2009年11月11日 (水)

演劇:ヘンリー六世(第二部)・敗北と混乱

   作     ウィリアム・シェイクスピア
   翻訳    小田島 雄志
   演出    鵜山 仁

   美術    島 次郎
   照明    服部 基
   音響    上田 好生
   衣装    前田 文子
   アクション 渥美 博、他多数

   出演    浦井健治   王ヘンリー六世
         中嶋朋子   王妃マーガレット
         中嶋しゅう  グロスター公
         村井国男   サフォーク公
         勝部演之   枢機卿ポーフォート
         菅野菜保之  ソールズベリー伯
         上杉祥三   ウォリック伯
         渡辺徹    ヨーク公
         立川三貴   ジャック・ケード、他多数

   会場    新国立劇場
   公演    2009年10月27日(火)~11月23日(月・祝)、複雑につき詳細は要確認
   鑑賞    2009年11月10日 14:05~17:10(休憩15分)
   公式HP   http://www.atre.jp/henry/

 

 上手の池に赤薔薇・白薔薇の花が浮かんでいる。第一部後半に(確か)ジャンヌダルクが投げ込んだ薔薇の枝から離れたものだろう。物語は切れることなく続く。

 

 王座・王妃座が並ぶ王宮。王ヘンリーの名代として婚儀をすませたサフォークは、王ヘンリーの下にマーガレットを案内する。グロスターは、サフォークが取り結んだ和議が屈辱的な条件であると嘆き、サフォークの忠誠を疑う。

 一方、枢機卿ボーフォートらはグロスター追い落しをたくらみ、ヨークらはグロスターに味方する。両者の闘いが始まるなかでヨークは王位略奪を口ばしる。

 何事が起きても優柔不断な王ヘンリー、王をないがしろにする貴族たち。貴族たちのいがみ合い、闘い。王妃とサフォークの不倫。グロスター公妃の野望。その間にジャックケードの反乱が挟まる。

 

 多くの出来事に複雑さはなく、展開によっては単調に流れかねないだろう。スピーディな展開、歯切れの良さがそれを感じさせない。

 出演者の力は言うまでもないが、スタッフの力を強く感じない訳にいかない。シンプルな舞台に王宮・公爵邸・戦場などを浮かび上がらせる照明。モノトーンの簡素なフード付き外套ながら荘厳さも失わない場面など、要所ではっとする美しさを感じさせる衣装。舞台狭しと立ち回り、戦いの空しさ・残忍さを伝えるアクション。豪壮な空間、荒涼たる空間、意外な場所から出演者が登場する舞台を作り上げた美術(ロビー展示の舞台模型写真、左が全体像、右は下手前方から上手後方)。

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 愛人サフォークと結託して権勢を増大しようとする王妃マーガレット、中嶋朋子はTVでもじっくり見たことはなかったが、王ヘンリーを尻に敷く悪女を見事に演じている。私の根拠ないイメージを覆した。
 王ヘンリー六世の浦井健治は、権勢欲渦巻く中で主体性の無い王を良く感じさせる。市井の人なら穏やかな生活を送れただろうと思わず同情させる。
 グロスター公の中嶋しゅう、サフォーク公の村井国男、枢機卿ポーフォートの勝部演之等の諸卿は、各々に個性の強い役を良く感じさせる。ヨーク公の渡辺徹もTVでしか知らなかったが、舞台に良く映える。
 ジャック・ケードの立川三貴は、全体の流れと異質な場面で存在感を感じた。この場面が単調ならば全体の単調さに繋がるだろう。

 

 戦いはひとまずヨーク派の勝利で終わる。後にリチャード三世、狂気のリチャードが現われた。第三部につながっていくだろう。

 

 「統帥権干犯」、その意味を突き詰めたことはないけれど、グロスター公追い落としの場面でふと思い浮かんだ。イングランドを中心にした歴史劇ではあるが、その普遍性を確認した瞬間である。統治者の権謀術数の下で苦しむ庶民、何時の時代も、どこでも似たようなものだろう。舞台の面白さが、舞台に現われない悲劇を余計に感じさせた。

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2009年11月10日 (火)

演劇:ヘンリー六世(第一部)・百年戦争

   作     ウィリアム・シェイクスピア
   翻訳    小田島 雄志
   演出    鵜山 仁

   美術    島 次郎
   照明    服部 基
   音響    上田 好生
   衣装    前田 文子、他多数

   出演    浦井健治   王ヘンリー六世
         中嶋朋子   マーガレット
         渡辺徹    プランタジネット、後にヨーク公
         村井国男   サフォーク伯
         ソニン    乙女ジャンヌ
         木場勝己   トールボット卿、他多数

   会場    新国立劇場
   公演    2009年10月27日(火)~11月23日(月・祝)、複雑につき詳細は要確認
   鑑賞    2009年11月9日 14:05:00~17:05(休憩15分)
   公式HP   http://www.atre.jp/henry/

 
 

 王座が光の輪の中に浮かび上がり、間もなく後方に倒れて先王・ヘンリー五世の崩御を暗示する。グレイのフード付き外套を着装した葬列が下手後方から舞台中央に進む。王冠を抱いた従者が白布で覆われた柩の上に王冠を置く。やがてベッドフォードが重々しく語り始める。簡素だが重厚さを秘めて物語は始まる。

 

 舞台は客席に随分と張り出している。奥から手前にかけて傾斜、上手後方はめくれ上がった感じで小山に登っていくような。全体に四角い床材を張り詰めたようで、上手前方に本水の池、下手前方に崩れた扉や残骸が敷き詰められた印象。全体は黒近い色、荒涼とした原野を思わせる。

 場面転換はシンプルでスピーディだが、想像力を湧き立たせるに不足は無い。天井に吊り上げられた二つ見張り台を池の上に降ろしたり、舞台中央に降ろしたり。戸板を並べて城壁。幾度となく大きなシート状の布を掲げたり、巻きつけたり。舞台後方壁には空や雲の映像が投影される。上方からの照明・映像は原野を城内を一室に変え、中央に四角形に挿された二本づつの赤薔薇・白薔薇が未来を暗示する。

 役者は舞台後方、舞台脇、客席後方など様々な場所から登場する。舞台後方からの登場は顔から見えて、まるで原野の小山の影から馳せ参じる思いがする。なかなか面白い。

 

 勇壮にして剛毅、真の武将トールボットを好演した木場勝己は第一部のMVPか。
 清楚にして凛々しく、時におきゃんな乙女ジャンヌを演じたソニンも印象深い。ただ声の聴き取りにくい部分があった。
 タイトルロール、王ヘンリー六世を演じた浦井健治は、老獪な貴族とは対照的な世間知らずで屈託のない王を表現した。
 ヨーク公を演じる渡辺徹は舞台映えするが目覚しいシーンはまだない。。
 サフォーク伯を演じた村井国男、マーガレットを演じた中嶋朋子はまだ顔見世程度。

 

 百年戦争から薔薇戦争に至る歴史劇、その各場面が深みに至る訳ではない。しかし長い年月に渡って繰り返される権謀術数・殺戮の繰り返しは、権力者の本質を深く暴き出しているように思えた。若きシェイクスピアの作品、小田島訳に忠実に展開されている、私の印象では。

 「新国立へ行け」、シェイクスピアの楽しさがこの年になって判ってきた。

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2009年11月 9日 (月)

随想:CMに使用される音楽について

 TVから流れる音楽はさまざまです。大抵は聞き流すのですが、最近、?と思うことがありました。その中からかなり気になっていることを。

 

 数秒間ですが、「J・S・バッハ:マタイ伝による受難曲」の最後の合唱の一部を使用したCMがありました。それは『toto BIG「もうすぐ閉幕」編』。

 この合唱曲をCMに使用していけないルールは無いでしょう。著作権関係をクリアすれば何の問題も発生しないでしょう。しかし、キリスト経者に対する精神的・倫理的な面からどうかと思いました。

 J・S・バッハの全作品中の最高峰に位置づけられ、クラシック音楽の全てのジャンルを通して最高傑作とさえ言われます。私は過去4回、この生演奏に接し、CDを何回も聴いています。非キリスト者である私でさえ最後の合唱は威儀を正します。

 そのような私の思いもあって、この曲をCMに使用することがかなり気になっています。映像との関係も気になります。宗教的な場面は慎重に対処する必要がある、と私は考えます。

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2009年11月 7日 (土)

路上観察:横浜・放送ライブラリー(2009年11月6日)

 

 横浜情報文化センターが神奈川県庁の斜め前にあります。情文センター内には、日本新聞博物館放送ライブラリー、その他が入居しています。

 日本新聞博物館は、新聞の歴史や新聞がつくられるまでの紹介、企画展示、新聞の製作体験、全国の主要紙を閲覧できる「新聞ライブラリー」などで構成されているようです。先日、企画展示「心をひとつ ふるさと復興展~新潟県中越地震から5年~(2009年11月29日まで)」をかなりしっかり見ました。私はまだこの一度しか出かけていません。

 

 放送ライブラリーは、「放送法に基づくわが国唯一の放送番組専門のアーカイブ施設」だそうです。NHKや民放局のテレビ・ラジオ番組、コマーシャルのライブラリー、体験型常設展示コーナーがあります。視聴覚ライブラリー・フロアでは、個別ブースでライブラリーの鑑賞が可能です。私は時々出かけてライブラリーを視聴しています。

 視聴覚ライブラリー・フロアには、1~3人用のTVブースが60台、100席が設置されています。検索端末で視聴したいライブラリーを特定して申し込むと、指定されたTVブースで視聴が可能になります。ダビングはできません。

 どのようなライブラリーが収蔵されているかはホームページで検索できます。興味あればどうぞ検索して下さい。

 私は最初、演劇関係のライブラリーを視聴しようと思ったのですがヒットしませんでした。著作権等の絡みもあるでしょう。ターゲットが狭かったり特殊だったりすると収蔵されていないようです。そこで収蔵されているものから興味あるものを選択するとの方針を変更しました。現在は「文楽」のキーワードでヒットする約40本弱を見尽くそうと思っています。10本ほどを見終わりました。

 先日視聴したライブラリーは、「極める・匠と至芸の世界 無我・情の語りべ(人形浄瑠璃文楽・太夫/四世竹本越路太夫)・TV東京・1987年」と「芸能花舞台 上方の人形振り・NHK・1993年」。

 越路太夫の至芸を充分に理解できるわけでありませんが、それでも素晴らしいと思いました。ライブラリーに残っているだけでも幸せです。もう接する機会もないのですから。

 人形振りは大変に面白かった。人形振り、すなわち人間が人形の真似をして踊ることです。文楽人形が人間を真似した仕草を追求して、人間がその文楽人形を真似して踊る。文楽の八百屋お七、色物の三人奴、日舞の八百屋お七を対比して人形振りを解説しています。

 八百屋お七は、火の見櫓に登る前に長い髪を前後に大きく振る仕草を行います。膝を曲げて腰を下ろした状態で跳ねるように前に進みながら、髪を振ります。文楽では4拍子の1・3拍で前後に、2・4拍は状態継続するのに、日舞では二拍子の1泊で前へ、2泊で後ろへと間断なく髪を振ります。各々の特質に沿った構成なのでしょう。櫓の上に登ってから叩くのは文楽が鐘で、日舞が太鼓。

 いくつか苦言を。TVはブラウン管タイプで反射光が写り込んで醜い(席の差があるかもしれない)。音量調整のボリュームの位置によって片側が聞こえない席がある。1回に1本のライブラリーしか見られないので、検索・申し込み・視聴を繰り返し、文楽はオンライン化されていないようでセットするのに5分ほど必要となる。新しいライブラリーの収蔵、収蔵の範囲を拡大をお願いしたい。
 それでも貴重なライブラリーが見られるのは有り難いと思っています。一度出かけてみませんか。

 付け足しですが、県庁前の銀杏並木が色付き始めています。

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2009年11月 4日 (水)

講演:青山七恵×原武史(対談編)

講演:青山七恵×原武史(対談編)

  名称  明治学院大学 2009年度公開セミナー
      「知」の現場から 第4回 文学2
  場所  明治学院大学横浜キャンパス
  日時  2009年10月27日 16時45~18時15

  講演者 青山七恵・原武史

 作家は作品で評価されるのだが、それにしても26歳は若い。そのようなところから対談が始まりました。以下その記録ですが、私が受け止めた内容であって、両人が必ずしもこのように言ったとの保障はありませんので承知願います。

 

H: 26歳、公開セミナーの最年少になると思う。作家としては既に大きな仕事を成し遂げている。(「窓の灯」で第42回)文藝賞、(「ひとり日和」で第136回)芥川賞、(短篇「かけら」で)川端賞を受賞している。これからますます期待される。お会いするのは初めてではない。「ひとり日和」受賞後に対談させて貰った。大変楽しく、このセミナーに是非呼びたいと思った。作品もさることながら、その背後に迫りたい。
A: 5月から3ヶ月間、フランスに行った。お金がたまったらフランスへ行きたかった。語学学校に行った。
H: 83年、埼玉生まれ、利根川を挟んで群馬という場所。図書館情報大学が筑波大学に統合され、卒業は筑波大学。旅行会社に勤務、その間に芥川賞受賞、今年になって退職、専業になった。その決意とフランス行は繋がるか。
A: 仕事を沢山やることになると思って、その前にフランスへ。行けなくなるかもしれないので。
H: 前後で大きな違いはあるか。仕事があって、その後で集中して書く。それが無くなった。時間はたっぷりあって、そこで書く。海外に長くいてフランス語に囲まれていた。その変化は。
A: 時間の使い方。行く前に2ヶ月、すごく時間がある。沢山書けると思ったが、時間があっても前と同じ位。フランスで規則正しい生活、早寝早起きは素晴らしい。7時半から11時半(23時半)、パターンが出来てきた。昼間は休んで集中して書く。
H: ~(芥川賞)、その対談で、小説は高校か。
A: 大学。
H: 手書きだと小説に見えないが、活字になると見え方が違う。縦横でも違う。自分もこだわるが横か縦か。
A: 小説は縦。エッセイは横。
H: 自分は依頼されると何字何行とか、それが気になる。確認したことはあるか。
A: 確認はしないが枚数はなるべく合せる。
H: 最後の行は何字位か。
A: こだわらない。出版者が調整しているかも知れない。
H: それがきれいだ。視覚的にきれいに終わる。
A: 考えたことはない。
H: 川上(弘美)とは仲が良い。緊張している。川上は平仮名が多い。やわらかいイメージ。青山は、これは平仮名、書く字の基準はあるか。
A: あるが、作品に合せて使い分ける。
H: 川上ほどではないが、こだわりを感じる。それを含めて構成か。
A: 気にしている。笑わす言葉でもいくつかから選ぶ。
H: 最初の一行はスーッと出てくるか。最後まで行って戻るか。
A: スムーズに出てくる。最後にいって見返すが、直すことは少ない。
H: 一行目、スーッと入っていけるか。青山を形作っている。最初に心を動かされた「ひとり日和」、この小説の舞台は京王線のある駅が見える家。春から春までの移り変わり。小さな駅を選んだことに惹かれた。首都圏に大くの駅がある。その中でこの駅に良く着目した。小説だから全部フィクションではない。あるブログで「馬鹿じゃないの」。鉄道マニアが、笹塚も出てくるがそこから元八幡駅へ。あそこから出るのは京王新線。この特急に乗ると接続しないと。
A: そこまで見てくれるのは嬉しい。
H: 対談の時もそこまで行った。100%フィクションではないが、加味しだされる雰囲気が好き。そのマニア、「何々~府中」、「府中本町から何々」(細かいことを言っているが)意味無いじゃん。
A: 私も知っていた。武蔵野線でいっては駄目。
H: ぴたり静止している空間が必要。季節が流れ、最後に戻ってその空間に来たことがぐっとくる。ドラマティックなことは無い。日常的なことが淡々と。そこに誰も気付かないことを掬い出す、その能力。
A: 何か心に引っかかるような文を書いてみたい。イメージが曖昧なので、それを言葉にしようと思って。
H: それがスキッと書かれている。私は大学に属して文を書く。この世界は分量で脅かすところがある。「かけら」3つの短編で川端賞。短編に対して、短編は長編より難しいか。
A: 私は短編が好き。
H: 「かけら」を読んですごく惹かれる。あの短さに凝縮。「ひとり日和」は1年間の変化をゆっくり。これって川ですよね、幼少期の影響か。「かけら」は1日、バスですよね。
A: バス。
H: 対談で(テーマを)聞いていたがこういう形でまとまるとは。バスにも、貸切があったり色々。本学に来るのは江ノ電の路線バス。他方で貸し切りバス。小学生の遠足、会社の旅行は最初から知り合いが乗る。「かけら」が貸切だが、「さくらんぼ狩りとビーナスライン」、目的は一致するが、以前は知らないが赤の他人でもない。父が遅れてあやまりながらバスに戻る。赤の他人で無いから謝るような関係。小説で設定した父と娘、母と娘で無いような関係が響きあっている。
A: 私も友達と?へ行った。満杯だったがおやつを分け合うでなく、サービスエリアで知った顔に見ると避けてしまう。この小説のような感じはある。
H: 初めは自分でなく友達から聞いたのですね。
A: はい。その後、自分でも行った。
H: 新宿で乗った父と娘。その二人だけが実の親子だが、他人からそう見て貰えるかどうか。5人で行くのと2人で行くのと。娘に課題。「かけら」ではカメラを持って。金物屋の看板。
A: 時々ありますよね。
H: そういう視点、青山本人。
A: 自分にもある。
H: 中央高速、少し早く着く。主人公が、父の日頃見ない光景を見る。おばあさんがころぶのを助ける。そのために遅れる。娘には話さない。よそよそしい関係。ゼミの話題で、父に対してつめたいのではないかと。
A: つめたい。
H: 確かにそうだが、助ける。さくらんぼ狩は背が高くて便利。皆に採ってあげる。その視線がクール。
A: 父にさくらんぼを渡すために待っている。やさしい伏線もある。
H: その後、ビーナスライン。ビーナスって何、調べたこともある。休憩、丘。
A: 丘の方に行って鐘が見える。娘が行ったら見えない。ビーナスの前。
H: 行ったらなくて怒り、集合に遅れる。焦点はビーナスライン。「かけら」はみんな、お父さんがみんな細かいことをつないで行く。ここで父の姿を見た感じ。カント哲学だ。現象しか見えないが、背後にあるものか。純粋理性だ。
A: 娘の影で、旅人でいるかも。
H: あそこで一気に娘に変化が。ビーナスラインで一気に。帰りは寝たりしているが、そこにそういうものを読者に感じさせる。言葉を選んでいるが、背後にふくらみを意識。
A: 娘と父の話を。展開を考えているうちに、後で感じることもある。自分も仕組みはわからない。
H: 「かけら」は、父と娘の大きな関係が描かれている。父の人格。
A: 大きく考え、書きながら、ぼんやりしたホール。そこに向けて書く。
H: 最後は。
A: 大体はある。娘が自販機の横で写真を見る。そこにどうしたら行けるか。
H: うまくいく場合といかない場合が。
A: うまくいかない場合もある。「かけら」も1日のことを書いたので、数日後に写真を見ている所が難しい。取って付けた様にならないか。
H: さくらんぼ狩で父の姿が写っている。
A: 父の視線が斜めに横切っている。それがきれいに。
H: 自分の視点から外れられない。直してこれが筋かな、自信が無いと最初が良かったと。
A: 迷うこともあるが「かけら」はうまく行った。場合によっては書き直す前が良い。
H: 短編は言葉が少ない。
A: 集中する。全体把握できない。
H: (先週のセミナーで)川上が詩を書きなさいと言っていたがどうですか。
A: やってみたい。友人が短歌をやっている。短い制限で言葉の力をだすのが全て。短歌とかやってみたい。
H: 新天地に行ける。歴代天皇は短歌を詠むのが仕事。明治天皇は九万首。それ位詠めば勲章。青山は書いていて目標はあるか。
A: 2007年、会社をやめるのを迷っていて、3篇書いたらやめていいと目標を。
H: なかなかできることではないが、青山は違う。
A: がんばった。中編3本。これから短編を集中して書きたい。2008年10本ぐらい書いた。今年は長いものを。
H: コンセントレーションが高まっているか。
A: 短編は集中、高まったような。
H: フランスで規則正しい生活。寝食を忘れるか。
A: 寝食は忘れない。3時4時までやることもある。働いている時の習慣。
H: 立花隆~~~。
  大学のこういう場(公開セミナー)は初めての経験。青山は、綿矢りさや金原ひとみと同世代。新進気鋭の作家が増えているが自分にとっとどうか。
A: 年齢は気にしていない。同い年ということは意識した。そういう人がいるのはラッキー。
H: 同世代の同業者は意識。(日曜日の原武史参加の公開討論会に触れて)似たような意識はする。綿矢、金原は学年は違う。賞はプレッシャーになるか。
A: プレッシャーでなく、はげみになる。会社のように保険がついていないので、孤立している。税金など一定額の支払いはある。大変だ。川端賞は会社をやめた直後に頂いた。良かったと思った。
H: 後に平成の小説として引用されるだろう。文学は、その時の背景と切り離せない。青山(の小説)は情景がくっきり浮かび上がる。時代を現している。100年後にそう言う人が出てくる。
A: サザエさんを見て、昔はこういうものを使っていたんだとか思う。
H: 小説は(外国に)翻訳もされる。社会科学、人文は残らないし、後世に残るのは羨ましい。青山の本も翻訳されるだろう。

 

 会社勤務を保険がついているとの話題はほほえましい。作家という職業はそれほど大変なことなのでしょう。務めをやめて収入がなくなっても社会的費用等の支出はなくなりません。それを大変だと思っているようです。26歳にして確固たる基盤ができているように思うのですが、26歳から先も相当に長いことは事実。
 先週の川上弘美はオリのようなものを書いていると言いましたが、青山は何を。これから注目します。

 質疑編は追って掲載予定です。

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路上観察:横浜・スカイウォーク(2009年11月3日)

 鮮やかな青空、風は強く、遠望できる予感がしたので、横浜・スカイウォークに出かけました。12時前に到着、もっと早い時間のほうがみなとみらい地区のビル群の光の回り具合が良いのですが、まあぎりぎりでした。

 スカイウォークは、横浜ベイブリッジの東京側主脚下にある展望施設です。ベイブリッジ下の遊歩道を歩いて陸地から300mほど離れた、海面から約50m高のスカイラウンジに到達します。(写真は、スカイラウンジ遠景、スカイラウンジ内からみなと未来地区方面およびベイブリッジ下)
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 みなとみらい地区のビル群の遥か彼方に富士山、その手前に丹沢山塊が見えました。鮮明さにはやや欠けますが、見ることができたのでまあ良し。
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 反対側に視線を移せば、やや逆光のなかに白亜の横浜港新ビルタワーが目に入ります。本日は大型船は見られませんでしたが、小さな船は結構行き交っていました。房総半島も意外と近いです。
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 様子を見て、夕景・夜景を撮りに行きたいと思っています。

 時間制限はあるようですが、首都高大黒町パーキングから歩いていけるそうです。横浜港客船入港予定で確認して、大型船の入出港に合せて訪れるのも良いと思います。
 私もファインショットを狙って時々出かけたいと思います。

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2009年11月 3日 (火)

随想:「維新派・ろじ式」と「つげ義春・ねじ式」(2009年11月1日)

 「維新派・ろじ式」を観て「ろじ式」とは何か、気になりました。
 「ろじ」が「路地」に通じることは、舞台上で繰り広げられるパフォーマンスで判ります。しかし「式」は何を意味するでしょうか。

 朝日新聞(2009年10月26日夕刊)劇評に『「ろじ式」は、つげ義春のマンガ「ねじ式」と街の路地に由来する』とありました。「ろじ」が「路地」であることは私の認識と一致します。

 しかし『「ろじ式」は、つげ義春のマンガ「ねじ式」(と街の路地)に由来する』とは、私には理解不能です。「つげ義春」「ねじ式」という記号の意味が判らないからです。もちろん「つげ義春」が漫画作家であること、何かに引用された数コマから絵の調子は何となく判ります。しかしそこまでです。

 維新派の「ろじ式」を振り返る、あるいは来年予定される「<彼>と旅をする20世紀三部作の第三部」への理解を深めるには、「つげ義春」「ねじ式」を少し掘り下げておく必要があると思いました。

 近所の図書館に出かけ、「つげ義春」で検索したら10件ほどヒット、1件はビデオテープで残りが書籍。先頭が「復刻版・月刊ガロ増刊号つげ義春特集・1・2巻」でした。漫画も収蔵かと思いましたが、重要な作品であるがゆえに収蔵しているのだろうと思い返しました。

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 1・2巻を借り出し、2回づつ読んで次のような点がポイントになりそうだと思いました。

  1.「ねじ式」単独ではなく、「ねじ式」で代表する前後の作品群が関係。
  2.作品群に通底する主なものは旅。作品年代から戦後のまだ貧しい時期。
  3.旅は、精神的・生活的に追い込まれた状況下での。物見遊山ではない。

 「ガロ」の他に「「ねじ式」夜話・権藤晋著」を借り出し購読中読み始めています。少しづつ背景が判ってくると思いますが、維新派とつげ義春には類似の思想が潜在していることは既に感じています。追って整理するつもりです。

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2009年10月31日 (土)

路上観察:横浜・伊勢佐木町ブルース歌碑

 伊勢崎町商店街を、関内駅から遠ざかるようにして10分ほど歩くと、左手に「伊勢崎町ブルース」歌碑があります。今は亡き「青江美奈」が歌って伊勢崎町の名前を全国にしたと言われます。

 ピアノをモチーフにした碑、下部のボタンを押すと歌が流れます。碑の裏面には横浜を歌いこんだ4・50ほどの曲名が刻まれています。碑の後方には大きなパネルがあります。
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  「伊勢崎町ブルース」の発売は1968年初だそうですから既に40年前のこと、知らない人も多いでしょう。

 若い方に伊勢崎町と言えば「ゆず」でしょう。「ゆず」がその前で良くストリートパフォーマンスをしたという松坂屋(以前は野沢屋)も既に閉店しました。松坂屋の屋上に「ゆず」のパネル(?)があったそうですが、私はそれほど興味なかったので写真ストックを作っていません。今になればちょっと残念。

 私が子供の頃は伊勢崎町商店街が横浜の繁華街でした。古い話ですが。先日、商店街を歩いていて世の移ろいをそこはかとなく感じました。

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2009年10月30日 (金)

映画:1000年の山古志

   プロデューサ 武重邦夫
   監督     橋本信一

   鑑賞     横浜黄金町 ジャック&ベティ
   上映     ~2009年11月6日(金) 10:00~12:10
   公式HP   ジャック&ベティ
          1000年の山古志
          日本新聞博物館

 今から5年前のこと、新潟県中越地方で発生した大地震は多くの地域・人びとに大被害を与えました。なかでも全村崩壊と言える山古志村の被害は、メディアを通して私の知るところとなりました。

 山が崩れ、崩れた土砂は川を埋め、埋まった川は水位を高めて人家を水没させました。また田や鯉の養殖池は崩れて水が抜け、牛舎は倒壊して牛は生き埋めになりました。道路に書かれたSOS。翌日、全村避難命令が発令され、村民は自衛隊のヘリコプターで長岡市に避難しました。

 「もう、山古志村には戻れないかも知れない」、ヘリコプターの窓から見える村の惨状を確認して人々はそう思ったそうです。

 定かではありませんが、遠い祖先が山古志に住み着いたのは1000年ほど前だそうです。今に至る間に幾多の困難を乗り越えてきたことかと、旧村民たち(2005年4月1日、長岡市に編入合併)は思いました。
 2006年春から徐々に避難解除され、旧村民たちは復旧のために村に通いながら昔の山古志に戻すことではなく、新しい山古志を創り出す取組みを始めました。
 ただし、30%の旧村民は後ろ髪を引かれながらも他の地域で新しい生活を始めることになります。それでも故郷は山古志だと。

 この映画は中越地震以降の山古志を記録したものです。被写体は選択されても記録された内容は事実、その事実に対して涙を禁じえません。一部は悲惨な状況に直面した旧村民たちへの同情かも知れません。が、残る大半は新しい山古志を創り出そうとする旧村民たちへの共感と賞賛だと思います。

 

 この後、「心をひとつ ふるさと復興展 ~新潟県中越地震から5年~」に向いました。神奈川県庁の斜め向かいにある日本新聞博物館に於いて、2009年11月29日(日)まで開催中です。新潟日報紙面による中越地震の記録です。

 新しいメディアが駘蕩するにしても、新聞が確固たるメディアであることに揺らぎはない。この企画展を観て再確認した。

 

 多少の時間を割いて「1000年の山古志」「ふるさと復興展」に足を向けませんか。私を含めて多くの皆さんが明日直面することかも知れません。

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2009年10月29日 (木)

美術:ニュータウン・ピクニック ~遺跡をめぐるアート~

  会場    横浜市歴史博物館、大塚・歳勝土遺跡公園、都筑民家園
  会期    10/11(日)~11/7(土)
  開館時間  一部を除いて制限なし(?)
  入場料金  無料
  鑑賞日   2009年10月27日
  公式HP  http://www.yaf.or.jp/artsite/archive/2009/group/grp5.html

 

 「都筑アートプロジェクト2009」の一つか全てかは判りません。横浜市北部(市営地下鉄センター北駅)のニュータウンの一角にある大塚・歳勝土遺跡公園一帯を会場とする屋外美術展。遺跡と現代美術がマッチするか、そこが見もの。横浜アートサイト参加企画です。

 私が訪れた目的は、横浜歴史博物館「横浜開港150周年記念特別展 陸の道と海の道の交差点 江戸時代の神奈川」の鑑賞でした。東海道53次第3番目の宿場町で、近代横浜が胎動し始めた場所を、当時の資料で再現する試みです。なかなか興味深いものでしたが、ここでは先に進みます。

 博物館の屋上から大塚・歳勝土遺跡公園に通路が延びています。公園には復元された弥生時代の竪穴住居や高床倉庫があります。背景に真新しいビル群が見え、住居内外に作品が点在し、子供が遊びまわっているのもなかなかシュールです。

 全体で20数作品の2/3ほどを観ました。作品は若手制作者の手になるものと思えます。ドキッとさせられるものはありませんでしたが、にやっとするものがいくつか。  

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 会期はもう暫くありますので、 ご近所の方は散歩がてら出かけてみませんか。

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2009年10月28日 (水)

映画:未来の食卓

   監督    ジャン・ポール・ジョー

   鑑賞    横浜黄金町 ジャック&ベティ
   上映    ~2009年10月30日(金) 16:45~
   公式HP   http://www.jackandbetty.net/         ジャック&ベティ
         http://www.uplink.co.jp/shokutaku/staff.php 未来に食卓

 「オーガニック(有機農法)とは何?」「自然のままです。」
 冒頭、収穫祭(?)のためにブリオッシュを売りに来た子供に問いかける老人と子供の会話。この映画は、南フランスの小さなバルジャック村で芽生えた、学校給食と高齢者のための宅配給食をオーガニック食材に変えるという試みのドキュメンタリー。

 ユネスコ会議での「あなたの周りに癌や糖尿病にかかった人はいますか。」との研究者の問いかけに、出席者の大半の人が挙手する場面。フルフェイスの防毒マスクを装着しての農薬散布の場面。オーガニックと化学農法の土壌の違いを見せる場面。刺激的な場面と対比しながら1年間にわたるオーガニック食材による給食の取組みを追います。

 これを成し遂げたのは、村長の「先に費用を心配するな。相談は、自分の良心とする。」という強い決意無しには成り立たないでしょう。疾病が減るなど、総合的に判断すれば決してコスト高にならないという考え方も強固です。オーガニック食材は生産者から購入するだけでなく、学校の農園で育てたものも使います。反対意見が無いわけでもありませんが、この試みを後退することなく定着させようとの意志が画面から遺憾なく伝わります。

 

 必ずしも中立の視点でドキュメンタリーが制作される訳ではないでしょう。しかし、ここでなされる主張は抵抗なく受け入れられます。
 他に感じたことは、200食ほどの給食に対して数人あるいはもっと多いかも知れない調理師。個々の生徒を把握しながらサービスする給食。給食も教育の一環との考え方。うがった視点で見れば、小さな村だからこそ可能になったと思えます。

 しかし、特異な例であるといってしまうには大きな問題提起です。どのようなモデルが可能か判りませんが、草を生やした休耕田が少なくないことなどに思い至れば、日本だって解決策はあるように思います。多くの方に見て頂き、食生活を考えるきっかけとして頂ければ良いのではないかと思いました。「今日食べることが先だ」という考えも否定できないのですが。

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講演:川上弘美×高橋源一郎(質疑編)

 

 対談編の続き。会場からの質問に主として川上弘美が答えた。約30分。 

 

Q: 「日本語が滅びる時」を読んだか、どう思うか。
K: 英語が共通語になったとき、英語で話せる人が日本語の美を見出せるか。日本語の体系がしっかりしているのでそれをベースにという、真っ当な論ではないか。
Q: 本を読んでいて途中でやめる基準はあるか。読む時は誰の視点か。
K: 読者視点、感情移入がしやすいもの。(途中でやめるのは)文章にひんが無いとき、言葉を大事にしない時。ひんの無いことを書くのは別。
Q: 2冊(センセイの鞄、古道具中野商店)しか読んでいないが、その中でお手洗いの場面がポイントか。前後で主人公の気持ちが変化するような気がする。何回も出る。
K: 物を食べるものが好き。食べたら出す。(?)ではさやさやとおしっこをする。無意識な部分をつかれた。排泄に目をつぶってはいけない。
Q: 小説を書き上げて知り合いにオリジナリティを否定された。書かされていると言っていたが。
K: オリジナリティは無いと思った。一時期、書評をやっていたが、書いたその人の文体になってしまう。純粋なオリジナリティは他人が判らない。
T: 純粋にマネも出来ない。違うものが出来てくれる。
Q: スランプの時期、書いていないことの距離、全く考えていないか。
K: 恐怖であった。きっと書くと思っていたが、生活していることが忙しかった。夜寝る時に、このまま終わるかと思った。
T: 恐怖。書けないと、書けることが想定できないわけで。
K: 時間がないと書けない。
T: スランプはある。新陳代謝、時々来る。時が来るまで待つ。
K: 書けていないけど、絶対書けると思う。なるようにしかならない。
Q: デッサンのような小説を書きたいが、他者を書けない。
K: 書いたらよいのではないか、とにかく。
T: よく言われるが、皆勝手。本当の他者は書けない。影みたいなものが書ければ。
Q: 「神様」では、見えないものが見えているのではないか。
A: そう思って頂けるのは小説が成功している証拠だと思う。皆同じものを見ていると思って、違うものを見ている。
Q: 女性同士の恋愛。私は好きでないが、女性同士も良いと思う。
K: 恋愛には気持ちとSEX。私くらいの年になると友愛。多くの人が好きになる。SEXを含めて男同士、女同士がある。
Q: 「神様」は子供がいなければ書けなかった。それはどこか。
K: 育てているときに書いた。「神様」は長男、「夏休み」は次男。好きなものでデビューできたのはラッキー。

 

 1958年生まれだから41歳。ラフな格好をしていたから隣のお嬢さんといった雰囲気だが、話を聴いていると大家の予感。既読は4・5冊だが、ゆるゆると読んでいこうと思った。小説家の話を聴くのは初めてだが、良い時間になった。

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2009年10月27日 (火)

演劇:維新派公演 「ろじ式」~とおくから、呼び声が、きこえる~

   作・演出  松本雄吉

   音楽    内橋和久
   美術    柴田隆弘
   照明    吉本有輝子
   音響    佐藤武紀
   映像    山田晋平
   舞台監督 大田和司

   出演    維新派

   会場    にしすがも創造舎
   公演    2009年10月23日(金)~11月3日(火)、27日休演
   鑑賞    2009年10月26日 19:00~20:45(休憩なし)
   公式HP   http://www.ishinha.com/index.php

 維新派の特徴は良く表現されたが、主張は稀薄であった。そこに伏線がありそうだが。
 本公演は、来年公演が予定される「<彼>と旅をする20世紀三部作」の第三部(タイトル未定)に向けてのエスキース。楽しみを来年まで延ばす繋ぎである。

 関西地方中心に公演する維新派の2003年(ノクターン-月下の歩行者-・新国立劇場)以来の東京公演。公演に接したことのない方も多いだろうから見逃す手は無い。野外公演という、場の力を最大限に取り込む維新派に元中学校の体育館はいささか窮屈であろうが。

 地下鉄・都営三田線西巣鴨駅を下車して地上に出るとすぐに、にしすがも創造舎。元校庭にバラック建ての飲食店の通りが出来ている。雨で下はぬかっていたが足場板が敷いてあった。奥に広場とライブステージ、男女ペアーが私には判らない音楽を演奏していた。腹ごしらえしながら聴く。残念ながら焚き火が無い、開演前・終演後に暖を取る。東京で焚き火は無理だろうな。

 会場は元体育館を長手方向に二分して舞台と客席に。客席は仮設の階段席、3・400人位は入れそうだ。場内は骨格標本が多数並んでいる。舞台には 6・70Cm角の中空の立方体が縦横に積まれている。各立方体の中心に紐で吊るされた骨格標本が。舞台周囲に固定した立方体の壁。中央部の移動可能な立方体は組み替え、配置換えしながら進行する。

 骨格標本は大半が本物で、しかも自分たちで制作したそうだ。いくつかは京大から借用、正面左右の類人猿状の骨格標本は作り物。骨格標本に意味は無いかも知れない。あるいは生きとし生けるものが積み重ねてきた歴史の提示かも知れない。
 立方体を組み替え、配置換えした隙間に路地が出現する。

 出現した路地で演技が展開する。いや演技と言うのは正確ではない。群舞あるいはパフォーマンス、そして群唱。類語、反語、意味のなさそうな言葉の羅列。大阪弁で韻を踏んだ群唱が耳に心地よい。切れ目なく続く10場面構成。舞台を観ていれば雰囲気が伝わるところもある。多少外していると思われるところもあったが、大した問題ではない。5・60人のメンバーが繰り広げる「じゃんじゃんオペラ」を存分に楽しむべきであろう(最近はじゃんじゃんオペラと言わないの?)。

 冒頭に戻るが、「じゃんじゃんオペラ」はコーラスばかりで、アリアが無かった。胸のすくようなアリアを来年に期待したい。
 蛇足だが本公演が悪いという訳でない。昨年の琵琶湖公演があまりにも素晴らしかったから、控えめに感じるというだけである。恐らく、初めて見る方は圧倒されるだろう。

 ところで「ろじ式」の「式」って何。路地が何かを生み出す方程「式」?。それが伝承されなくなっているような気がする。

 約40分のポスト・トーク(松本雄吉×タニノクロウ)があった。メモしたので気合が入れば整理して掲載します。

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2009年10月26日 (月)

講演:川上弘美×高橋源一郎(対談編)

  名称  明治学院大学 2009年度公開セミナー
      「知」の現場から 第3回 文学1
  場所  明治学院大学横浜キャンパス
  日時  2009年10月20日 16時45~18時15

  講演者 川上弘美・高橋源一郎

 

 第1回、第2回で使用した930教室(定員300名)からより大きな7号館大教室に移動した。定員は500名程か。第一回(内田樹×高橋源一郎)は入れなかった人がいたようだ。今回も席は9割がた埋まっている。大した人気です。

 カジュアルな服装の川上は街中ですれ違ったら気付かないと思った。高橋のリードは硬さは微塵も感じさせず砕けた雰囲気を作り出す。予め用意した質問をとびとびに1時間、その後に30分の質疑応答。

 メモの取れなかった部分、自分で書いた字が読めなくて再現できない部分もある。それでも雰囲気は感じ取れるだろう。
 なお私が受け止めた内容であって、両人が必ずしもこのように言ったとの保障はありません。承知願います。

T: 高橋から川上への質問形式で進行する。昨夜、30の質問を用意した。川上をWikipediaで調べた。最初に質問21。Googleで検索すると頻度順の最初に離婚、少し後に結婚が出てくる。
K: 結婚を何回かすると多くなるのでは。こういう場では初めて話すが4月に離婚した。小説の中に離婚が多いからか。こわいから自分のことは検索しない。テーマに離婚が多いからだろう。
T: 今日は何をしたか。
K: 新聞小説連載を読み、風呂に入り、湘南ラインで会場に来た。
T: どんな手順で小説を書くか。
K: 新聞、本を読む。小説を書く。食事をしてからまた書く。9時から17時。
T: Wikipediaの川上弘美によれば旧姓山田、・・・・。質問3、アメリカに住んでいた頃、大きな出来事は。
K: 自動車事故にあった。ケネディ暗殺の翌日にディズニーランドに行ったら空いていた。翌年、オーストラリアにも行った。
T: 最も記憶に残った言葉は。
K: 最初の一年はしゃべれなかった。相手の言葉をまねしてごらんと言われた。バナナを持っていった時に「Hiromi is a monkey.」と言われたことを最初に覚えた。つらいとは思わなかった。色々な人が居るのでいじめとは思わない。バナナを持っていると誰でも言われる。
T: 小3の病気の時は何をしていたか。
K: 小説を読んだ。病気がなければ小説は書いていなかったかも知れない。世界名作全集、児童文学は豊か、高校まで読んでいた。大人も読めるファンタジーを「朝日新聞」に連載(七夜物語)。最も書きたかったものかも知れない。他も楽しいが、(七夜物語を書けるのが)嬉しい。
T: デビュー作は嬉しい。子供も中心にした作品。初めて、漠然とでも小説を書くようになったきっかけは。
K: 大学のSFクラブで5枚くらい書いた。その後半商業的な。SF出版に行ったとき褒められた。
T: 雙葉中学校・高校、お茶の水女子大学。New-wave SF。なつかしい。「女は自ら女を語る」という座談会に参加。山野何とか、競馬評論家と。(?)
K: とんがった感じ。嵐山孝三郎、?、松田正剛。
T: 小川項名義、累々とは何、双翅目とは何。
K: 森の中に変な顔がいる。それを膨らませる。双翅目は説明できない。滅びの美学。3・40枚。高橋は習作があるか。
T: 僕もその頃書いたものがあるが見せたくない。
K: 今に通じるか。
T: 通じるものがある。「女は自ら女を語る」。ラディカル。
K: マーシュラルゲイン(?)、ケイトヘルムについて(?)。
T: 大学で生物学を専攻したのは。
K: 卒論は書いていない。発表して後から書くと言ったがそのままに。北杜夫、ドクトルマンボウが好きだったが、医者にはなれそうもないので。皆はやる気まんまん、自分は図書館に。書こうと思っていた訳でない。精神医学、ケインとかは、やっていた。文学部に行かなかったのは100枚の卒論が必要と言われていたが、それは無理だと思った。
T: SFを好きに。
K: トマス・ディッシュ「歌のつばさに」、コードウェイナー・スミスの一連の作品。若い頃は平明なものが書けなかった。若い時は尖っていた。哲学書を読むのは好きだが、最後がわからなかった。モリヒロシ、わかる言葉表現が理解できた。
T: 難しいものが価値ある時も。
K: そう、ねじくれているのが意味ある。
T: 教員生活は面白かったか。
K: その時スランプ。双翅目が書けた小説で、その後が書けない。教員を4年。前後10年が書けなかった。
T: 10から12年の空白が。
K: 書きたかったが書けない。勤め、結婚。5枚ぐらい書いた。そこそこのものが。文体が無い。新聞小説を要約して毎月配布していた。月刊・大の国、大の国が好きだったから(その名前を付けた)。(内容は)朝日新聞記事にコメントを付ける。3年続けた。朝日新聞に送ったら取材があった、秦野の主婦が。記事に2行のコメントを付けたり、今日亡くなった人。文体ができた。それから4年。号外も。「政権交代(細川内閣)」。
T: 何を発見したのか。
K: 生活したからか。大の国で削いだ文章が書けるようになった。オリのようなものが無いと書けない。主婦したり、レジがこわかったり。親類付き合い。大人になるのにその位掛かった。
T: 20代、30代は空白、何を書いたか判らない。書いたら超つまらない。
K: 書いてみると次が書けるでしょう。
T: 応募しようとして封筒に入れる前に読んだら超つまらない。
K: 直後は駄目だが、2年ぐらいたつと良いと思うようになる。その時はその時の書き方。駄目だけど最後まで書く。自分を慰める。
T: 遡っては書けない。小説と認識したのは何時か。
K: 最近、高橋は。
T: 「さようなら、ギャングたち?(デビュー作)」
K: 小説は判らない。
T: 無からどのように生まれるか。
K: 言葉を一つ書くと、次が出てくる。最初の一行、次の一行。
T: 最初の一行はどこから。
K: 布団に入ると。高橋は。
T: 作品によって。あるシーン、あるキャラクター、あるシチュエーション。作品によってばらばら。
「七世物語」はどこから来たのでしょう。
K: 私の中にずっとあった。こんな人物、こんな考え(が私の中に)住んでいた実感はある。他にもいそう。
T: その人たちは成長したり、死ぬか。
K: そう、今の主人公は変化無い。
T: 納得できた最初は。
K: 「神様」、書きたいことがあって、それが書けた。
T: 納得できない作品は。
K: とってある。絶対出版しない。そのうち。
T: 「先生の鞄」、主人公は還暦過ぎか。SEXしたのか。わかれたのか。本当はどうか。
K: 最後で一回、はっきり書いているのは。
T: 教室で聞いたら受け止め方は様々であった。僕が呆けていたのでは無い。「これでよろしくて?」の登場人物はガールズトーク。絶対負けたと思った。何をしたかったか。
K: 婦人公論連載だが、婦人公論は嫁姑問題を最初に取り上げた。女の人の悩みを投書する雑誌。恋人とSEXする時、脱いだパンツをどこに置くか、という様なことも。女同志の結論のない話題を書きたかった。穂村弘(?)は、学生まではボーイズトーク有りと。ガールズトークは何時までか。女性性は無くして話している。
T: インターネットはガールズトークが?
K: インターネットは嫌い。たまにネットショップを。自分の悪口が一杯ありそうで見ない。パスカル短編賞はパソコン通信の時代。(議論に)筒井康隆が応答するとさらに炎上したりしたので、避けている。携帯メールは3日に一度くらいしか見ない。
T: 電話は・・・(1・2フレーズ欠落)
T: 「七世物語」。子供を主人公にした小説は。
K: 16才を。
T: 子供をどう考えるか。
K: すごい。正しいことをしようとする。子供の方が純粋、体力がある。帰って来て話をすると、元気になるエキスを貰う。
T: 子供は影響を与えるか。
K: 「神様」の中の子供は書けなかった。
T: 「七世物語」の子供は。
K: 昔から(自分の中に)住んでいた。
T: ~に進出しているか。
K: 俳句は10何年やっている。詩は~と同時に書いている。200部。小説に反映する。言葉の一つ一つが重い。
T: (自分は)詩が書けない。
K: (周りから)わーわー言われると書ける。高橋も。
T: ~
K: 河野多恵子も。小説の書ける人はできる。
T: 小説と詩の差は。
K: 時間が違う。書いてみると気持ちが良い。短い詩、完成した喜び。
T: 最近面白いものは。
K: 映画、「是枝裕和・空気人形」すごくきれい。(一言で言うと。)一言で言っちゃうと駄目なのではないか。
T: 幸せと思う時は。
K: 原稿を書き、一仕事終わってお酒を飲む時。
T: 書きたい小説は多々あるだろうが、何となく書いて見たいぼんやりしているものは。
K: 年代記。「楡家の人」みたいなもの。まだ書けない。筋肉ができていない。高橋は「魔の山」とか書いて下さい。
T: 近代文学に~しているので。いずれ年代記を、最後に、妙に変な質問を。ところで僕に質問は。
K: (多少の間)小説はどうして書けるの。
T: それがわからないで書いている。人間が作った最も素晴らしいものであることを証明したい。
K: 私もそうかな。私は読んできたものによって書かされている。さっき筋肉て言ったが、アイススケートが好きだが、真央ちゃん、美しいものを表現しようとしているからではないか。

(質疑は追って)

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2009年10月24日 (土)

路上観察:横浜・舞岡ふるさとの森

 舞岡ふるさとの森を散策しました。以前から存在は認識していましたが、初めて行きました。そして驚きました。良く管理された里山が広がっていたからです。もっと早い機会に来ていても良かったと思いました。のんびり散策するも良し、ボランティアに参加するも良し。もちろん子供連れでも楽しく遊べると思います。

 横浜市営地下鉄ブルーライン・舞岡駅下車、案内に従って改札口から地上に進むと、そこはもう舞岡ふるさとの森。舞岡公園、舞岡ふるさと村が接しています。それらを合せると南北におよそ2Km、東西におよそ0.6Kmほどの細長い小判型で、山谷が入り組んだ地形が広がっています。舞岡駅は北東端に位置します。周囲には営農地もあってより広く感じられます。詳しくはふるさと舞岡ぶらりマップを参照して下さい。

 多少は細道に入りながらも主要な道を南端まで進み、そこから西側の尾根道を上り下りしながら元に戻りました。ゆっくり歩き、多少の休憩を取って含めて3時間ほどでした。

 歩き始めるとすぐに舞岡神社があります。村の鎮守とはこういう風景だろうと思いました。ここで蜂にまとわりつかれましたが、先日の勉強どおりじっとしていました。蜂からみれば私が侵入者です。顔にもとまったのですが刺されることはありませんでした。自然との付き合いにも慣れないと。
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 幼稚園児が芋ほりを終わったところに出くわしました。道端のかわいい花を激写。まだ刈り取っていない黄金の実り。案山子コンクール開催中です。
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 かやぶきの古民家があります。随分と太い柱、いまはこんな立派な柱を使えるのはよっぽどのお大尽ではないかと。古い什器や教科書なども飾られていて、ちょとした社会勉強ができます。
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 沼のほとりで河童が相撲をとっています。その脇でおじさんたちの撮影会、レンズの先は鳥のようです。尾根道を歩いて戻りました。
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 何となく雰囲気が伝わったでしょうか。横浜市内の貴重な自然です。週末に出かけてみませんか。私もこれから足繁く通って季節の移ろいを感じたいと思っています。

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2009年10月20日 (火)

文楽:「三十三間堂棟由来・本朝二十四孝」

 演目   1.解説
      2.卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)
       休憩
      3.吉田清之助改め五世豊松清十郎襲名披露口上 
      4.本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)

 会場   神奈川県立青少年センター
 公演   2009年10月19日 昼・夜の部
 鑑賞   2009年10月19日 昼の部(14:00~16:50)

 

2.卅三間堂棟由来より、平太郎住家より木遣音頭の段

 お柳、実は那智の滝近くにそびえる柳の大木の精、平太郎と結婚して息子・緑丸がいます。
 後白河法王の病気平癒祈願のため卅三間堂建立となり、その柳を棟木に使うことになります。切り倒されれば柳の精であるお柳は生きられません。斧が打ち込まれるたびに身もだえし、やがて姿を消します。
 切り倒された柳は木遣り音頭で引かれていきますが、ある場所で突然動かなくなります。一目母の姿を見せたいと平太郎は緑丸と共に後を追っていました。そこで緑丸に柳を引かせたいと懇願します。緑丸が引けばびくともしなかった柳は動きだします。緑丸は「かか様」と木にすがって泣きます。

4.本朝廿四孝より、十種香の段・奥庭狐火の段

 長尾(上杉)謙信館の謙信の娘・八重垣姫、許婚の武田勝頼の死を聞かされ回向の日々。ところが勝頼は花作りの蓑作と名乗り館に潜入。蓑作を見て勝頼と気づいた八重垣姫はすがりつきます。勝頼は、上杉が返さない武田家伝来の諏訪法性の兜を持ち出して欲しいと八重垣姫に頼みます。
 蓑作の正体に気付いた謙信は、蓑作に塩尻への使いを命じ、討手に後を追わせます。八重垣姫は諏訪湖を渡ってこの危機を蓑作に知らせたいのですが湖面は氷に覆われ船で渡れません。されば諏訪法性の兜にすがろうと、祭壇から持ち出します。八重垣姫が池の傍に立つと水面に映る白狐、これぞ諏訪明神の助力と確信、燃え立つ狐火に守られながら飛ぶように駈けて行きます。

 粗筋は以上のようですが、通し上演ではなく、下地も少なくすっきり理解できたわけではありません。通し上演だから理解できる保証もないのですが。早めに入場してプログラム購入、付焼刃で予習するだけでも理解は大いに進むのですが、今回は準備不足でした。
 しかし、早変わりあり、文楽ならではの奔放な演出ありで楽しめます。また親子の情、男女の情、自然崇拝などは時代が変わっても不変の筈、古典に教えられます。

 

 文楽地方公演を観るのは初めて。会場は歩いて15分ほどの距離、10分前に到着して当日券購入、C席1500円。国立文楽劇場よりは一回り大きい会場ですが後方のC席で充分。と言うより他の席は残っていませんでした。多少空席が確認できる程度、和服姿のご婦人が結構いました。

 太夫の座る床は仮設、舞台で気になる所はありません。やや情緒に欠けるのは仕方ないこと。

 中堅・若手主体の公演で人間国宝が多く出演する文楽劇場での公演のようなわけにはなりません。しかし文楽の楽しさは充分に伝わりますし、三十・四十では若手と言われる文楽の奥深さも反って感じられます。

 ただ襲名興行のためか、十種香の段では吉田蓑助(腰元濡衣)、桐竹勘十郎(蓑作、実は武田勝頼)が、奥庭狐火の段では八重垣姫(豊松清十郎)の左を桐竹勘十郎が遣って花を添えていました。文楽は実力の世界、ビッグネームは何かが違う、その何かはまだ指摘できないのですが。

 

 最近、文楽を観たくて観たくて。関西在住中は時々、大阪の国立文楽劇場に出かけたのですが、横浜に戻ってからはご無沙汰。7年ぐらい遠ざかっています。今回公演で少し思いが晴れたと言うか、反って募ったと言うか。国立文楽劇場11月公演は「心中天網島」、出かけたい~~。

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2009年10月16日 (金)

講演:越後妻有アートトリエンナーレの報告(後半)

2.清水報告:

 男性。講演会開催案内から氏の略歴を転載。美術家、Play Art Laboratory(PAL)プロデューサー、m-SITE-r/design 代表。1999年にジェームス・タレルの光の館の実施設計に関わって以来、様々ななかたちで大地の芸術祭と関わりを持つ。

 JR?駅に(越後妻有トリエンナーレの)ポスターが貼られていたのは驚き。(越後妻有行きの)ツアーが(企画され)案内されたのは驚き。

 作品紹介。「家の記憶:塩田千春(*2)」「最後の教室:ボルタンスキー(*3)」「脱皮する家:日本大学芸術学部(*4)」「絵本と木の実の美術館:田島征三(*5)」「川西・西倉(?)」「鉢(?)」「ぬかの目(?)」。

 これまでの10年:そもそもは1996年の新潟県による地域政策「ニュー新潟の里創プラン」が発端。北側フラムに相談して「越後妻有アートネックレス整備構想(*6)」  1.写真と言葉による素敵発見、2.六市町村をつなぐ「花の道」、3.地域の核となるステージ施設建設、4.三年大祭-大地の芸術祭  が生まれる。

 (越後妻有トリエンナーレが)有名な国際展と異なるところは、地域創生が根底にあること。2000回の行政機関等行脚。地域のミーティング、次は課長、次は市町村長、ふたたび地域、話さなければならない場が多い。それでも理解されなかった。コンセプトが伝わりにくい。4年間、説得し続けたが実らないうちに2000年を迎える。

 1999年に「こへび隊(*7)」、100名予定で60名ぐらいが集まる。話をしてもわからない地元に対して合宿に出かける。環境は悪く、滞在するのも困難であった。2回目以降の集会にはそこそこの人が集まり、徐々に増えていった。活動しているうちにボランティアの名称はいやと感じた。サポータも同様。多数決でこへびに決定。成長するためには脱皮しなければならない、との意がある。

 こへび隊は東京で生まれる。2000年春、こへび隊は越後妻有へ。地域住民はそのようなイベントは知らない、私たちには難しすぎる、成功するわけはないと。めげずに活動。こへび隊が来ていることも早く広まる。庭先のお茶会に招かれたりするようにもなる。今だからこそ言える話。

 2000年7月20日第1回開催:地元議会承認は6月であった。一か八かで準備を進めた。200箇所位ある集落のうち、賛同したのは5~10集落。作品は(個人所有でない)公有の場所に作った。34カ国、108組、波乱もあったがこへび隊が変えていった。アーティストも。

 「音楽、踊り:ダニュエル・ビュレンヌ(?)」「E=MC**2:金守子(?)」「アイタクシー:陸根丙(?)」「木製ステージ:アングラハム(?)」「月光を捉えるプロジェクト:逢坂卓朗(?)」「今を楽しめ:シモンビール(?)」」「観測所:牛島達治(*8)」「HERE-UPON ここにおいで time place:景山建(?)」「SCAPING OBJECTS:LUX (?)」「かかしプロジェクト:大岩オスカール幸雄(*9)」「棚田:カバコフ(*10)」。

 カバコフ作品に良く棚田を使わせたと思った。棚田を維持していくのも大変だからオーナーはやめようと思っていたが、会期が終わった時にオーナーが棚田を続けていく決意をした。

 「リネン:ボルタンスキー(?)」「川はどこへいったの:磯部行久(?)」「光の館:タレル(*11)」「夢の家:マリーナ・アラモビッチ(*12)」。

 マリーナ・アラモビッチは以前の作品「骨を磨く」で骨を磨き続けた。その後肉が食べられなくなった、と住民とのふれあいで素直に語った。好感を抱かれた。

 16万人の観客が来た。オープニングに1000人が集まったが、その後客足がいったん途絶えた。少しやばいと思ったが、お盆が過ぎた頃、夏休みの後半から客足が伸びた。結果、お金が落ちた。作品のある地域には経済効果があって万々歳。来た人は面白がったが、地域行政はまだ信じていなかった。

 2001年:「スカイワーク:ジャフリーマティス(?)」、2002年「天空散華・花埋:中川幸雄・大野一雄(*13)

 2003年:約50集落が参加した。3つのステージ、「十日町のキナーレ(*14)」「松代の農舞台*15)」「松之山のキョロロ(*16)」。「自然と出会う公園:ポルヘ・イマス・ロドリゲス(?)」「ポチョムキン:カサグランデ&リンターラ建築事務所  (*17)」。ポチョムキンでは壁を立てることに反対があった。

 「かささぎたちの家:キム・クーハン(*18)」「ある視点:フタボンコ(?)」「ホワイトプロジェクト:新町和成(?)」「信濃川はどこへ行ったの:磯部行久(?)」「夏の旅:ボルタンスキー(?)」。観客20万人突破。

 間をつなぐ「10Days」。2004年10月23日、中越大地震発生。おおへび隊発足。

 2006年:大地にまつわる三つのテーマ「民家」「土」「植物」。大きな変化として「空家プロジェクト」が始まった。「?」、「バスツアー」。観客35万人。バスツアーのガイドはこへび隊が担当した。初めは不評だったが、後半になって評判に。ガイドはよく勉強していた。

 2009年:9年10年かけて街が変わっていった。街の人もアーティストもがんばった。今は各地で類似のイベントが開催されるようになった。足を運ぶのも大事だが、日頃から考えることが大事ではないか。


 注:()内数字は私の作業確認用ですから意味はありません。公式HPで確認できた作品にはリンクを張りました。ただし当日使用したものとは異なります。既に作品が存在しない、あるいはもともと後に残せない作品は公式HPに記録されていないと感じました。追って私が撮影した一部作品の写真を公開したいと思っています。

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2009年10月15日 (木)

講演:越後妻有アートトリエンナーレの報告(前半)

 表題の報告会を聴講しました。2時間半、休憩無しに続きました。聴講者は30名ぐらい、地域のイベントに関係しているような方も少なからず居たようです。冒頭、越後妻有に行ったことのある方はおりますかと確認しましたが、大半の方が行ったことあるようでした。

 木村は、彦坂尚嘉の近くで見聞きしたことを中心にした話題でした。制作者と鑑賞者のインターフェイスの役割を担っているようです。
 清水は、越後妻有の第1回から制作側の立場で関わって来たようですが、第1回の準備段階からの経緯を概観しました。

 前半・後半の2回で概要をまとめます。なおインターネットを利用した映像投影も多かったので、私が調べた参考リンクを追記しました。異同があるとは思いますが参考まで。

 

   タイトル  TAEZ! のトリエンナーレ学校第1回
         大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレの報告

   報告者   清水玲(美術家)
         木村静(メディアアーティスト)

   会場    ZAIM本館1階 交流サロン
   開催日   2009年10月10日 14時00分~16時30分

 

1.木村報告

 女性。氏のブログから略歴を以下に転載。メディアアーティスト。フリーアナウンサー。ボイストレーナー。音声・映像・紙などさまざまな媒体での情報発信の企画・制作に関わる。活動テーマは、メディアによる市民コミュニケーション網の構築。

 今は東京在住、今後横浜に拠点を移す予定。それ以前は北海道に住んでいた。会期末近くの横浜トリエンナーレに来場、カッコいいと思った。越後妻有トリエンナーレは10日間ほど訪れた。「開会式、ツアー映像(*2)」。なぜか取材に同行したくなった。きっかけは横浜トリエンナーレかも知れない。もっと芸術に親しみたいと思った。

 「彦坂尚彦(*3)」は70年代頃から自宅でラテックスを塗るような作品を制作していた。「越後妻有の制作風景(*2)」。自分の足許を見つめるために2回目から田麦集落に住民票(戸籍と言っていたが)を移した。地元産品によるトマト蕎麦(筆者も食した)なども販売した。地元サポータの入れ替わりは激しい。「沸騰する床(*4)」。大テーマは、派遣切りなどから間引きした樹に繋がっていった。捨てられてしまうものの再利用。制作時映像を多くの人に見てもらいたい。

 開会式は十日町ステージの「越後妻有交流館・キナーレ(*5)で行われた。建築とアートの接点を探索することが目的の3泊4日のツアーに参加した。ガイドブックに載っていない面白いものを探した。「スネークパス:グラハム(*6)」予告編。見て映像をUPする。初めての経験だった。「十日町駅名品ツアー(*2)」。思ったより沢山の人に見てもらえたのが楽しい。「建具ノイエ:山本惣太郎(*7)」。

 毎晩、「(建築系?)ラジオ(*8)」用にテープを編集した。ガイドブックに掲載した作品が未完となった「こたつの問題(*9)」など、いろいろな議論が起こっていることを紹介した。

 越後妻有には初めて行った。自然の中のアートが面白かった。「三省ハウス(*10)」にも泊まった。短期間の訪問では判らないことが、ボランティアに携わることで何か判ったような気になった。「ARTSCAPE(*11)」、「彦坂作品(*12)」。

  *1 木村静   :http://channelp.exblog.jp/
  *2 名品ツアー :http://video.mapion.co.jp/search?kw=%E6%9C%A8%E6%9D%91%E9%9D%99
  *3 彦坂尚嘉  :http://hikosaka.blog.so-net.ne.jp/
  *4 沸騰する床 :
  *5 キナーレ  :http://www.echigo-tsumari.jp/art/059.html
  *6 スネークパス:http://hikosaka2.blog.so-net.ne.jp/2009-07-30
  *7 建具ノイエ :http://sustena.exblog.jp/12325017/
    *8 建築系ラジオ:http://tenplusone.inax.co.jp/radio/
  *9 こたつ問題 :http://search.twitter.com/search?q=%23kotatsu
  *10 三省ハウス :http://www.tsumari-artfield.com/sansyo/
  *11 ARTSCAPE  :http://artscape.jp/study/npo/1209088_2185.html
  *12 彦坂作品  :http://channelp.exblog.jp/10872296/

 

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2009年10月13日 (火)

路上観察:横浜オクトーバフェスト2009 in 赤レンガ倉庫

 台風の影響で遅れていたオクトーバフェストが次の要領で開催されます。

   会期 :2009年10月12日(当初9日)~18日
   時間 :12時~21時(平日)、11時~21時(土/日/祝)
   場所 :横浜赤レンガ倉庫イベント広場
   入場料:200円

 大変な混みようで去年までは敬遠していましたが、ものは試しで12日に行ってきました。先日までは横浜開港博の土産売り場だった場所が、大型テントと屋外のテーブル席に変身しています。

 20種類以上のビールやワイン、ドイツ風おつまみの売店が出展しています。テント内の舞台ではドイツのシュプライスラー楽団が雰囲気を盛り上げています。

 少し涼しいですが、夜景を見なが ら飲むビールもおつなものです。ただし、人が多いので空席を探すのも大変だし、買出しも大変、多少の割高感もあります。でも賑やかな雰囲気を楽しみたい方にはうってつけでしょう。0023
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 静かな雰囲気でお酒を楽しみたい方は、外から雰囲気を感じて周辺のショットバーなどへ向うことも良いと思います。
 いずれにしろ、秋の横浜を楽しみに足を向けませんか。

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2009年10月12日 (月)

音楽:横浜ジャズプロムナード2009

 17年目を迎えた横浜ジャズプロムナードが10月10・11日に開催されました。10日、私は横浜ZAIMに於いて開催された「越後妻有アートトリエンナーレ報告会」に参加(整理中、追って掲載)したので、11日だけでしたが昼過ぎから21時までジャズに浸りました。

 徒歩でみなとみらい地区に入ったら、「港よこはまツーデーマーチ」の参加者に出くわしました。背中のゼッケンを確認したら20Kmコースの方もいました。スタート後3時間で19Km辺りを歩いているので時速6Km、早いな。ジャズプロムナードと日程が重なっているので参加不可能。どちらかずらして欲しいな、って無理ですよね。

 私が選択したプログラムは次のとおり。

  1,前田憲男・KANKAWAによる「美空ひばりの世界」    みなとみらいホール
  2.ベニー・グッドマン生誕100年記念
   奥田英人・ブルースカイオーケストラ、八代邦義(dr)、藤家虹二(cl)、
   谷口英二(cl)クインテット、ペギー葉山(vo)     みなとみらいホール  
  3.板橋文夫(p)エリントン生誕110年記念オーケストラ  関内ホール(大) 

 

 「美空ひばりの世界」、上手に置かれたスクリーンにひばりの映像が。「りんご追分」「車屋さん」「港街13番地」を歌っている。舞台正面のパイプオルガンでKANKAWAが「川の流れのように」、前田が「りんご追分」を弾く。みなとみらいホールのパイプオルガンで初めて聴く本格的な演奏が美空ひばりの楽曲というのは想像つかない出来事でした。前田はバッハ風(?)、重厚な演奏でした。

 その後、KANKAWA(舞台上の電子オルガン)他7名のコンボによる演奏。途中、KANKAWAが前田憲男(p)に交代、話を交えたりして進行。「美空ひばりの世界」がどう展開したか、演奏曲を列記します。
 「?」「愛燦燦と」「港街13番地(みんなで歌えと)」「A列車で行こう」「テネシーワルツ」「恋人よ、我にかえれ」「真っ赤な太陽(vo 五十嵐晴美)」。アンコールで「酒は涙かため息か(前田(p)+KANKAWA(ピアニカ?)」。

 私は美空ひばりを積極的に好む訳ではなく、TV・ラジオでその歌唱を耳にしただけです。でも大半の曲名が判るのですから偉大な歌手だったと思います。

 

 ベニーグッドマンは、ビッグバンド、コンボ、ビッグバンド+ジャズプレイヤーの編成で進行。途中、八代邦義、藤家虹二、ペギー葉山が加わったり。演奏曲は「国境の南」「A列車で行こう」「Air Mail Special」、2ドラムで「ドラムブギ」。ペギー葉山はビッグ・コンボで各2曲、「Will be Together」「君去りし街」「Memories of You」「素敵な貴方」。最後は3ドラムで「Good by」。その他。
 ビッグバンド、大型コンボは聴く機会が少ないですけど良いものです。古いジャズも良いですし、クラリネットも愛すべき音色です。

 

 エリントンはフリースタイルで演奏されるから、始まってすぐに退出される方もいくらかいました。大音量の雑音と思えなくもありません。大半は曲名が判りません。判った一曲が「A列車で行こう」、本日三回目です。名曲なのでしょう。バリトンサックスがリードしましたが、これは進行が比較的良く判りました。昨年も参加していましたが村井祐児(cl)、クラッシック音楽のビッグネームですが、ジャズを演奏しているのも素敵です。

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2009年10月10日 (土)

音楽:神奈川フィル第257回定期演奏会

  指揮  湯浅 卓雄
  独奏  渡辺 克也(オーボエ)
  演奏  神奈川フィルハーモニー管弦楽団

  曲目  エルガー        序曲「コケイン」
      ヴォーン・ウィリアムス オーボエ協奏曲
      ブリテン        6つの変容よりⅥ:アレッサ(独奏アンコール)
      エルガー        交響曲第1番

  会場  横浜みなとみらいホール(2階5列12番)
  公演  2009年10月8日19:00~21:00(途中休憩15分)、入りは5割程

 

 全てイギリス人作曲によるプログラム、そして録音を含めて全て初めて聴く曲。ヴォーン・ウィリアムスなら「グリーンスリーヴスによる幻想曲」、エルガーなら「威風堂々」「愛の挨拶」、愛すべき作品です。しかしその他の曲はなじみがありません。

 序曲「コケイン」。開始前にオルガン席が明るくなっていました。視線が舞台に行っていたので気がつきませんでしたが、オルガンも演奏に加わっていたようです。耳が悪いな。曲は印象的な部分がほとんどありませんでした。全体に力が入っているような感じがしました。

 オーボエ協奏曲。ソロと弦楽合奏、全体を通してオーボエが響き渡ります。湯浅のプレトークでも触れられましたが、終わり近くに「庭の千草」で知られるメロディが引用されます。ただし小学唱歌として知るメロディーとは大分異なりますが、この部分は印象的です。歌い継がれてきた民謡は宝ですね。
 独奏アンコールは上昇下降音型が繰りかえされる印象的な小品でもう一度聴いてみたい。CDを探しましょうか。

 交響曲第1番。ティンパニーのロール打ちが2回続いて、低声部弦楽器がメロディを始めます。印象的な始まりですが全体にご馳走が連続しているようで、反って印象を薄めているように思います。

 

 曲目による面もあるでしょうが、演奏はキラキラ輝いている感じで、交響曲1番では圧倒されてしまいます。指揮は丹念に指示を出しているように思えました。オーボエ協奏曲における弦パートのみの演奏は美しく、オーボエの特色ある音色がそのうえをさすらうようでした。

 私にはなじみ無いプログラムで、定期会員でなければ足を向けたとは思えません。定期会員になれば多少の特典もありますが、そのような一面より何が何でも付き合うということが本質のように思います。とは言うものの、256回定期をうっかりしてすっぽかしてしまいました。まだ惚れ方が足りないな。

 それと基準ができると良いと思っています。感想のようなものを書いていますが、しっかりした基準を持ち合わせているわけではないので。神フィルを基準に、難しいことですけど。

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2009年10月 8日 (木)

白想:生・内田樹(2009年10月6日)

 明治学院大学横浜キャンパスにおける2009年度公開セミナー、統一テーマは『「知」の現場から』で全10回。電車のチラシで見かけ、ホームページで確認して第1回目に出かけました。

 第1回目のテーマは「哲学」、講演者は「内田樹(神戸女学院大学教授、哲学者)+高橋源一郎 (国際学部教授)」ですが、話し手が内田、聞き手が高橋。およそ講演60分+質問30分。300人位入れそうな教室は満室、立っている人もちらほら。

 二人はお互いを良く知っていいるようで、ため口で話が進みます。内田は背広着用、武道家でもあり、それを感じさせる精悍さとシャイさを併せ持つような印象を抱きました。高橋は学生みたいないでたち、帰りがけにディパックを背負う姿は大学教授に見えませんでした。格好など気にしていない感じ、逆に気にした結果かも知れませんけど。

 話題は哲学に直接迫るものではありませんでしたが味わい深く、また楽しく進みました。若い人が生きるうえで大切なことをさりげなく話していること、それが真の哲学かも知れません。

 メモは取ったのですが全体をうまく再現できません。それ承知の上で以下を読んで下さい、もし興味があれば。

 

 初めに高橋がWikiPediaの内容に沿って内田を紹介。「高校は、学園紛争の嵐が吹き荒れる中」との表現に対して「一人で吹き荒れようとしていた」、「リアルタイムのビートルズファンであったという主張」に対して「誰が調べたんでしょうか」との突っ込み有り。二人は同時期に京大受験に失敗、成功していたらもっと早く知り合っていただろうと言う。

 21世紀に「佐々木敦・ニッポンの思想」がブレーク、00年代は茂木健一郎・佐藤雄一郎(?)・内田樹。あらゆることを話し、めちゃくちゃ。(養老孟司の忘年会に呼ばれる、茂木・内田・甲野善紀・・・・、その基準は野蛮人。)共通点は書く、しゃべる。00年代、三人がブレークしたのは皆おじさん。佐藤は政治、茂木は脳科学、内田は仏文。内田は何故はやったか。

 「ためらいの倫理学・内田樹著」の後、怒涛のように書く。しかし同じようなものばかり。普通なら色々考えるが、内田は同じようなものばかり。SFCCで(SFファンクラブ)の時は、書いたものをマイ・ガリバンで刷って友達に送り続けた。書くのが好きだ。余り知られなかったが、5人ぐらいは好いてくれる人がいた。

 ブログは今2200万ヒット位で、そのまま本にしている。自分でスクロールして3・4時間読みふけることがある。後で読んで面白いもの。自分向け。突っ込みどころがないように書く。自分が厳しい読み手。自分が納得できるように書く。判りたいから書く。自分に説明できて、腑に落ちるまで書く。難問などはぐるぐる書く。

 (著書の題名を挙げて)何を考えているか。思想が現われているかいないか判らない。00年代に何故読まれているか。隙間産業だから。80年代、学術系で売れて、神戸女学院大学に移ったら、東京の出版社は見向きもしなくなった。忘れ去られた。「ためらいの倫理学」は売れそうもないから出版費用半分を持つと言った。(?)はいいと言った。良い男だ。最初の1年で2000部ぐらいしか売れなかった。読んだ人から次々に伝播した。その後、急に依頼が増えた。自分のどこが社会の認識にかかったのか。

 自分は体系無しに見たり読んだり。広く薄く。広さと薄さは自分の取得。薄い知識を掘り下げて考え出す状況が。引き出そうとするとずるずる出てくる。物書きは特異な人間がなると思われるが、凡庸な考えをまとめるのも良い。00年代に受けた理由ではないか。過激な民主主義。レビナスは凄く難しい。世界で3人位しか判らないようなものと皆が判ることの繋ぎをつけているのではないか。レビナスについての知識、判るとすれば底まで降りていって判るか。日常苦労している人が判らなければ本物ではない。戻すと、内田は教育家、教育の現場にいる。

 大学は何のためにあるのか。学校はミステリーを中心にすべきで、こうやれば判るということでは存在理由がない。理由はわからない。無いと即決して、それから学校に戻った。高校は檻と考えるか、プロテクションと考えるか。17は檻。
 ルールある格闘技。学校の本質はプロテクション。子供は弱い。馬鹿だから、ある程度までは囲っておく。どうして生きるかを養っていく。フィジカルな暴力に屈服して自分を曲げるのはいや。武道にて自信を付けさせて。教育的発想。1年半後に大学を退職したら道場を作りたい。

 大学に入る時、目標がはっきりしている奴は駄目。何だか判らないけど始めたのは続く。何を習おうかが判らない奴は、どこに意味があるのかを探す。そういうマインドがあると成長する。何が自分をここにいさせたか判らないのは大事。

 グローバリゼーションとか専門化の波には20年ぐらいの歴史がある。社会はそう変わっているのに大学は遅い。専門4年間は使い物にならなかった。1・2年教養、3・4年専門に戻した。専門特化は自分に報酬がなければ成り立たない。経済合理性で教育は成り立たない。金で動く部分もあるが、ある程度以上はやめてしまう。努力と報酬の関係を示されても動かない。努力の報酬は意外な所から来る。それは贈与。

 一番漢感心したことは「先生は偉い」ということ。師弟関係がダイナミックで得するのは弟子である。人は学びたいことしか学ばない。師には無尽の知識があると思えば良い。(落語・こんにゃく問答を例に引く)。学びの構造を表している。ここで得したのは旅の僧であって、自分で悟りを開いてしまった。落語はおせっかいと勘違い、学ぶことに付いて語ったものが多い。教育の本質はおせっかい。ここでは勘違いが成立している。

 先生のやることは判らないから良い(夏目漱石の先生像を引く)。(高橋は)教授になってから卒論を指導してくれと言われ、自分は書いたことが無いけれど何とかなる。学生が調べて自分でやる。小中学校の先生は大変で大学の先生は簡単。

 卒業年次が高くなると教師を尊敬する度合いが高まる。大学時代の意味が判ってくる。教師は定点にいる必要がある。先生が(所属場所を)移りすぎるのは良くない。教育は4年間で完結しない。その後の目印になるためにも定点にいる必要がある。。

 弟子の思い込みは重要、意味の無いことをやらせる。例えばトイレ掃除。その意味は自分で考える。この学部に来たのはご縁である。先生を尊敬する。惚れて惚れて惚れぬく。あばたも笑窪と思うほうが楽しい。

 教育はプロテクションである。その囲いの中に入れない人が増えているように思われるが、社会の役割は何か。

 ルーティン業務だって面白がってやれば楽しくなる。人間は二重底になっていて、下方は判るが、上方は判らない。能力はあるだけでは駄目で、それを起動させるための能力を如何に活性化するかが重要。一番有効なのことは上機嫌であること。気持ちが暗い時はうまくいかない。機嫌が良いと言うことは、健康や色々なことが含まれる。そうであることが難しい。

 

 5問ほどの質疑応答は省略。楽しい90分でした。しかし、人の話を聞くのは難しく、自分の底が浅いとつくづく思いました。いまさらどうなるものでもありませんが、時間調整して残るテーマも聞きたいと思っています。

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2009年10月 6日 (火)

美術:横浜美術館「大・開港展」

  会場    横浜美術館
  会期    2009年9月19日(土)~11月23日(月・祝)
        休館は毎週木曜日(祝日を除く)、祝日開館の場合はその翌日
  開館時間  10時~18時、企画展開催中の金曜日は20時まで
        (入館は閉館の30分前まで)
  入場料金  一般 1000円
  鑑賞日   2009年10月5日
  公式HP  http://www.yaf.or.jp/yma/index.php

 

 横浜開港150周年記念・横浜美術館開館20周年記念と銘打ってあり、副題は「徳川将軍と幕末明治の美術」。ご祝儀物ではありますが興味深い展示になっています。

 一人の人間が150年を生きることは不可能です。しかし一世代30年とすれば、150年は五世代前のこと、歴史ではまだまだ昨日のことかも知れません。ざっと一周しただけですが、そのような思いを強くしました。

 大きくは「第Ⅰ章 徳川時代」「第Ⅱ章 開港の時代」「第Ⅲ章 明治時代」の三部構成。各々はさらに細分されています。
 時代区分にない「開港の時代」を設けたのは企画主旨に沿うのでしょうが、日本の玄関として横浜が大きく変化した時代を明瞭にする意味で面白く感じました。

 徳川時代では、徳川末期将軍の写真は意外に思えました。日頃考えもしませんが既にそういう時代であったことを再認識させられます。
 篤姫や和宮の持物はさすがに美しい仕上がりです。興味ある方には小説等と事実を一致させるかけがえのない展示のように思えます。

 開港の時代では、「御開港横浜之全図・歌川貞秀」に惹きつけられました。神奈川沖から西方を望むかなり大振りな鳥瞰図です。今とは異なる横浜が描かれています。それを発展と言いますが、随分と自然を損なってきたことも良く判ります。中央右上に「牢屋」の記述がありますが、私が卒業した中学校辺りで刑場だったようです。

 明治時代では、「美人(花魁)・高橋由一」に惹かれました。確か今年になって、三度、この絵にお目にかかっています。美術史上で重要な位置にあるのでしょう。近代洋画の起点になっているかも知れません。
 「新たな美術の庇護者、横浜の原三渓」では元三渓所蔵の大観、観山、紫紅などの絵が観られます。時代に横串を挿すような見方をしてきませんでしたが、これからはそういう見方も覚えたいと思いました。

 

 展示作品が多くて一つ一つを良く観られていませんが、会期もまだありますからこの後何回か出かけるつもりです。横浜開港150周年記念事業はいくつもありましたが、私は「大・開港展」を地味ながら優れた企画だと思いました。

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2009年10月 4日 (日)

路上観察:第2回多摩川ウォーキングフェスタ

 10月3日、朝起きたら前日の天気予報を覆して良い天気でしたから、第2回多摩川ウォーキングフェスタに出かけました。

 途中から東京・神奈川県境を流れる多摩川の東京側の土手を下流に向ってひたすら歩きます。ゴールはガス橋緑地、東海道新幹線鉄橋から2Kmほど下流側になります。

 スタート地点は歩く距離で異なります。最も長距離の50Kmは青梅線羽村駅付近の羽村取水堰玉川兄弟像前、30Kmは南武線矢川駅付近の矢川上公園、17Kmは京王相模原線京王多摩川駅付近の多摩川児童公園、8Kmは東急田園都市線二子玉川駅付近の兵庫島公園です。

 私は家族と一緒でしたので17Kmを選択、9時40分に歩き始めました。
 この頃から本格的に雨が降り始め、1時間以上は雨中を歩きました。雨が上がったら雲の切れ目から鮮やかな青空が見え、夏を思わせる強い日差しに少々うんざり。その後また雲が多くなってゴール近くになって小雨がぱらつきましたが雨具を着るまでには至りませんでした。
 13時過ぎにゴール。歩行時間3時間20分、休憩無しでしたから平均時速は5Kmほどです。
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 途中、川向こうに新川崎のビル群が見えます。7・8年前に大阪淀川河口から梅田のビル群を見ることがありました。個々のビルの形もその数も異なりますが、何だか似ていると思いました。コンクリートとガラスで構成される高層ビルは、遠目には同じように感じます。
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 私はおよその目安を次のように考えて、ウォーキングイベントに参加します。

 およそ5Kmの歩行速度で歩きます。軽い上り下りがあっても平均すればこの程度です。これに休憩・昼食の時間を15%程度が加わりますので4Km強の平均速度。距離20Kmならば4.5時間、30Kmならば7時間程度で歩ききります。このペースで歩けば各チェックポイントを余裕持って通過できるでしょう。

 ただし決して早くはありません。私の感じでは全体の真ん中より後ろ、2/3よりは前ぐらいの位置になります。皆さんは歩くのが結構早いので、それに惑わされず自分のペースを維持するのが完歩のコツでしょうか。

 そうそう、ウォーキングイベントには参加費が必要です。今回の当日参加費は1500円で少々高いとも思いました。各地のウォーキングイベントは2日間ないし3日間で2000円から2500円でしょうか。事前申し込みすれば多少安くなります。
 今後の開催予定は日本ウォーキング協会HPなどを参考にしてください。

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2009年10月 3日 (土)

路上観察:横浜中華街国慶節パレード

 10月1日、中国北京では第60回国慶節の盛大な軍事パレードが虚構されたようです。たびたび報道される地方の疲弊と対比して、国家の威信と個人のささやかな幸福の関係を考えさせられてしまいます。日本も50歩100歩なのかな。

 横浜中華街でも国慶節のパレードが行われました。愛国の思いが滲み出ていると感じましたが、少数民族の衣装を着けた一団もあったりして全てが平和的でした。そして随分多くの人たちが住んでいるのだと感じました。

 パレードは獅子舞や竜舞、五星紅旗を掲げた一団、ブラスバンドやバトントワリングなどの長い列が、山下公園から中華街に進んでいきました。
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 しゃがんで写真を撮っていたら獅子に頭を噛まれました。良いことがあるかな。中国でも獅子は頭を噛むのでしょうか、それとも日本の獅子の真似たものでしょうか。

 10月10日は中華民國建国の雙十節パレードは中止だそうです。8月8日に台湾を襲った大水害の義捐活動中心の行事を行うようです。

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2009年9月29日 (火)

路上観察:自然観察指導員講習会参加報告

 財団法人日本自然保護協会の自然観察指導員講習会に参加しました。
 自然観察指導員は、自然観察会を開き、自然を自ら守り、自然を守る仲間をつくるボランティアリーダーという位置づけです。18歳以上の方ならどなたでも参加できます。

 私が参加した講習会は次の要領で開催されました。

  会場  千葉市高原千葉村(群馬県利根郡みなかみ町)
  日程  2009年9月26日(土)~28日(月)
  共催  赤谷プロジェクト地域協議会
  定員  県内50/県外10

 参加者は48人、男女比はおよそ4対1、年齢は若い人方もいましたが大雑把な感じで平均50歳代と思われます。今回は定員割れでしたが、7月の神奈川は申し込んだものの定員オーバーのため抽選に外れ、講習会中に雑談で9月の千葉も同様とのことでした。

 実施要領等はホームページを参照して頂くことにして、私の感想をまとめておきます。

 私の参加理由は、ボランティアリーダーを意識したわけでなく、自然に対する自己啓発の趣が強かったと言えます。よって、自然に関する基礎知識はほとんどありません。参加者には、関連する仕事や既にボランティアに携わっている方もおられて、自然に対する豊富な知識を持たれていると見受けられる方も少なくないようでした。

 講習は第1日目午後から開始され、直ちに野外実習、夜間は座学、第2日目は午前・午後野外実習、夜間は座学、第3日目は午前野外実習、昼食後に解散でした。野外実習は野山を歩き回るわけでなく、研修施設の周辺で行われます。都会人の視点で言えば、自然の中に研修施設があると言う感じです。
 実習・講座は三時間単位です。歩くことには慣れていますが、観察のために立ち止まっていることも多く、それはそれで結構疲れます。講習会前に夜更かししていたこともあって、昼間のつかれも重なって夜間の座学もなかなかつらいものがありました。
 もちろん野外実習は雨天決行です。小降りでしたが2日目・3日目は雨。

 講座内容は洗練されていて、長年の経験を持つ自然観察指導員が講師であって、良い意味でこなれています。講師は教職に従事されている方や自然に関係する分野の元公務員など、知識豊富で教え方も大変上手です。
 印象的であったのは赤谷プロジェクトの関係者です。地元の自然保護のために活動している方々ですが、朴訥、気負うことなく活動を継続している雰囲気がひしひし伝わってきました。ボランティアとはこうあるべきだろうと心に留めました。

 対象は異なりますが観察指導は会社務めでも行われます。方法論として大きく異なるものでもありません。しかし観察の対象が自然となると、まず自然とは何かということから始める必要があるので、今後の何らかの取組みを考えるきっかけとして大いに意義あるものとなりました。
 持続可能な自然を守るための自然保護に関しても、今までより遥かに広い視野で考える必要があると感じました。

 野外実習、講義風景です。
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 野外実習の際に各人の観察結果を木の実で集計したものです。Img_6765

 
 
 
 

 リスの食べた胡桃、上部に歯型、上手に実を食べています。Img_6750

 
 
 
 

 オプションとして赤谷プロジョクトの活動拠点を見学しました。 Img_6772

 
 
 
 

 関係ホームページです。
   財団法人日本自然保護協会       
          〃        ・自然観察指導員       
   赤谷プロジェクト 

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2009年9月26日 (土)

路上観察:期間限定・横浜FUNEプロジェクト開催中

 

 横浜FUNEプロジェクトに出かけて「FUNEカード」をゲットしませんか。
 22日に立ち寄ったところ大勢の子供さんで大層賑わっていました。期間・場所は次のとおりですが、詳細は公式ホームページを参照願います。

  期日 2009年9月22日~27日
  場所 ナミノウエ[横浜港大さん橋会場(大さん橋ホール)]

 横浜FUNEプロジェクトとは、日比野克彦監修による、段ボールを主たる素材として150艘のFUNE(船)を制作する市民参加型プロジェクト。

 制作された船は台車上に据え付けられ、台車に結ばれたロープで牽き回せます。山車みたいなものです。船には1番から150番までの番号が付番されています。
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 150艘のFUNEは春先からナミノウエに集結・公開されていました。いま何故賑やかというと、次の要領で「FUNEカード」をゲット出来るからでしょう。

  1.スタンプシートをもらう。
  2.一枚のスタンプシートに書いてある6つの数字の船を探す。
  3.見つけたらFUNEを引っぱる。
  4.引っぱったらFUNEについているスタンプを同じ番号のところに押す。
  5.6つ番号全部にスタンプが押せたら、「FUNEカード」を1セットGET!

 1セットは10枚、15回ゲットすれば全ての「FUNEカード」が揃う筈です。が、同じ番号の「FUNEカード」もあるでしょうから容易には揃わないようです。「FUNEカード」の交換会も行われていました。
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 無料です。週末は天気も良さそうですから足を向けませんか。子供さんは言うに及ばず、大人も結構熱中していました。「FUNEカード」が無くなれば早めに終えるかもしれません。春先にも同様の催しがあったのですが、後半に出かけたので終わっていました。

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2009年9月23日 (水)

白想:今は、もう秋(2)!(2009年9月23日)

 今朝、横浜臨港パーク北側から山下公園まで、海岸沿いに自転車でたどってみました。
 本日は豪華客船4隻が入港予定ですが、8時半にはバハマ船籍の大型客船「ザ・ワールド」が接岸中でした。大桟橋では歓迎の和太鼓が打ち鳴らされ、タクシーの長い行列ができていました。

 昨日は山手から逆方向に散歩しましたが、何時にも増して多くの人が各所に出ていました。今日は雲が多いですけど良い天気です。秋真っ只中の横浜へ出かけてみませんか。

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写真は左上から順に、臨港パーク、大桟橋からみなとみらい地区、大型客船「ザ・ワールド」、山下公園水の守護神、山下公園、神奈川県庁、開港記念会館、万国橋からランドマークタワー、コスモワールド、インターコンチネンタルホテル、日本丸、横浜美術館

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2009年9月22日 (火)

白想:クマにあったらどうするか(2009年9月22日)

 タイトルは、書名をそのまま借用。その本は、語り手がアイヌ民族最後の狩人・姉崎等、聞き書きは片山龍峯、(株)木楽舎・2002年4月発行。

 9月19日、乗鞍スカイライン「ひだ丹生川乗鞍バスターミナル」において、観光客9人がツキノワグマに重軽傷を負わされたとのニュースに接し、負傷された方々はとんだ災難に遭遇したものだと気の毒に思いました。と同時にその本が頭に浮かびました。

 

 姉崎は2001年、65年に及ぶ狩人人生に区切りをつけました。65年のうちの25年間はクマ撃ち、単独で40頭、集団猟を入れれば60頭を獲ったそうです。しかしクマは自分の師匠だと思っています。

 私は技能伝承という視点でこの本を手にしました。クマ撃ちなろうと思った訳ではありませんが、その視点の話題は実に興味深いものでした。そして、その背景となる姉崎の、あるいはアイヌ民族の抱く自然観がさらに興味深いものでした。時間を遡れば多くの人が身につけていた知識だったと想像します。今は、私を含む多くの人が真の自然から遠くなっています。

 

 「クマにあったらどうするか 姉崎さんのすすめる10カ条(P264)」は、経験に基づく智恵です。

  (まず予防のために)
  一 ペットボトルを歩きながら押してぺこぺこ鳴らす。
  二 または、木を細い棒で縦に叩いて音を立てる。
  (もしもクマに出会ったら)
  三 背中を見せて走って逃げない。
  四 大声を出す。
  五 じっと立っているだけでよい。その場合、身体を大きく揺り動か
    さない。
  六 腰を抜かしてもよいから動かない。
  七 にらめっこで根くらべ。
  八 子連れグマに出会ったら子グマを見ないで親だけを見ながら静か
    に後ずさり。(その前に母グマからのバーンと地面を叩く警戒音
    に気をつけていて、もしその音を聞いたら、その場をすみやかに
     立ち去る)
  九 ベルトをヘビのように揺らしたり、釣り竿をヒューヒュー音を立
    てるようにしたり、柴を振りまわす。
  十 柴を引きずって静かに離れる(尖った棒で突かない)。

 音を立てて自分の存在をクマに知らせ、遭遇することを予防するということ。クマ避けの鐘を身につけるなど、ここまでは私もハイキングに行く際などに注意しています。しかしクマに出会ったら冷静に対応できる自信はありません。

 次のようなことも語っています。
 「クマと共存していけるものだったらクマにもいい環境をあたえてやりたいものだと思います。・・・クマが師匠になったほどクマにはお世話になって山を教えてもらったし、そのお陰で生活もある程度維持できたからね。・・・
 おかげで危機を乗り越えてこられたんだなあと思うと、そうすると現在はクマが生存するうえで危機の時代だから、いくらかでも手助けできることがあったらしてやりたいなあと思う、その心は変わらないんですよ(P299)」

 

 味わい深い語りです。クマにとどまらず、自然との共生はこれからの大きな課題です。今週末、とある講習会に参加するため群馬県みなかみ町に出向きます。興味深い話題があれば追って報告するつもりです。

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2009年9月21日 (月)

白想:古い映画(2009年9月21日)

 最近、古い映画を月に1~2タイトル見ています。と言っても映画館に出向くわけでなく、DVD化されたものを自宅で見ています。著作権の切れたような古いタイトルは定価500円ほどですから、CDショップに出かけたときに2・3タイトルをまとめて購入し、気が向いたときに見ています。

 

 「ドクトル・ジバゴ」は初見ですが、哀愁を帯びた挿入曲・ラーラのテーマは聴いたことがあります。改まって聴いたことが無いのでわかりませんでしたが楽器はバラライカ。凍てついたロシアの大地で繰り広げられる、革命に翻弄されるドクトル・ジバゴとラーラの運命。私は物語より、美しい映像と挿入曲が印象に残りました。

 「第三の男」も初見ですが、アントン・カラスのチター演奏による挿入曲は大分以前から聞いていますが、一度聞いたら忘れられない名曲だと思います。オーソン・ウェルズが演ずるハリー、第二次大戦後の廃墟と化したウィーン、地下下水路の追跡劇。そしてハリーの愛人アンナが並木道を遠くから歩いてくる幕切れ。名作ゆえに耳から入った情報も少なくないです。しかし百聞は一見にしかず。映画館で見ればなおさらでしょう。

 「西部戦線異状なし」は以前TV放映された際に見ています。最後の場面、蝶々に触れようと塹壕から身を乗り出し、手を出したところを敵の狙撃兵に頭を打ち抜かれると記憶していました。しかし手だけの表現でした。撃たれたところを明示する必要もありません。洋の東西、時代をを問わず、戦争において一人の兵士の死は取るに足らない些細なことなのでしょうか。戦争の空しさを描いた不朽の名作だと思います。

 

 スクリーンに映写された映画の迫力はありませんが、手軽に、繰り返し見られるDVD化された映画も、私にとっては映画のうちです。映画館に出向くことはほとんどありませんが、映像表現を否定している訳ではありません。DVD化された映画からでさえも映像表現の素晴らしさを実感しています。素晴らしさゆえに大泣きしてしまいそうで遠ざけているだけです。もったいないと思うのですが。

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2009年9月19日 (土)

常識って!?:酒井法子被告の保釈時報道(2009年9月19日)

 酒井法子被告が保釈された際の報道は適切であったのでしょうか。

 9月17日16時過ぎ、覚せい剤取締法違反(所持、使用)の罪で起訴された酒井法子被告が保釈されました。たまたまその時間帯に視るともなくテレビを視ていたら、保釈時の様子をライブ中継している放送局がありました。他局も同様かと確認したら、計3局(東京VHF局)でライブ中継していました。

 私は酒井法子被告の芸能活動に興味を抱いたことはありません。今回犯した罪はしかるべく裁かれたのちに償われるべきだと思います。付け加えれば円滑に社会復帰して欲しいとも思います。

 

 気になったのはライブ中継までして報道する内容であったかということです。テレビ画面にはその時を待ち受ける多くの報道陣が映り、被告が謝罪の言葉を発した後に乗り込んだ自動車をヘリコプターで追跡して中継していました。

 この報道体制は、被告が芸能人であること、夫婦で起訴されたことを加味しても過剰だと思います。芸能人に対しては歌がうまくなった、踊りがうまくなったというような記事がふさわしいでしょうけど、あまり見かけません。それに比してゴシップねた、罪を犯した時の報道は常識はずれと思えるほど過剰です。

 報道の自由、表現の自由を否定しません。が、それはもっと大きな何かと対峙するときに言うべきです。罪を犯したとはいえ一芸能人に対して声高に主張できるとは思えません。

 この件に限らずそう思うことが多い昨今です。皆さんはどう思いますか。

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2009年9月13日 (日)

白想:今は、もう秋!(2009年9月13日)

 家でくすぶっていましたが、窓から見えた空がきれいでしたから、自転車で臨港パークまで出かけました。目の前に広がる横浜港、ベイブリッジ。少し汗ばみましたが、それでも、もうすっかり秋ですね。
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2009年9月12日 (土)

路上観察:第17回・奥の細道・鳥海ツーデーマーチ(道中編)

 2009年9月5・6日の両日、山形県飽海郡遊佐町を主会場に「第17回・奥の細道・鳥海ツーデーマーチ」が開催され、参加しました。関東圏を離れてのウォーキングイベント参加は初めてで、その往復も楽しみです。途中、短時間ですが酒田市内を巡りました。

 当日移動では間に合わないので4日に移動、往復ともに飛行機利用。早めに予約すれば料金は鉄道利用とほとんど変わりません。羽田空港を出発した飛行機は水平飛行に移って間もなく降下開始、わずか1時間で庄内空港に着陸。少しくたびれたリムジンバスでJR酒田駅まで移動。途中、最上川河口付近を通過、

 「五月雨をあつめて涼し(早し)最上川」
 「暑き日を海に入れたり最上川」

芭蕉句が浮かびます。当時は旧暦ですから今では初夏でしょうか。引用ばかりで駄句の一つも思い浮かばないところがなんとも情けない思い。

 3時間ほどの酒田市内巡り、来た道を戻るようにして「山居倉庫」へ、そこから徒歩でJR酒田駅に戻ることにしました。まずはタクシーに乗車、「やまいそうこ」と言ったら、間を多いて「ハイ~」。正しい呼称は「さんきょそうこ」だそうです。

 「山居倉庫」は築百年以上経た現用の農産物倉庫、当日もお米を運び込んでいました。傍らの大きなケヤキ並木は、倉庫内の温度上昇を防ぐためだそうで、二重屋根構造などとともに先人の智恵に感心するばかり。
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 歩いていると道端に「奥の細道・何々跡」の標柱が何本か見られました。時間があれば辿りたいところですが、今日は時間がありません。
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 武家屋敷と商家造りが一体となった「本間家旧本邸」。一見簡素ながら、しみじみと伝わってくる職人技。我が家は何代か遡れば「どおこや」、子供の頃、近所の駄菓子屋のおじいさんからそう呼ばれました。恐らく「銅工屋」、銅屋根などを葺く職人でしょう。よって良い仕事を見れば血が騒ぐって、そのようなことはないのですが。閑話休題。

 「本間さまには及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」というざれ歌は誰しも思うことかも知れません。後になりましたが、本間様は、天文学的数字にも思えるほどの土地を所有する大地主です。別に本間美術館があるのですが寄りませんでした。(室内写真不可ですので玄関先だけ)

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 「旧鐙屋(あぶみや)」 は廻船問屋。江戸時代を通じて繁栄したそうですが、日本海海運に大きな役割を果たしたことが知れます。玄関から裏まで突き抜ける三和土(たたき)が美しくもあり、忙しくすれ違う人たちを髣髴させます。昆布や米が日本海経由で上方に運ばれていったことが実感できます。この後、JR酒田駅に戻り、吹浦駅まで移動。

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 6日は20Kmコースを10Kmコース変更、折角だから「土門拳記念館」に寄ろうと思ったからです。JR酒田駅からタクシーで1500円ほど。「土門拳生誕100年特別企画・日本の自画像・写真が描く戦後 1945-1964」開催中。土門拳と時代を同じくする写真家11人の作品展示。見たことのある作品が何枚もありましたが、何回見ても写真が時代を切り取っていたと思わされます。戦争はいけない。

 記念館前の池の向こうに鳥海山が美しい姿を見られる筈ですが、当日は雲に隠れていて残念。記念館は谷口吉生の設計になるもの、静謐な思いが湧き上がる。この後、庄内空港行きのリムジンを待って横浜へ。

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2009年9月 7日 (月)

路上観察:第17回・奥の細道・鳥海ツーデーマーチ

 「神の棲む山・鳥海山。聴こう! 山のささやき 波の高鳴り 大地の鼓動。」のスローガンの下、山形県飽海郡遊佐(ゆざ)町を主会場に2009年9月5・6日の両日、「第17回奥の細道・鳥海ツーデーマーチ」が開催されました。暦の上で既に秋は立っていますが、私の今夏の最後のイベントとして参加しました。天気の心配もしていましたが真夏を思わせる暑さ、東北はもう少し涼しいかと思っていたのに。

 遊佐町は山形県酒田市からJR羽越本線(普通) ・秋田行き乗車で3駅目。ご存知ない方も多いと思いますが、まずは次の写真を見て下さい。どこかで見た風景だと思いませんか。
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 これではどうでしょうか。このポスターはあちらこちらで見かけました。月光川堤防上に椅子が一脚おかれたこの「おくりびと」のロケ地、第2日目のコースはこの脇を通過します。
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 かなり前のことですが、この辺りを背景にした森敦の「鳥海山」「われ逝くもののごとく」を読んで、一度は訪れたいと思っていました。
 さらに時を遡れば、芭蕉は「奥の細道」の中で「あつみ山や 吹浦かけて 夕すゞみ」と詠んでいます。この吹浦(ふくら)は第1日目のコース途中で通過します。

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 第1日目は25Kmコースにエントリー。スタート後、まずは黄金色の実りが遥かに続く穀倉地帯を北上。鳥海山は頂を雲に隠していますが、庄内平野から立ち上がる独立峰の姿は力強い。20年近く前に酒田市内から遠望したことがありますけど、裾野から見上げるのは初めて、その雄大さに感動しました。

 7Km過ぎから西走、吹浦を目指します。十六羅漢岩を過ぎて南下、芭蕉句碑を眺め、14Km過ぎの西浜キャンプ場で昼食。砂防林の中の定規で引いたような一本道をさらに南下。庄内砂丘の白に日本海の青が映えます。18Km過ぎの十里塚海水浴場から東奔してスタート地点に戻ります。

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 第2日目は予定変更で10Kmコースにエントリー。スタート後、すぐに月光川堤防を東に向います。3Km辺りで北に向かい、ロの字を描くようにしてスタート地点に戻ります。

 第1日目が北に向けて歩いたのに対し、第2日目は東に向けて歩きます。鳥海山はその姿は大きく変えました。(右の写真、月光川、橋の向こう側に椅子がおいてあります)

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 2日間、遊佐町挙げての歓迎を受けました。ブラスバンド演奏の中をスタート、各所に用意された給水ポイント、交通案内スタッフ、要所に先回りしての救護スタッフ、軒先に出てきたお年寄りからの挨拶。書ききれないほどの歓迎を受けました。また来年も元気で再訪したいとの思いを抱きました。

 第2日目は地域のバザーも併催、スタート時に牛の半身の炭焼きが目に焼きつきました。ゴール後に調達、完歩の祝杯のおいしいこと。全体的に食が進むので、これだけ歩いてなお体重を増やしての帰宅になりました。

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2009年9月 6日 (日)

路上観察:第17回奥の細道・鳥海ツーデーマーチ(第1日)

黄金の実りが波打つ穀倉地帯と白砂青松の海岸線を周遊する25Kmコース。完歩。
雲に隠れていた鳥海山が、ゴールする頃にはその全容を現しました。美しい。体は多少痛みますが、何とも幸せな気分。

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2009年9月 5日 (土)

路上観察:第17回奥の細道・鳥海ツーデーマーチ(前日)

 当日移動ではまにあわないので前日移動、酒田経由で吹浦到着。酒田で観光、「本間さまには及びもせぬがせめてなりたや殿様に」。殿様でなくとも健康的な生活であれば。

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2009年9月 2日 (水)

美術:利賀フェスティバル2009・道中編(塩田千春作品を巡って)

 塩田千春を意識したのは横浜トリエンナーレ2001、天井から吊り下げた巨大なドレスに泥水を流し続ける「5着のドレス」という作品。

 今夏、塩田千春は金沢21世紀美術館(8月31日まで)、入善発電所美術館(9月23日まで)、越後妻有トリエンナーレ(9月13日まで)において作品公開しています。

 これらの場所は、利賀フェスティバルへの道中からそれほど離れていません。一人の作品を異なる場所で短期間のうちに観られる機会など滅多にありません。
 越後妻有は既に出かけましたが、塩田千春作品にたどり着けませんでした。と言う訳で、三ケ所の塩田千春作品を日をおかずに一気に鑑賞する行程をつくりました。

 

 金沢21世紀美術館では企画展「愛についての100の物語」中の作品、「記憶の部屋」。この美術館で最も大きな部屋と思います。そこを占有して、旧東ベルリンで集められた1000枚以上の木製の窓を使用したインスタレーション。天井高は10m以上と思いますが、そこに届かんばかりの窓の塔。中央は円筒形、その中に椅子が置かれ、円形の外に円弧状の羽が左右に拡がります。

 作品から窓が旧東ベルリンで集められたとは判りません。が、長い年月を経たものとは判ります。雨風を遮る役割は果たしたでしょうが、社会の変化はどうだったのでしょうか。窓の中の生活、それがどのようなものであったかを想像しないわけにいきません。塔のように積み上げた構造は、やがて来る時代の変革を暗示するのでしょうか。

 

 発電所美術館の作品は「流れる水」。多くの簡素な医療用ベッド(?)を使用したインスタレーション。ベッドは滝のように天井から床に向けて流れ込みます。そこに水が降り注ぎます。

 詩歌に挨拶句がありますが、これは挨拶インスタレーションと言って良いのでしょう。長いこと人びとの生活を支えた産業現場に対する。
 挨拶句は丈高く穏やかに作るようですが、この作品に穏やかさは皆無です。滝のように流れ込むと言いましたが、天に向って逆流しているかも知れません。私は医療用ベッドだと思いますが、その飾り気のなさゆえにその先に繋がる何かを想像しないわけにいきません。このベッドにさえ身を横たえることが出来ないとしたら。

 

 越後妻有の作品は「家の記憶」。空家の中に付近の住民から集めた使い古しの家具・古着などを、黒い糸を編んで内包するインスタレーション。
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 空間と素材の関係が前2作品とは異なります。すなわち生活臭を色濃く残した空家や家具・古着などを無機質な黒い糸で内包するということ。内包するというよりは内包されたのでは無いかと思います、観るものを含めて。空家を利用した作品は少なくありませんが、徹底的に対峙する作品は少ないように思います。穏やかに寄り添い、かってそこに存在した生活を髣髴させる作品が多いように思いいます。この作品も例外ではありません。いずれ誰かが戻ってくる場所、そのような思いが湧き上がりました。

 

 芸術は未知の未来を描くことは出来ないでしょう。過去を凝縮し、凝縮してそこから未来を外挿させる、それは可能のように思います。多くを理解したわけではありませんが、それでも貴重な経験となりました。

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2009年9月 1日 (火)

白想:政治家の言葉

 追って政権交代が現実のものとなる。今回の選挙は何の要因で与野党逆転したのだろうか。積極的な政権選択がなされた結果だろうか。

 いずれマスコミ等で吟味されるだろうが、私は、有権者の政権与党に対する細かい負の思いの積み重ねが、小選挙区比例代表並立制で増幅されたと思う。先の郵政選挙と同様の現象が与野党逆に生じただけであろう。いずれも結果は劇的であったが。

 有権者の細かい思いの積み重ねとは何か。要約すれば、明るい未来の希求というよりは、まずは鬱屈した現実からの脱出。有権者は決して最善の選択ができたとは思わない。最善の選択ができない理由は、最善の選択枝が用意されないから。

 「偉大とは、人々に方向性を与えることだ」とは先哲の言葉。今回の選挙で明確な方向性は提示されただろうか。否。とすれば次善の選択しかなされない。負の印象のより少ない候補者・政党を選択するということ。今後も含めてそれが現実だろうか。

 選挙に限定したわけではないが、政治家の言葉の貧困化が進んだように思う。政治家が有権者の心底共感を得られる言葉を持たなければ存在は危うい。いや定数があるから一定数は常に存在するのだが。
 そればかりでなく、粗雑な、あるいは有権者を小ばかにしたような言動も少なくない。私は多少の漢字の読み間違いなど大した問題でないと思う。程度問題ではあるが。もっと根底の意味を注視すべきだ。

 今回の選挙演説で麻生総理は「責任力が大切だ。政治は博打じゃない。ちょっとやらしてみようかって、それ違うって。まったく事の優先順位が分かっていない人が多すぎると思う」と言った。この短い句の表層が判らないわけでないが、吟味すれば問題だ。

 「責任力」とは何か、まず言葉の定義がない。政権党ならばここ4年間の言動に照らして責任力を定義すべきであろう。私は言動一致していたとは思わない。よって空虚に響く。

 「政治は博打じゃない。ちょっとやらしてみようかって、それ違うって」とは何を意味するか。政権交代が博打であって、政権継続が博打で無いとは何を根拠とするか。それを理路整然と説明されれば納得しない訳でも無い。唐突にいわれたって。

 「まったく事の優先順位が分かっていない人が多すぎると思う」とは本当にそうであろうか。郵政選挙の時は優先順位がわかっていて、今回の選挙で急に判らない人が増大したのだろうか。そんな訳は無い。

 麻生首相の敗戦の弁、「そういったもの(マニュフェスト)に関して、きっちり対応していただける民主党の勝利というものを祝福申し上げると同時に期待も申し上げております」はさわやか。多少の皮肉を含まないわけはないだろうが、それでも素直に受け止めた。

 政治家の空疎な言葉の羅列は有権者の胸を打たない。その言葉を元にした行動は国民を幸せにはしない。活き活きとした言葉を駆使し、それを実行すること、有限実行こそが政治家に切望される。そんな格好良いものではないかな。
 有権者は大きな学習をした。これからが大切だ。

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2009年8月30日 (日)

路上観察:利賀フェスティバル2009・道中編(往路3日目~復路1・2日目)

 最近は夏休みの一部に利賀フェスティバルを含めている、と言って良いと思います。利賀フェスティバルだけで一週間を費やすほどのプログラムが用意されているわけではありません。演劇界に身を置く方には必ずしもそうでないかも知れませんが、私は素人ですからマニアックなものは避けています。まあ利賀フェスティバルに行くこと自体がマニアックかも知れませんが。
 よって往復路で各所に寄る楽しみを含めて利賀フェスティバルです。

 往路3日目、第3日目以降の行程は次の通りです。

  第3日目  二十一世紀美術館~金沢城・尾山神社散策~
          「リア王」「アイアス」観劇~利賀(泊)
  第4日目  利賀・上畠アート09散策~「天と地のはざまで」
          「廃車長屋のカチカチ山」観劇~利賀(泊)
  第5日目  発電所美術館~越後妻有トリエンナーレ~十日町市(泊)
  第6日目  越後妻有トリエンナーレ~横浜着

 

二十一世紀美術館はここ数年、必ず立ち寄ります。今夏の企画展は「未完の横尾忠則」「愛についての100の物語 」。

 「未完の横尾忠則」展、サブタイトルが「君のものは僕のもの 僕のものは僕のもの」。公開制作作品を含む多くの作品に圧倒されます。滝の絵葉書で一室を埋め尽くすインスタレーション。何でも作品にしてしまう貪欲さは芸術家の命でしょう。丹念に記された日記公開なども。

 最初の部屋は、Y字路をテーマにした作品7枚、大半が2m弱×2m強のサイズ、一枚はさらに横長。以前からY字路をテーマにした作品を描いていたようですが興味はどこに。Y字路、言い換えれば分かれ道、というころでしょうか。

 「奇縁まんだら」という80枚ほどの肖像画も興味を惹きました。大半が古い作家。山本有三、高村光太郎、吉行淳之介、大岡昇平、・・・。その中に淡谷のり子、忌野清志朗は異質かあるいは作家か、私は知りません。

 アンリルソーの絵を横尾忠則流に解釈しなおして描いた数十点の作品もまた興味を惹きました。本歌取り、「君のものは僕のもの 僕のものは僕のもの」ですか。このタイトル名の作品もありましたが、ルソー風の絵の方がサブタイトルに合致するように思いました。(写真はタレルの部屋、金沢城、尾山神社)
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 「愛についての100の物語 」、キーワードは「オープン・ダイアローグ(開かれた対話)」。既知の作品も少なからずあったように思います。目当ては塩田千春のインスタレーション。

 実は5日目の発電所美術館、越後妻有トリエンナーレにも作品があって、それを横断的に観てみたら何か少しは理解できることもあるかと思っていました。これは別にまとめる予定です。(写真は発電所美術館、展望台から山側、海側を望む)
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 上畠アート09は今年で3回目、利賀フェスティバルが開催される利賀芸術公園から一山超えた(実際はトンネルを抜ける)三十戸ほどの上畠集落の家や田畑で作品展示する催しです。工芸作品主体ですが、民家などを利用した展示が素晴らしい。家を開放すること、それは都会に住む私からすれば実に大らかで豊かな行為だと思います。現南砺市長はこの集落から出ていて、そのお宅でも作品展示されています。今後の継続が危ぶまれてるようです。(写真は、作品の一部)
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 越後妻有トリエンナーレは前回見落とした主な所を巡りました。これも別にまとめる予定です。

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2009年8月29日 (土)

路上観察:利賀フェスティバル2009・道中編(往路2日目-2)

 郡上八幡から北に向えば、蛭ケ野高原・御母衣・白川郷を経由してかなり早い時間の利賀に到着できます。しかし、進路を北北西に取りました。金沢でもう一泊してから利賀に向います。

 九頭竜ダムはロックフィル型ダムで、逆光で不鮮明でしたが積み上げられた岩が迫力あります。真下から見上げればさらに力強く迫ってくることでしょう。
 九頭竜線は愛称で正式には越美北線です。九頭竜湖駅は九頭竜湖からは大分離れていましたが、九頭竜線の終点。時刻表には一日五本の電車が記されていました。数少ない電車の出発が見られました。
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 小京都・越前大野は静かな街です。見所は越前大野城、七間朝市が立つ街並み、そして御清水(おしょうず)を初めとする湧水、朝倉義景墓所、武家屋敷など。昼近くに到着したので七間朝市を観られませんでした。大野城は山の上にあって時間の関係で見上げただけ。

 名水百選に選ばれた御清水は別名殿様清水、古くは殿様の用水として利用されていたためだそうです。御清水を使った近所の蕎麦屋さんで蕎麦を頂きましたがなかなか美味でした。

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 その後で街中を散歩。華々しいものは何もありませんが、ゆっくりした時間の流れが感じられる街です。つい長居してしまいました。

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 後ろ髪を引かれる思いでしたが一乗谷朝倉氏遺跡は通り過ぎました。

 「雪は天から送られた手紙である」との素敵な言葉を残した中谷宇吉郎、その名を冠した雪の科学館は加賀・片山津温泉の入り口にあります。六角形のとんがり屋根を三つ連ねたその建物は磯崎新の設計になるもの。傍らに大きなポプラの木が何本か植えられているのは北大教授・中谷宇吉郎をしのぶものでしょう。過冷却した水を一瞬で凍らせる、ダイヤモンドダストなどの実験を見せてくれます。時間の関係で映画を見ませんでした。科学的好奇心をくすぐられます。近所だったら何回も出かけたいところです。

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 この後、小松市立宮本三郎美術館に向ったのですが5分違いで閉館していました。目の前を通っていたのですが気付くのが遅れました。久しぶりの訪問予定でしたが残念。それにしても16時30分の閉館は少し早くありませんか。

 このあと金沢に向い、18時過ぎに到着。

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2009年8月28日 (金)

演劇:利賀フェスティバル2009・劇評編「廃車長屋のカチカチ山」

 演出   鈴木忠志

 出演   日本の狸     新堀清純
      ロシアの兎    ナナ・タチシビーリ
      キャデラックの女 内藤千恵子
      日本の老人    蔦森皓祐
      老人の女友達   久保庭尚子
      医者       竹森陽一  他

 会場   野外劇場
 公演   2009年8月22・29日
 鑑賞   2009年8月22日 20:20~21:50

 「カチカチ山:原作・太宰治:演出・鈴木忠志」の物語を、「廃車長屋の異人さん:原作・マクシム・ゴーリキ:演出・鈴木忠志」の構成で。プラス打ち上げ花火。プラス各国の俳優。二・三週目の最後を飾る祝祭性の濃い演目です。

 「カチカチ山」「廃車長屋の異人さん」は、2007年2006年に利賀で上演されています。

 外国人数人の役者を含みますが、日本語上演。表現上で多少気になるところもありますが、短い期間で仕上げたとのこと、立派なものです。特にロシアの兎(ナナ・タチシビーリ)は主役で多くの台詞がありましたけど、少なくとも言いよどむことはありません。後で判りますが、日本語は全然理解しないようで、音として台詞を発声しているようです。

 祝祭性の濃い演目ですからあまり細かいことをいうのも無粋ですが、気になる点をまとめておきます。

 私は最前列のほぼ中央に座りました。ここからは、舞台に数多くの廃車が並びますので、背後に広がる池、池の上に設けられている左右の花道はまったく見えません。利賀の美しい野外劇場の魅力が損なわれます。階段席ですから、中段より後方に座るのが全体を見渡せてベストだと思います。

 祝祭性の濃い演目にしては少し難解です。説明的な独白も多く、言葉の妙も少なく感じました。音楽も、花火も同調性にやや欠けたと思います。この演目を目当てに来場する方も少なくないようですから、もう少し砕けた内容で良いと感じました。

 役者が引き上げて灯の落ちた舞台の後方で、ナイアガラが火の粉を散らし、別れを告げるように打ち上げ花火が上がります。
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 この後、鏡割。私の隣の方が立ち上がり舞台に進みました。南砺市長だったのです。いよいよ舞台上の酒宴が始まります。
 かくして私の今年の利賀フェスティバルも終わりを告げます。後何回来られることか、気力も体力も衰えてきました。

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2009年8月27日 (木)

演劇:利賀フェスティバル2009・劇評編「天と地のはざまで」

 演出   ジョルジオ B コルセッティ
 作    ジョルジオ B コルセッティ
      ジャンピエロ・ラッパ

 出演   フェデリカ・サントーロ
      フィリッポ・ディーニ
      アンドレア・ディ・カーサ
      フィオーラ・ブラーシ

 会場   創造交流館芸術劇場
 公演   2009年8月22・23日
 鑑賞   2009年8月22日 15:00~

 創造交流館は、以前、サマースクールなどに利用された富山県の教育施設だったと思います。その講堂状の一室を改修して演劇等のトレーニングに利用し、照明音響設備を整えて公演可能な施設としています。

 イタリアのファットーレKによる。イタリア語上演(多分)、日本語訳がディスプレイ表示されます。

 映像装置を利用し、演技とその映像を同時に観る仕掛けです。舞台下手にスクリーン、主に上手で演技します。しかし特殊効果(クロマキー)やミニチュアセットを併用して、スクリーンに投影される映像では役者があたかも家の中からドアーを開けて出てきたりする。

 「とある街の日常で、4人の登場人物が、地上に這い上がってきた悪魔と、空から舞い降りた天使に出くわし、善悪をわきまえるための苦闘を強いられる。その過程で、彼らは神の存在の是非を問いかけられる。
 ・・・
 そしていくつもの物語が交錯するなか、その中心には常に繊細な問いかけが存在している。”コマレ・セッカ(死)に出会ったら、どうする?(配布資料中演出ノートから抜粋)」

 いくつもの場面で構成されていて細かい内容をうまく説明できません。全体的には、演出家の意図が伝わってきます。天がスクリーンで、地が演技、観客はそれを同時に観ながら、すなわちはざまにおかれているということで、かなり明示的です。神様は全てを見通しているとの宗教観は、神様は異なったとしてもどこでも同じようです。

 イタリア的と言って何を意味するかは不明ですが、漠然と抱いているイタリア的な雰囲気が充分に表出されていたと思います。昨夜の「ギリシャのアティス・シアターによるアイアス」の対極にあるような様式・演出・役者です。世界は広い。

 スクリーンと演技で左右広がり、観客席が近いので舞台はかなり観づらかったです。スクリーンの右上方(舞台中央になる)に日本語ディスプレイがあって、輪をかけて観づらかったです。縦長の劇場が適当と思いますが、利賀には横長の劇場しかありません。一般的には舞台と観客席が近くて迫力があるのですけれど。

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2009年8月26日 (水)

演劇:利賀フェスティバル2009・劇評編「アイアス」

 演出   テオドル・テルゾプロス
 原作   ソフォクレス

 出演   アナスタシオス・ディマス
      メルティオス・イリアス
      サバス・ストゥルンボス

 会場   岩舞台
 公演   2009年8月21・23日
 鑑賞   2009年8月21日 20:00~

 岩舞台は仮設の野外劇場である。開演前から雨が降っていて、上演中も降ったりやんだり。それも一興。野外である限り雨も覚悟しておかなければならない。(写真は翌日、舞台後方から客席を望む、客席後方は合掌造りの新利賀山房)
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 ギリシャのアティス・シアターによる。ギリシャ語上演(多分)、日本語訳がディスプレイに表示されたが、タイミングはあっていたか。まあ、大筋を理解すれば内容は難解でない。

 「トロイア戦争でアキレウスに次ぐ強さを誇ったアイアス、アキレウス戦死後の慰霊の弁論競技会でオデッセウスと舌戦を繰り広げる。判定を託されたイリオスの捕虜はオデッセウスに軍配を上げた。アイアスは逆上し、オデッセウスや味方の諸将を殺そうとした。しかし女神アテナはオデッセウスを救うためにアイアスを狂わせ、羊を諸将と思わせる。神に嫌われ、諸将にも評価されないことを知ったアイアスは彼らのために戦う虚しさから自刃して果てる(配布資料から要約)」

 「アイアスが犯した殺戮の場面をとりあげ、どのようにしてアイアスは羊たちを兵士と思いこんで殺したのか、に焦点をあててこの舞台を創った(配布資料中演出ノートから抜粋)」

 舞台には小さな踏み台が十字状に並べてある。そのうち三つは天地逆に置いてあり、箱状で内側は赤色。三人は膝まづいてその中に顔を突っ込み、低い笑い声を発して物語は始まる。笑い声はクレッシェンドして哄笑に変わり、やがてディクレッシェンドして泣き笑いに変わる。随分と長い時間続いたように感じた。

 一人の役者が踏み台の上をたどりながら刃物を振り回し、殺戮を模した、様式化した動きを繰り返す。やがて役者が変わり類似の動きを繰り返し、そしてもう一人の役者が類似の動きを繰り返す。時には赤いハイヒールを持って。

 

 最初の長い笑いの後、殺戮を様式化した最初の動きを A とすれば、その後は A'、A'' と言える。シンプルな構成である。逆に言えば単純すぎる。テーマを絞りすぎていないか。私はそう思うが、ギリシャ演劇界ではどうなのか。

 雨の中、観客も偉いと思った。観ることもだが、遠来の劇団に暖かいカーテンコール(カーテンは無いが)を送っていた。自らの尺度を持つだろうが、それはそれとして遠来の劇団を受け入れていたように思う。役者も無骨な挨拶を繰り返していたが、思いなしか感動しているように見えた。ここには国際化した姿があるように思う。

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2009年8月25日 (火)

路上観察:利賀フェスティバル2009・道中編(往路2日目)

 郡上八幡で一泊、朝食前に小一時間の散歩。自動車の行き来も極めて少なく、街全体が静寂さに包まれていました。家々の朝の支度をしている音、近づく自転車の軋む音、川を流れる水の音。音による風景が残っていました。時間を巻き戻したような懐かしいサウンドスケープ。

 郡上八幡は水の街です。街中に多くの水飲み場が設けられています。通りの両側の側溝にきれいな水が流れていて、蓋をあけて道に打ち水をしたりしていました。
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 郡上八幡に寄る大きな目的は、水飲み場の一つである宗祇水を訪れることでした。室町時代の連歌師・飯尾宗祇の名を冠した名水です。

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 郡上八幡は、郡上八幡城から見下ろすまでもなく小さな街です。写真中央部が徹夜踊りの場となる新町辺り、川が木立に隠れる辺りで、右手から流れる川が合流します。その付近に宗祇水があります。

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 宗祇については断片的な知識があるだけです。例えば。

 芭蕉は「笈の小文」で、「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、其貫道する物は一なり。しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。」と書いています。大いに影響を受けたということでしょう。

 京都山崎の近く(所在は大阪府)に水無瀬宮があります。祭神は後鳥羽天皇、土御門天皇、順徳天皇、由緒正しき神宮。ここに奉納されたのが宗祇等による「水無瀬三吟百韻」。

   雪ながら山もとかすむ夕べかな  宗祇
     行く水とほく梅にほふさと  肖柏
   川風に一むら柳春見えて     宗長

 発句から第三までですが、実に美しい。
 水無瀬とは、京都三川が合流して淀川になるあたり、天王山の古戦場跡。今は東海道新幹線が疾駆し、JR、阪急電車が行き交ってあわただしい。しかし、私の乏しい鑑賞力でさえ、往時の美しい風景が蘇えります。

 なぜか宗祇水に寄りたかったのです。多少は歌心が向上するかって、そんなことがある訳は無いのですが。

 

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演劇:利賀フェスティバル2009・劇評編「リア王」

 演出   鈴木忠志
 原作   W・シェイクスピア
 美術   戸村孝子

 出演   老人(リア王)  ゲッツ・アルグス(独)
      ゴネリル     エレン・ローレン(米)
      リーガン     チャン・イジュ(韓)
      コーディリア   大桑茜
      グロスター    蔦森皓祐
      エドガー     石川治雄
      エドマンド    カメロン・スティール(米)
      看護婦1     久保庭尚子  他

 会場   新利賀山房
 公演   2009年8月15・21・28・29日
 鑑賞   2009年8月21日 17:00~18:45

 「鈴木忠志演出のリア王」は、1984年12月、豪雪の利賀山房にて初演、もはや伝説であろう。私が初めて「鈴木のリア王」を観たのは1989年の利賀フェスティバル、利賀山房であったと記憶する。ピークは過ぎていたと思うが、まだまだ旧SCOTが、そして利賀村が元気だった頃である。以来、両手で数えるほどの舞台を観てきた。日本人役者による、米国人役者による、日米混成役者による。男性役者のみによる舞台も少なくなかった。吉行和子が看護婦を演じたこともあった。最後に観たのが何時だったかは定かで無いが、恐らく1990年代末であったろう。

 久しぶりに観た「鈴木のリア王」、精神病院にいる孤独な老人すなわちリア王、そしてリア王の回想あるいは空想として物語が展開するというコンセプトに変化は無い。しかし個々の場面は以前に比べて具象化されていると感じた。今回を新版、以前を旧版とすれば、両者の変化は何時からか。上演時間は旧版が60分程であったと思うが、新版は100分を超える。

 今回の「リア王」で特筆すべきは独・米・韓・日の俳優による上演形式であろう。各々の俳優の台詞は母国語で、舞台袖に翻訳が表示された。その場に居合わせないと奇妙な印象を抱くだろうが、台詞回しにまったく違和感はない。ただし役者は大変であったろう。Kによれば「最初は頭が痛くなるほどであった」とのこと。

 ゲッツ・アルグス(リア王)は力強い表現で、精神病院にいる老人との印象は稀薄であった。それが個性か、外国のテキストを演じることによるものかは定かでない。そのような表現を求めないのかも知れない。しかしリア王は弱者である。老人の寂しさや悲哀さが漂わないと、物語の意図は鮮明にならないように思う。
 かっては蔦森皓祐がリア王を演じたことがある。蔦森には飄々とした感じがあって、老人の寂しさや悲哀さを感じたものである。

 エレン・ローレン(ゴネリル)は米国における鈴木メソッドの体現者であり、伝道者であろう。久しぶりに観たが、その印象がくずれることはない。

 チャン・イジュ(リーガン)は抑制されてはいるが表情豊かな役者だ。彼女一人で韓国演劇界の現状が知れるわけでもないけど、アジアは広い。ホームでの彼女を観てみたいものだ。

 全体的には「怒りのリア王」である。背信も憎しみも怒りで表現される。世界は怒りに満ちている。「政権選択か、命の洗濯か」、明るい世の中になって欲しい。

 音楽について触れておく。旧版では「ヘンデル・ラルゴ(オンブラ・マイ・フ)」と「チャイコフスキー・スペインの踊り(白鳥の湖より)」が使われていて実に印象的であった。
 新版ではこれに「ライバッハ・KRST(BAPTISM)」と「中田章作曲・吉丸一昌作詞・早春賦」に加わった。早春賦はともかく、ライバッハは現代曲だろうが何も知らない。付け加わった2曲は知る知らないでなく、印象が薄い。どのような意図があるのだろうか。

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2009年8月21日 (金)

路上観察:利賀フェスティバル2009・道中編(往路1日目-2)

 豊田市美術館は静謐な雰囲気を漂わせた美術館で設計者は谷口吉生。数年前に谷口吉生展が開催された時は同じ県内に居住していたので訪れたことがあります。外観写真を掲載しておきます。
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 美濃市は、名古屋方面から高山や白川郷に向う道筋になります。機会があれば立ち寄っては如何でしょうか。街並みの雰囲気だけ、写真を掲載しておきます。
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路上観察:利賀フェスティバル2009・道中編(往路1日目)

 夏休みは利賀フェスティバル、何回か抜けた年もありましたが随分長いこと続けてきました。昔は1週間連続で演劇を見続けたこともありましたが、最近は2日か3日にしています。今年の計画は利賀2泊、往路2泊、復路1泊。今年も既に横浜を出発しています。

 往路1日目は豊田市美術館、美濃を経由して郡上八幡泊。

 豊田市美術館は「ジュゼッペ・ぺノーネ展」。初めて観る制作者ですが、実に重厚な作品群で感動しました。自然と対峙した作品ですが、単なる自然礼賛にとどまるものでありません。例えばアカシアのとげを大きなキャンバスに貼り付けた作品、無秩序にとげが並ぶようでが、すこし離れてみれば人間の目などが浮かび上がります。人間と自然の接点を意味するのだと思います。

 美濃は「うだつのあがる街並み」見学です。以前に徳島県脇町の街並みを見たことがあり、この地方独特の構造物と思っていましたが、そうではないようです。うだつは防火のための構造物ですが、「うだつが上がる」という言葉も残ります。今井家など十数件の古い建物が残ります。上空に架線が無く美しい街並みでした。

 郡上八幡は小さな町ですが、美しい街並みをとどめています。水の町と言ってよいでしょうか、その代表が宗祇水です。「和歌の西行・連歌の宗祇・俳諧の芭蕉」、宗祇の名前の付いた名水です。町のあちこちに水のみ場がありました。

 それと徹夜踊りで有名な盆踊り、8月13~16日の徹夜踊りはすでに終えていましたが、徹夜踊りは挟んで1ヶ月ほどは、各町内で踊りが繰り広がられるようです。当日も宿泊先の近所で踊りがありました。団体コンテストとのこと、5・6人のグループが揃いの浴衣で踊る姿は美しくもあり、伝統も感じさせます。「七両三分の春駒、春駒」の掛け声の入る春駒は、結構動きが激しい。老いも若きも一つ輪になって踊る一ヶ月間は一年の最大の楽しみなのではないかと思いました。

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2009年8月18日 (火)

路上観察:越後妻有アートトリエンナーレ2009(3)

 土地の人と話をするのも「大地の芸術祭」の楽しみです。大地を感じさせる食事も同様です。話と食事関連の話題をいくつかご紹介します。
 写真はお手数ですがホームページを参照願います。作品番号は合せてあります。

206:酒百宏一:LIFE works+みどりの部屋プロジェクト

 「フロッタージュて知っていますか?」「少しは!」「フロッタージュとは・・・」。受付担当の70才過ぎに見えるおじさんが一生懸命に説明してくれました。大地の芸術祭が開催されなければ、そのようなことを覚えることもなかったでしょう。二階には周辺住民の制作した作品が壁面を埋め尽くしています。「好評を頂いています」と少し誇らしげでした。清々しい思いがしました。

192:古巻和芳+夜間工房:繭の家-養蚕プロジェクト

 少し早めに出向きましたが既に開いていました。お新香をご馳走になりながら受付のおばさんと話しました。2006年からお蚕を飼っている。その時に紡いだ絹糸は艶が失せたので今年になって新しい絹糸を紡いだ。糸を紡げるお年寄りが健在なこと。過去の大雪では電線に雪が届きそうになったので棒で線を持ち上げて雪を落としたが、今大雪になれば雪落しの手がない。今年は雨が多く田んぼが乾かないので刈取り機を田に入れられないかも知れない。などと30分ほど話してきました。「お元気で」と言って辞しました。

207:日比野克彦;明後日新聞社文化事業部

 3年前に比べて朝顔の植え込みは規模が大きくなっていました。ところが今年は雨が多くて花が少ないそうです。都会で生活しているとそういうことに気付きません。

108:富永敏博:かき氷マウンテン

 冬に雪を集めて山状にし、実際のシロップをかけてカキ氷にを作ったそうです。食べたかどうかは確認しませんでした。写真にはにおいも無いからと、実際にカキ氷を作ってご馳走してくれました。暑いさなかに一服の涼を感じました。土日のみのようです。

147:イリア&エミリア・カバコフ:棚田

 第一回の作品ですが、大地の芸術祭を代表する作品の一つと言って過言で無いと思います。「農舞台」内にあるレストランで、土地の野菜(と思われる)を主体にしたランチを頂きながら鑑賞(見る)すると、より「大地の芸術祭」を感じます。

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2009年8月16日 (日)

路上観察:越後妻有アートトリエンナーレ2009(2)

 越後妻有アートトリエンナーレで撮影した写真を整理しました。作品番号順です。作者・作品名は記載してありますが、コメントはこれから追記予定です。
 腕も確かではありませんが、輪をかけて雨模様の天気のため見難いところもあります。

 写真が多いのでホームページに掲載しました。お手数ですがホームページを参照願います。

 追って、過去開催分も整理するつもりです。興味ありましたら、たまに参照してみて下さい。

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2009年8月13日 (木)

路上観察:越後妻有アートトリエンナーレ2009

 越後妻有アートトリエンナーレ、越後妻有地域で展開される国際的なアートトリエンナーレです。2000年に第1回が開催され、2009年が第4回です。

 越後妻有地域とは、現在は十日町市と津南町の2市町からなりますが、2005年以前は十日町市、川西町、津南町、中里村、松代町、松之山町の6市町村で構成されていました。面積は760K㎡、東京23区が621K㎡だそうですから、実に広大な地域です。山々が連なり、谷あいの平地に町が開けています。冬の豪雪、「鈴木牧之著・北越雪譜」に描かれています。まさに「大地の芸術祭」。

 私は過去三回も数日間の日程で出かけていますので多少とも様子がわかるようになりました。作品などの感想は後回しにして行動の概要を整理しておきます。

 交通手段として自動車を利用する場合、旧市町村間を結ぶ道路はともかく、コース選択によっては林道のような狭い道を通過することもあるので安全運転を心がけましょう。事前にあるいは現地に入ったらすぐに「越後妻有アートマップ(100円)」を入手すると作品鑑賞にも便利です。
 電車を利用する場合、現地では作品鑑賞のための巡回バスを運行されているので利用されると良いと思います。

  日程    8月9日~11日(2泊3日)
  交通手段  全行程を自動車で

  第一日目  07:00 横浜発
           (第三京浜、環八、関越自動車道・塩沢石打I.C.)
        12:00 中里エリア・清津峡着
           (中里エリア 12作品)
        17:30 松代芝峠温泉着

  第二日目  09:30 松代芝峠温泉発
           (松代エリア、十日町エリア 17作品)
        18:00 松代芝峠温泉着

  第三日目  09:00 松代芝峠温泉発
           (松代エリア、松之山エリア、津南エリア 22作品)
        16:00 津南エリア・津南スキー場発
           (関越自動車道・塩沢石打I.C.、環八、第三京浜)
        22:00 横浜着

 過去作品も含めて作品番号は256まで、他にイベントなどもあります。新しい作品を主体に鑑賞しようと計画したつもりですが、必ずしも思うようになりませんでした。三日間で鑑賞できた作品も50強ですから全体の二割程度です。作品鑑賞に徹すればもっと多くを鑑賞できると思いますが、大地を楽しむことも大切です。

 一日目は時々強い雨が、二日目は終日雨が降っていました。三日目は多少日が射しましたが後に曇り。天気に恵まれませんでしたが、それも良し。機会があればもう一度出かけます。

 越後妻有の風景を添付しておきます。
 1.津南スキー場の頂上付近、一番低いところに信濃川、向こう見事な河岸段丘
 2.ミオン中里付近、土手の左側に信濃川が流れる
 3.松代城山からみた松代のまち、松代駅・農舞台・花咲ける妻有が見える。
  途中の斜面に多くの作品群
 4.松代芝峠温泉から見た雲海、もっと雄大な雲海が見られることもある
 5.松代芝峠付近・棚田鑑賞ポイントから見た棚田

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2009年8月 6日 (木)

最近の読書から:『秋月記』

最近の読書から:『秋月記』
  葉室麟著、角川書店発行、1700円(税別)

 秋月藩は福岡藩(俗に黒田藩)の支藩。その所在を今で言えば福岡県中央部、東側には筑紫山地が迫り九州の小京都とも形容されることから美しい街並みが想像できる。秋月藩五万石に対して福岡藩五十万石。秋月藩も七代目・八代目あたりになれば、福岡藩としてもいっそ秋月藩を吸収してしまえとの雰囲気も漂よう。時は1800年少し前から1800年代前半にかけてのこと。物語の背景である。

 間余楽斎は弘化二年(1845年)、馬廻役・戸波六兵衛方に呼び出され、上意として幽閉する旨を告げられる。余楽斎は驚いた様子もなく「承った」と短く答える。藩の重職を務め、43歳で隠居してからも藩内に隠然たる力を行使、藩主をないがしろにしての専横の振る舞いがあったとされた。しかし、余楽斎は淡々として安堵の思いであることを口にする。自らの弱さに打ち勝ちたいと思って生きた一生のようなもので、これでその荷を降ろすことができたと。思い出すのは若かった日々のことで、あれから何十年たっただろうか。

 間余楽斎、若いときの名は吉田小四郎、元服して俊勝。子供の頃、小心であった小四郎は弱さを克服するために剣を磨く。学問でも秀才の一人に名を連ね、評判が伝わったか馬廻役二百五十石の間篤との養子縁組の話が持ち上がった。間家では養子を迎えると同時に遠縁の娘・もよと夫婦にさせるつもりだったが、急に江戸遊学に出立する。そこでの仲間うちの話題に、家老・宮崎織部、渡辺帯刀らの悪行。遊学を終えた小四郎は秋月藩を愛する気持ちから本藩である福岡藩に直訴するが・・・。

 

 小藩である秋月藩の悲哀を感じながら、それでも秋月藩のより良い明日を信じ、自らの信念に基づいて行動する小四郎。志を同じくし、やがて離反し、それでも結束して敵に立ちむかう仲間たち。小四郎を支えるもよ、危機を救われたことを契機に惹かれていく稽古館教授・原古処の娘・猷。美しくも強く生きる女性たち。魅力的な人物群が興味深い。

 何箇所かに出る漢詩が物語に余韻を与える。と言いたいが扱いが雑ではないか。漢詩と言いながら読み下し文のみ、読めるか否かは別にして原詩も記述したらどうか。見た目の美しさが漢詩にある。猷が旅立ちに際して小四郎に届ける手紙には七言律詩のみが。七言律詩といいながら読み下し文4句しかない(P259)のは如何なる理由か。そこに叶わぬ恋心がほのかに吐露される。そして小四郎は諸国を巡り歩く猷を思い浮かべ、ふと羨ましさを感じる重要な場面であるのだが。

 歴史は繰り返す。人は自ら思う範囲で最適行動を考えるが、人が多数集まればそこに食い違いが生じる。長い時間で見れば不整合も生じる。武士は戦う集団であるが、江戸末期になればその役割は終えていて商人の時代に移り変わっている。
 これを今の世に当て嵌めようと思う気持ちはさらさら無い。が、自らに当て嵌めるならば、どの人物に当て嵌めたとしても、その人物になりきって行動するだけのことかと思う。悲しいことのようだがそれを乗り越える術はあるだろうか。時に憎まれ役もなくてはならないと言うことか。

 葉室麟は群像を描いて時代を炙り出している。旅心も誘う。権力闘争を描いてなお美しい物語に仕上がっている。一気に読み終えた。

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2009年8月 4日 (火)

路上観察:横浜三渓園ザリガニ釣りのご案内

 しばらく前のことです。主題の催しを知りましたのでご案内します。子供さんと一緒に夏休みの一日を過ごされてはいかがでしょうか。

  月日 : 8月8日(土)、9日(日)、15日(土)、16日(日)
  時刻 : 9:00~18:00
  場所 : 三渓園蓮池
  料金 : 入園料のみ必要

 詳しくは、添付のポスター写真で確認願います。
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 ザリガニ釣りなど知らない子供さんが多いでしょうね。めったに無い機会だと思います。私も覗きに行きましょうかね。

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最近の読書から:『世代を超えて語り継ぎたい戦争文学』

『世代を超えて語り継ぎたい戦争文学』

    澤地久枝・佐高信著、岩波書店、1700円(税別)

 

 

 戦争を知るには努力が要る。それは判るとして、如何なる努力すれば良いだろうか。

 「戦争をまったく知らない戦後世代が多数派になった今、戦争が個々人にとってどんなものであったか、知ってもらいたいと思う。知って判断する習慣の確立ということもある。
・・・
 忘れられて埋没してしまいそうな戦争についての文学者の証言。その作品を読むことから、若い人たちに戦争を直視し考える姿勢が生まれることを望む」と澤地は言う。

 これで本書の狙いは明白である。あとは二人が戦争文学を順に炙り出す。『五味川純平の章』『鶴彬の章』『高杉一郎の章』『原民喜の章』『大岡昇平の章』『幸田文の章』『城山三郎の章』、そして『取り上げたかった作家たちの章』。

 『五味川純平の章』で「人間の条件」に触れる。
 「人間の条件」が訴えようとしたことは、戦争下、良心に従いよりよく生きたいとする人間に、その余地があったか否かということだろう。かって「人間の条件」は大ベストセラーであった。その訴えを社会が受けとめようとした証だろう。

 残念ながら五味川純平は既に忘れられた作家だと言う。今の社会には作者の訴えをうけとめようとする雰囲気がなくなったということだろうか。二人の対談は、作品の背景や作者の思い出にも触れながら戦争下の人間を明かしていく。

 『幸田文の章』で「父・こんなこと」に触れる。
 これは戦争文学とは言い難いと。しかし、戦場での体験などが戦争文学の大きなテーマだけれども、それは戦争の全体ではない。留守宅でどういう生活があったか、それから八月十五日を境にして一応戦争は終わった。けれども、実はそれで終わらなかったのが戦争だ、との理由による。

 最近は後方支援を戦争と切り離して考える風潮があるが恣意的なものだろう。後方支援も戦争の内である。多方面からの戦争の認識が、より客観的な理解に繋がるだろう。

 寡読な私は、この中で五味川純平・大岡昇平しか戦争文学作者として認識しない。その二人でさえ多くを知らない。最近、原民喜が広島で被爆していることを知った。戦争文学に対する私の知識はその程度である。

 既に今年も八月。六日、九日、十五日もすぐである。避けられなかったのか、避けられたようだ。なぜ行動が伴わなかったのか。
 本書は戦争文学への道案内である。道をたどることで、それらのことも鮮明になるかも知れない。末尾に本書で取り上げられた本の一覧がある。7ページに及ぶが、一冊でも多く読んでみよう。

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2009年8月 3日 (月)

東海道五十三次・日本橋から箱根三枚橋へ(2)

 7月27日から31日までの5日間、日本橋から箱根三枚橋まで旧東海道に沿って歩きました。その第二日目・蒲田から保土ヶ谷宿先までが整理できました。
 続きは「HP:東海道五十三次」へ。写真が多いのでお手数かけます。第三日目以降も至急掲載します。

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2009年8月 2日 (日)

東海道五十三次・日本橋から箱根三枚橋へ(1)

 7月27日から31日までの5日間、日本橋から箱根三枚橋まで旧東海道に沿って歩きました。その第一日目がようやく整理できました。
 本文は「HP:東海道五十三次」を参照願います。写真が多いのでお手数かけます。

 

第二日目以降も至急掲載します。

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2009年7月28日 (火)

東海道五十三次・神奈川宿(江戸寄り)

 「東海道五十三次・神奈川宿(江戸寄り)」を書き終えました。
 続きを読んでいただけそうなら「HP:東海道五十三次」へ。写真が多いのでお手数かけます。

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2009年7月25日 (土)

路上観察:東海道五十三次・神奈川宿から保土ヶ谷宿へ(2)

 東海道五十三次・神奈川宿から保土ヶ谷宿への後半を書き終えました。
 続きを読んでいただけそうなら「HP:東海道五十三次」へ。写真が多いのでお手数かけます。

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2009年7月24日 (金)

路上観察:東海道五十三次・神奈川宿から保土ヶ谷宿へ(1)

 東海道五十三次を歩き通そうなどと大それた考えはありません。しかし日本橋から箱根ぐらいは歩きたい。そう思えば、ふつうは日本橋から歩き始めるでしょう。しかし、とりあえず我が家から最も至近な神奈川宿から保土ヶ谷宿までを歩こうと思い立ちました。

 続きを読んでいただけそうなら「HP:東海道五十三次」へ。写真が多いのでお手数かけます。

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2009年7月22日 (水)

最近の読書から:『加藤周一 戦後を語る』

『加藤周一 戦後を語る』
加藤周一著、かもがわ出版、3200円(税別)、2009年6月読了

 

 未刊行1篇を含む10篇の講演集。第一次・第二次世界大戦、冷戦に言及しながら、底流に平和の希求がある。的を絞った話し方から、ゆるぎないリベラルな思想の訴えが伝わる。

 『1941年12月8日、最初に感じたことは、これでおしまいだ。次は、もちろん敗戦だろう。そのころの日本の状況は、まず政党がなかった。まともな労働組合がどこにもありません。新聞は積極的に政府が気にいってくれることを書くように誘導された。
 そのニュースを聞いたとき、突然、見なれていた本郷の風景がいつもと変わって見えた。少し時間が経って考えてみると、そんなに突然というわけでなかった。だんだんに来るという感じでありました。 ---- 「ある晴れた日の出来事」から要約引用』

 この日の朝、新聞号外で真珠湾攻撃と太平洋戦争開戦を知る。変化には予兆がある。緩やかな変化は気付きにくいが、後で振り返れば急に変化したということではないのだろう。加藤の原点ははるか以前にあり、それゆえにこう感じたのだろう。極めて稀な考え方であったことは想像に難くない。

 『1945年8月15日、私の最初の反応は生き延びたというか生きている。次に感じたのは生き残った。同じように生きるはずの友人を殺した戦争とそれを計画し命令した権力を許すわけにはいきません。これが二番目の感情。三番目の感情は、1945年の8月終わりから9月にかけての解放感です。 ---- 「ある晴れた日の出来事」から要約引用』

 この戦争で300万人近くの日本人が死んだ。2000万人ともいわれるアジア、太平洋の人びとを日本軍は殺した。だから戦争責任がどうなるかと言えば、そこに出てきたのが「一億総ざんげ」。それを『実にけしからん言いかた』だと加藤は思う。

 『新憲法ができたのは15年戦争を仕掛けて敗けた直後。日本が侵略戦争をもういっぺんやっては困るので、そうさせないために連合国が九条を作ったということはアジアおよび世界の常識。日本国民というより周辺国にとってもっとも関心が強いものだ。それをいっさい無視して、九条の問題でも靖国神社問題でも歴史教科書問題でも、これは国内問題だとか外国は口を出すなといった極端なことを言う人が最近出てきた。そうではなく、日本の憲法ができた環境ははじめから国際問題。その集中的表現が九条だ。 ---- 「九条と日中韓」から要約引用』

 「九条の会」の呼びかけ人の一人。あちらでグローバル化、こちらで国内問題。物事を都合で歪曲してしまう風潮にいたたまれなかったのではないか。九条のグローバル化された意味がここに表出される。

 大きな足跡を残したリベラルな思想家の原点に触れ、今に繋がる行動の背景を概観できる。読みやすい文書ではあるが一度で理解するには内容が膨大である。繰り返し読んで理解を深めよう。
 一度で良いから、直接、話を聴きたかったとの悔いが残った。合掌。

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2009年7月20日 (月)

最近の読書から:『漢詩』

『漢詩』
松浦利久著、岩波新書・赤768、780円(税別)、2009年6月

 

 本書で言う「漢詩」は中国古典詩形式の作品全体を指し、漢代の詩を特定するわけでない。しかし「第1章 詩人とその詩境」で取り上げるのは、陶淵明・李白・杜甫・白居易。うしろ3名が唐代の詩人であることからわかるように唐詩が重みをなす。

 「第2章 主題とそのイメージ」「第3章 詩型とその個性」「第4章 詩跡(歌枕)の旅」「第5章 「文語自由詩」としての訓読漢詩」。

 第5章は30頁に満たない。しかし、副題「日本の定型詩(和歌・俳句)との相補性」が示すように、日本の定型詩との比較において、異国の文学である漢詩が古くから親しまれてきた理由を掘り起こして興味深い。
 5年ほどを経ての再読。前回はあっさり通り過ぎてしまった第5章、そこに気付いたことが再読の手柄あるいは年の功である。

 日本の「文語定型詩」が日本人の詩情や感性を育てたことは衆知である。それと並行あるいは雁行して訓読漢詩の作品群が「文語自由詩」として日本人の詩情や感性を育ててきたとの指摘である。

 五言絶句や七言律詩を中国古典定型詩と認識して親しんだつもりである。しかし、私を含む多くの方が訓読漢詩で親しんできたことは事実であろう。そのことを「従来はほとんど指摘されてこなかった」と言う点が新鮮である。当たり前過ぎることはなかなか気付かない。

 文語自由詩としての訓読漢詩のポイントを次のように抽出し、例を挙げて説明する。

  1. 「視覚的・観念的」には原詩としての定型性を保ちつつ、
    「聴覚的・音声的」には和文詩歌としての自由律リズムを
    生んでいる。という「二重性」を具えている。
  2. 日本語定型詩における対句表現の乏しさを「訓読漢詩」が
    きわめて有効に補ってきた。
  3. 訓読してリズムの整わない作品は、日本漢詩の名作にはほ
    とんどまったくない。
  4. 最初に覚えた訓読詩句が深く体質化され、別の訓読に強い
    違和感を感じやすい。
  5. 「訓読漢詩」が「文語自由詩」として他では表しえない独
    自のリズム感を相補的に表出している。

 何となく親しんできた漢詩、その理由を指摘されたような思いがする。私の場合はリズム感が大きな位置を占めているような気がする。これまでよりは少し親しみの度合いが増すだろう。言及しなかったが「第4章 詩跡(歌枕)の旅」は旅心を誘われる。

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2009年7月18日 (土)

常識って!? 脳死は人の死か、死へのプロセス

 人の死は、瞳孔散大・固定、呼吸停止、心停止の三徴候で誰もが事実として認識できる。それならば脳死はどのように認識できるか。

 脳死は所定の判定プロセスの結果として認識できる。ただし認識できるのは判定に携わる医師であって、家族等は判定に携わった医師の報告で知ることになる。それが死とは異なる。

 

 脳死の判定プロセスは、(社)日本臓器移植ネットワーク・法的脳死判定マニュアル(以下マニュアル)を参照されたい。私は判らない部分が多い。言葉が判っても内容の判らない部分が多い。その中から脳死に至る推移のみを整理する。

 

 脳死は「第2回目の脳死判定終了時(マニュアル:Ⅶ 脳死の判定時刻)」に確定する。これ以降が法的脳死。逆に言えば、これ以前は臨床的脳死(明確な定義の有無を私は知らない)。

 

 第2回目の脳死判定の開始は「第1回目の脳死判定が終了した時点から6時間以上を経過した時点(マニュアル:Ⅵ 法的脳死判定における観察時間)」。「なお、原因、経過を勘案して、必要な場合は更に観察時間を延長する」との但し書きがある。

 第1回目と第2回目の脳死判定の間隔を6時間以上とすることは判る。しかし、但し書き部分を私は判らない。ここに作為の入り込む余地は無いか。有るとは言わない。無いことをいかに担保できるかであろう。

 

 第1回目の脳死判定の開始は臨床的脳死を受け入れた家族の同意による。
 現行法はドナーカードで臓器提供の意思表示していて、かつ家族の同意のあること。運用に当たっては15歳以上の者の意思表示を有効としている。
 改正臓器移植法A案は、本人の臓器提供の意思表示の無い場合でも、家族の同意があれば脳死判定プロセスを開始できる。本人の臓器提供の意思の有無に関わらない。かつ年齢制限も無い。

 

 脳死判定の開始以前に、医師は臨床的脳死を家族に宣告する。

 

 ここで死に至るプロセスを時間経過に沿って整理しなおす。

   1. 医師による臨床的脳死宣告
   2. 本人の臓器提供の意思表示の確認
      (改正法ではスキップできる)
   3. 家族の法的脳死判定プロセス開始の同意
   4. 第1回法的脳死判定
   5. 第2回法的脳死判定
   6. 死(三徴候死)

 生死の境目をさまよう本人を目の辺りにして家族は脳死判定プロセスに臨まなければならない。1~5は半日程度ではないだろうか。5~6はここで言及しない。

 

 臓器提供は一人の法的脳死が前提となる。しかし死を迎えるかも知れない本人は、臓器提供を前提にしていないかも知れない。そのギャップを埋める努力がなされたであろうか。それは生死の間際にいる本人や家族の倫理観であり、脳死を人の死とすることの医学的な客観性・妥当性であろう。刑法も関与するだろう。ギャップを法律で埋めてしまうことに未成熟な社会を感じてしまう。

 私の脳死に関する認識の整理である。お気づきの点があればご指摘願いたい。

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2009年7月14日 (火)

常識って!? 脳死は人の死か、改正臓器移植法A案成立

 国会議員の何人がドナーカードを持つだろうか。プライバシだから強制されて公表すべきとは思っていなかった。

 衆議院に続いて参議院も改正臓器移植法A案を可決した。「脳死は人の死」と考える国会議員が多数いた。死生観を変えることに一票を投じた国会議員が多数いたという事実。

 現行臓器移植法は1997年10月に施行された。以来、脳死からの臓器提供は81例にとどまるとのこと。この間、「脳死は人の死」との死生観の変化をどれだけ浸透させようとしたか。ほとんどなかったように私は思う。

 報道によれば、「改正臓器移植法A案が過半数の支持を集めたのは、衆院解散・総選挙も絡んで政局の流動化が予想されることから、今国会での改正実現を優先する議員心理が働いたものとみられる」との推測もある。事実とすれば許さることでない。

 これほどあっさりと、私にはそう見えるが、改正臓器移植法A案が可決されるとは思わなかった。これほど毅然たる結論を導けるならば、公人たる国会議員はドナーカードを持つか否か自ら公表して良いのではないか。自らの確固たる死生観のもとに賛否を示したことの証として。

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2009年7月12日 (日)

路上観察:横浜市八聖殿郷土資料館(2009年7月13日)

 横浜三渓園入り口から歩いて20分ほどのところに八聖殿、正確には横浜市八聖殿郷土資料館があります。見学は無料です。当日は講演会が開催されていました。
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 八聖殿は法隆寺夢殿を模した三層楼八角形の建物で、その中に聖徳太子・弘法大師・親鸞・日蓮・釈迦・孔子・ソクラテス・キリストの八聖の彫像が祀られています。過去に何回か出かけていますが最後はいつだったか、定かでありませんが遠い昔のことです。

 ウォーキングの途中に八聖殿に立ち寄りました。八聖殿には八聖が祀られている、そう記憶していてそのことにに違いはありません。今回、とても興味深く感じられたのは郷土資料館の部分です。少し前までは漁港が連なっていた横浜の海岸線の様子が、写真や漁具で蘇ることです。

 かって横浜市街から国道16号を南下し、元町を過ぎ三渓園入り口を過ぎて暫くすると海岸線に出ました。海には海苔ひびが広がっていました。房総半島が手に取るように見えました。私の知る範囲で、横浜の北の方から生麦、子安、本牧、磯子、柴の漁師町がありました。今でも残るところがありますが、なくなってしまったところもあります。東京オリンピックの頃からどんどん変化していきました。

 郷土資料館に展示されている写真や漁具を目の当りにすると、かっての横浜の海岸線が髣髴されます。私の古い写真には、三渓園で海水浴した場面が含まれています。

 今、横浜に自然の海岸線は無い思います。折りしも横浜開港150周年の各種催しが繰り広げられています。港を中心にして発展してきた横浜に自然の海岸線が無い、ブラックジョークのようでもあります。

 発展することが悪いとは思いませんが、犠牲にしたものも大きかった。今になって気が付きます。八聖が生きていたらどんなことを言うでしょうか。聴きたい気がします。

 横浜三渓園に出かる機会があれば、少し足を延ばして八聖殿にも立ち寄ってみませんか。

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2009年7月11日 (土)

音楽:神奈川フィル第255回定期演奏会

  指揮  サッシャ・ゲッツェル
  演奏  神奈川フィルハーモニー管弦楽団

  曲目  モーツァルト:アダージョとフーガ ハ短調
      モーツァルト:モテット「踊れ、喜べ、汝幸いな魂よ」
               独唱:森麻季(ソプラノ)
      マーラー  :交響曲第1番 ニ長調「巨人」

  会場  横浜みなとみらいホール(2階5列12番)
  公演  2009年7月10日19:00~21:00(途中休憩15分)

 

 「アダージョとフーガ」、弦楽合奏です。10分に満たない小品、初めて聴きます。モーツァルトにしては力強いメロディ。神フィルの弦、私は細かいところまで判るわけではありませんが、でも重厚で素敵です。

 「モテット」、弦楽合奏にオルガン、ホルン×2、オーボエ×2です。モーツァルトらしい始まり、初めて聴く曲と思いました。しかし第3楽章の「ハレルヤ」が響いて、聴いたことがある。そう、ディアナ・ダービン主演の「オーケストラの少女」に使われていました。大分以前のTV放映で観ただけですが、それでも記憶に残る歓喜に満ちた「ハレルヤ」。

 第2楽章のオーケストラの音が止んでソプラノ独唱、2000人の客席に響き渡るのは歌手冥利ではないかと想像します。澄んだ声、気になることはありません。私は2階席なので少し遠く聞こえましたが、どの程度の規模のホールが適当なのでしょうか、定員2000人は独唱には大きいように思います。第3楽章の「ハレルヤ」、宗教的倫理観さえ喚起されます。

 「巨人」、ホルン×8が目立ちます。ゆったりと、しかし重厚に始まります。CDでは良く聴きますが、生では初めて。やはり音がみずみずしい。やがて管が重なります。第3楽章、聴いたことのある旋律、日本では「グーチョキパーでなにつくろう」で知られますが、ここでは荘重に響きます。第4楽章、ホルンパートが立ち上がり、高らかに奏でます。

 

 管・打楽器、弦なら低声部が目立ちます。マーラーは、ハイドン、ベートーベンとは随分と異なります。3回目の定期公演ですが、神フィルの異なる一面を聴きました。プロだから何でもこなせるでしょうけど、重厚・荘重な曲もまた素敵でした。

 

 指揮のサッシャ・ゲッツェルは、ウィーン生まれでヴァイオリニストから指揮に転進したそうです。40歳前の若手ですけど、随分と情熱的な指揮振りでした。動きは大きく、時には30Cmほども飛び上がったりして。そこだけ注目しても何も出てきませんが。前半と後半で雰囲気の大きく変わるプログラム、私はマーラーが特に良かった。定期会員は一年を通して同じ席ですが、たまにはオルガン前席で指揮者を正面から見たいと思いました。

 

 休憩時間、常任指揮者の金聖響さん(プライベートだからさん付けします)がおられたので、「ブログには来られないと書いてありましたが」と声をかけました。「でもきちゃいました」だって。様子から後半になって来られたようです。やはり気になるのでしょうね。4月に常任指揮者の座に付いたばかりですが、長くいて欲しいものです。

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2009年7月10日 (金)

美術:ビュッフェ美術館・ポーラ美術館(2009年7月5日)

 「SIZUOKA 春の芸術祭 2009」で「スカパンの悪だくみ」「ふたりの女」観劇後、静岡駅前で一泊。21階東向き角部屋でしたが富士山はいっときも姿を現しませんでした、残念。正面(東側)に静岡舞台芸術センター、右手の日本平北面に静岡舞台芸術公園(日本平北麓、位置は特定できず)が見えて、位置関係を確認しました。良い環境に恵まれていると思います。一泊したのは次の日に美術館巡りしながら横浜に戻ろうと思ったこともあります。
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 まず登呂遺跡に立ち寄りました。リニューアル中で見学は限られていましたが、それは承知の上。バス停近くの復元小屋付近をさっと巡りました。遺跡の際まで民家が迫っていてイメージと異なりました。でも少ない経験から、どこの遺跡も似たようなものです。驚くことはないのでしょう。私の場合、歴史的興味より、そこに人間が住んでいたという情緒的興味のほうが強いかな。

 

 ビュフェ美術館は、フランス人ベルナール・ビュフェ作品のみを収蔵する個人美術館です。場所は東名高速裾野ICあるいは沼津ICの中間、山側です。
 黒い太い線で空間を切り取っていく作風に惹かれていました。特に「マンハッタン(今回展示なし)」「カルメン」「青い闘牛士」などが強く印象に残ります。
 開館は1973年、開館記念展示の「ダンテの神曲にもとづく三枚の連作」を観に出かけました。その後、何回か出かけましたが次第に興味が薄らぎ、足が遠のきました。
 およそ30年ぶりの訪問です。「没後10年 ベルナール・ビュフェ展 ~作家自身によるキュレイションを再現~ (~7月14日(火))」を開催中でした。印象が大きく変わることはありませんでしたが、画家の変遷、自らの変遷を振り返ったような気がしました。

 

 バンジ美術館は、ビュッフェ美術館からさほど遠くない所ににあります。共通入場券が販売されており、以前から名前も認識していたので寄ることにしました。彫刻作品が芝生の庭に点在していることが印象的です。室内展示もあります。ただ、作品に惹かれることはありませんでした。

 

 ポーラ美術館に寄るかMOA美術館に寄るか迷いましたが、結局、ポーラ美術館へ。箱根・仙石原にあるガラスを多用した建屋も美しい美術館です。過去に何回か訪れています。
 「肖像の百年 ルノワール、モディリアーニ、ピカソ (~9月6日(日))」を開催中でした。何枚かの画を確認しましたが、全て館蔵品でした。恐らく展示されている全てが館蔵品だと思います。泰西名画と総称して良いでしょうか。特に何かを強く刺激されることはありませんが、これが絵画だという安心感が伝わってきます。
 後は一路横浜へ。

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2009年7月 8日 (水)

演劇:ふたりの女 ~唐版・葵上~

 演出   宮城聰
 原作   唐十郎
 美術   戸村孝子

 出演   六条、アオイ   たきいみき
       光一        永井健二  ほか

 会場   静岡舞台芸術公園・野外劇場「有度」
 公演   2009年6月20、27日、7月4日
 鑑賞   2009年7月4日 20:00~21:40

 「SIZUOKA 春の芸術祭 2009」のスローガンは「帰りなんいざ古典へ!世界まさに荒れなんとす!」。
 「唐十郎・ふたりの女」は1979年の発表、劇団・第七病棟(緑魔子・石橋蓮司主宰)により初演。事実を認識するもののその場に居合わせていない。この戯曲は ~唐版・葵上~ と明記されているように能・葵上が底本。だから古典、いや30年を経て「ふたりの女」が古典になった。

 

 『伊豆の砂浜に建つ精神病院。アオイとの結婚をひかえた医師光一は、六条という名の患者に突然「あなた」と声をかけられ、アパートの鍵を渡されてしまう。光一がアオイと藤サーキットでレースを観戦していると、そこに化粧品販売をはじめたという六条があらわれ、光一に髪油を渡す。アオイはこの髪油をつけてときから、次第に六条に取り憑かれていくようになる・・・・。(パンフレットより)』

 

 光一を中にして対峙するかに見えるふたりの女、六条とアオイ。アオイはやがて六条に同化して逝ってしまう、なぜだろう。新興宗教まがいの集団にありそうな情景。演劇は現実世界に追い越されたか。なぜだろう。
 容易には判らない。判らないけど思考を停止させてはいけないだろう。

 舞台後方のホリゾントは有度の森。床には長方形の木枠を隙間無く敷き詰めてある。柱を横にして積み上げた三日月状の構造物は左右から高さを増して中央で人の背より高い。中央部から後方に向って枝分かれ、枝は森の闇に繋がる。

 耳を劈くようなロック系音楽で始まる。一気に焦燥感が込み上げる。続いてマーラー・大地の歌、厭世観が広がる。パットブーン・砂に書いたラブレターは「On a day like today / We passed the time away / Writing LoveLetter in the sand・・・」、過ぎにし時間。追い討ちをくわせるように、クラベス(サンバなどで使われる拍子木)、電子音が時を刻む。

 全てが不安定のなか、周囲から切り離されたかのように行動する光一。やがてアオイを自死に追い込み、六条は自らが首を絞める。淡々と演じて永井健二は腺病質な光一を浮かび上がらせた。
 首を絞められてなおしな垂れかかる六条。たきいみきは、六条、アオイの二役を妖しく美しく演じた。存在感を感じさせる。
 全体にシュールでありながら滑稽さを内在していた。それが光一とアオイ、六条の関係をより鮮明にした。

 

 疲れた。しかし見ごたえがあった。
 雨具とクッション必携の野外劇場。数日来の様子から雨を覚悟の観劇だったが幸い雨粒一滴すら落ちず。

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2009年7月 5日 (日)

演劇:スカパンの悪だくみ

 演出   オマール・ポラス
 原作   モリエール
 出演   テアトロ・マランドロ

 会場   静岡芸術劇場
 公演   2009年7月4、5日
 鑑賞   2009年7月4日 14:05~15:50

 二家族が交錯する。父親の旅行中に父親の承諾なしに身分の低い娘と結構した息子。一方母親の旅行中に母親の承諾なしに身分の低い娘と結婚してしまった息子。そればかりでなく借金も抱えてしまった。親が帰ることになって困った息子たちは、召使のスカパンに各々の親が結婚を承諾させるように依頼する。
 ところが、息子たちの結婚した娘たちは双方の家の娘たちであったという結末。

 その間を埋めるスカパンの悪巧み。けちな親から金を騙し取り、結婚を承認させ、この際とばかりに親を痛めつける。が、それもつかの間のことでばれてしまう。

 言語上演で字幕つき。顔の上部を覆うマスク着用のようだ。舞台は居酒屋風、上手にカウンター、下手のジュークボックスから流れる音楽は今風。

 初めて見る戯曲、演出家、俳優たち。初物づくしであるけれどそういうことを強く感じさせない。上質のコメディ、1時間45分の上演時間は短くないが飽きることはない。役者は達者、演出は手馴れている。そればかりでなく親愛感を感じさせる。それが何であるかはっきりしないが、コメディの本質を外さないためだろう。

 古典が現代に繋がる。いつの時代にもスカパンは居る。二日間の上演期間しかないがはもったいない。

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2009年6月28日 (日)

音楽:神奈川フィル第254回定期演奏会

  指揮  金聖響
  演奏  神奈川フィルハーモニー管弦楽団

  曲目  武智由香 :オーケストラのための
            「Eaux Lumières Temps」(世界初演)
      ハイドン :交響曲第100「軍隊」
      ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」より
            前奏曲と愛の死
      ドビッシー:「海」
      ドビッシー:「小組曲」より小舟にて(アンコール)

  会場  横浜みなとみらいホール(2階5列12番)
  公演  2009年6月27日14:00~16:05(途中休憩15分)

 金聖響常任指揮者就任して2回目の定期公演。「横浜開港150周年」、今月は「横浜フランス月間」でもあります。ホールの目の前のパシフィコ横浜では「海のエジプト展」が本日開幕。横浜は賑やかです。

 プログラムは祝祭の雰囲気を漂わせる名曲コンサートの様相。最初と最後は「海」がテーマ。ワグナーは150年前の1859年に完成、横浜開港はそういう時代。ハイドンはペリー提督による日米和親条約、武州久良岐郡横浜村にて1854年を想起します。ちょっと無茶ですか。

 武智由香の新作は横浜開港150周年記念委嘱作品。中央にピアノ、その脇にチェレスタ、後方にマリンバ、ヴィブラフォン、ハープなどを加えた大編成。ヴィブラフォンを弓で擦っての発音を除けば、特異な奏法はなかったと思います。三部からなり15分強の演奏時間、全体を透明感を漂わす音色が支配し、静寂からクレッシェンドしてまた静寂に戻る、そこに清涼さも感じました。
 祝祭の華やかな雰囲気は希薄でしたが、50年後・100年後に向けて歩み続ける横浜の、海との共生による街づくりを暗示するように感じました。「むかし思えばとま屋の煙 ちらりほらりと立てりしところ(開港50周年記念・横浜市歌より)」。150年前に横浜に戻すことはできませんが、週単位ぐらいで変化を見ていると、この勢いで突き進むわけにも行かないだろうと思います。そういうことを感じさせる、新しい祝祭の音楽になったと思います。大編成ゆえ再演の機会は限られそうですが、何回か聴いてみたいものです。

 ハイドン、二管編成でメンバー半減のようにも感じます。ピリオッド奏法から繰り出される親しみやすい旋律は心地よく響きます。ほんとうに楽しい。

 ワーグナー、ドビッシーは、私にはかなり遠くの存在です。
 若い時にはワーグナーの重厚な音楽は聴くこともないと思っていましたが、最近は撤回しています。元気を貰える気がします。「前奏曲と愛の死」はそのような曲ではありませんが。
 ドビッシーの代表作とも言われる「海」、20世紀に入ってから作曲。現代曲、近代曲でしょうか。きらきらしている印象を抱きますが、受け止めるのはなかなか難しい。

 プログラムを通して時間の流れを考えていました。一人が100年を生きるのは難しいにしても、次世代に引継ぎ引継ぎ持続していく人の営みを。

 定期会員になって二回目の演奏会。神フィルは多彩なプログラムをしっかり演奏していると感じました。前回の「時計」に続いて「軍隊」、ハイドンは好きです。来年3月の定期で「ロンドン」が予定されますが期待しています。ワグナーやドビッシーはもっとCDを聴いておかなければ。
 演奏が終わると、金聖響は特に管・パーカッションを立たせて讃えていました。最後にコンマスも。良い関係が出来ていくと良いですね。

 

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2009年6月27日 (土)

白想:鵠沼辺り

 長谷駅に到着した電車は既に満員に近く、ホームで待つ多くの人の半分ほどを残して出発しました。次に到着する電車には乗れそうでしたが鎌倉駅の混雑を想像し、反対側のホームに移動して藤沢経由で帰ることにしました。

 電車が一駅目か二駅目に到着した時、その少女が乗車してきて私から少し離れた入口付近に立ちました。垣間見たその顔は外人かと思わせるつくりで目鼻立ちが涼しげでした。恐らく小学生か中学生か、その位の年頃です。

 既に横顔しか見えません。セミロングの髪の毛をポニーテールに束ね、前髪はピンで乱れないように押さえていました。Tシャツにベルボトムのジーンズで華美なところはありません。強いて変わっている所と言えば銀色のフラットシューズ、ジーンズの裾から見えるストッキングは白。

 視線を外に向けほとんど動きは無く、バレエのポジションをとっているようにも見えました。さわやかな立ち姿。

 立ち姿の美しい人を時々見かけますが、少女は既に身に付けているように感じました。天性のものでしょうか。

 私は、彼女が若きバレーリーナであると確信しました。そしてこれからレッスンに向うところであると。

 鵠沼駅で電車を降りた少女は、踊り終えて舞台袖に戻る踊り子のような軽やかな足取りで改札口に向かいました。いや舞台袖から中央に歩み出すところかも知れません。一陣のさわやかな風が通り抜けていったようでした。

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2009年6月26日 (金)

路上観察:鎌倉天園~葛原岡・大仏ハイキング(2009年6月20日)

 京急金沢文庫駅~金沢自然公園~天園~明月院~葛原岡~裏大仏~江ノ電長谷駅に至る約15Km、歩行時間4時間余りのウォーキングです。通常はJR北鎌倉駅を中間点にして天園コースと葛原岡・大仏コースの2コースに分かれます。いずれも鎌倉を代表するハイキングコースです。

 この日の目標は20Kmを歩くことでした。実は3月に右足第二指の付け根を骨折して、ようやく違和感が薄らいだのでどの程度歩けるかを確認したかったのです。骨折の原因ですって、こちらをご覧下さい。

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2009年6月23日 (火)

音楽:コムラード マンドリン アンサンブル 第37回定期演奏会

  指揮      飯塚幹夫・日高哲英
  演奏      コムラード マンドリン アンサンブル 

  会場      トッパンホール(E列22番)
  公演      2009年6月21日
  鑑賞      2008年6月21日15時~16時05分(後半のみ)

 

 昨年に続いて2回目の定期演奏会に出かけました。しかし、めったに予定などない私ですが、この日は横浜で別の予定が重なり残念ながら後半しか鑑賞できませんでした。後半の立派な演奏に接すると、返す返すも前半を聞き逃したことが悔やまれます。

 

 当日演奏された曲は次のとおりです。(5)以降が後半になります。

   (1) ファリャ・鈴木静一編曲
           :スペイン舞曲第1番~歌劇「果敢な人生」より
   (2) 日高哲英  :グリーンスリーブス変奏曲  
   (3) ファルボ  :組曲「スペイン」
   (4) 鈴木静一  :劇的序奏「細川ガラシャ」

   (5) ギターアンサンブル
     サティ   :君が欲しい(ジュ・トゥ・ブー)
     J.S.バッハ :シチリアーナ
     ルイスポピー:歌と踊り
   (6) 鈴木静一  :「ふるさと」をテーマとする主題と変奏
               マンドリン独奏:小野智明
   (7) 鈴木静一  :幻の国 ~邪馬台~

 

 11人のギターアンサブルによる三曲。プログラムでは「1'st Stage」「Guiter Emsemble Stage」「2'nd Stage」となっていて面白く感じました。縁の下の力持ちが主役になる一瞬なのでしょう。

 サティは歌詞付のシャンソン曲、ピアノ曲で聴く方が多いです。バッハはフルート曲、余りにも有名。ルイスポピは聴いたことがありません。
 ギターアンサブルの音色は暖かな感じですから、例えばシチリアーノの明確な輪郭は後退するような感じがします。しかし、それは曲の話であって、演奏は指揮者無しにも関わらず良くコントロールされていると感じました。

 

 「ふるさと」の旋律は面影程度にありました。曲は主題と変奏ですが、演奏形態は独奏マンドリンとマンドリンアンサンブルのための協奏曲と言って良いと感じました。ちなみに弦楽器のみの編成。
 失礼な表現ですが驚きました。主題と変奏と言えば技巧的な曲が多いように思います。この曲もその部類でしょうけれど、何と見事な演奏。素晴らしい独奏、アンサンブルも良くサポートしていました。アマチュア恐るべし。
 席の関係だと思いますが、コントラバスの音が良く響きました。

 

 「幻の国」は、管楽器・打楽器も加わったフル編成。一回聴いただけでメロディが記憶に残るわけではありませんが、聴いているときは「邪馬台」が浮かび上がってきました。標題付楽曲はそれに誘導される一面もありますが、この曲は自然とそのようなイメージにたどり着く感じです。
 鈴木静一作曲楽曲の全曲演奏を目指すこのアンサンブルのもっとも力の入るところでしょう。演奏は言わずもがな。
 ファゴットはともかく、コントラバスの音は相変わらず良く響きました。

 アンコール、良く聴く曲ですが名前を思い出せません。音楽だけでありませんけど、最近は物事を思い出せないことが多い。

 

 トッパンホールは座席数約400の良いホールだと思います。しかしアンサンブルの編成が50人規模なので少し小さいように思いました。前方上手側の席だったので低声部が強めに聴こえます。次の機会は遅刻しないで後方座席を確保しよう。

 直接・間接の関係者の皆様、巣晴らしい演奏をありがとうございました。改めて、後半しか聴けなかったことを本当に残念に思います。

 

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2009年6月17日 (水)

白想:常識って!?、足利事件、裁判員だったら(2)

 一次資料へのアクセスは重要ですが、なかなか敷居が高い。そこで今は『MCT118型DNA鑑定の証拠能力』を参考に私なりに考えを整理します。

 

 引用中の判旨を整理すれば次のとおりです。

  (1) その科学的原理が理論的正確性を有する
  (2) 具体的な実施の方法も、その技術を習得した者により、
    科学的に信頼される方法で行われている
  (3) その後の科学技術の発展により新たに解明された事項等
    を加味して慎重に検討されるべきである

 

 (1) に関して。『学説には、鑑定の原理や手法の妥当性が、所属する専門分野で一般的に承認されたものでなければならないとする立場もある』ようです。

 私は「公知であること」が、科学的原理が論理的正確性を有することの唯一の根拠と考えます。よって学説にとどまっていることが不思議です。
 その方法が公知であるならば、私に科学的・理論的な背景がわからなかったとしても、その方法を用いた結果を証拠採用して良いと考えます。

 この観点に立てば、足利事件における判断に疑義を覚えます。

 

 (2) に関して。引用中、評釈に『一般論としては、

  (a) 検査者の知識・経験の適格性、
  (b) 鑑定資料の収集や保存の確実性、
  (c) 鑑定機器の動作性能、
  (d) 増幅したDNAを電気泳動にかけて得られるバンドパター
    ンのズレを許容できる範囲の設定、
  (e) バンドパターンからDNAの型を判定するマーカーの正確性、
  (f) 別人のDNAから得たバンドパターンが偶然に一致する頻度
    の認識などが審査されることになろうか。』

とあります。

 これはこのとおりだと考えます。ただし(a)~(c)はDNA型鑑定に留まらない科学的な鑑定に共通する考え方。(d)~(f)はDNA型鑑定に固有な内容で理解するには専門知識が必要です。
 よって、前半は鑑定プロセスの基準があれば、それに照らして判断できる可能性はあります。後半は専門性を必要とするので、にわか判断すら出来ないでしょう。

 鑑定プロセスを含め理論的に正確性を有する科学的原理を用いた場合は証拠価値を認めて良いと考えました。
 鑑定プロセスには、再鑑定・再々鑑定・・・に、異なる組織・集団で行われても、同一方法が再現できる十分な記録が残されるべきでしょう。同一結果が得られなければ証拠能力を欠きます。もちろん、鑑定対象となる試料も必要十分な条件で保管され続けることが不可欠ですし、試料を使い切ってしまうようなことがあってはいけません。

 この観点にたてば、少なくとも再鑑定を否定するような判断に疑義を覚えます。

 

 (3)に関して。(2)の延長線上にある、すなわち再鑑定・再々鑑定・・・に類似すると考えます。DNA型鑑定は、当事より現在の方法が格段の進歩を遂げています。とすれば、現在の方法で再鑑定する必要が生じます。もちろん、足利事件では現在の方法が決め手になったわけでしょうから、不幸中の幸いでありました。しかし、請求がなければ再鑑定が行われなかった可能性が大きい。

 この観点にたてば、新しい科学的原理が出現したら、精度が格段に向上したら、自動的に古い科学的原理を再検証する仕組みがあって良いと考えました。それが(3)を空文にしないために必要だと考えます。

 

 牛歩ですが、少しづつ整理を進めたい。

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2009年6月14日 (日)

美術:東京都現代美術館「+/-」

  会期    2009年4月24日(木)-6月21日(日)
  会場    東京都現代美術館
  開館時間  10時00分-18時00分(入館は閉館の30分前まで)
  入場料金  一般 1000円
  鑑賞日   2009年6月7日
  公式HP  http://www.ryojiikeda.mot-art-museum.jp/

 

 正式な展覧会名は「+/- [the infinite between 0 and 1] Ryoji Ikeda」で良いと思います。
 「Ryouji Ikeda」は池田亮司、電子音楽分野の作曲家/アーティスト。パフォーマンス集団「Dumb Type」のメンバー(過去はそうであった、現在は未確認)。

 作品の主体は大型のオーディオ・ビジュアル・インスタレーション。数学的に処理された無彩色の数字の羅列と電子音。生理的に受け入れるか排斥するか。私は受け入れました。

 ここに展示された数字によるビジュアルは、非常に大型の画面のこともあって、床に座ったり壁に寄りかかったりしての鑑賞になります。何かその空間に包み込まれるような感じがしてゆったりした心持になります。多くのオーディオ・ビジュアル・インスタレーションでは、何か鼻につく、違和感を感じることが多いのです。が、それは感じませんでした。

 それならば判るか判らないか。私は判りませんでした。判らないから作品が悪いと言うつもりはありません。作品を受け入れつつも何か判らないと言うだけです。どうしたらより良い鑑賞ができるか、今後の課題です。

 他に、超指向性スピーカ5台からなる音場。野球のホームベースの各々の角にスピーカーが配置され、4台が相対して、もう一台がそれに直行して配置されています。各々にスピーカら発する正弦波音が干渉し相殺したりして、移動するにつれ聴こえ方が変化します。物理的に理解できますが、その先は。

 

 1997年9月に神戸新開地にて、池田亮司がメンバーの一員である「Dumb Type」のコンサート「OR」を聴いた感想を某所掲示板に次のように書きました(一部)。

 「体育館の様な空間に聴衆は200人強程度と思えました。空間の一方にスクリーンが、その両脇にミキサーやシンセサイザー等のディジタル音響機器が用意されています。スクリーンに心拍を思わせる波形を描くオシロスコープの画面が写し出され、心拍を思わせる音響が流れて演奏が始まりました。何拍目かにハム音(音響機器の調整中などに発生するブーンと言う音)が混ざるようになって、音楽が展開していきます。自分の身体が共鳴するような大音響も混ざって、これが今風の音楽なのかと思ってしまいました。10分程して、これは演奏会なのだと初めて気がつきました。この時まではまだパフォーマンスが展開されると思っていたのです。
 さて、この後の音楽の展開をうまく説明できません。スクリーンにヨーロッパを感じさせる山を正面に見ながら車が疾走する部分なども写しだされるのですが、演奏をどう説明したら良いか判りません。全体的にメロディラインが希薄で、と言ってもあまり否定的な意味で希薄といっているのではないのですが、もっぱらリズムの変化が楽しめました。私にはパーカッションの演奏の様にも思えました。」

 若い人に混じってオールスタンディングのコンサート。「Dumb Type」はパフォーマンス集団と認識していたので、途中まで誤解に気付いていません。めったに接することも無いのですが、10年を経過して進歩していないと感じました。

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2009年6月10日 (水)

路上観察:童謡「赤い靴」

 一月ほど前、静岡県の日本平に立ち寄りました。「赤い靴」に日本平は関係ないだろと思われる方、それまでは私だって関係ないと思っていました。と言うより「赤い靴」は横浜山下公園の「赤い靴」像しか知りませんでした。

 日本平山頂からの景色は多少かすんでいましたが見事。富士山から視線を右下に移してくると清水市街、その向こうに三保の松原、まさにペンキ絵。決して悪口ととらないで下さい。そこまで日常化した日本を代表する風景だと思ったのです。
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 山頂から少し降りたところに「赤い靴」像がありました。像の脇に「赤い靴をはいていた女の子を尋ねて」と題したプレートがあります。それによれば、女の子のモデルは静岡県清水市有渡郡不二見村出身の岩崎かよの娘・きみ。薄幸であった親子を不二見村を見下ろす日本平山頂にて相合わせようと考えた、とありました。
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 横浜山下公園に「赤い靴」像があります。こちらの像は女の子だけ、港に向うようにして置かれています。作詞:野口雨情、作曲」本居長世の童謡「赤い靴」があって、それを具象化した像であると、勝手に考えていました。

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 「一を聴いて、十を知らない」、最近つくづくそう思います。そうかと言って何もかも知り尽くせるわけで無し、大きくは好転しないまま時間は過ぎていくかと。「赤い靴」像からそんなことを思いました。

 蛇足ですが、横浜山下公園には童謡「かもめの水兵さん」の歌碑もあります。昔は、港に物語を生み出す雰囲気が漂っていたのでしょうね。
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 折りしも横浜開港150周年、長かったのか、つかの間のことだったのか。童謡が生まれる雰囲気は無くなったと私は思います。もし横浜を訪れる機会があれば、横浜山下公園の「赤い靴」像、「かもめの水兵さん」歌碑にも足を向けてください。

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2009年6月 7日 (日)

白想:常識って!?、足利事件、裁判員だったら

 「足利事件」で、無期懲役が確定、服役中のSさんが釈放されました。DNA再鑑定で無罪の可能性が高まったと判断されたためとのこと。既に多くの報道等により承知しているでしょう。

 DNA型鑑定結果が証拠能力ありと最高裁で初めて認められた「足利事件」。皮肉にも事件当時より格段に進歩したDNA型鑑定による再鑑定は、当初鑑定結果を覆す結果となりました。再鑑定結果は自白を否定することにもつながり、有罪を導いた2本柱は崩れ去りました。報道等を概観してこのような経緯と認識します。

 さて、もし「足利事件」が裁判員制度発足後に発生していたら、裁判員はこの事件をどう審理するでしょうか。もし裁判員の一員だったらどのような心構えで望むべきでしょうか。

 何冊かの本を読みながら、事実を真摯に追求することが必須。事実の連携に矛盾があれば「疑わしきは被告人の利益に」を実践すること、それが基本だと認識しています。
 「疑わしきは被告人の利益に」の中に、特に検察側の説明が理解できないことを含めて良いでしょう。

 「足利事件」においてはDNA型鑑定という新しい科学の成果が使われました。
 DNA型鑑定の当時の精度は「1000人に1・2人」だったそうですが、これでひとりを特定できると言えるか。それ以前に、鑑定に至るプロセスを含めて使用した試料の扱いはどうだったか。他の鑑定を否定して、自らの鑑定を肯定できる根拠は何か。

 これは感性ではなく、科学やその他の学術知識、それらの応用に類することです。私はDNA型鑑定について何も知らないに等しい。限定された場所でリアルタイムに判断しなければならない事柄としてあまりにも複雑です。時間をかけて多少の知識が増えたとしても、大きく状況が変わることはないでしょう。

 科学が前面にでると一般的には惑わされやすい。DNA型鑑定結果の判断は審理の一部ではあるけれど、科学が示した事実に全体が影響されやすいと想像します。これは裁判員だけに言えることか、多くの職業裁判官にも言えることなのか、どうでしょう。

 判らないことを判らないと言えること。特に裁判員の立場であれば「判らないことも被告の利益に」を常識にしたいと思います。その実行が相当に難しいだろうことも承知していますが。如何でしょうか。

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2009年6月 1日 (月)

読書:最近の読書から(2009年5月)

1.『多読術』
    松岡正剛著、ちくまプリマー新書106、800円(税別)

2.『「戦地」派遣』
    半田滋著、岩波新書・赤1175、780円(税別)

3.『裁判官はなぜ誤るのか』
    秋山賢三著、岩波新書・赤809、700円(税別)

4.『法とは何か・新判』
    渡辺洋三著、岩波新書・赤544、780円(税別)


1.『多読術』

 1300夜まで進んだ(2009.5.29現在)「松岡正剛の千夜千冊」を参照しても、質量ともに私の及ぶ世界ではない。しかし多少でも私の読書をより良くするヒントがあるか。

 「読書は大変な行為だとか崇高な営みだとか思いすぎないこと」、これは自信あり。「読書って二度するほうがいいんです」、最近そう思うようになった。幼児期・青年期の環境はその後に大きな影響を与えるだろうが、私にはいまさらどうしようもない。

 「理解できるかどうかわからなくとも、どんどん読む。読みながらチェンジ・オブ・ペースを発見していく。敵ながらあっぱれだと感じるために本を読んだっていい。むしろそういうことをススメたい」、そういう方向性は多少持っているように思う。

 まね出来ないことが多いけど、既に実行したのが鉛筆によるマーキング。2mm太のシャープペンを2本購入、携行している。心情的に本に書込みしたくはないが、鉛筆によるマーキングが他に比べて手っ取り早いのは確か。

 読書好きは自分なりの方法を持っていると思う。しかし、たまには寄り道して他人のそれを覗き見るのも面白い。私の及ぶところではないと再確認するのみだが、それでも読書をやめようとは思わない。

2.『「戦地」派遣』

 自衛隊の海外活動は1991年の掃海艇ペルシャ湾派遣から始まる。2004年イラク特措法を根拠に戦火くすぶるイラクに陸上自衛隊が派遣された。

 著者は東京新聞勤務、1992年から現防衛省取材を担当。海外活動に至る政治的駆け引きや現地での活動を描き出す。

 例えば、活動地域がサマワに選定された理由を、①フセイン政権に捨て置かれ、支援を受け入れる下地があった、②サマワ総合病院は日本のODAで建てられ、日本との関わりが深かった、③クウェートから近く、補給の心配がなかった、と分析する自衛隊幹部の見解。こうした事情から「人道復興支援活動」がイラク復興のためではなく、米国に対するアピールとして居続けることに目的があったことは明白だろう、と言う。

 現地では迫撃弾・ロケット弾攻撃にさらされた基地、襲撃された陸自車両。陸自撤収後の航空自衛隊の空輸活動は、その後エスカレートしている。

 報道により断片的な情報を認識するが、ここに書かれたことは概ね真実だと判断する。「バクダッド空港と言う非戦闘地域」などという為政者。無理が通れば道理が引っ込む図式を認識しない。いや認識したうえでの発言だろう。読了しての総括である。多くの人に読んで頂きたい。主義主張は脇において、事実確認が始めになければならない。

3.『裁判官はなぜ誤るのか』

 裁判員制度は「国民の視点、感覚が、裁判の内容に反映され、その結果、裁判が身近になり、国民のみなさんの司法に対する理解と信頼が深まることが期待される」ということ。素直に解釈すれば、現状は国民の視点、感覚とかけ離れた判決に至ることもあり、その結果、国民の司法に対する理解と信頼は深まらない場合もあるということか。究極は誤判・冤罪か。

 26歳から50歳までを裁判官、1991年に退官して弁護士を始めた著者が、誤判・冤罪の背景に何があるかを探る。前半で裁判官と市民の距離、選任・要請システム、刑事裁判官の立場と悩みなどに触れる。エリートゆえに世間から遠い世界に住む裁判官の話は興味深い。

 中半以降、徳島ラジオ商殺し、袴田再審請求、長崎(痴漢冤罪)事件に触れる。なぜ冤罪が生まれるか。その背景に納得がいく。職業裁判官や検察官はどう思うのか。対峙する見解があれば知りたい。

 最終章、「裁判で証明されるべき事実とは何か」「疑わしきは被告人の利益に」「市民井開放された司法は実現できるか」「職業裁判官に対する十戒」。

 裁判関係者は、誤判・冤罪を生み出さないために、社会正義の発露を前提にしなければならない。裁くも裁かれるも同じ国民。多くを学んだ。

4.『法とは何か・新判』

 冒頭の一文を読めば、本書を貫くものが何か判る。「法の精神とは、一言で言えば、正義である。それゆえ、法と何かという問いは、正義とは何か、という問いに置きかえられる。・・・だから、法を学ぶ者は、正義を求め、正義を実現する精神を身につけなければならない」。

 構成は、「法とは何か」「法の歴史的変動」「現代日本の法システム」「国家と人権」「法の解釈と裁判」「国際法と国内法のはざまで」と広範だが、法を概観するには最適だ。文書の端々から正義が滲み出ている思いがする。

 本書は1979年出版の「法とは何か」を1998年に改めて「新版」としたものである。それも10年を過ぎた。例えば、「日本は、国民が裁判に参加していない、めずらしい国である」と指摘するも、裁判員制度に言及されているわけでない。著者の裁判員制度に関する見解を聴きたいが、それは適わない。

 裁判員に選ばれる可能性は低くない。あるいは、意に反して容疑者になることだって有り得ないことではない。法の精神は正義、心に留めよう。

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2009年5月31日 (日)

路上観察:横浜・山下公園から新港埠頭へ(2009年5月31日)

 山下公園前海面では「第16回横浜ドラゴンボートレース」が開催されていました。コースは山下公園の大桟橋寄りからスタート、氷川丸手前がゴール。1レースは3艇で。実際に見るのは初めてです。スタートした直後に90度曲がって他艇にぶつかりそうになったりする光景もありました。が、決勝になるとさすが実力伯仲、見事なレースでした。
 なお、6月6日9:00~、7日8:30~も実施されます。プログラムによると、7日にはインターナショナルチャンピオンカップと銘打ったレースもあります。03
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 象の鼻地区はまだオープンしていませんが、桟橋には既に豪華なクルーザーが停泊していました。一番手前はパナマの「PENSHIP 101」、美しいクルーザです。
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 赤レンガ倉庫付近ではサンバチームの演奏していました。何組ものチームがまっていました。何かのフェスティバルでしょうか。
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 新港埠頭ではメキシコ海軍帆船「クワウテモック」が一般公開されていました。国際信号旗を連ねた満船飾、歓迎の意味でしょうね。きれいなデッキでした。インディアンのフィギアヘッドが力強い印象を与えます。
 なお一般公開は6月5日まで、各日10:00~17:00。
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 隣では防衛省ホストシップ「しらゆき」も一般公開されていました。護衛艦を含め軍艦内に入るのは初めて。その目的からして、威圧感を感じます。甲板上の速射砲、対空ミサイルや対潜水艦ミサイル、こういうものが使われないことを祈るばかりです。
 なお一般公開は6月5日まで、各日10:00~17:00、ただし2日は午前中のみ。
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 横浜の港未来地区から山下公園では色々な催しをしていることが多いです。お出かけ下さい。

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2009年5月27日 (水)

白想:鯖姿寿司

 会社から帰ると、京都「いづう」の鯖姿寿司がテーブルにおいてありました。息子が出張帰りに京都駅で途中下車して買ってきたとのこと。土産にしては安くないのですが、他はともかくとして、親の好みを買って帰るのは親の教育の成果でしょうか。

 祇園巽橋近くの店で食事をしたり、土産を買いに何回も行きました。他の店もあるのですが、尼崎居住時代に京都と言えば洛東方面に出かけることが多かったので、必然的に鯖寿司は「いづう」なりました。鯖寿司を時々食べたくなるのですが、何でも良いわけではありません。

 京都で鯖と言えば、若狭から鯖街道を通って運ばれてきたそうです。現在の福井県小浜市から京都市左京区出町柳まで、小浜では「京は遠ても十八里」と言われるそうです。歩きで1泊の行程のようですが、1日九里、36Kmはちょっときついですね。もっと長い距離を歩いたこともありますが過去の実績は何の役にも立ちません。もう一度鍛えなおさなければ実行不可能です。いつの日にか決行したい。

 京都ついでですが、愛宕山にもう一度登りたいと思っています。嵯峨野の北西に位置する愛宕山。「伊勢に七度、熊野に三度、愛宕さんへは月参り」と言われるそうです。京都の人にはおなじみでしょう。頂上の神社に雪囲いがあって驚いたことを思い出します。それと行きそびれている大文字山。京都の町を見下ろしたい。

 夏も近いです。祇園祭りのころなら「はも寿司」。二人でディナーにいけそうな値段ですが、年に一度の贅沢は許されるでしょう。また出張の機会があると良いですね、息子よ。

 

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2009年5月26日 (火)

路上観察:鎌倉十二所神社・天園から円海山へ(2009年5月23日)

 鎌倉十二所神社から天園へ、少し戻るようにして円海山へ向うハイキングコースです。暑い日でしたが緑陰の中を進むのでさわやかな印象を抱きました。

 十二所神社から天園に向う途中までは余り特徴のない道で、一部鎌倉霊園内を通させてもらうことを考えると、瑞泉寺経由のコース選択が賢明かと思います。

 詳しくは「変様する港街から・Web版」を参照願います。「トップ」から「路上観察」に進んでください。当日のルートなどを添付してあります。

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2009年5月24日 (日)

白想:常識って!?・裁判員制度

 2009年5月21日に裁判員制度がスタートしました。付焼刃ですが少し調べたりしています。常識に成り得ていませんが次のようなことを考えています。  

 

 裁判員制度が開始されるにあったての法務大臣談話の一部。『この制度は、国民の皆さんから選ばれた裁判員の方に、裁判官と一緒になって、被告人は有罪なのか、有罪ならどのような刑にするのかを決めていただく制度です。』

 推定無罪の観点から言えば、被告人はなぜ無罪でないか、と言う方が正しいように思います。意図するところは同じかも知れません。しかし、合理的な疑いを入れない程度に証明されない限り無罪なのですから、無罪を起点に物事を考える必要があると思います。

 

 同じく法務大臣談話の一部。『この制度により、皆さんの視点や感覚が裁判に反映され、司法が身近になり、司法に対する理解や信頼が深まることが期待されます。』

 司法が身近になるということは一部肯定できます。私は裁判関係の何冊かの初歩的な書籍を購入しました。今2冊目の読了に近づいています。裁判員制度がきっかけとなっったのは確かです。しかし、裁判に近づきつつあっても、司法全体が身近になったとは思っていません。

 裁判員制度の対象となる事件も司法を身近にするとは言い難いものがあります。職業裁判官の判断の方が適切だと思えます。でも、なぜ裁判員制度が生まれたか、それ以前の問題点をはっきりさせていないように思います。

  裁判員の視点や感覚が裁判に反映されたとしてそれは何を解決するものか、職業裁判官に不足するものがあるとすればそれは何か。特に後者がよく判りません。いずれにしても、疑わしきは容疑者の利益に。それが後退してはいけないでしょう。

 今後、三権分立におけるの司法の役割なども再確認する必要があるように思います。立法府・行政府に対して互角でしょうか。腰が引けていないでしょうか。

 

 法務省HPの一部。『国民が裁判に参加する制度は、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアなど世界の国々で広く行われています。』

 参加するという部分は同じかもしれません。表決方法など、他の部分は異なるようです。参加するとの部分で制度全体が同じとは思えません。誤解を与えなければ良いですけど、与えてしまいそうです。

 

法務省裁判員コーナー
法務大臣談話・裁判員制度スタート!
日弁連裁判員制度

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2009年5月17日 (日)

美術:BankART Studio NYK「原口典之展 社会と物質」

  会期    2009年5月8日(金)-6月14日(日)
  会場    BankART Studio NYK全館(神奈川県警本部横)
  開館時間  11時30分-19時00分
  入場料金  一般 900円
  鑑賞日   2009年5月16日
  公式HP  http://www.bankart1929.com/

 

 エレベータで3階に上がり、第1室で目にするものは「Phantom」。戦闘機後部をアルミ板で造形したもの、恐らく原寸大。下部にぶら下がる棒状のものは空母に着艦する時のフックだろう。機械的な美しさを感じ、同時に頭上に飛来した時の恐怖が沸き起こる。
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 部屋の残り半分に「A-4E Skyhawk」、同じく戦闘機後部だが材質は木(合板?)。用途は同一でも印象が変わる。材質で受ける印象は随分異なる。材質の影響があるとすれば、様々な情報媒体を経由して伝わる戦争のイメージなどは大きくデフォルメされているだろう。そんなことを思った。

 第3室には機械油の匂いが漂よう。「Oil Pool」は床に置かれた巨大な金属製バットに機械油が満たされている。黒く見えるのは既に使い込まれているのだろう。油面はゆらぎもせず鏡面の様に周りの光景を映し出す。思考を停止して見いってしまう。
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 1階ホールには巨大な「Rubber」。何かのタイヤの中古かとも思った。しかし余りにも巨大だ。自分の思考を逸脱した何かには畏怖の念が思い浮かぶ。工業的な手法で作られたものであっても。
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 2階には「Color Relief」「Work on Paper」。そして制作場所である「Studio 201」。多くの電動工具、木片、壁面に張られた図面。

 会場は旧日本郵船倉庫、2008年横浜トリエンナーレのための改修で随分ときれいになってしまった。しかし、様々な資材が入り、保管され、そして出て行った場所である。かって産業現場であった広い空間に負けない作品に対峙すると、まずは叩きのめされるような思いがする。物質文明について考えるのは後からでも良い。まずは体験すること。それが重要だと思った。

 散歩がてらもう一度出かけよう。

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美術:横浜美術館「金氏徹平:溶け出す都市、空白の森」

  会期    2009年3月20日(金)~5月27日(水)
  開館時間  10時-18時、金曜日は20時(入館は閉館の30分前)
  休館日   木曜日(祝日は除く)、木曜日に祝日開館した場合はその翌日
  入場料金  一般 1000円
  鑑賞日   2009年5月16日(4回目)
  公式HP  http://www.yaf.or.jp/yma/jiu/2009/exhibition/kaneuji/

 軒先からツララが垂れ下がり、深い雪に覆われた建物。「White Discharge(建物のように積み上げたもの #4)」からそのような印象が湧き上がります。建物は直線で表現できる工業的な生産物でなく、空に高く尖塔を突き出した城あるいは未来都市か。
 建物を構成するものは身近に見られるプラスティック製の日用品など。雪は石膏。

 金氏(かねうじ)のインスタレーションを初めとする全ての作品から、圧倒的に迫ってくる印象はない。親しみを感じる。あるいは文明批評を感じる。

 エスカレータで二階展示室に上がると、そこはカーペットを取り去った向き出しのコンクリート床。部屋の入り口頭上にはプラスティックの鎖、石膏による雪がかかりツララが下がる。安っっぽい感じのなかに、一瞬、豪華さも感じる。まがいものの豪華さを。

 部屋に入れば、白い油絵の具で描かれた骨格見本のような作品。鉛筆描きのにゅるにゅるした連続の線が四面の壁に繋がる。床にはインスタレーションや素材(作品?)。広々とした感じは好ましくも感じるが、あるいは作品が少ないか。

 他にコーヒーをこぼして出来た染みを元にした作品、ビデオインスタレーション。最後は随分と広がりのある作品だ。自分でもやってみたくなる。横浜美術館での滞在制作作品も含まれる。

 子供さんを連れて行けばとても喜びそうな気がする。夢を与える気がする。まねはすぐ出来るから。

 別に金氏が安っぽいといっているのではない。身近な素材を以って現代が抱える問題を提起していると感じる。作品との距離が遠い現代美術の作品も少なくない中、とにかく現代美術を身近に感じさせていることは特筆して良い。

 金氏はまだ若い、30少し過ぎたところである。前途有望であることは確かだろうが、大掛かりな個人展は始めてのようだ。この展覧会を企画した横浜美術館も賞賛されて良い。
 書きそびれていて残る会期も少なくなってしまったが、一度足を向けては如何でしょうか。

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2009年5月16日 (土)

白想:常識って!?

 常識とは、手元の辞書によれば、ふつの人が共通にもつ知識や理解力。または判断力。
 でも「ふつうの人」ってどんな人、「共通にもつ知識や理解力」ってどんな内容なの、とより疑問は深まります。

 高度情報化や技術進歩など社会状況の変化が作り出す常識のようなもの、常識に至る前の混沌とした状態の理解はなかなか難しい。いま私は、脳死、裁判員制度を意識しています。これらはふつうの人が直面する課題です。しかし、共通に持つ知識や理解力はまだ形成されているとは言い難いと感じています。

 脳死は今、国会で議論再燃です。人の死は、心臓停止・呼吸停止・瞳孔散大の三兆候で認識できます。これが常識です。しかし脳死状態の人は、息をしているし、心臓は脈打っている。ふつうの人には死を実感できにくい。
 1980年代半ばでしたか、議論沸騰した時期があります。私は「立花隆著・脳死」ほか無作為に5・6冊の本を読んでみました。私なりに下した結論は、限定的に認める、今で言えば現状是認でした。現状に近いと思います。

 裁判員制度は制度そのものに疑問を抱きます。しかし、義務を果たす状況に至ったとき、客観的に思考できるかとの思いがあります。「そしてこれより、事実と虚構を識別していくのが諸君の義務であります。一人の人物が死に、そしてもう一人の生命は、諸君の評決にかかっています(十二人の怒れる男・ローズ著・額田やえこ訳)」。このような場面に直面する、その時に私はいかなる常識を持っていれば良いのでしょうか。広義に言えば問題解決能力だと思うのですが。

 一口に常識と言いますが、随分と難しいことが求められつつあるように思います。皆さんはどのように思いますか。

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2009年5月10日 (日)

演劇:酒神・ディオニュソス

 演出   鈴木忠志
 原作   エウリピデス
 美術   戸村孝子

 出演   テーバイの王・ペンテウス  新堀清純
      ペンテウスの母・アガウエ  内藤千恵子
      ペンテウスの祖父・カドモス 蔦森皓祐
      ディオニュソス教の僧侶   竹森陽一、他4
      ディオニュソス教の信女   高野綾、他2

 会場   静岡舞台芸術公園・楕円堂
 公演   2009年4月25、5月2・9日
 鑑賞   2009年5月9日 15:30~

 物語は省略する。興味あればこちらを参照頂きたい。

 酒の神・バッカス、異称をディオニュソス。しかし、タイトル・ロールであるディオニュソスが舞台に現われることはない。現われれば観た範囲に留まる、現われなければいくらでも想像が膨らむ。香り付け、観客の器が試される。

 現われないディオニュソスを具現するのは、その僕である5人の僧侶。前半、ディオニュソスを神と認めようとしないテーバイの王ペンテウスと対峙する。

 ペンテウスと5人の僧侶の言葉の行き来が見所(聴き所)、他では観られない緊張感ある場面が展開された。強いて言えば5人の僧侶のアンサンブルに多少のずれを感じた。個々の身体表現の次に来る何かと思うがうまくは説明できない。中堅層の活躍を期待したい。

 女装したペンテウスは僧侶に案内されて山に分け入り、そこで僧侶に斬り殺される。ペンテウスの周囲を駆け回る僧侶の動き、それまでの抑圧された動きからすれば疾風のごとし。伝統芸能を思わせる。

 後半、アガウエが首をつかんで現われる。僧侶に斬り殺されてこの場面に至るには多少の飛躍が必要だ。が大したことではない。

 アガウエとカドモスの言葉の行き来も見所(聴き所)。狂気の信女から子殺しに気付いて母親に戻る。前半に比べて多少テンションが下がったように思う。流れからして仕方ないか。

 鈴木忠志演出のディオニュソスを今までに何回観たことか。ようやく、いやまだかも知れないが、少しは客観的に観られるようになった気がする。同一演目を繰り返し観られることは幸せだ。音楽にしろ、バレーにしろ、伝統芸能にしろ、当たり前のことが演劇の世界では珍しい。無いとはな言わないが。
 自分の変化に気付く。

 劇場・楕円堂は始めてであった。触れておく。
 多目的に利用できるようだ。エントランスから3階分ほど降りたところが舞台。斜面に半地下構造のようだ。当日の配置は、ゆで卵を二分したその断面で例えれば、黄身と白身半分が舞台、残る白身が客席。舞台後方に5箇所の楽屋口。興味深い構造である。ただしディオニュソスは言葉に重きがある。多少の難を感じた。

 私の座席は最も下手。配置上、役者の半分が真後ろと言わないが、それに近い状態になる。そのためか、声がくぐもって不鮮明な感じだった。座席を変えて体験しないと明確にはならないが。
 ダンスなど、身体表現主体の出し物にうってつけかもしれない。

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2009年5月 9日 (土)

音楽:荒井由実讃

 三十一文字ならぬスローバラードによる晩歌、荒井由実の「ひこうき雲」を聴いての思いです。

 荒井由実のアルバムを揃えようと思っていました。ストックにLP盤の「流線型'80」「紅雀」がありました。が既に松任谷姓。よってその前、1976年までの「ひこうき雲」「MISSLIM」「COBALT HOUR」「THE 14th MOON」が荒井姓によるアルバムになります。過去にカセットテープで何本かを入手しましたが既に存在しません。

 揃えようとの思いは、最新アルバム「松任谷由実・そしてもう一度夢見るだろう」を聴いて確固たるものになりました。CDショップで探したら、4枚のアルバムとその間のシングルを集めた「Yumi Arai 1972-1976」というセットがありました。ばらで揃えるよりは手っ取り早いので直ちに入手。
Yuming

 
 
 
 

 

 「ひこうき雲」の以前の印象はそれほど強いものではありませんでした。「空に憧れて 空をかけて・・」を含む4フレーズは記憶に残るのですが。
 この度アルバムを順に聴いての思いが冒頭の一行になりました。

 当時20歳になっていなかったであろう荒井由実が、この曲を書き上げた理由を詳しく知りません。きっかけはあったのでしょうが、若い命をひこうき雲に置き換える感性。そう言えば風に置き換えた歌が少し前に流行りました。しかし、ひこうき雲のほうが飛躍しているように思います。天性の才能でしょう。

 何か凄い曲だと、四半世紀以上を経てそう思いました。曲が変化しない以上、自分が変化しているのでしょう。死生感というより、死もおぼろげに見えてきました。同窓会名簿などを見てつくづく感じます。ようやく「ひこうき雲」の世界が判ってきた私は随分と晩生だと思いました。あるいは感性が不足している。

 アルバムの最初にバンド伴奏の「ひこうき雲」、最後にが一部分ですがピアノ伴奏の「ひこうき雲」。ピアノ伴奏がシンプルで気に入りました。途中、声を詰まらせたと感じられる部分があります。自身のピアノでしょう、感極まったと私は思うのですが。ピアノ伴奏が収まったCDがあれば入手したいと思いました。

 他の曲も懐かしいし、今なお新鮮な感じがします。

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2009年5月 7日 (木)

音楽:神奈川フィル第253回定期演奏会 後日談

 2009年4月25日・横浜みなとみらいホール・金聖響・神奈川フィルハーモニー管弦楽団によるハイドン:交響曲代101番「時計」とベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」のプログラム。「金聖響常任指揮者就任披露公演」と銘打った演奏会で、プロとはこういうものなのかと感じました。公開練習に出かけられていたら、よりその思いを深くしたかも知れません。

 さて1週間ほど前に神フィルから大型の封筒が送られてきました。開けたら金聖響のサイン色紙が出てきました。アンケートに記入、色紙希望の項目にチェックしたと思います。当選するとも思っていなかったのですが。
Sikyou
 

 

 

 定期にしろ特別にしろオーケストラの演奏会は本当に久しぶりでした。プレトーク(金聖響)あり、終演後に定期会員対象に小パーティがあったり、果ては色紙。これでも一部と思いますが、実に色々なサービスをしていると感じました。

 小パーティの挨拶で理事長だかが、資金繰りが苦しい、とも言っていました。メセナとか、フィランスロピーが、社会情勢の影響を受けてしまうものなのですね。それどころではないと言われればそれまでですが。オーケストラの運営もなかなか大変なことと改めて思いました。過去に大変でなかったことなどないでしょうが。

 東京圏にいくつオーケストラがあるでしょうか、10以上。思い立って地元の神フィルの定期会員になりました。こうなれば足繁く通うことにします、他に応援できることはなさそうなので。がんばれ、神フィル。

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2009年5月 5日 (火)

路上観察:横浜最高峰大丸山から能見堂緑地へ(2009年5月3日)

 横浜最高峰大丸山に足跡を残し、氷取沢市民の森周辺のみどりを楽しみました。
 京急金沢八景駅下車、バスで森の家前まで移動、そこから歩きます。関谷奥見晴台、大丸山、瀬戸の広場などを経由してのんびり半日ほどを自然の中で過ごしました。途中で道を間違え、最後は六国峠ハイキングコースを下って京急金沢文庫駅に出ました。逆コースで鎌倉方面に向う方も少なくありません。

 詳しくは「変様する港街から・Web版」を参照願います。「トップ」から「路上観察」に進んでください。当日のルートなどを添付してあります。

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