2013年2月28日 (木)

映画:ブリリア ショートショート シアター「アカデミー賞プログラム」

 昨年11月末に「ブリリア ショートショート シアター」の年間会員になって以来、既に7プログラムを鑑賞した。出来栄えと言うか、私の琴線への触れ方に差はあるものの、作品の内容、映画というメディアを使用して様々な表現に取り組む各国の製作者の存在に、結構、感動している。そのことは以前に掲載したが、その後も変わっていない。

 1日に2プログラムが交互に上映される。各プログラムは一ヶ月間継続するが、各々の開始・終了は半月ずれている。現在(2月27日)、バレンタイ・プログラム(28日まで)とアカデミー賞プログラム(3月15日まで)を上映中。3月1日からVOICEプログラムが上映開始される。

 バレンタイ・プログラムの3作品では様々な愛が描かれる。おもしろさはあるもののストーリーに既視感があった。永瀬正敏主演の「chocolate」は私が見始めてから初の日本作品、お互いの愛は失っていないものの別居状態にある家族の物語。バレンタイ・プログラムに適当かとの疑問は抱いたが、力作であることは確か。

 アカデミー賞プログラムの4作品は、いままでに鑑賞した7プログラムで最も粒よりのものが揃っていた。アカデミー賞の時期であり、「Curfew リッチーとの一日」はアカデミー賞候補作品(25日に短編実写部門受賞決定)で、アカデミー賞プログラムとされたのだろう。しかし作品の基調は愛、バレンタイン・プログラムよりはもう少し大きな愛がテーマ。

 「Lavatory-Lovestory(ロシア)」は線描の動画で部分着色、その他は実写。アカデミー賞受賞の「Curfew リッチーとの一日(アメリカ)」はさすがに見事、「The Crush アーダルの恋(アイルランド)」も鋭い視点があり、「Toyland おもちゃの国(ドイツ)」は、ドイツで制作されたことに映画人の良心を感じた。

 1プログラムは1時間に編成、入場料1000円、内容を書く訳にいかないので貴方の目で是非確認して欲しい。多少でも興味を感じていただけたら、まずはアカデミー賞プログラムを。

 

 ホームページに案内図があるけれど、地元の私も最初は戸惑ったので、要所の写真を掲載しておく。参考まで。
 案内図の迎賓館と高島中央公園の間に掛かる歩道橋上で撮影した写真。左は横浜方面を望むが、右端の丸いビルが富士ゼロックス、その奥が日産本社、横浜駅東口は日産本社の向こう側。右は歩道橋上で回れ右した状態、正面に高層住宅が二棟、その裏に二棟。シアターは右側の奥の高層住宅の二階になる。
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 左は右側の手前と奥の高層住宅の間で左側中央に住宅入り口、中は住宅入り口の様子、入って右手の階段を上る。右は二階のシアター入り口。
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   (2013年02月27日記録)

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2013年2月 2日 (土)

映画:ファースト・ポジション 夢に向かって踊れ

  原題     First Position
  監督     ベス・カーグマン
  参考サイト  公式サイト
  場所     シネマ ジャック&ベティ(横浜黄金町)
  鑑賞     2013年1月30日

 

 もう一年前のこと、ローザンヌ国際バレエコンクールの一位に選ばれた菅井円加が、自分であることを確かめるように列を離れて表彰に踏み出す一歩二歩が、成し遂げたことの大きさを物語るようで印象的であった。一位になっても、それはゴールでなく次のスタート。

 その後、菅井はジョン・ノイマイヤー率いるドイツ・ハンブルグのナショナル・ユースバレエに留学したそうだ。一度だけ観たノマイヤーの「夏の夜の夢」は美しく、クラシックとモダン両方の要素があったように記憶する。菅井も磨かれていつの日にか凱旋するだろう。

 

 前置きが長くなった。この映画は、未来のプリンシパルを目指す若者たちの登竜門・ユース・アメリカ・グランプリ、その狭き門の通過を夢見て各地で日々のレッスンに励む6人に焦点を当てた記録映画。

 若者とは言ったが、このコンテストの出場資格は9歳から19歳、少年少女と言う方がふさわしい年代かも知れない。

 若者の生い立ちは各々に異なる。その一人・ミケーラはシオラレオネ生まれ、内戦で両親を亡くし、4歳でアメリカ人夫婦の養女に。今14歳、運命が他の途を歩ませていたら。

 予選・本選の舞台は5分、華やかで美しく感じるのは他人だろう。本人や師や家族には、将来を振り分けられる過酷な場だ。そこで自己を最大限にアピールするために、日ごろのレッスンはさらに過酷だ。つま先だって限りなく回転するフェッテは美しく華やかだが、トゥシューズを脱いだ足は傷だらけ。身体だって故障は耐えない。

 全ての若者は、結果の前にひれ伏さなければならない。努力なしに結果は得られないが、努力が結果に結びつくとは限らない。厳しい現実を垣間見せてくれる。

 

 が、栄光も挫折も一時。プリンシパルへの途は、さらに厳しいレッスンを継続し、いくつもの関門を潜り抜けなければ成らないだろう。だから、スポットライトを浴びてセンターステージで踊るプリンシパルに、限りない賞賛を寄せられる。極めて限られた者だけがそこに立つ。

 この映画はそこまで追うわけではないが、コンテストから先が今まで以上に狭い途であることを十分に予感させる。

 興味深い記録映画だ。週中の昼間、40人ぐらいが入場していた。時々、鑑賞に行くが、いつもの3~4倍。女性9割、男性1割。

 ダンスに興味があればお勧め。そうでない方にもお勧めします。観れば、新しい世界が広がることでしょう。

   (2013年2月2日記録)

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2012年12月 9日 (日)

映画:ブリリア ショートショート シアター

 “ブリリア ショートショート シアター”は、横浜みなとみらいの高層住宅にあるショートフィルム専門の映画館。民間デベロッパーのメセナですが、企業臭はほとんど感じません。

 客席は100強、1階分の角度がある階段状に配置されていて、前席で視界が邪魔されることはありません。椅子もゆったりしていて心地良く、音響も素晴らしい。カフェ併設で、鑑賞前後にのんびりもできます。

 ショートフィルムとは30分未満の映画とのこと。テーマに沿って、1時間になるように組み合わされています。例えば「スポーツ」「音楽」「愛」。二つのテーマが、20分の休憩を挟んで交互に上映されています。

 以前から一度覗こうと思っていましたが、一週間ほど前、今日は鑑賞すると意を決して家を出て、いきなり年間会員になってきました。年間会員の方が割安と思ったこともありますが、一年ぐらい通わないと良さが判らないと思ったほうが大きいです。

 

 既に、例えにあげた三テーマを鑑賞しました。そして、既に結構感動しています。
 映画という旧来のメディアを利用して、新たな創作活動が継続していること。創作活動は世界中に広がっていること、例えばスポーツでは、カナダ、香港、カナダ・ケベック、イスラエルの作品が。そして、込められた思いに大いに共感させられるものが少なくないこと。

 例えば、「イスラエル・ Khen Shalem ・The Other Side(上映終了)」。
 爆撃が繰り返される村。いじめの対象にされている少年。兄(戦死していると想像)から貰ったサッカーボールを大事にするが、ある日、取られそうになって逃げ出し、高い長い塀の前に追い詰められる。取られたくなかった少年は、ボールを塀の向こう側に投込む。一人になった少年に、塀の向こうからボールが返されてくる。嬉しくなった少年は、再びボールを塀の向こうに蹴り込む。
 ある日、塀の一部が壊れ、少年達は塀の向こう側の少年達と対面する。ボールを蹴り込む少年、一人の少年が出て来て蹴り返す。やがてサッカーが始まる。が、それは夢の中のことだった。

 ストレートな表現とは感じますが、それは、当座は平和な世界に住む私の思いでしょう。彼の地に暮らす人々にとって、何より希求して止まないものであることが、ひしひしと伝わります。私の中の小さなグローバル化、足繁く通うと思っています。一年通わずとも既に良さを実感しています。

   (2011年12月09日記録)

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2012年5月20日 (日)

随想:映画「泥の川」

 ここ数年、一年に5~10作品程度の映画を見に出かける。それ以前は、ほとんど映画を見に出かける習慣が無く、新聞や雑誌の評などで大筋の流れを知るだけだった。

 最近、古い映画を見ている。といっても映画館に出かけるわけでなく、NHK BSで放映されるもの。現在、「プレミアムシネマ(国内・外作品)」「山田洋次監督が選んだ日本の名画100本」の2シリーズ、合計すれば週に4~5作品が On Air される。それを録画し、都合の良い時間に見ているわけだが、一気に見られないので何分割にしたりもして。

 まだ多くを見ていないが、幾つかの作品が心に残った。今さら私が言うまでも無く、秀作・名作と世間で言われる作品だが。

 「泥の川(モノクロ、1981年)」、原作は宮本輝の中編小説。映画に、原作から引き去ったものはない。原作の香りを失わずに付け加えたものが素晴らしい。それが映画化の意義だろうが。戦争の傷跡を引きずりながらも生き続けなければならない廓船の一家。子供達のぎこちなさから始まる友情が、対岸で食堂を営む一家のさりげなく暖かい愛情を呼び覚ます。モノクロなのに、モノクロだからか、舞台となった大阪・安治川河口附近の描写が美しい。ある日、廓船はぽんぽん舟に引かれて川を遡って行く。食堂夫婦を演ずる田村高廣・藤田弓子のほのぼのとした役作り、廓船の加賀まり子の美しさ。子供たちの奔放な演技。すべての寄せ集まったところで静かに訴えるのは、戦争反対であろう。

 「東京物語(モノクロ、1953年)」、人口に膾炙した作品で多くを言う必要はないだろう。デジタル・リマスター版ということで画面はきれいだ。笠智衆、東山千恵子、原節子、杉村春子、他、芸達者な人が多い。家族というものは、物理的にも心情的にも離散していくものと判るが、原節子演じる次男の未亡人の心根が純粋で、爽やかで忘れ難い。誰しもが思って出来ないことだろう。蒸気機関車が通り抜ける尾道の家並みの俯瞰が美しい。

 原節子に的を絞れば、没落する名家の悲哀をテーマにした「安城家の舞踏會(モノクロ、1947年)」、林芙美子原作による「めし(モノクロ、1951年)」も印象深い。
 「紀ノ川(カラー、1966年)」冒頭の船による嫁入り場面は、これぞ映画と思える。今となっては、実写でこれだけの場面を撮影できないでしょう。

 今回は、「山田洋次監督が・・」に偏った。続きは追って。

   (2012年5月20日記録)

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2012年3月 3日 (土)

映画:pina ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち

  監督・脚本・製作  ヴィム・ヴェンダース
  参考サイト     公式サイト
  場所        横浜ブルク13
  鑑賞        2012年3月1日

 

 ピナ・バウシュ、2009年6月急逝。日本における追悼公演が2010年6月に新宿文化センター他にて行われた。随分と前の出来事のような気がする。時間的な余裕が出来たというのに、時は過酷だ。ベジャールしかり、カニングハムしかり。

 

 準備はピナの生前に開始されたそうだが、撮影開始直前にピナ急逝。この映画は踊り続けるいのち、すなわちブッパタール舞踊団の仲間たちの胸の中にあるピナの姿、受け継いだ精神を、踊りと語りで表現したもの。仲間たちは多国籍の集合体、年齢やピナとの接触の仕方が異なるから様々に表現される。

 ピナの作品「春の祭典」「カフェ・ミュラー」「フルムーン」が大きな動機として位置づけられる。気付いた範囲なので他にもあるだろう。それらの間に小さな作品あるいは大きな作品の一部かも知れない踊りが挿入される。ピナへの思い出、受け継いだ精神などの語りが挿入される。

 踊りというと美しい場面が想像される。ピナの作品はもちろん美しいが、創作は土俗的というか原始的というか、そちらの方に向く。ゆえに、舞台は劇場・練習場に限らず屋外にも及ぶ。モノレールが頭上を通り抜ける街中、モノレール車中、工場、野辺、川辺、丘陵であったりする。あらゆる生活空間だ。

 

 映像表現に様々なテクニックが用いられる。踊りに入り込んだカメラセッティングもある。全てがピナを髣髴させる。しかし、予備知識無しにピナの世界を思い描けるだろうか。映像は新たに撮られたものが大半。過去の公演記録ではないし、ドキュメンタリーとも言えない。新たな創作とも言えない気がする。捕らえ方が難しい。

 ヴィム・ヴェンダースが悪い訳ではない。むしろ素晴らしい映画だ。ただ、結局はそこに回帰するが、ピナとヴィム・ヴェンダースは直接対峙できなかった。それを言って何が変わる訳でもないが。

 

 ピナの思い出・精神に浸りたいなら、貴重な情報を与えてくれるだろう。ピナとは何者かと新たに思う方がいるならば、その一歩を踏み出す貴重な情報を与えてくれるだろう。ライブステージは敷居が高いと思う特に中高年男性諸氏、まずはこの映画を見たら如何だろうか。

 私は3D映像を好まない。立体感が時に安っぽく見える。カラーでなくても良いと思う。技術の粋を尽くせば失うものもある。それだけは気になった。

   (2012年03月03日記録)

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2012年1月 7日 (土)

映画:ベニスに死す

  製作・監督 ルキーノ・ヴィスコンティ
  脚本    ルキーノ・ヴィスコンティ、ニコラ・バラルッコ
  原作    トーマス・マン「ベニスに死す」
  音楽    グスタフ・マーラー
  出演    アッシェンバッハ:ダーク・ボガード
        タジオ     :ビョルン・アンデルセン 他

  参考    公式サイト
  場所    シネマ ジャック&ベティ
  鑑賞    2012年1月5日

 

 ほの暗い海原を小さな蒸気船がゆっくり進む。色彩を失った画面にマーラーのアダジエットが重なる。抑制された始まりだ。

 

 初老の作曲家・アッシェンバッハ、原作では作家だったと思うが、は静養のために訪れたヴェニスのリドの優雅なホテルで、母親等と共に滞在する美しい少年・タジオを見初める。アッシェンバッハのタジオに対する思いはホテルや浜辺に少年の姿を探し求めるようになる。

 滞在客は潮が引くように去り、街中の消毒が始まる。疫病の蔓延、タジオから離れがたいアッシェンバッハはやがて罹患する。やつれた顔を隠すように白粉・口紅を塗り、白髪を染める。ある日、浜辺のデッキチェアにもたれてタジオの様子を見ながら、満たされたような笑みを浮かべて死を迎える。黒い汗が顔に筋を描く。

 

 描かれるのはクレッシェンドするアッシェンバッハのタジオへの思い、美しさの探求。あるいはアッシェンバッハの視線を意識してじらすようなタジオの振る舞い。単純なストーリー、台詞も多くは無い。しかし飽きることなど無い。

 若さは美、老いは醜。ドイツの作曲家、美の求道者であるアッシェンバッハの内なる両者の対峙は、耐えがたい苦しみを伴う。苦しみから逃れる手立ては死を賭してのタジオへの思いの完結か。

 結末を知る私(観客)は描かれ方に、内面をを炙り出す音楽の響き方に、興味は向かう。
 この映画を名作たらしめているのは、アッシェンバッハを演じるダーク・ボガードの渋味ある演技、死の直前の満ち足りた微笑が印象深い。そしてタジオを演じるビョルン・アンデルセンの美しさ。容姿の美しさ、立ち居振る舞いの美しさ、そこに演技でない生まれた時から磨き抜かれた美しさを感じる。ビョルン・アンデルセンなくしてこの映画は成立しなかっただろう。

 ニュープリントの画面も美しい。一部に多少の傷を認めるが気になるほどのことはない。音楽は多少鮮明さに欠けるが、40年前の作品であることを思えば仕方ないだろう。初めてスクリーンで観た。原作を読み直したい思いがした。

   (2012年01月07日記録)

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2011年10月23日 (日)

映画:朱花(はねづ)の月

  監督・脚本・撮影・編集 河瀬直美
  参考サイト       朱花の月 公式サイト
  場所          シネマ ジャック&ベティ
  鑑賞          2011年10月21日

 

 万葉集の歌が底流にある。

 一つは「香具山は 畝傍雄々しと 耳成と 相あらそひき 神代より 斯くにあるらし 古昔も 然にあれこそ うつせみも 嬬を あらそうらしき(万1-13)」。ここで「雄々し」となっているが「愛々し」とする解釈もあるようで、この映画も「愛々し」を取る、すなわち一人の女性を二人の男性が愛おしく思う。

 もう一つは「燃ゆる火も取りて裹みて袋には入ると言はずや面知らなくも(万2-160)」。女性の強い気持ちの顕示、「火だって袋に入れられると言うではないか。まして・・・」であることは判る。

 朱花(はねづ)は万葉集でも歌われた草花の名前、ただし、現在のどの草花かは特定できていないそうだ。名前からして朱色をした花であることは推察が付く。
 主人公・加夜子がスカーフを染める色でもある。しかし、見終わると物語の結末に結びつく色でもある。

 

 物語は二人の男性と一人の女性の愛が、飛鳥から少し南へ下る一帯を背景に描かれる。時代は現代であるが、遠き昔から変わることのない出来事と暗示さるかのようだ。

 現代に、そのような生き方が難しいとも思えるが、描き出される飛鳥の美しい風景、穏やかな時間の流れを感じると、それもありそうだと思えてくる。結末は決して幸福ではないが、それゆえに純愛物語とも言えそうだ。少し知的な純愛物語。

 

 監督他・河瀬直美、気にしているが見た作品は少ない。再上映の機会があれば拾うように見よう。主演の三人、こみずとうた・大島葉子・明川哲也の素朴な演技に惹かれる。助演の樹木林・西川のりお・麿赤兒など、数カットしか出ないがいい味、若い人たちを盛り上げようとする意志の現われのようにも思える。

 前述のとおり、少し知的な純愛物語とは思うが、生きることを考えてみるに良い契機となりそうだ。ここ数年、ぼちぼち映画を見るようになったが、映画も良いものだとつくづく感じる。

 藤原京跡、石舞台から少し南に下ると美しい段々畑、飛び石、雄綱・女綱、高市の街並、旅心も誘われた。そういえば神無月ではないか。

   (2011年10月23日記録)

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2011年8月 5日 (金)

映画:コクリコ坂から

  企画・脚本    宮崎駿
  原作       高橋千鶴・佐山哲(角川書店館)
  参考サイト    公式サイト
  場所       横浜ブルク13
  鑑賞       2011年7月30日

 

 1963年(昭和38年)の横浜が舞台となる青春物語。

 主人公は16歳の少女・海、港の見える丘の上で、女性ばかりが住む下宿屋・コクリコ荘を切盛りしています。毎朝、庭の旗竿に「ご安航を祈る」を意味する国際信号旗「UW」を掲げます。

 もう一人の主人公・俊は、父の操るタグボートで学校の途中まで通います。俊は、丘の上の「UW」旗を見て「1UW」旗をタグボートに掲げて応答します。しかし、海の位置では「1UW」旗が見えません。ある時、下宿の二階に住む間借り人から、「1UW」旗を掲げたタグボートが通ると知らされます。

 二人は、一年違いの同じ高校に通う生徒。そこから物語りは展開します。学園騒動、ふと気付いた二人の出生の秘密。興味あれば、後は映画で確かめてください。

 

 スタジオ・ジブリの作品を初めて見ました。物語にそれほど深い内容を感じませんが、主人公達と同じ頃に学生だった私は、そういう世界があったかも知れないと思いました。何よりも興味を抱いたのは、1963年の横浜が舞台という点でした。例えば、古いJR桜木町駅などの描写に、そうだったなと思いました。

 コクリコ荘は、どこにあったのでしょうか。
 かすかな記憶を手繰り寄せると、根岸から磯子辺りの光景のように感じました。丘の上に磯子プリンスホテル、中腹に(美空)ひばり御殿、海縁には商店街(美空ひばりの生家も一角にある魚屋さん)、何より目の前は海でした。
 今は、目の前の海は埋め立てられて、様相は大きく変わっていますが。

 映画の舞台となる海に下る傾斜地のイメージは、私の中では磯子辺りです。山手は、地形的に海から切り立った崖の上になるので、映画のイメージにはそぐわないのです。

 まあ、場所を特定する意味などありません。しかし、7・80年の生涯のうちに、横浜が大きく変化することを再考させる意味で、良いきっかけになりました。

   (2011年08月05日記録)

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2011年5月10日 (火)

映画:ミツバチの羽音と地球の回転

  監督       鎌仲ひとみ
  プロデューサー  小泉修吉
  映画館      シネマ ジャック&ベティ
  鑑賞       2011年5月9日
  参考       オフィシャルサイト
           上関原発予定地等からのライブ中継

 中国電力は山口県熊毛郡上関町、瀬戸内海に突き出た田ノ浦の山林を切り拓いて原子力発電所建設を計画している。田ノ浦の目の前には祝島がある。この島には、1000年以上前から伝わる神舞(かんまい)の祭りがある。四年に一度開催される祭りは、上関原発建設を巡る問題で2回続けて中止されたが、島民たちの思いが復活させた。

 このドキュメンタリーは、祝島島民の30年近くに渡る原発建設反対運動と島民の生活を描く。長期間に及ぶ運動に費やす時間も費用も生活を圧迫する。それでも運動を継続するのは、島の生活が好き、継続可能な環境を維持する、ささやかな願いが根底にある。

 山戸孝は、島にUターンした、島でもっとも若い働き手、妻と娘の三人家族。島の物産のネット販売や有機ビワ栽培などで自活の道を模索する。原発反対運動ではシュプレヒコールのマイクを握り、神舞の踊り手にもなる。この生活を奪う権利は誰にも無いことが伝わってくる。

 運動の中心となる山戸貞夫の言葉が重い。「島の人たちだけで原発計画つぶすっていうことは絶対できんって。だけど、引き伸ばすことはできるぞって。こちらができるだけ引き伸ばしている間に、社会情勢がどんどん変わってきて原発がもう必要ないような世界になってくれればいいし、もう原発はだめだという風な世論形成が出来てくれればいいんだけど・・・」。

 

 東電原発事故というあまりにも悲しい出来事が発生した。しかし、原発が建設されれば、事故が発生しなくとも、祝島の島民は自分達の生活基盤が破壊され、生活が出来なくなることを知っている。

 社会情勢が変わるということは、原発反対に直接取り組む現場にいない人たち、立法・行政、電力会社、広く利用者の意識が変わることだろう。祝島の素朴な生活、ささやかな願いの実現には、私が決して無関係で無いことを考えさせる。

 主義主張は脇に置いて、まずは観ることをお勧めします。

   (2011年05月10日記録)

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