2016年10月 3日 (月)

横浜美術館・2016年度第2期コレクション展(収蔵品展)

 10月1日から、新たな企画展「BODY/PLAY/POLITICS」と展示替えした「コレクション展」が始まりました。早速、2日に行ってきました。ただし、企画展は後回しにしてコレクション展に直行。

 最近は、コレクション展の見せ方がとても工夫されているように感じられて、毎回、楽しく見ています。単に好きなだけで専門性など皆無ですが、「コレクション展」の充実は美術館の実力などと、生意気なことを思ったりもします。

 ただ、すぐにどうにかなる物でもありませんが、展示場の狭いことが難点。もっとゆったり見られたら、感じられることが増えるように思います。音楽による描写ですが「ムソルグスキー・ラベル:展覧会の絵」のように、プロムナード・作品・プロムナードを繰り返すような美術館、まあ高望みはやめましょう。

 今回のコレクション展には4つテーマがあって、その一つが「描かれた横浜」。そのものずばり、横浜の一角が描かれた作品を展示しています。今回は、そこだけに対象を絞りました。描かれた地点を一覧にした地図も配布されていて興味深いです。

 私も街歩きを続けていますが、展示された作品の多くの写生地に足を運んでいることも判りました。最近、特定の作品はそれ以上に、どこからどちらに向いて描かれたかなども興味をもって調べ始めています。少しづつ過去の、と言っても古くてたかだか160年ほど前の事なのですが、判ってくるのは、いや判らなくても面白いです。今回の「コレクション展」は大いに刺激になりました。これから何回か出かけるつもりです。

 一二の作品について。良く展示されているから何回も目にしている「伝ハイネ・ペルリ提督横浜上陸の図」。沖に浮かぶ黒船に動力船と帆船があるとか、すべてが舷側を見せて停泊しているのは万一の場合にすぐ大砲を放てる位置取りになっているとかが感じられて興味深いです。絵の中に歴史が閉じ込められています。
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 「兵藤和男・本牧風景」の写生地はどこか、以前から調べていました。本の中の小さな図版しか見ていないので、多くは判りませんでした。でも今回初めて実物を目の当たりにして、ひょっとしてここではないかと閃きました。画面の中の傾斜具合や、兵藤が好んだ写生地から、前述の地図で示された位置よりはもう少し内陸部に入り込んでいるのではないかと感じました。個人的な仮定で、これからぼちぼち検証しますが、どうなることか。
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 「コレクション展」ですから、収蔵品以外の展示はありません。でも描かれた横浜はもっと多くあります。例えば、横浜駅北東口を地上に出たところは、あまりにも有名な「松本竣介・Y市の橋」の写生地です。横浜駅西口から5分ほど歩いたところが「島田章三・横浜落日」の写生地です。多くのひとが行き交う場所ですが、そんなことに気付く人は少ないでしょう。気付いた横浜を紹介していくつもりです。   (2016年10月3日記録)

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2016年9月16日 (金)

雑感:文楽9月公演「一谷嫩軍記・三段目」を見て

 昨日(2016年9月15日)の文楽、「一谷嫩軍記・三段目」の脇ヶ浜宝引の段は、「行く空の、月もさやけき夜の道、御影の里を立ち出でて、四方の景色もすみのぼる、高根に響く、布引の、滝の白糸湊川、流れもとう(りっしん偏に刀)利天上寺、麻耶のお山を右手に見て、気も磯伝い須磨の浦、一谷にぞ、着きにける」と始まります。

 年に数回しか見ない初心者に語りを理解するのは困難です。でも引用した部分は固有名詞が多いし、他にも、鉄拐山、鵯越などの地名が出てきます。

 一昔以上前の事ですが、六甲山系を良く歩いたので各々の場所は判ります。その頃、源平古戦場とは知るものの、物語りの大筋までは知りませんでした。今なら各々の場所をもう少し味わえたでしょう。土地の記憶、史実と物語を混ぜ合わせて、かけがえのない財産と気付くには時間がかかりまそた。そして、知れば知るほどに楽しめることが大きくなります。物事はスパイラル状にしか理解が進まないのでしょうか。一点集中もありそうですが、私は気が多いので今のまま進みます。

 ところで文楽、3月に引退した人形遣いの吉田文雀は先日亡くなり、豊竹嶋大夫が昨年末に引退、昨年春に竹本住大夫が引退と、人間国宝が減って随分と寂しくなりました。桐竹勘十郎が3代目を襲名したのは一昔以上前ですが、年の近い吉田玉男が二代目を襲名したのは昨春、襲名披露は「一谷嫩軍記・熊谷陣屋の段」でした。理不尽な所のある物語ですけれど、涙を滲ませながらもあまりの格好良さに、見えない筈の人形遣い、二代目玉男に惚れました。新旧交代期なのでしょう。

 今回の熊谷次郎直実は桐竹勘十郎が遣いましたが、これまた格好良い。二人はこれからの文楽人形遣いの中心になって切磋琢磨していくことでしょう。太夫で特に口跡鮮やかと感じたのは豊竹呂勢太夫、調べると芸歴40年近いですけれど、まだ新なのでしょう。三味線は以前から鶴澤燕三が好きです。芸が判る訳でもないので、雰囲気などに影響されている所は多分にあります。伝統芸能は厳しい世界で簡単に発展などできないでしょう。少なくとも現在よりは後退しないように、行政・文化団体・メセナなどが支援をして欲しいものです。私も今より出かけるようにします。

 昨日は、国立劇場50周年を祝う「寿式三番叟」が、三段目に先立って上演されました。

 写真は古いものですけれど、三段目に出てくる場所のいくつかです。最初は須磨浦公園から尾根道に上る途中で東を向いて海岸線、御影はどの辺りでしょうか。2番目は尾根道から一の谷への分岐、下ったことは無いのですが須磨寺に行くでしょう。3番目は鉄拐山、4・5番目は鵯越駅と周辺の案内図、6番目は麻耶山頂のとう利天上寺です。来年4月は、国立文楽劇場に出かけると思いますが、その後で、久しぶりに六甲山を歩いてみようかなどと思いました。
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   (2016年9月16日記録)

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2016年9月14日 (水)

神奈川芸術劇場:塩田千春『鍵のかかった部屋』

 神奈川芸術劇場・中スタジオで、本日初日(2016年9月14日~10月10日)を迎えた「塩田千春『鍵のかかった部屋』」に早速行ってきました。

 副題は「第56回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館 帰国記念展」。中スタジオ(251m2 16.5m×15.2m)は演劇やダンス公演に利用される部屋ですが、その全てを使った圧倒的なインスタレーションです。

 素材は五つの古い木製ドア―、大量の赤い糸、大量の鍵。糸は糸と言うより立体的に不規則に編み上げられていくつかの空間を生み出し、その空間を仕切るようにドアーが設けられています。少し離れて吊るされた大量の鍵。

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 かつて見た、大量の木製ドア―をバベルの塔のように積み上げた21世紀美術館の、古い医療用ベッドを急流のように連ねた発電所美術館のインスタレーションとは異質です。

 おそらく黒い糸を編み上げて古い家の生活の記憶を閉じ込めた、越後妻有の「家の記憶」の流れにあります。ただし「家の記憶」が生活の記憶を閉じ込めたのに対して、今回は何を閉じ込めようとしたでしょうか。いや閉じ込めようとの意図はないでしょう。未知のパフォーマンスを探求するアーティストたちが次々に開ける、あるいは開かないドアを暗示するのでしょうか。アーティストに限る必要もありませんが。

 写真で見る限り、ヴェネチアでは二艘の船(ボート?)を使っています。糸を編み上げた空間はあったのでしょうか。船が何かを目指すものの例えならば、編み上げた空間とドアーはそれに匹敵する気もします。余りこだわらない方が良いでしょうか。

 今日は塩田のアーティストトークがあったのですが承知せず、終えたころに到着しました。私はアーティストトークを余り好みませんが、塩田は一度聞きたいと思っています。暫く前、東京都庭園美術館のそれに出かけたのですが、一時間前に到着したのに満員で聴くことができませんでした。大いに考えるヒントにはなるでしょうけれど、それも絶対ではないからまあ良いでしょう。次の機会を待ちます。

 もう一・二度出かけたいと思います。

   (2016年9月14日記録)

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2016年7月17日 (日)

舞踊:Noism「ラ・バヤデール 幻の国」

1_2   演出  金森穣
  脚本  平田オリザ
  空間  田根剛
  衣裳  宮前義之
  振付  Noism1
  音楽  L.ミンクス《ラ・バヤデール》、笠松泰洋

  舞踊家 Noism1 & Noism2
  俳優  奥野晃士、貴島豪、たきいみき(SPAC)

  会場  KAAT神奈川芸術劇場〈ホール〉
  公演  2016年7月1日(金)~3日(日)
  鑑賞  2016年7月2日(土) 17:00~19:00(休憩15分)

 「ラ・バヤデール」は、「箱入り娘」「カルメン」に続く劇的舞踊第3作。Noismはちょっと演劇づいているようだ。
 その理由を考えた所で大した思いが浮かぶ訳でもない。それでも、Noism自体の方向性か、客が求めるのか、それともレジデンシャル・カンパニーの宿命として大きなものの意向が忖度されているのか、恐らく入り混じっているだろうと想像する。もちろん客に愛されてのカンパニーだから、存続を前提に方向性を調整せざるを得ない面は多々あるだろう。しかし「J.S.バッハ《無伴奏バイオリンのためのパルティータ》」における絶対的な身体表現などを見たら、そこから遠ざかっているようで年老いた一ファンとして一抹の寂しさもある。それは置いて。

 「ラ・バヤデール」ではSPACの俳優三人が客演。「箱入り娘」では客演なし、「カルメン」ではSPAC(静岡芸術劇場)の俳優一人が客演。客演の数に比例する訳でもないだろうけれど、劇的な要素は「ラ・バヤデール」が一番強く感じた。もちろん脚本も演出も空間構成なども相まってのことだが。そして・・・。

 『物語は一人の老人“ムラカミ”の回想から始まる。曖昧な記憶を辿るように、かつてここにあった幻の国マランシュが蘇る』。これでおよそは判るだろう。ミンクスの音楽に近代の史実が重ねられていることが。そして車椅子、舞台面に描かれた大きな四角の領域とそこから延びる花道を思わせる帯状のパターンは、利賀の野外劇場を思わせる。名前は載っていないが、鈴木忠志の存在を思わずにはいられない。SPACも鈴木忠志の創立だ。

 劇的舞踊としては「カルメン・再演」も興奮したけれど、今回の「ラ・バヤデール」が一番興味深かい。劇的な要素が全体を支配しているとはいえ、美しい場面も多かった。
 特に後半、舞台奥のホリゾントに設けられた小さな出入り口から連なって出てくるダンサー、少しづつ変化しながら繰り返される長めのコール・ド・バレー。この場面はとても美しく、そして言葉なしの身体表現の饒舌さに心打たれた。恐らく10数回は見ているだろうNoism公演の中で、そして全てが記憶に残る訳でもないけれど、恐らく最も美しい場面だと思っている。メンバー一人一人を知る訳ではないけれど、カンパニーとしての実力を強く感じさせられた場面でもあった。演出・金森穣が殊更印象付けられた。

 どちらかと言えば井関佐和子、中川賢、遡れば「カルメン・初演」の真下恵とか、個人の印象が強く残るのは当たり前だ。今回も、コール・ド・バレーの後に続く井関・中川のデュエットが、儚さを漂わして深い印象を残した。

 そして、SPACの俳優が一気に幻の国に転じてしまった。脚本の平田オリザの鮮やかさ、今の世の中への警告でもあろう。

 私はなお、物語性の無いコンテンポラリーダンスを切望するけれど、それはそれこれはこれで、特に後半は見事な出来栄えだと思った。総合力で到達した至福の2時間と総括しておく。

   (2016年7月17日記録)

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2016年7月 5日 (火)

演劇:「日輪の翼」

  原作    中上健次
  脚本    山崎なし
  演出・美術 やなぎみわ
  音楽監督  巻上公一

  出演    オバ(老女) 重森三果、SYNDI ONDA、ななな、檜山ゆうこ、南谷朝子
        若衆     石蹴鐘、上川路啓志、辻本佳、西山宏幸、村岡哲至
        若い女    サカトモコ、藤井咲有里、MECAV
        楽隊     Saro、嶋村泰

  会場    横浜赤レンガ倉庫イベント広場
  公演    2016年6月24日(金)~26日(日)
  鑑賞    2016年6月24日(金) 18:30~21:00(休憩10分)
  参考    公式HP http://www.kaat.jp/d/yanagi_nichirin

 ヨコハマトリエンナーレ2014、新港ピアー会場の建屋内にステージ・トレーラー、通称デコトラが翼を広げるように展示されていた。「やなぎみわステージ・トレーラー・プロジェクト」の中心となる大道具。多くの耳目を集めていたが所詮は工業製品、派手な装飾を施されようと、東北画によるトレーラ下部を彩るスカートが張り巡らされようと、プロジェクト途中の未完成品と捉えていた。

 まだ明るい特設会場、観客席に後部を見せてデコトラが停まっている。その左右にスピーカーを積んだ軽トラック、さらに左側にクレーン車。それらを囲むようにしてベルトパーテーションが張られている。会場後方の一般道に自動車が行き交い、ホリゾントは横浜の街。野外劇場の演劇を何度も見てきたけれど、これほど一般空間と劇場空間の境界の稀薄な設営は皆無だった。
 これは「路地」の暗示だろうか。多くの人を苦しめてきた、未だに苦しめているだろう「路地」に物理的な境界などある訳でないとでも言うように。

 野外公演に雨は付き物、ましてや梅雨時。ポンチョ、オーバーズボン持参、要はハイキング支度だ。それまでして見たいかと問われれば、見たいと答えざるを得ない。万に一つのかけがえのない何かを見つけ出す可能性がある。何よりヨコハマトリエンナーレ2014の完結を見届けなければならないのだから。

 過去2作、やなぎみわ演出の演劇を見て、時代背景を理解していなかったので難解と感じた。今回は中上健二「日輪の翼」だけは通読した。他の作品までは手が出なかったが。

 

 雨が降る中で始まる。熊野の「路地」から立ち退きを迫られたオバたち(老女、原作で7人、ここでは5人)が、同じく「路地」出身の若者・ツヨシたちが運転するトレーラーの荷台に乗って旅をする。物見遊山ではない。オバたちが生きるための拠り所とした場所であったり、今となっては浄化された思いしか残らないであろう過去の苦界であったりする。ご詠歌を供え、迷惑がられる清掃奉仕をして、一時の至福を得る。若者たちは女性漁りに余念がない。奇妙な一行は、伊勢、尾張一の宮、諏訪、瀬田、恐山、東京へと移動する。途中、オバは死んだり、蒸発したりもする。

 舞台化困難とも思える原作にリアリティを与える中心がデコトラ、翼を開いたり閉じたり。ダンスのステージになったり、音楽ステージになったり。何よりオバたちの生活空間だ。
 猥雑な各所を表すのが、クレーン車でロープなどを釣り上げて行うアクロバチックな芸(演技)だったり、ポールダンス、多用な音楽・ダンスであったりする。

 俳優(芸人・音楽家)たちは芸達者、それなくしてこの演劇は成立しないだろう。そして最後にゆるゆるとデコトラは走って視界から消えていく。夜の帳が落ちた横浜の街、おもしろうてやがて悲しき現実か。

 

 ヨコハマトリエンナーレ2014におけるデコトラ展示を評価などしなかったが、ここでデコトラが息づいた感じだ。存在感を確認し、現代美術というか現代演劇というかの完結を見た。

 原作の土着性は薄れ、その分エンターテイメント性が増している。表現上の制約も大いにあっただろう。中上健二「日輪の翼」と言うより、やなぎみわ「日輪の翼」に生まれ変わった。それで何が悪い。

 雨は本降りになりそうな感じもしたが、前半半ばに上がった。熊野は多雨、雨でも良かったかなと思うのは強がりだったかも知れない。

   (2016年7月5日記録)

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2016年6月13日 (月)

能楽:伝説の能面・狂言面 第1回

  番組 能「翁」 (観世流)
       翁         梅若 玄祥
       三番三       山本 東次郎
       千歳        梅若 雄一郎
       面箱        山本 泰太郎

     新作「横濱風流」 (大蔵流)
       シテ(大山祗ノ神) 山本 則重
       アド(木花開耶姫) 山本凛太郎

  会場 横浜能楽堂
  公演 2016年6月11日(土)
  鑑賞 2016年6月11日(土) 14:00~15:40

 横浜能楽堂の開館二十周年を記念する4回続きの企画の第1回。底流となるテーマが「伝説の能面・狂言面」,
すなわち、各流・家の選りすぐりの能面・狂言面を用い、面に相応しい名曲を舞うとの意図がある。

 何が伝説かをプログラムから引用しよう。
 『能面の中で、室町時代から江戸時代初頭にかけ打たれた優れた能面を「本面」と呼ぶ。その後、「本面」を手本として、今日に至るまで「写し」が打たれてきた。現在では、通常、この「写し」を使う。「本面」は限られた演者が特別な催しで使うのみだ。中には「宗家・当主」であっても、生涯に数回しか使わないものもある。今回の公演には、毎回、「本面」が登場する』。
 要は、面・曲目・演者の全てが集う貴重な機会。本企画中では、重要文化財指定の三つの面などが登場するそうだ。

 今までに能楽堂に足を運んだ回数は、十回以上・二十回未満程度。能・狂言の理解も進まない初心者に、伝統まで重なって大丈夫かと思われるかも知れない。が、そこは意外と大胆、気軽に出かけてしまう自分がいる。能・狂言に限らないけれど、良いものを見る・場数を踏むことが理解促進に不可欠と考えるから。知識は後回しでも何とかなる。

 「翁」は作者不詳、祝いの時に舞われ、能の曲目中で最も神聖なものとされる。よって演能の機会も少ないのだろう。できたのは最も古く、時代は平安時代末まで遡れるようだ。変遷を重ねて現在の形式、千歳・翁・三番三に至ったようだ。かつて三番三(三番叟)だけは観たことがあるけれど、それでも天下泰平・五穀豊穣の思いはひしひしと伝わって来た。「翁」は何が加わるのだろうか。

 「翁」の特異性は次のような一面からも伝わるだろう。出演者は一定期間「別火」と呼ばれる物忌みを行い、精進潔斎する。当日は鏡の間に「翁飾り」と称する祭壇が設けられ、全員で神酒を頂き、洗米を含み、荒塩で身を清め、火打石で切火を受けた後、登場する。ただし、これは話として知るだけで、一連の所作を客が見ることはない。

 一分前に楽屋から笛の音が響く。最近は何でも5分遅れくらいで始まることを思えば、能は厳格だ。
 定刻、本幕で橋掛かりから、面を入れた箱を掲げる面箱を先頭に、翁・千歳・三番三・囃子方・後見・地謡と続いて登場する。「翁渡り」と称するそうだが、最初からいつもと出方が違う。それに囃子方・後見・地謡の衣装も素袍・侍烏帽子の最高の礼装で、いつもと違う。一目瞭然、ここまでを知識として得るのはなかなか困難だろう。

 進行は、翁による「とうとうたらり」の謳い、千歳の露払いの舞い、翁の天下泰平・五穀豊穣を寿ぐ舞い、最後の狂言方による「三番三」は揉みの段、「黒色尉」の面を付けて鈴の段と続く。

 新作「横浜風流」は、山本東次郎の台本制作。
 「翁」の鈴の段に掛かろうとする時にシテ・アドが登場、三番三との芸能問答を繰り広げる。三番三の鈴の段が終わるとシテが舞い、アドが舞う。謡はなかなか聞き取りにくいし、面を付ければなおさらだ。耳は澄ましっぱなしだけれど、なかなか慣れない。ただこの時の狂言謡の一部はそうでなかった。何しろ横浜市歌が織り込まれていた。横浜市民なら誰もが歌えると言われる市歌だから。ただし歌われた訳でなく、謡われたのだが。
 風流とは、三番三の舞の部分に神仏などが現れ、太平を寿ぐ特殊演出のことだそうだ。現在はめったに上演されず、特に明治以降の新作の例はほとんどないそうだ。

 全体を通して、一貫した物語性は無いように受け止めた。しかし時が刻み込まれていることを強烈に感じた。今まで見た能とは多くの点で異なるが、一つ一つをつぶさに語れない。ましてやその芸術性など。けれど見て仕方ないとも思わない。そういう時期を得ずして先には進めない。まあ冥途の土産になりそうだ。次に見る機会がいつになるかなどは判らないほど貴重な機会だった。

 図は、翁の付ける白式尉、三番三の付ける黒式尉(重文)、シテ(大山祗ノ神)の付ける大登髭。いずれも当日のプログラムより引用。
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   (2016年6月13日記録)

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2016年6月11日 (土)

美術:横浜南郊いたち川沿いのパブリックアート

 横浜南郊の円海山の西側、瀬上池に端を発して栄区を西流し、大船の北側で柏尾川に合流するいたち川、鼬川とも。河川整備が進んでいますが、自然っぽい所が少しは残っていて、中型の鳥の飛翔する姿などが見られます。

 この辺りは武蔵・相模で言えば相模に属した一帯、そしていたち川は柏尾川に合流して相模湾に注ぎます。円海山の東側に端を発する大岡川など、横浜市を流れる川が東京湾に注ぐのとちょっと違う。と言うことは、円海山辺りの尾根道が、武相国境にして分水界(嶺)。話題に上ることは少ないですが、子供さんを連れてハイキングに行った時などに教えてあげて下さい。もし興味があれば「いたち川散策マップ」が、横浜市役所売店などで販売されています。確か100円でした。

 話題がそれて始まりましたが、これからパブリック・アートのことを。いたち川左岸沿いに以下のパブリック・アートが設置されています。もれがあるかも知れませんし、右岸沿いは多分ないと思います。銘板に第4回横浜彫刻展と刻んであるので、1996年公募展の入選作品でしょう。もう少し作品に対する敬意があって良いと思うのですが、置かれている場所の周囲をもう少し整えては如何かと。置かれているだけましなのでしょうか。

1.杉野みちの:流レニ乗ッテドコマデモ
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2.楢原北悠:誕生 BIRTH
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3.山上れい:風譜-TRIO- 
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4.伏石康男:歩み 
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5.佐々木実:WOMEN 
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6.星野健司:ライダー・トリックスターIX 
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7.田中寿:ムーンダンス 
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 他の作品が鶴見駅付近の鶴見川周辺や大倉山駅周辺に設置されています。断片的にしか調べていないので、いずれまとめてご紹介したいと思います。

   (2016年6月10日記録)

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2015年10月17日 (土)

美術:平塚市立美術館 「新収蔵品展」「画家の詩、詩人の絵」

 新収蔵品展で、石田徹也の作品がまとめて展示されると知ったので出かけました。平塚美術館で「石田徹也展-ノート、夢のしるし」が開催されたのは昨春、まあ回顧展。石田も夭逝の画家の仲間になっちゃった、31歳なのに。31歳だから夭逝なのですけどね。

 彼の作風に触れてもっともっと活躍して欲しかったと思います。画風は世間の風刺だったのでしょうか。内面の発露だとすれば、そこまで彼を追い込んだのは何だったのでしょうか。もう元へは戻せないけれど、それならば比較的近い平塚美術館に作品が収蔵されたのは幸いです。時々、見に行こう。

 他に「三瀬夏之介:空虚五度」が気になりました。昨夏の山形ビエンナーレで、彼が指導する学生たちの作品を多く見て東北画に惹かれています。平塚市美術館での「日本の絵 三瀬夏之介展」は残念ながら行きそびれました。

 

 石田徹也を見るのが目的だったので、企画展が「画家の詩、詩人の絵」とは知りませんでした。見始めて最初の何点かで好い企画と感じました。こんな出会いも良いな、って単に無精なだけですけれど。

 一芸に秀でた人の余技が玄人はだしの例は多いし、文人画というジャンルもあります。「画讃」「題」「跋」の言葉もあって、絵と詩歌が近しい関係にあることは何となく知っています。しかし、ここで展示されている作家は近代あるいは現代で、絵と詩歌が独立して展示されているところが古い作品と異なります。

 作家の匂いを色濃く感じさせる絵が本人の詩歌と、詩歌と本人の絵が併せて展示されています。交互に見ていくと、絵だけ、詩歌だけとは異なる趣があります。展示されている画家、詩歌人に興味あればホームページを参照願います。

 平塚市美術館は一見地味に思えるけれど、心に染入る企画展が多い印象を抱いています。
 「長谷川憐二郎:時計のある門(東京麻布天文台)」は何とも無いような絵だと思うのですが、「平明・静謐・孤高 - 長谷川憐二郎展」を思い出しました。その時も文書が展示に含まれていたと思います。
 萬鉄五郎は、東日本大震災直後の「画家たちの二十歳の原点」展で花巻から作品搬送が出来ずに、作品の写真展示だったことが忘れられません。

 平塚市美術館ではないけれど、村山槐多はこの夏に信濃デッサン館で見たばかり。棟方志功は、茅ヶ崎市美術館で「棟方志功 萬鉄五郎に首ったけ」が開催中で先日見たばかり。松本竣介は数年前に神奈川県立美術館ほかで開催された「生誕百年展」が壮観でした。

 最近は、絵を見て何かを思うことが多くなりました。今回も気になる画家、作品が多くありましたが、どうも私の傾向は須之内徹の影響大だと感じます。まあ本を読んだだけですが。

 詩歌もなかなか達者だと思いました。ただ、ここにすらすら書けるほど記憶していませんし記録もしませんでした。最近、日本美術史を斜めに読んで気になっているのが草土社とかフュウザン会、理解を進めるとしたら画業以外のことも理解する必用があるのでしょうね。図録が3000円だったので購入しませんでした。しかし、絵だけならともかく詩歌が記憶できないので購入するしかないですね。

 詩歌人は絵ほどなじみがありません。詩歌人のなかには画家を志して思いかなわず、方向を変えた経歴を持つ人が何人かいました。それくらいですから、なかなか達者の絵もありました。画家と同じように他芸もなかなか達者です。こちらも図録に頼らないとはっきりしません。

 ちょっと中途半端な見方でしたから、もう一度出向きたいです。実は茅ヶ崎市美術館に回るつもりでしたが、それでも念入りに見たため時間が足りなくなりました。企画が変わる前にもう一度両館を回りたいです。

  名称   新収蔵品展 特集:石田徹也の世界
  会場   平塚市美術館
  会期   2015年 9月26日(土)~11月29日(日) 、詳細は要確認
  鑑賞日  2015年10月 7日(水)
  参考   公式ホームページ

  名称   画家の詩、詩人の絵 絵は詩のごとく、詩は絵のごとく
  会場   平塚市美術館
  会期   前期:2015年 9月19日(土)~10月17日(土) 、
       後期:   10月18日(日)~11月 8日(日)、詳細は要確認
  鑑賞日  2015年10月 7日(水)
  参考   公式ホームページ 

   (2015年10月16日記録)

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2015年5月 4日 (月)

演劇:東京芸術劇場プレイハウス「ローザス ドラミング」

  振付   アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル
  出演   ローザス

  音楽   スティーブ・ライヒ「ドラミング」

  会場   東京芸術劇場プレイハウス
  公演   2015年4月16日(木)~4月18日(日)
  鑑賞   2015年4月17日(金) 19:30~20:30(アフタートーク有)
  参考   公式HP

 

Photo_2  前売りチケットを入手していなかった。まあ、コンテンポラリーダンス公演だし、立見席券も売り出すとのことだから、1時間前に到着すればゆうゆう入場できるだろうとの思惑は見事に外れた。当日券を求める人は、2階にあるプレイハウス前から列が伸びて階段を下り、階段下を一周してさらに少し伸びていた。さすがに、立見席があっても入場できないかも知れないとの絶望感が頭を過ぎった。それでもなんとか入場できた。ローザスの人気だろうか。「ドラミング」上演がこれで打ち止めになるからだろうか。信じられな~い。

 思い返せば、ローザス公演を初めて観たのは1989年横浜アート・ウェーヴでのこと、この時が初来日でもあった。上演作品は、バルトークの「弦楽四重奏(何番だったか)」と「ミクロコスモス」を生演奏で踊った。四半世紀以上前のバルトークは、どのような位置づけであっただろうか、現代曲であったか。シンプルな黒のワンピースの裾を跳ね上げて、インナーを見せる振付が妙に印象に残っている。そして激しく動き回ることも。ダンサーに日本人らしき女性が一人いて、今も活躍し、今回はアフタートークに出演した池田扶美代だったと後に知る。私にとっては印象深いカンパニーだ。

 ローザスは、初めて観た時と大きく異なることは無かった。シンプルと言うより、日常のままで舞台に出てきた思いのする衣装。舞台上を疾駆、そして、時々どう四肢を動かしているのだろうかと思わせる振付。ただダンサーたちは若く、自分だけが年を重ねたように思えることだけが大いに異なった。

 ダンサーは12名、男性4名・女性8名。舞台袖でメンバーが客席の様子を伺う感じで並んでいる。全員が素足。やがて女性ダンサー1名が中央に進んでソロ。その後、2人だったり、3人だったり、5人だったり、メンバーが入れ替わりながら踊る。素朴な印象が漂う。疾駆する。動きはシャープで、時に可笑しさも感じる。全員が動き回る時、少しぎこちない場面があったのは、あるいはタイミングがずれたかと思った。ストーリーがある訳でもなく、絶対的な身体表現のみで気持ちが高揚していく。全体的に素朴と見せかけて、実は緻密な振付の存在がある。

 スティーブ・ライヒの音楽「ドラミング」は、もう一方の主役。4つのパートからなり、演奏時間合計は小一時間。パート1は「4組のボンゴのための」とある。ユーチューブに登録されているので、聴いて頂けるとジャンルを超越していると感じるだろう。今回は録音だったので、視覚情報は無かったが。

 全体の編成は、マリンバ3台・4対の調律されたボンゴ・グロッケンシュピール3台・女声二人と・ピッコロ。パート2はマリンバと女声、パート3はグロッケンシュピールと女声と口笛とピッコロ、パート4は全楽器と女声。当日の録音が、この通りになっていたかはどうかは心許ない。事前学習は重要と反省、ただし実践できるかは五分五分だ。

 何回聴いても、私には音楽の詳細を把握することが困難と思われる。ダンサーはタイミングをどのように掴むのだろうか。旋律もないし、カウントしているのだろうか。頂点に立つ人たちの凄さを感じる。と同時に、身体表現と音楽の関係も興味深い。

 

 客席に年配の方も見かけたが、私もその一人。風体を見ても、傍目には似合わないと映っているだろうと。まあ、他人に迷惑を掛けない限りにおいて傍目は気にしないことにして、これからもたまには出かけよう。身体表現の行く着く先として、モダンとかコンテンポラリー・ダンスは興味深く感じるから。

 それにしても、クラシック系公演で立見席とは。良いことだ。音楽を含めて私は3回目。
 過去は、神奈川県民ホールにおける聖トーマス教会合唱団他「マタイ伝による受難曲」、神戸松蔭女学園チャペルにおけるバッハ・コレギューム「バッハのカンタータ(何番かは記憶にない、カウンターテナーの米良美一が加わっていた)」。神戸松蔭は小さな会場だが。

   (2015年5月4日記録)

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2015年3月30日 (月)

演劇:KAAT×地点「三人姉妹」

  原作   アントン・チェホフ33379_1
  演出   三浦基

  出演   アンドレイ   石田大
       ナターシャ   伊藤沙保
       オーリガ    安部聡子
       マーシャ    窪田史恵
       イリーナ    河野早紀
       クルイギン   小河原康二
       ヴェルシーニン 小林洋平
       トゥーゼンパフ 岸本昌也
       ソリョーヌイ  田中祐気

  会場   神奈川芸術劇場・中スタジオ

  公演   2015年3月9日(月)~22日(日)
  鑑賞   2015年3月17日(火) 19:30~20:50
  参考   公式HP

 

 最後に三人姉妹が言う「生きていかなければね」「生きていかなければ」「生きていきましょうよ!」。リアリティーを持ってこの台詞を響かせるために、全てがクレッシェンドしていくことが「三人姉妹」の演出の要だろう。

 スタジオは何もない直方体、長手方向の3分の1ほどが仮設の客席。残るフロアーが演技スペース。

 客席に近い所、客席と平行にスタジオ巾より少し狭い衝立が据えられている。鉄枠に透明アクリル板(後に音で分かった)が貼られている。人の背丈より高く、頑丈そうだ。二カ所にドアーがある。アクリル樹脂には白い粉が塗されている。

 衝立は部屋の壁とも思える。テキストに「4幕の戯曲である。第1幕はブローゾロフの家、第2幕もブローゾロフの家、第3幕はオーリガとイリーナの部屋、第4幕はブローゾロフ家の古い庭である」と書かれている。照明の加減で部屋を明示するかと思ったが、それほど単純ではなかった。

 天井から床に向かって木が下がっている。上手・下手の壁に沿って白い文字が書かれているが、ローマ数字のように見えた。

 見えている物は具象的だが、これから「三人姉妹」が演じられると思えば何とも抽象的だ。

 

 ショスタコーヴィチ「セカンド・ワルツ」が流れる。黄昏時を思わす、それは必ずしも一日の黄昏だけを指すわけではないが、哀調を帯びた旋律・響きが、一気にチェーホフの世界に引きずり込む。見事な選曲。

 役者が床を這いずるように、昔風に言えば兵隊が野山を這いずり廻る匍匐前進、で登場してくる。衝立の外側を回って、すなわちローマ数字を掃くように。白い粉は、運動の時にラインを引く消石灰ではないか。手足や衣服にそれが付く。

 男女かまわず二人づつが絡み合う。絡み合うと言えば色っぽい響きだが、レスリングの寝技、相手をねじ伏せるがごとく。何より役者は、パット付サポータあるいは類似の物で膝を防護していることで、激しさが想像できる。

 基調は格闘技。立って絡み合い、衝立に体当たりする。アクリルに塗された白い粉は、手足や衣服から着いたものだろう。少しづつ様子が判ってくる。

 ところで衝立だが、進行に従って斜めになったり、客席に直角になったり、ずっと後方まで押し下げたりされる。かなり重いのだろう、渾身の力で押したり引いたりしているようだ。これらは舞台の変形、つまり場面場面の転換を意味すると同時に、登場人物たちの抑圧された世界を表しているのだろう。

 台詞は細切れに発せられる。文書を構成する最小限の単位、すなわち形態素に分けて発している感じだ。例えば、「私たち」が分割されて「わたし」「たっちー」。しかも「たっちー」にアクセントがくる。戸惑うかも知れないが、すぐに慣れる。
 役者が発する台詞は多くない。しかし、発せられた台詞は「三人姉妹」のエッセンスが抽出されている。

 

 この舞台を観て、チェーホフ「三人姉妹」のあらすじを思い浮かべることは難しい。あらすじを把握していれば、目の前で繰り広げられる表現は「三人姉妹」そのものだ。

 あらすじは知っておくことが好ましい。しかし、知らなければならないということでもない。まず観て刺激をうけるのもありだろう。

 三浦基演出は台詞控えめ、身体表現に重きを置いている。格闘技になったのは、言葉に秘められた暴力性を身体表現に置き換えたから。台詞より身体の方が安定した表現ができると捉えるためだろう。役者は大変だが。

 私はそれを受容できるし、興味深く感じた。そして、三人姉妹が強く生きるだろうことにリアリティーを感じた。

   (2015年3月29日記録)

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