「案内書・生麦事件を辿る」、その後
神奈川県立図書館で生麦事件で検索したら、「四次元的路上観察案内書・生麦事件を辿る」もヒットしました。見慣れたと云うより、ヨコハマトリエンナーレ・サポーター活動として皆と一所に制作したA3両面印刷の簡素な案内書です。どなたが献本したのでしょうか。
制作してから日時が経過したので、個人的に最新情報に更新しようと観察・調査を開始した所です。
生麦事件は、旧東海道川崎宿と神奈川宿のほぼ中間の生麦村(現横浜市鶴見区生麦)の路上で発生した外国人殺傷事件、後に薩英戦争の誘因ともなる横浜市における一級の史実です。
時は文久2年8月21日九ツ半(1862年9月14日13時)過ぎ、被害者は横浜居留地から川崎大師に向かったと思われる英国人4人の一行、加害者は薩摩藩主の父の大名行列に準じた総勢400名ほどの一行です。
少し離れた所に記念碑が設置されていますが、現場は路上であり目印になるものがありません。かつては脇の民家のフェンスに事件発生現場を告げる看板(生麦事件参考館設置)が据えてありました。
このお宅が更地になり、後に3棟の建物が建てられ始たところまで確認していました。先日、その後の様子を確認に行きましたが、何らかの案内すら見当たりませんでした。私は何度も歩いているので周囲の様子から現場を特定できますが、初めての人には見当も付かないでしょう。出来れば行政が、案内を設置しないかと思っています。
#四次元的路上観察 #武相二万歩 #生麦事件
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