2020年12月18日 (金)

金沢道を辿る:金沢の古い地形3

 白山道(しらやまみち)は、鎌倉・金沢間を結ぶ最初の古道、武相尾根越えになります。呼称は、かつて釜利谷奥にあった白山寺(はくさんじ、白山堂とも)へ行く道の意味です。最初は鎌倉・釜利谷間、後に称名寺付近間まで延びます。現在、鎌倉・釜利谷間は古道を失ないましたが、釜利谷・称名寺付近間は概ね古道跡を辿れます。

 往時、鎌倉から釜利谷に向かって武相尾根を超えると長い谷戸の最奥、進むに従い谷戸は開け、やがて内海の北端になります。
 現在、谷戸は宅地化していますが、狭い道筋は地形に沿い、うねるように延びて古道の俤が感じられます。横浜市歴史博物館の中世金沢(往時は六浦)のジオラマと現在の写真で雰囲気が伝わるでしょうか。

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 往時、内海が見えだす辺りは、少し時代が下ると金沢八景・小泉夜雨の景勝を称賛された場所です。

 やがて内海の浜辺は海に突き出た白井崎に遮られます。
 現在、京浜急行金沢文庫駅の西側に平行して見える小高い丘が白井崎です。各所を削られて細っていますが。駅前ロータリから建物の間に先端部が、駅のプラットホームから左右に延びる小高い地形が、谷津浅間社の参道途中から丘陵部から延びる岬跡が確認できます。

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 往時、谷津の富士坂切通を抜けると、称名寺の裏山・金沢山から続く君が崎が横たわります。先端を回り込んで称名寺付近に向かいます。
 現在、君が崎の先端は、金沢文庫駅の南東数100m、君が崎交差点脇の小高い丘で確認できます。北側のバス通りを駅から称名寺まで歩くと、削平されていますが起伏で、かつての岬がそれとなく感じられます。

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 地形は大きく変化しましたが、古の俤を見つけ出すのも路上観察の楽しみです。


  (2020年12月18日記録)

#大鎌倉 #金沢 #六浦

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2020年12月10日 (木)

金沢道を辿る:金沢の古い地形2

 古道の話に入る前に、もう少し金沢の古い地形を考察します。

 横浜市歴史博物館に中世金沢(往時は六浦)のジオラマがあります。じっくり眺めると地図とは別の気づきがあります。

 前掲の地図にほぼ相当する部分を掲載します。

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  (2020年12月10日記録)

#大鎌倉 #金沢 #六浦

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2020年12月 6日 (日)

金沢道を辿る:金沢の古い地形

 これから暫くの間、鎌倉市・横浜市金沢区間の古道を考察します。始めるに際して次の2点を知って頂くと話が円滑に伝わると思います。

 金沢区の古称は武蔵国久良岐郡六浦荘、六浦荘には六浦本郷・釜利谷郷・金沢郷・富岡郷の4つの郷があり、本郷は地域の中心を意味します。往時は六浦荘が上位にあり、金沢郷を内包しています。ところが現在は、金沢区の六浦町・六浦東町・六浦南町であり往時とは広狭が逆転します。
 必要に応じて明記しますが、通常は現在の概念を用います。

 金沢区の地形は江戸時代に始まる新田開発、近年の沿岸部埋立で大きく変化します。
 しかし古道を変化させる要因は、朝比奈切通開削、瀬戸橋架橋です。朝比奈切通開削は、武相境の尾根を越える難儀を解消して鎌倉・六浦本郷をより密接に結びます。瀬戸橋架橋は、高々数10m幅とは云え通行を阻む潮の早い瀬戸の通行を容易にして六浦経由で鎌倉・金沢郷をより密接に結びます。より早く、より容易に通行できる道筋への変化と捉えられます。
 海が陸に奥深く入り込んだ近世初頭の地形に、後の変化の様子を重ねて示しておきます。

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 図出典:松田磐余「江戸東京・横浜の地形」 
     (神奈川県立金沢文庫(1993)による「金沢八景図」の主要部分を編集して簡略化)に加筆

   (2020年12月6日記録)

#大鎌倉 #金沢 #六浦

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2020年3月29日 (日)

路上観察案内「武相分水界を超える」

 ホームページに路上観察案内「武相分水界を超える」を掲載しました。旧武蔵国と相模国の国境、それは一部を除いて東京湾と相模湾の分水界(嶺)でもありますが、それを超えて旧相模国に向かいます。
 旧国境付近では横浜方面に視界が開けます。もちろん遠くは富士箱根伊豆まで。途中、様々な時代の歴史に触れながら、パブリック・アートにも鑑賞します。
 興味あればご参照ください。

Yokohama

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2018年8月 4日 (土)

横浜の史跡と名勝『83.小机城趾』

 『東紳奈川駅から汽車で十五分程、横浜線小机駅に下車して右手を見れば、田んぼの中に孤立した老松の生い茂った小高い丘が見える。これが名高い小机城址である。

 文明十(1478)年二月、守るは成田某、攻めるは太田資持入道道灌、数次の激戦があったが名に負う要害の地、道灌が小勢では如何ともする事はできなかった。人馬は疲れる士気は萎縮する。ここにおいて道灌は「小机は先づ手習いの初めにていろはにほへとちりぢりになる」。一首をものし軍兵に歌はせて攻めかかりさすがの小机城も落城してしまった。七重八重と山吹を貫ってしょげた道灌も軍にかけてはかく当意即妙であったと今でも里人は言って居る。

 その後この城に北條の重臣笠原越前守及能登守父子が小田原没落の時迄居たが、その後は荒るる任せ今では老松古木が昔を物語るのみで虫の音が殊更に寂しい。』

    出典;横浜郷土史研究会「横浜の史跡と名勝」 1928(昭和3)年

 

 横浜郷土史研究会「横浜の史跡と名勝」は1928(昭和3)年、90年前に発行されています。その頃の横浜市域は北が鶴見・南綱島、そこから西に向かって小机・永田、南は杉田あたりまでです。その範囲の名所が取り上げられています。

 既に著作権保護期間を過ぎていますので、街歩きに合わせて時々、名所を紹介していきます。多少でも参考になれば。

 現代表記に変えていますが心もとありません。

 写真は南側からの撮影と思いますが、山裾に沿って農家が点在していました。手前は田んぼでした。子供の頃(60年前)の記憶です。横浜線は単線でした。

   (2018年8月4日記録)

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2014年4月21日 (月)

路上観察:花の吉野山(2014年4月15日)

 春盛りの吉野山を散策しました。桜開花状況は中千本から上千本あたりが見頃だと。

 近鉄吉野駅からバスで中千本駐車場へ。そこから徒歩で奥千本・西行庵まで上り、折り返して近鉄吉野駅まで下るコース。一本道で案内もしっかりして

いるので迷うことはありません。進むにつれて歩く人の数は減りますが、それでも前後に人が切れることはありません。

 花見ということで穏やかな山道を想像すると大変な間違い、標高差は上り400m、下り600m、距離で12Kmほどのハイキングになります。参考のため、当日のルートとプロフィールを掲載します。歩行3時間・小休止合計1時間ですが、私は歩き慣れていて早足ですから、平均的な歩行速度では3割増しの歩行4時間が目安と思います。
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 金峰神社を過ぎて少し上ると分岐になります。奥千本・西行庵付近は周回ルートになります。私は反時計回りを選択、右に進みました。
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 すぐにもう一度分岐、案内に従って左へ。
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 狭い急な道を下れば程なく西行庵前に着きます。
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 多くの方が休憩していますが、私も小休止。
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 歩きだすとすぐに苔清水、西行も喉の渇きを癒したことでしょう。
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 少しの間、谷の反対側を上りますが、振り返れば西行庵あたりの桜は少し早いけれど美しい。
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 尾根道に出たら先ほどの分岐まで進みますが、これ以降は下る一方です。
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 以下、ルートなりに名所を案内します。金峰神社の一本桜がに陽が差していていて美しい。
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 高城山展望台周辺はまだちらほらという感じ、遠く二上山が霞んでいました。
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 吉野水分神社の庭の桜も美しい。コの字型の社殿の一辺が腰掛けられるので、多くの人が小休止しながら桜を眺めていました。
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 花矢倉からは視界が利いて、蔵王堂や門前の街並みがすぐ傍に見えますが、桜は時期を過ぎたようでした。
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 賑わう門前町に陀羅尼助丸の店が、蔵王堂はすぐです。
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 ケーブルカーで駅まで下る方法もありますが、歩くほうが早そうなので歩きました。
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 昨年は奥千本でも桜の盛りを過ぎていましたが、今年は時期的には良かったと思います。天気もまずまずで桜を楽しみました。

 

 この10数年で4回訪れましたが、これで吉野は卒業するつもりです。訪れることがあるとすれば、以前から思っている飛鳥・石舞台脇から古道を歩く時だと思います。いずれ報告する機会があるかも知れません。

  (2014年4月19日記録)

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2011年5月23日 (月)

路上観察:第13回津軽路ロマン国際ツーデーマーチ・道中編3(2011年5月16日)

 「第13回津軽路ロマン国際ツーデーマーチ」を終えてから青森市に移動しました。青森市の一部を巡っただけですが、横浜に住む私の目には、ゆったりした街、自然が多く残された街に感じました。

 このシリーズはホームページに掲載します。興味ありましたら参照願います。

 

 なお、このシリーズの既掲載分は以下のとおりです。未読で興味ありましたら、併せて参照願います。

    

    第13回津軽路ロマン国際ツーデーマーチ・第1日
             〃        ・第2日
             〃        ・道中編1
             〃        ・道中編2
             〃        ・道中編3(今回掲載)

  (2011年05月23日記録)

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2011年5月21日 (土)

路上観察:第13回津軽路ロマン国際ツーデーマーチ・道中編2(2011年5月14・15日)

 「第13回津軽路ロマン国際ツーデーマーチ」の両日、完歩してから弘前市内を散策しました。第二次世界大戦の空襲を受けていないので木造の西洋建築も残り、城下町でありながら新しいものを取り込んだ人々の気風が知れました。機会があれば再訪したいと思います。

 このシリーズは、本文をホームページに掲載します。興味ありましたら参照願います。

  (2011年05月21日記録)

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2011年5月19日 (木)

路上観察:第13回津軽路ロマン国際ツーデーマーチ・道中編1(2011年5月13日)

 「第13回津軽路ロマン国際ツーデーマーチ」へは前日移動。津軽半島を一周して弘前に入りました。一度は訪れてみたかった津軽半島、龍飛岬も斜陽館も寄れました。念願がかなうと、今度はゆっくりと訪れたいと思うようになりました。出来れば真冬の地吹雪ツアーなぞに。

 このシリーズはホームページに掲載します。興味ありましたら参照願います。

  (2011年05月19日記録)

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2011年5月18日 (水)

路上観察:第13回津軽路ロマン国際ツーデーマーチ・第2日(2011年5月15日)

 青森県弘前市の追手門広場を主会場に開催される「第13回津軽路ロマン国際ツーデーマーチ」、第2日は20Kmのりんご娘コースにエントリー。岩木山の標高400m附近にある岩木青少年スポーツセンターをスタートにする片道コースで、まずは追手門広場からバス移動します。

 地図添付の関係で、本文はホームページに掲載してあります。興味がありましたら参照願います。

  (2011年05月18日記録)

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