江ノ島道石上地蔵
旧東海道を上方に向かう場合、藤沢宿江戸見付を過ぎ遊行寺橋(旧大鋸橋)を渡ると、江ノ島神社一の鳥居がありました。旧東海道は北へ、宿場の中心部に向かいますが、江ノ島道は反対の南に進みます。
現在の様子は国道一号線、箱根駅伝の難所で知られる遊行寺坂を下りきって藤沢橋に掛かる辺り、脇に江ノ島道を示す道標(移設されたものらしい)があります。
江ノ島へはここから約一里です。前半は鵠沼を、後半は片瀬を進みます。詳しいことは追々にして、鵠沼の江ノ島道から少し逸れた袋小路に、『鵠沼最古の石仏「石上地蔵」』が佇んでいます。民家の一角のようですが良く維持されています。掲示の由縁の一部を次に示します。
『この辺りは片瀬川(古くは固瀬川と書かれた)の「川袋」と呼ばれる曲流が始まるところにあたり、古くから渡船場が設けられていました。
鎌倉時代には石上郷と呼ばれ、源頼朝の霊を祀る鎌倉二階堂の法華堂が支配していました。渡船場は「祗上渡し」と呼ぱれていましたが、天正年間から「石上渡し」と呼ばれるようになったと『皇国地誌』にあります。
江戸時代初期には幕府の右筆(書記)を務めた旗本大橋家の知行地(所領)となり、うち九石分は鵠沼神明の空乗寺領に寄進されました。
その時代、一六五四(承応四)年にこの地蔵が造立されました。鵠沼の現存最古の石仏です。』
鵠沼は境川の氾濫原に位置します。明治期の地図では川筋が大きく蛇行しています。今は直流に改修されているので、特に調べない限り気付くことはないでしょう。地蔵は、かつての川筋に合わせて造立されているので、いまは突拍子もない位置になってしまいます。
造立されたのは江戸時代になって50年も過ぎた頃、世の中は落ち着いて人々が金沢・鎌倉・江ノ島巡りや大山詣に出かけるようになった頃でしょう。 (2022年6月21日記録)
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