胸中を去来したものは何か。無限に続くかと思えた静寂は、指揮者が体を弛緩させてオーベーションの嵐に変った。

 2011年3月12日、社会的混乱の中で開催された第270回定期演奏会はマーラー・第6番。客は700人。しかし、あの演奏会は救いだった。日常を淡々とこなす重みを示された気がした。演奏前、金聖響の「我々ができることは音楽しかない。精一杯演奏する」との挨拶、そして黙祷。今回、その演奏を聴いた客は聴いたなりに、聴けなかった客は聴けなかったなりに、3年前を思い返しただろう。

 そして、神奈川フィル常任指揮者・金聖響として最後の定期演奏会。本人の胸中を様々な思いが駆け巡ったであろうとは、長い静寂から想像するのみだ。

 

アトム。 弓を撥ねるようなボーイング、弦のかすかな響きで始まった。しかし、乾いた砂が固まらないように、いつまでも響きが響きのままで形にならない。打楽器に流れが渡る部分があって、打楽器のための、と形容してもよいようにも感じた。総じてとらえどころのない曲だったが、その印象こそとらえどころだったかも知れない。
 例えばマットを叩いたり紙を破ったり、色々なことが起こる現代曲ではなかった。種々情報がなければ、比較的新しいクラシック曲と感じたかも知れない。現代曲を捉える巾が広がった。視覚も駆使すると現代曲をより楽しめるという意味で、多くのファンが演奏会に通えば良いとも感じた。

 

マーラー・交響曲第6番。 第1楽章。何かが忍び寄るようで不気味な第1主題、アルマのテーマと呼ばれる愛の迸ばしりを感じさせる第2主題。緊張と弛緩が対峙しながらも繊細さは保たれる。明瞭な弦に管のアクセント、チェレスタの彩どり。神奈川フィルの懐の広さ、指揮者の統率力。

 第2楽章、アンダンテ。 いきなりヴィオリンが主題を奏で、管、そしてホルンへ。長閑な草原を彷徨う思いだが、紗をかけたような憂いが全体を覆う。屈託のない明るさに行き着かない思い。
 第270回ではスケルツォ・アンダンテの順だった。学究的なことに思い及ばないが、私はこちらの流れを好ましく感じた。一息入れて後半に臨む思いだ。まあ、音楽的に一息などなかったけれど。

 第3楽章、スケルツォ。 ティンパニーと低音弦の奏でるリズムの上にヴィオリンが主部を奏で、各楽器に引き継がれる。第1楽章を振り返るようだ。中間部でオーボエが優雅な旋律を奏でて展開。それらが再現された後に静かに終えた。神奈川フィルの様々な表情が見られて興味深かった。

 第4楽章。 演奏に30分ほど要する第6番で最長の楽章。主部で木管とヴィオリンが奏でる第1主題、ホルンが奏でる跳ねるような第2主題。注目のハンマーは、重く籠るひしゃげた音が2回。万感の思いを込み上げる音の中の音。再現部を経ることなく消え入るように終わってしまうせつなさ。

 総じて言えば、繊細な弦に逞しさも感じ、管は美しく安定していた。まあ、いつものことだ。そして、ティンパニーに代表される打の味わい深さなくして、悲劇に向かう過程を遺憾なく表現することは不可能だったろう。第6番は名曲。そして、名曲を名曲として響かせた名演が、金聖響と神奈川フィルの5年間の総決算だった。お疲れさまでした。

   (2014年4月1日記録)

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2014年2月27日 (木)

音楽:神奈川フィル第296回定期演奏会

  指揮     飯守泰次郎

  演奏     神奈川フィルハーモニー管弦楽団

  曲目     W.ワーグナー :
           楽劇「トリスタンとイゾルデ」より前奏曲と愛の死
         ブルックナー :交響曲第7番

  会場     横浜みなとみらいホール(1階13列22番)
  公演     2014年2月22日14:00~16:00(休憩20分)

 

 心に沁み入る演奏だった。飯守は、艶やかながらも少しくすんだ、渋味ある音を引き出したと感じた。他人の言葉を借用すれば「何も足さない何も引かない」。こういう演奏がスタンダードと言えるのだろう。ここでスタンダードは平凡を意味しない。

 生の演奏は良い。そう思っても、演奏会場に足を運べないファンもいるだろうし、私自身も先の予定など立たない時期もあった。最近、生演奏を聴ける幸せを感じている。まして、それが名演奏ならば。

 記憶に新しい前回定期のゲッツェルは艶やかで張りのある音を引き出した。それにしても神奈川フィルは、各指揮者の要請に答えつつ、深みのある美しい音を響かせている。最近の響きを特に好ましく感じる。

交響曲第7番

 ライブで聴く初めてのブルックナー。

 第1楽章、チェロにホルンが重なって奏でられる第1主題、厳粛さを感じた。チェロは言わずもがな、ホルンも私が聴きだした4年前より実に堂々として、見事な演奏と感じた。オーボエとクラリネットが奏でる第二主題、その後の意外性のあるフルートとクラリネットの動機も美しい。各パートの充実が輝かしいトゥッティで結実、早くもオーケストラの醍醐味を感じた。
 今まで疎遠であったブルックナーが、急に身近に感じられた。

 第2楽章、チューバが悲しげな動機、続く弦の響きの荘厳さ。ヴァイオリンの第2主題の後にも繰り返される。ワーグナーの病気と死が背景に横たわっていることを知らなくても、荘厳さと厳粛さを十分に感じられただろう。そして消え入るように終わる。ブルックナーの思いを、飯守と神奈川フィルが見事にリアライズした。

 第3楽章、トランペットとクラリネットがリードする第1主題、力強いトゥッティが繋がる。まるでワーグナーの死を乗り越えて行く意思を顕示しているようだった。トランペットを初めとする管が見事。まさに管弦楽だが、コーダで長く打ち鳴らされるロール打ちのティンパニーもまた印象深かった。管弦打楽だ。

 第4楽章、弾むように第1主題、たゆたうように第2主題。そして第1主題の動機のトゥッティで断ち切って、力強くあるいは穏やかに展開する。そして輝かしいトゥッティで終わる。
 多くの死を乗り越えなければならないことを音楽に託しているかのようだ。まあ、私の感じ方に過ぎないけれど。

 繰り返しになるが、飯守と神奈川フィルが見事。そして、私にとっては、疎遠であったブルックナーを身近に感じられたことが大きな成果だった。

楽劇「トリスタンとイゾルデ」より前奏曲と愛の死

 演奏順と逆になるが。
 ブルックナー7番の第2楽章が、ワーグナーの死を契機として作曲されたことを印象付けるプログラム。脈絡の無いプログラムの時もあるけれど、今回は切り離せないだろう。そして、良く知るわけでもないが、ワーグナーから選ぶとすれば、内容的にも時間的にも、この曲に行き着くだろう。的を射ているか否かは定かでないが、そういうことを考える面白さも少し感じ始めている。

 演奏については、ブルックナーで感じた印象と変らない。文頭の総括に尽きる。

   (2014年2月27日記録)

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2014年1月26日 (日)

音楽:神奈川フィル第295回定期演奏会

  指揮  サッシャ・ゲッツェル(首席客演指揮者)

  独奏  石田泰尚(ヴァイオリン)
      山本裕康(チェロ)

  演奏  神奈川フィルハーモニー管弦楽団

  曲目  ブラームス   :ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲
      ハルボルセン  :パッサカリア(ソロ・アンコール)
      ワーグナー   :歌劇「タンホイザー」序曲
      R.シュトラウス :歌劇「バラの騎士」組曲
      J.シュトラウスⅡ:狂乱のポルカ(アンコール)

  会場  横浜みなとみらいホール(1階13列22番)
  公演  2014年1月25日14:00~16:05(休憩15分)

 

 前回定期の演奏にはいささか首を傾げた。今回も首を傾げたのだが、ただ、その向きは逆。
 前回は音に違和感を感じたが、今回は演奏に大きな好感を抱いた。あまりにも艶やかで張りのある音、こんなにもオーケストラの音は変わるかと思った。定期演奏会に通う意味合いが判ったような気がした。一度や二度でなく、長く親しむうちに判ることもある。

「二重協奏曲」
 オーケストラが力強く4小節の序奏、その間にいつもより上質な何かを感じた。まさに「ビビビ」。ちょっと古すぎるけれど、その何かを私は下手でも言語化できない。そして、独奏チェロがカデンツァを惹き始める。明瞭だけれど温もりを感じさせる。オーケストラの短い間奏を経て独奏ヴィオリン。繊細だけれど力強さも併せ持つ。そして、両者が絡み合い、オーケストラも絡み合って至福の演奏を展開。
 協奏曲の生演奏では、独奏楽器が際立たないこともままある。この日の演奏は、独奏ヴィオリンも、独奏チェロも、オーケストラも、自己の存在を際立たせていた。まるで録音のようにバランスの良い演奏だった。
 楽団員からソリストを選出しての協奏曲を聞くのは好きだ。まして神奈川フィルの顔でもあるソロ・コンサートマスターと首席チェロ奏者だから殊更。仲間内で作り上げる音楽を指揮者がやさしく後押し、そんな印象だった。

「パッサカリア」
 ヴィオリンとチェロのアンコールピースを知らないけれど、でもパッサカリアを演奏してくれるなんて。この曲、演奏に7分少々を要する。でも大好き。こんなに良い気持ちにさせて貰っちゃって良いのかな。

「タンホイザー」
 ドッペルから管に惹き付けられていたのだが。緩やかに巡礼の合唱が始まり、二音目の和音で一気に演奏に惹き込まれた。ワグナーの曲中で最も聴く機会が多い。耳にこびりついているというのは言い過ぎかもしれないけれど、魅力的な旋律に惹かれ、弦が繰り返す下降音形にも惹かれる。ワグナーの重厚さも魅力的だが、対立しながらもバランスよく響く管と弦、打楽器も忘れてはいないけれど、もう全幕演奏して欲しい。

「バラの騎士組曲」
 ウィーンを舞台にした、元帥夫人の火遊びから起こる行き違いをテーマにした喜劇。軽やかさをまとった洒落た雰囲気を醸しだす。オペラの各曲を抜粋したものでなく、組曲として作られたもので、連続した一曲である。
 ウィーン生まれのサッシャ・ゲッツェル、そしてここまで充実の演奏をしてきた神奈川フィル、もう悪くなる要素などないでしょう。

「狂乱のポルカ」
 かくして年の初めの演奏会は、大団円のうちに終わる筈だった。しかし、アンコール曲の用意が。
 これまでの指揮ぶりを割りにシンプルと感じていたが、それでオーケストラから見事な音を引き出した。でもアンコールでは、腰をくねらせ、ジャンプするなど、動きまわった感じ。“これがウィーンだ”と思ったかどうかは定かではないが、楽しい雰囲気を充満させた。大きなブラヴォーを。

 

 もう二つおまけ。

 コンサートマスターは「タンホイザー」までが崎谷直人。大分慣れてきたようで、指揮者出入りなどにも配慮が行き届くようになって好感を抱いた。まだゲストだが、もう立派な新コンサートマスターだ。
 そして、「バラの騎士組曲」では、席が一つづつずれて空いたところに、ドッペルで独奏した石田泰尚が座った。神奈川フィルも偉いサービスだな、と思ったりして。思わぬお年玉か。

 そして、私は早く会場を出たので現認していないが、ご一緒させて戴く「We Love 神奈川フィル」のお仲間が、着替えを済ませたサッシャ・ゲッツェルが見送りに出てきたと。神奈川フィルのメンバーが見送りしているのを聞いて、出てきたのだろうか。サインと一緒に写った写真を見せて頂いた。演奏後の見送りも大変だと思うが、でも嬉しく思う。そしてサッシャ・ゲッツェル、なかなかやるな。

   (2014年1月26日記録)

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2014年1月21日 (火)

音楽:R.ワーグナー:歌劇「タンホイザー」序曲のお勉強

 以下の文章は「We Love 神奈川フィル」に投稿したものです。

神奈川フィル 第295回定期に向けてのお勉強 2時限目
    『リヒャルト・ワーグナー:歌劇「タンホイザー」序曲』

 歌劇「タンホイザー」は、歌劇「さまよえるオランダ人」に続く作品で1845年初演、上演には3時間弱を要します。正確なタイトルは「タンホイザーおよびワルトブルクの歌合戦」。まず物語りの内容を掻い摘まんで。

 バカな男に惚れたバカな、いや清純な女の悲劇、なんて言ったら多くからお叱りを頂くでしょうか。まあお許し頂いて、ここで男はヴァルトブルク城の騎士歌人のタンホイザー、中世の騎士は皆歌う習慣があったそうです。そして女は、チューリンゲンの領主の姪のエリザベート。

 愛しあう二人なのに、魔がさしたか男は異界に出かけて快楽の女神ヴェーヌスと愛欲の日々。ふと故郷を思い出して脱出する。ワルトブルクの城近くに放り出され、通りかかった親友から女が待っていると聞き、罪を感じながらも城に帰る。何たるご都合主義、悲劇に至るのは目に見えているようなものだ。

 二人は再会、男の身勝手を女は一笑に付す、いや笑いもせずに許す一途さ。さて当日は歌合戦の日、課題は何と「愛の本質について」。多くの騎士歌人は女性に仕える愛を歌うが、男は自由な愛を主張、ヴェーヌスを讃えて非難を浴びる。我に戻って悔やむも時遅く、追放され、教皇の赦しを得る巡礼に加わる。赦されるまで帰れない。

 巡礼が通るたびに男の姿を探す女。思い届かず、自らの死を以って男の赦しを請う。

 赦しを得られず、やつれた男は自暴自棄、異界に戻ろうとさまよう途中で友に会う。現れたヴェーヌスは男を引き寄せようとするが、友が引きとめる。そこへ女の葬列、我に帰る男。女が命と引き換えに、男の赦しを神に願ったと聴かされ、男は女の亡骸に寄り添って息を引き取る。そこへローマからの行列が特赦を知らせる。その時に起こる奇跡はひ・み・つ。

 やはり、バカな男に惚れたバカな、いや清純な女の悲劇。演歌の世界みたいでしょう。

 序曲の演奏時間は約15分間、要約した悲劇を歌唱なしのオーケストラだけで表現。管弦楽曲として聞いても、ワグナーの重厚な音楽を楽しめるでしょう。でも、悲劇の進行を想像しながら聞けば、楽しさ倍増・三倍増。

 三つの部分、巡礼の合唱・異界の官能の世界・再び巡礼の合唱で構成されています。
 冒頭、巡礼の合唱が管楽器で演奏され、弦が加わり、各楽器で繰り返されながら高揚、やがて遠ざかる。代わって異界の妖艶な世界がヴィオラで、木管で、そして弦が讃歌を奏で、ヴィオリン・ソロなどを経て高揚。異界が遠ざかっていくと、再び巡礼の合唱が聞こえてきます。

 華麗で魅力的な旋律、それを支える伴奏も魅力的。短い間にオーケストラの総合力が試されると思います。若い頃は、ワグナーの重厚さに大きな魅力を感じませんでした。でも、徐々にその魅力に惹かれていったのも、その重厚さだったように思います。

 2012年3月、水口聡(Ten)のタンホイザー、演出・ミヒャエル・ハンペ、 指揮・沼尻竜典、そしてオーケストラピットに神奈川フィルが入って「タンホイザー」が上演され、印象深いものがありました。またの機会を切望しておきます。

 さて今回は、サッシャ・ゲッツェルの首席客演指揮者就任を祝う演奏会。神奈川フィルと共に繰り広げられるウィーンの響きを存分に楽しみましょう。

   (2014年1月21日記録)

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2013年12月31日 (火)

2013年回顧(4)  音楽 

 神奈川フィルをメインにして、気の赴くままにコンサートに出かけた。他ジャンルにも出没しているので、その数はそれほど多くないけれど。

   1.神奈川フィル定期 第286~294回(287回を除く)
   2.神奈川フィル音楽堂シリーズ 武満徹と古典派の名曲第1回
   3.みなとみらいクラシック・クルーズ Vol. 47・48・50
   4.D.チマローザ「秘密の結婚」
   5.J.S.バッハ 無伴奏ヴァイオリン全6曲演奏会
   6.コムラードマンドリンアンサンブル 第41回定期演奏会
   7.バッハの見た世界
   8.波多野睦美 朝のコンサート
   9.ブリュッヘン・プロジェクト第1回
   10.神奈川芸術劇場「N oism1 ZAZA~祈りと欲望の間に」

 

 神奈川フィルは後回しで、まず「みなとみらいクラシック・クルーズ」、安価な料金で様々な音楽を楽しく聴かせてくれる。大いに勉強にもなるのだが、途中から行きそびれてしまった。来年は足繁く通いたい。

 「秘密の結婚」、会場はみなとみらいホール・小ホールと限られた空間だったが、ここに大道具を入れてオペラを上演するなんて。出演者・関係者の熱意にまず敬意を表さないといけないと思った。

 「無伴奏ヴァイオリン全6曲演奏会」、昨年に続いて2回目。前半3曲からは淡々とした味わいが。後半3曲からは劇的な味わいが。曲間の話で、「パルティータ第2番は受難物語。ソナタ第3番は鐘が鳴り響いて聖霊化。パルティータ第3番は天国」とか。単なる器楽曲だけど深いものがある。

 「コムラードマンドリンアンサンブル」、アマチュアの団体。縁あって5回ほど聴いた。多少のばらつきはあったように思うが、高いレベルを保持していることは判る。鈴木静一作品の全曲演奏と言う高い目標を掲げて継続していることが、何よりも素晴らしい。

 「バッハの見た世界」、寺神戸亮と曽根麻矢子のデュオ。二人が教職者であることからも、多少、学究的な意味合いが感じられるかと思っていたが、それは微塵もなかった。J.S.バッハやヘンデルはともかく、ピリオッド奏法でコレッリやヴィターリが生で聴けるとは。至福の時間。

 「波多野睦美 朝のコンサート」、プログラムにない「さくら」で始まった。隣接の掃部山公園の桜を目の当たりにして付け加えてくれたのだろう。その心遣いのように、やさしい歌声が次々と。何よりこの人の声が好きだ。

 「ブリュッヘン・プロジェクト第1回 」、ベートーヴェンの交響曲第2番・第3番。初めて聞いた時はリコーダー奏者だったが、目の前には車椅子で登場、介助を受けて指揮台に移動したブリュッヘンが居た。彼我の時の流れを残酷と感じた。しかし、18世紀オーケストラと共に紡ぎ出す音楽を聴くと、時の流れは偉大だとも思った。深い信頼関係は一朝一夕に築かれるものではない。最初で最後のブリュッヘンと18世紀オーケストラを聴けたことに、大いなる感謝の意を捧げたい。

 「Noism1 ZAZA~祈りと欲望の間に」、舞踊だけれどここで。J.S.Bach《ヴァイオリン協奏曲第1番第2楽章 Andante》に振付けたモダンダンスなど。いずれも、とても緊張感を強いられた。それが楽しくもあるが、遊び的要素が少しあっても良い。選んだ音楽によりそうだ。しかし、神奈川公演があれば必ず出かけたいし、いずれは本拠地の新潟リュートピアへも。注目すべきカンパニー。

 「神奈川フィル」、一年間、大いに楽しませて貰った。繊細な弦、朗々と菅、輝く打。294回で、何か違和感があったとつたない感想を書いたところ、ゲスト・コンマスから謙虚な望外のリプライを頂いた。いつも聴いているから、それがイレギュラーとは判るし、何かを考えるきっかけであって、それ以上のことはなかったのだけれど。でも、耳を(目か)傾けて頂いたことに感謝するとともに、ますます応援したい気持ちが強くなった。
 有志の「We Love 神奈川フィル」にも加えて頂いてアフターコンサートも充実しすぎ。来シーズンからの新体制も楽しみだ。

 かくして一年が終わろうとしている。美術展等に関する回顧が間に合わなかったけれど、年内はこの辺で。後半にブログ更新が滞ったけれど、来年は気合を入れなおしてつたない文章を綴ろう。

 読んで頂いた皆様の、新年のご多幸を祈念して、2013年を終わります。ありがとうございました。

   (2013年12月31日記録)

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