2017年8月 8日 (火)

路上観察:逗子市は面白い?

 この季節、逗子市と言えば海に注目が集まりますが、ここでは池子遺跡資料館が面白かった話です。

 資料館の話の前に、池子と言えば、神奈川県逗子市(大半)と横浜市金沢区(一部)にまたがる在日米軍施設の池子住宅地区及び海軍補助施設としての認識が強いです。

 その前は、1938(昭和13)年に設置された大日本帝国海軍の施設でした。いまでも山側を歩くと、往時の痕跡が残っています。
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 資料館は3階建てで、展示室は3階の一角の90平方メートル弱です。池子の発掘品だけですし、陳列ケースに最密充填したような展示ですから、じっくり見学するとそれなりに時間はかかります。
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 資料館は常時公開されているのですが、行った時は私一人だけ、小一時間見学していたのですが、その間に誰もきませんでした。どうも、見学者はあまり来ない様子を感じました。

 資料館の展示品は、縄文期から近代にまで及びますが、近代の発掘品のキャプションが、何とも生々しいです。軍隊が押し寄せる時は、こんなものなのでしょう。決して池子だけではないと思います。
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 ところで、なぜここに資料館ができたのか。米軍施設建設に際して埋蔵文化財が影響することが予想されたので、神奈川県埋蔵文化センターと財団法人かながわ考古学財団が、調査と同時に発掘品保存のために造られたそうです。

 中世遺跡として、鎌倉周辺に見られるやぐらと呼ばれる石窟遺跡が、山裾に多くあったそうです。写真展示がありましたけれど、現物は米軍施設内ですから何とも。
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 ちょっと話は飛びますが、春先に公開されていた名越切通しのまんだら堂やぐら群はここから近いです。
 いずれもA3三つ折りのパンフレットを頂きましたが、基礎的な知識はこれで得られます。逗子市教育委員会の発行で、あり難く思います。
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 鎌倉と鎌倉の外港である六浦を結ぶ街道の一つが、鎌倉・名越切通し・池子・六浦と繋がる浦賀道沿い。もっと内陸部を通るのが、鎌倉・朝比奈切通し・六浦と繋がる金沢道。このように考えて時代の矛盾がないかは、これから少しづつ調べます。

 池子を過ぎて、坂東三十三観音の第二番札所海雲山岩殿寺に行ったのですが、その話は次の機会に。 

  (2017年8月7日記録)

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2017年8月 6日 (日)

路上観察:鎌倉・釈迦堂切通

 鎌倉七口は、朝比奈切通、名越切通、極楽寺坂切通、大仏坂切通、化粧坂切通、亀ヶ谷・巨福呂坂切通です。

 釈迦堂切通(図中央の点線部分)は、鎌倉内の切通ですから七口には含まれません。それに崩落の危険があるからでしょう、通行止めになっています。よって人の口に上ることも少ないように思えます。

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 以前は、規制地点が現在よりもう少し奥だったので、遠目に切通を見たことはあります。引き返す私の横を、強者が規制地点を通り過ぎて行きましたっけ。 

 周辺を歩いていると、釈迦堂切通が通行可能ならばもう少しウォーキングのヴァリエーションが生まれそうだなんて思っています。
 それにこの辺り一帯は、実は結構魅力的な地点なのです。鎌倉時代の三代執権・北条泰時が、父・義時のために建立した釈迦堂があったところと伝わります。それに多くのやぐら群もあるようです。

 通行止めの先に進む気はありませんが、横にそれて行ける所まで行ってみる。北側からアプローチしたことはあるけれど、南側からも試してみる。
 それに衣張山からけもの道があるとかの情報もあるので、いまは草が繁っているので、晩秋以降にアプローチしてみるとか。

 傍からすれば、そんなことを考えて何が楽しいかと思うでしょう。為政者の歴史でなく、それを成し遂げたのは庶民で、庶民の歴史と思ってそれらを垣間見るのは結構面白いです。
 あるいはどれほど強制されたかとか。時代が変わってもさして変わらないなとか。

  (2017年8月6日記録)

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2017年3月27日 (月)

「共謀罪」法案についての多少の思い

 テロ対策のためと言われる「共謀罪」法案の審議が進んでいる。国家テロなる言葉もあるように、テロの定義はあいまいだ、少なくとも私の中で。そこで頼りにしているのは古い雑誌の記事、全文掲載はできないので肝心と思われる部分を引用しておく。多少とも参考になるか。

 「明確な政治発言を促進する会」は、ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックスの2002年10月10日号から続けて3号で、次のような広告を掲載した。

 『懸賞募集…「テロリズム」定義する。条件は、(a)戦法としての特徴を明確にする、ただし(b)米国の軍事戦略・戦術を除くこと。この二つの条件をかなえる定義を最も早く提出した者には賞金1000ドル提供。』

 発起人たちには、米国政府が「対テロ戦争」を開始しながら、政府当局者も国民も「テロ」とは何かについて完全に混乱しているよう見えたからである。

 『明確な定義なしには、どこを攻撃し、攻撃する資格があるのは誰かについて確信が持てないではないか。米軍がこのような戦争を行いうる主体であるためには、上記の(a)および(b)という条件を満たすような「テロ」の定義が可能でなければならない。このような定義を下せる人がいることを期待して、私たちは懸償募集のスポンサーになる決意をしたのである。』

 『ではいったい、テロとは何なのか。
 私たちが驚いたのは、応募者の誰ひとりとして、手始めにオックスフォード英語辞典(OED)その他の古い権威のある出典にあたるという、自明の手段をとらなかったことである。OEDの定義はためになる。

 テロリズム…
 1.フランス箪命当時、一七八九年から一七九四年まで政権党が命令し実施した脅迫による統治。「恐怖」政治(一七九三~九四)。
 2.(一般的に)選択した相手に恐怖を与えることを意図する政策。威嚇という方法を採用すること。恐怖を与えている、あるいは恐怖にさらされているという事実。
 「テロ(テロリズム)」とはもともと、一部の国民を無作為に殺害して国艮を服従させようとして政府が用いた方法を意味した。「恐怖政治」に決定的に重要なことは、法律の崩壊であった。法の支配の下であれば、どのような行動に出れば国家の暴力がふりかかるか、かなり確実に考えることができる。』

 『テロの意味はその後さらに拡大し、国民を相手にした国家の戦争の一戦略だけでなく、国民が国家を相手に行使する戦略、あるいは植民地の住民が宗主国に対して行使する戦路も含むようになった。また、国家間の戦争にも用いることができる。これは敵の士気をくじく戦略であり、犠牲者を選ぶのに際して一切のルールを拒否し、敵のグループの誰一人安全ではいられないようにする。』

 『「いっさいのルールを拒否する」とは、国家が国民に向けてテロを行っている場合は、一般に知られている刑法を無視することで、どのような行為が罰せられるのか、国民にまったく分らないようにすることを意味する。戦時下の軍隊の場合は、非戦闘員の殺戮を禁止した戦争法に従わないことで、誰ひとり攻撃を免れる道はなくなることを意味する。』

 「テロ」の語感に「恐怖政治」の意味合いは希薄だ。「共謀罪」法案に反対する者の意識は、「恐怖政治」に向くのだろう。私もそう感じている。

出典:題名:テロの定義とは?(Concerning a Small Matter of Definition)
   著者:C・ダグラス・スミス
   訳者:加地永都子訳
   書名:世界・2004年2月号 P97-108
   発行:岩波書店

   (2017年3月27日記録)

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2016年6月 9日 (木)

路上観察:生麦の「蛇も蚊も」(2016年6月5日)

 生麦は横浜市鶴見区内の町名、鶴見川河口右岸に位置する町です。

 江戸時代は町(村)内を東海道が貫き、徳川将軍家のために江戸城に海産物を献上した御菜八ヶ浦の一つでもありました。また幕末の文久2(1862年)年、東海道上で発生したイギリス人殺傷事件は、生麦事件として歴史に記録されているので、生麦の地名に聞き覚えのある方もおられるでしょう。

 「蛇も蚊も」は町内の神明宮と道念稲荷社の祭事で、横浜市指定無形民俗文化財指定の伝統行事、毎年6月の第一日曜日に挙行されます。案内などによると確かな記録はないようですが、大筋は次のように伝わるそうです。  300年ほど前に辺り一帯で疫病が流行った際、氏神の「すさのう尊」の力を借り、カヤで作った雌雄一対の大蛇に悪霊を封じ込めて海に流し、疫病退散を祈念したのが始まり。いわば夏越の祓神事でしょう。

 横浜には知る限りで似たような行事、本牧神社の「お馬流し」、富岡八幡宮の「祇園舟」もあります。いずれも漁師町であったことが共通しています。

 私は町外者で詳細は知りませんでした。ただ、大きな流れとして、午前中に雌雄一対の大蛇を作り、午後から担いで辺り一帯を回る程度の情報は持ち合わせていました。昨年は午前中だけ見届け、今年は午後になってでかけました。とにかく二年がかりで大きな流れを把握したので整理しておきます。

 神明宮は旧東海道から数10m内陸側に入った所、道念稲荷社は旧東海道に面しています。なお道念稲荷社の写真は祭り当日の撮影ではありません。
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 神明宮で雌雄一対の大蛇が、カヤを束ねて制作されます。制作は子供の出る幕ではありませんが、周辺で楽しそうにはしゃぎ回っています。古くからの庶民の町だからでしょう、人出は多いです。
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 午後になって辺り一帯を巡行するために宮外に出ていきますが、まずは宮の周りを回ります。
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 17時近くになって戻ってきます。雌雄の大蛇が並んで境内に入る所を脇で見ていたのですが、通り過ぎる時にカヤの匂いが漂ってきて、すがすがしい気持ちになりました。植物、すなわち自然の匂いを久しぶりに嗅いだ思いです。
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 境内に入った大蛇は、何回か雌雄を交わらせて終わりました。夏越の祓と共に子孫繁栄の意味も含まれるのでしょう。
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 本来は海に運んで流すそうですが、現在は環境保護の観点から翌朝に燃やしてしまうそうです。そのためにとぐろを巻かせてその場に置きます。結構固く出来ているようで、なかなかとぐろを巻かせられませんでした。
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 素朴な祭ながら、町中総出で運営しているように見受けました。伝統を絶やさない、そして次の世代に繋げるという心意気でしょう。ただし、カヤを何トンか使うので、この先どうなるのだろうかと入らぬ心配をしてしまいます。興味を持たれたら来年出かけては如何でしょうか。雨天決行だそうです。

  (2016年6月8日記録)

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2015年10月31日 (土)

相州藤沢・白旗神社の湯立神楽(2015年10月28日)

 昨年に続けて白旗神社の湯立神楽を見てきました。毎年10月28日14時から始まり、祭礼と湯立神楽で2時間弱ほどかかります。前日の天気予報では怪しげな空模様とのことでしたが、夏を思わせる絶好の祭り日和でした。なお雨天決行だそうです。

 湯立神楽の流れは昨年の記事にまとめてあるので、興味あれば参考リンクを参照ねがいます。今年は補足的にまとめます。

 湯立神楽には周辺神社の宮司が参加しますが、当然祭主は白旗神社の宮司です。祭主は2番目の初能(はのう)と11番目の剣舞を踊ります。
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 初能は扇子に載せた米を巻きながら踊ります。去年も思いましたが、源流は能の三番叟などと同じなのでしょう。芸能の根源を感じます。

 1番目の打囃子(うちはやし)は笛・太鼓の調子をあわせるために演奏するもので、2番目が最初の踊りです。11番目の剣舞は、12番目の毛止幾(もどき)と同時に踊られるので最後の踊りになります。すなわち祭主は最初と最後の踊りを受け持ちます。途中はちょっとした話題を混ぜながら踊りの解説をしてくれます。昨年も感じたのですが祭主は話がうまい。

 ちょっとした話題の中に気になることがありました。
 本来、神楽は36座(?)あったが今は12座が伝わるのみで、これを絶やさないようにする。祭壇を山と言い、山を飾る紙飾りは紙垂(しで)と呼ぶが、形は伝わるもののその意味合いは判らなくなっている。踊りも形は伝わるものの所作の意味合いは判らなくなっている。本来、一つ一つに意味があったはずだが、ちょっとした中断で判らなくなってしまう。
 要約すればこのようなことだった思いますが、ちょっとした中断とは何だか気になりました。何とは言いませんでしたが、想像するに戦争でしょう。
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 湯立神楽というくらいですからお湯は神聖なものです。
 5番目の湯上(ゆあげ)は湯を汲んで神様に差し上げます。
 7番目の掻湯(かきゆ)は竹の棒で湯釜のなかを激しくかき混ぜて、上がる湯玉を見て占う(?)のでしょう。去年もそうでしたが、今年もほとんど湯玉が上がりませんでした。これは何を意味するのでしょうか。
 9番目の湯座(ゆぐら・または笹の舞) は湯に笹を浸してから大きく振り回します。祭壇に向かって左に2回、右に1回。湯が落ちてくる時は熱くありません。一粒でも当たればご利益があるそうです。私は大分浴びましたから。
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 12番目、最後の毛止幾(もどき)はサーカスで言えばピエロ役。祭壇のお餅を盗んで参詣者に放り投げたり手渡ししたり。鼻をかむ仕草をしてその紙を投げつけたりして笑わせます。
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 なお6番目の中入れでお神酒と赤飯が参詣者に供されると同時に、宮司たちは正装から普段着に変わります。それ以降は神人共楽だそうで、うまく成り立っていると感じました。
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 湯立神楽は鎌倉市上町屋・天満宮(8座)、葉山町真名瀬・熊野神社(8座)、葉山町・森戸大明神(8座)、藤沢市・皇大神宮(12座)、鎌倉市極楽寺・熊野新宮(8座)、鎌倉市坂ノ下・御霊神社(12座)、鎌倉市山崎・北野神社(8座)でも行われているようです。興味があれば調べて下さい。私も他社の様子を見てみたい。

 参考:相州藤沢・白旗神社の湯立神楽(2014年10月28日)
  

  (2015年11月26日記録)

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2015年8月28日 (金)

路上観察:越後妻有アートトリエンナーレ2015

 前日に新潟から移動、越後湯沢駅着16時。直前に予定変更したので宿泊は五日町。十日町まで小一時間。トミオカホワイト美術館、八海山泉ビール蒸留所、八海山ロープウェアーが近いけれど、残念ながらどこも寄れなかった。

 第1日目。今回は新作中心に回るつもりで、今日は松代・松之山・津南町山間部の予定。しかし、思うほど回れなかった。

 「草間彌生」「カバコフ夫妻」は第一回作品で飽きるほど見たが、それでも妻有に来たことを実感させてくれる。
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 「田中望・京につながる越後妻有郷」はどうしても見たかった。妻有の伝承を行灯に仕立てた現代の鳥獣戯画か。
 今年の2月の横浜美術館「潮つ路」。秋田の文化・信仰・伝統芸能・祭などにまつわる伝承をテーマにした作品で埋め尽くした個人展が思い返される。2月時点では山形芸工大の博士課程に在籍していたが。
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 「カバコフ」の新作を見たくて松代の裏山中腹まで上がったけれど、人生を作品にされたところで。
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 戻ると、農舞台で芝居のリハーサルをしていた。
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 蓬平の「古巻和芳+夜間工房」、ここは絹、養蚕をテーマにしているが、今回は裾の長い白無垢の衣装。鶴の模様が美しい。
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 「大巻伸嗣」は暗くて写真が写らなかった。煙を閉じ込めたシャボン玉が浮かび上がる作品。ちょっと押しつけがましい気がしないでもない。かつて、ヨコハマトリエンナーレで無数のシャボン玉を飛ばせた時は夢を感じたけれど。

 「名工大石松研究室・狐の棚田プロジェクト」、上から見下ろした写真だが狐に見えるか。
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 山奥の「日比野克彦・明後日新聞」。2003年から土地と一体になって活動している。初めてではないが来てしまう。本人がいた。
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 「奴奈川キャンパス」は、いろいろ作品があったけれど、印象深い作品に出会わなかった。
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 第2日目、雨。十日町の北の方から津南町にかけて回る予定だったが。

 「もぐらの館」は旧東下組小学校を利用して土に関係する作品。統一テーマは以前から変わらないが、土の温かみを感じられて好き、校庭に展示された「風還元「球体 01」」など。
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 「うぶすなの家」は大変混雑、地元の女性たちが食事を提供してくれるのも人気の一つか。
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 十日町の拠点・キナーレ。何回も来たが第2駐車場に車を止めたのは初めて。結構な人出だ。
 キナーレは四角い建物の中央が池、そこに「蔡國強・蓬莱山」。周囲に藁で作った航空母艦などが吊るされていて、いろいろ考える。前回はボルタンスキーが古着の山を築いていたけれど、池の中央には山が似合うか。
 前庭の穴に一日中入り込んでいるのは「開発好明・モグラTV」。客が入れ代わり立ち代わりモグラに話しかける。現代芸術を身近にする。
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 中里の山中「施海・森の夢」。隣の墓地に新盆だろう、横浜で見ない特別な飾りの墓が二つほど。
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 越後湯沢に向かう途中で「うつすいえ|うつすにわ」、多少内装が変わっていて、自分あてのメールを書く作品。
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 予定の半分も観られなかった。2011年、黄金町のヨコトリ関連企画で遺影撮影、今回撮りなおす予定だったが名ケ山写真館に寄れなかった。「磯部行久・土石流のモニュメント」「JR飯山線アートプロジェクト」「アジア写真映像館」「川俣正・ツマリ・ジオラマ」は予定したが、見られなかった。

 越後湯沢駅で風呂に入り、ビールで涼をとり、18時に車中の人となった。
 第一回から欠かさず出かけた越後妻有アートトリエンナーレも、今回で卒業かな。来年は東北へ向かおう。

   (2015年8月27日記録)

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2015年8月27日 (木)

路上観察:水と土の芸術祭2015

 8月11日11時新潟駅着。南口観光案内センターで、バックパックを今夕の宿泊先へ配送依頼(手ぶらで観光サービス)。基本はレンタカー利用だが、ベースキャンプ会場は駐車場がないため、駅から公共バスと巡回バスで向かう。レンタカーは、ベースキャンプから戻った後から利用。土地勘があれば工夫の余地はあるかも知れないが、新潟初訪問の私には無理。

 8月12日15時新潟発。滞在は約1.5日相当。予定は各会場を巡回するつもりだったが、見残しが多い。行けば何とかなると思っていたので事前調査は殆ど無し。これは失敗。

 

 第1日目。駅周辺の主要道路は幅広く、空中架線がなく、ビルが低くて空が広く、それだけのことだが美しい街だと思う。公共バスで、古町のインフォメーションへ。
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 巡回バスでベースキャンプ・旧二葉中学校へ。まだ新しい感じもする廃校舎に、何か大きな変化が起きていることを実感させられる。こじんまりした手作り感のある作品が多い。立派な仏壇を分解展示する作品、パーツが結構多い。他所で何層倍も大きな仏壇を見かけるが、先祖代々が繋がらなくなることも少なくない昨今、考えさせられる。身軽が良い。
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 万代橋近くの竹で作ったドーム。ぽつんと有るだけで物珍しさはあるけれど、それ以上に発展しない。土日なら、何かイベントがあるのだろうか。
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 レンタカー借用。建屋を見るだけだがリュートピアに立ち寄る。立派で美しく、夜になって灯が入れば一層美しいだろう。「NOISM」のディスプレイが。いつか、ホームの「NOISM」を見に来るぞと思う。
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 鳥屋野潟に向かう。名前は以前より知るものの、市中にこんなに広い潟があることを知る。道が判らず、辿り着けなかった作品が多い。
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 宿泊は弥彦温泉。日本海沿いに夕焼けドライブの予定だったが、天気も悪く、道も判らなかくて直行。新潟市内宿泊でも良かった。

 

 第2日目。厚い信仰の存在が感じられる弥彦神社参拝。神道を否定しないが、歪められた過去が引っかかる。
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 弥彦山を超えて海側へ。山頂は霧、佐渡どころか眼下の海岸すら見えたり見えなかったり。

 海岸沿いのドライブウェイを新潟方面に戻りながら作品鑑賞。と言いながら見落としが多い。気付いても戻る気はしない。横目で見る海水浴場も人が少ない、って湘南と比べても。
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 佐潟はラムサール条約登録の湿地だが見た目は湖。野外観察センターで双眼鏡を覗く。開花中の蓮の前でサギが餌を食む。二つの作品を見るには、潟を半周ほど歩く。人が身に着けたもを作品に仕立て上げることに既視感はあるが、泥にまみれたパンツの林立に先人の苦難を思い起こすのは容易だ。郷土にしがみ付くしかない人がいた。
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 上堰潟は半分は乾いていたが、増水期は水が入るのだろう。地面は柔らかくて弾むようだ。そこにアーチ状の作品、上に乗ればフワフワと弾む。
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 芸術祭は真正面から受け止めるけれど、心構えは、作品に導かれて自然の中を彷徨する感じが正しい接し方のように思う。ホワイト・キューブに納まった作品を鑑賞するわけではないのだから。
 そのためには正味3日が要りそうだ。そうすれば「水と土」の環境を含めて新潟の自然を理解できただろう。それでも「新潟の潟」の意味を少し知った。
 郊外型芸術祭に、便利さを期待する方が悪いようなものだ。それでも遠来の客のために、もう少し丁寧な案内を期待したい。昼食も適当な所が見つからない。週末に出かける方が何かと便利そうだ。次の機会はそうしよう。

    (2015年8月27日記録)

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2015年7月27日 (月)

路上観察:横浜生麦の道念稲荷神社・神明社「蛇も蚊も」

 京浜急行鶴見駅を出ると、JR鶴見駅の反対側の商店街が旧東海道です。横浜方面に向けて道なりに歩きます。国道一号線を横断、JR鶴見線国道駅の高架下を通過すると生麦の魚河岸に入ります。もう少し歩くと、道沿いに道念稲荷神社、さらに先の少し奥まったところに神明社があります。「蛇も蚊も」は、両社の祭事です。
 なお、あまり歩きたくない方は、最寄り駅は京浜急行生麦駅、花月園駅、JR国道駅になります。

 

 「蛇も蚊も」も神事は古くから知っていましたが、見るのは初めてです。今回は神明社に出向きましたが、まず「蛇も蚊も」について、神社に掲げられている案内を次に引用しておきます。なお、本宮が道念稲荷神社、原が神明社になります。

 横浜市指定無形民族文化財 蛇も蚊も
             平成四年十一月一日指定
             行事の日  六月第一日曜日
             保存団体  本宮蛇も蚊も保存会

 蛇も蚊もは、約三〇〇年前に悪疫が流行したとき、萱で作った蛇体に悪霊を封じ込めて海に流したことに始まると伝えられています。この行事は、端午の節句の行事とされ、明治の半ばころから太陽暦の六月六日になり、近年は六月の第一日曜日に行われるようになっています。
 萱で作った長大な蛇体を若者・子供がかついで「蛇も蚊も出たけ、日和の雨け、出たけ、出たけ」と大声に唱えながら町内をかついで回ります。もとは、本宮と原で一体づつ作り、本宮のものが雄蛇、原のものが雌蛇だといって、境界で絡み合いをさせた後、夕刻には海に流していましたが、現在は、両社別々の行事となっています。

                        平成五年三月
                        横浜市教育委員会

 

 蛇を作るのは大人の仕事のようで、子供たちは広場で遊んでいます。それにしても、随分多くの人出です。

 社頭および境内の蛇造りの様子です。およそ20mの長さがあるそうです。
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 蛇につける角や髭、そして老人と子供が菖蒲で作る舌です。
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 出来上がった蛇、そして社を3回廻って街中へ出ていきます。
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 萱場の写真、これは以前に撮影したものです。恐らく足りないでしょうから、どこからか持ってくるのだと思います。
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  (2015年7月26日記録)

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2015年7月22日 (水)

路上観察:八坂神社のお札まき

 八坂神社といっても横浜戸塚、旧東海道沿いにある八坂神社で、戸塚駅から西に向かって徒歩10分ほどの所にあります。この小社で、毎年7月14日にお札まきの神事のあることは、かって旧東海道を歩いた時に立ち寄って知っていました。ただし、実際にその様子を目の当たりにするのは今回が初めてです。

 まずお札まきについて、神社に掲げられている案内を次に引用しておきます。

 横浜市指定無形民俗文化財 お札まき
             平成三年十一月一日指定
             保存団体    お札まき連中
             行われる    毎年七月十四日
             時期及び場所  戸塚区戸塚町四一八九番地
                     八坂神社他町内各所

 お札まきは、七月十四日の八坂神社の夏祭りに行う踊りで、同社の元禄再興とともに始まったと伝えられています。この踊りは、江戸時代中期、
江戸や大阪で盛んに行われていましたが、やがて消滅し、現在は東海道の戸塚宿にだけ伝え残されています。
 男子十数人が姉さんかぶりに襷がけの女装をして裾をからげ、渋うちわを持ち、うち音頭取り一人はボテカズラをかぶります。音頭取りの風流歌に合わせて踊り手が唱和しながら輪になって右回りに踊ります。踊り終わると音頭取りが左手に持った「正一位八坂神社御守護」と刷られた五色の神札を渋うちわで撒き散らします。人々は争ってこれを拾って帰り、家の戸口や神棚に貼ります゜神社境内で踊り終わると、町内各所で踊り、神社に戻ります。
 風流歌の歌詞に「ありがたいお札、さずかったものは、病をよける。コロリも逃げる」という文句があることから、祇園祭と同様な御霊信仰に基づく厄霊除けの行事であることがわかります。
 神札を路上に撒き散らして人々に拾わせる御符配りは、現在では極めて珍しく、民間信仰資料として貴重です。

             横浜市教育委員会

 特に付け加えるほどの情報は持たないので、後は写真を参照願います。白日の下では怖いもの見たさの感がなくもないけれど、笑いのうちに一日のんびり過ごすのでしょう。

 八坂神社正面。反対側の歩道を歩いていれば、普段は気付かないかも知れません。
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 踊りの様子、踊り手の希望者は少なくないそうですが。深層に女装願望があったりして。
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 戸塚消防署の前。2時間ほどを費やして町内を巡回、神社に戻るそうです。
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 歌は風流歌とありますが、猥雑な内容を含んで大らかさがあるように感じました。次の機会に文字起こししようかと思いました。

  (2015年7月22日記録)

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2015年1月14日 (水)

随想:芸術新潮2015年1月号記事中「2014年夏の、そして冬の性器をめぐる2、3の出来事 股間著聞集」メモ

 美術作家や美術館が社会的論争の矢面に立たされることがある。例えば、先に観た千葉市立美術館の「赤瀬川原平の芸術原論 1960年代から現在まで」展では、千円札裁判関係作品・資料が展示されていて理解を増した。

 社会的論争とするのは曖昧で、行政、特定集団、検察・警察と特定しておくのが正確だろう。ここに一般鑑賞者が加わるかは判らない。

 私自身は鑑賞者に過ぎない。しかし、自ら思う作品の良し悪し以前に、美術家の表現の自由は確保されるべきと考える。楽しいだけの現代美術なら不要だ。

 前置きはこれくらいにして主題に進む。記事の著者は、「股間若衆―男の裸は芸術か」などの著作がある木下直之。芸術新潮への賛意の表明の意味で紹介する。

 初めに断わっておく。当該号の特集は「月岡雪鼎の絢爛のエロス」で、見開きの春画が続出する。当該記事に進む以前に不快感を催しそうに思うならば手に取ることは控られたい。拙文と参考リンクまでならそれほどでもないだろう。

 

 私の知る限りで、社会的論争に巻き込まれたのは、古くは富山県立近代美術館事件における(参考1:アートワード)、これは後の沖縄県立美術館では展示回避措置が取られた。

 新しくは昨夏の愛知県立美術館(参考2:The PAGE)である。愛知の場合は、問題になる以前に回避措置が取られた。しかし、回避措置を取らざるを得なかったこと自体が問題とも言える。

 記事は愛知県立美術館問題・他を取り上げている。全8ページで、写真が半分ほどを占める。見出し引用と簡単なメモで概要を。

 「わいせつな電磁的記録の頒布」は、ろくでなし子さんを巡る最近の話題をまとめている。SNSをウオッチしていれば大概はわかっていること。

 「パリの大股開き」は、パリのオルセー美術館で女性芸術家が下半身を顕わにしたパフォーマンスの話題。係員の説得に梃でも動こうとしない様子が記録され、インターネットで世界を駆け巡った。美術館は警察へ通報をしなかった。彼我の隔たりは大きいか。

 「一市民の通報から」は、愛知県立美術館の件は匿名の市民からの警察への通報で、警察が動き出したことを伝える。作品撤去を命じられた関係者は、撤去に応じない腹を固めた。113年前の白馬会展覧会場でおきた黒田清輝の裸体婦人像をめぐる、紫色の巾にて局部に覆いを施したりに倣ったか、作品の一部をシーツで覆い隠した。

 「わいせつ物の陳列」は、美術館が命令を無視したらどうなっただろうかと疑義を呈する。警察は検挙をちらつかせたというが、その場合誰が逮捕されるのか。陳列した作業員、指示した担当学芸員、一番上ならば県知事か。

 「性器とはどこか」は、刑法に「わいせつ」はあっても「性器」なる言葉は存在しないと。日本の法律に「性器」が登場するのは「児童買春、児童ポルノにかかる行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律」などわずか5件である。性転換手術によって新たに生じたものは性器なのか。

 ろくでなし子さんの逮捕は事件だが、愛知県美術館の鷹野隆大さんの作品をめぐるあれこれはすべて口頭で行われ、結果として不問に付された。展覧会終了と共に忘れられてゆくだろう。そこで、百年後に伝えるためにこれを記した。

参考1:http://artscape.jp/artword/index.php/%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E8%BF%91%E4%BB%A3%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8%E4%BA%8B%E4%BB%B6
参考2:http://thepage.jp/detail/20140822-00000011-wordleaf

   (2015年1月14日記録)

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