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2022年6月

2022年6月21日 (火)

江ノ島道石上地蔵

旧東海道を上方に向かう場合、藤沢宿江戸見付を過ぎ遊行寺橋(旧大鋸橋)を渡ると、江ノ島神社一の鳥居がありました。旧東海道は北へ、宿場の中心部に向かいますが、江ノ島道は反対の南に進みます。
現在の様子は国道一号線、箱根駅伝の難所で知られる遊行寺坂を下りきって藤沢橋に掛かる辺り、脇に江ノ島道を示す道標(移設されたものらしい)があります。

江ノ島へはここから約一里です。前半は鵠沼を、後半は片瀬を進みます。詳しいことは追々にして、鵠沼の江ノ島道から少し逸れた袋小路に、『鵠沼最古の石仏「石上地蔵」』が佇んでいます。民家の一角のようですが良く維持されています。掲示の由縁の一部を次に示します。

『この辺りは片瀬川(古くは固瀬川と書かれた)の「川袋」と呼ばれる曲流が始まるところにあたり、古くから渡船場が設けられていました。
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 鎌倉時代には石上郷と呼ばれ、源頼朝の霊を祀る鎌倉二階堂の法華堂が支配していました。渡船場は「祗上渡し」と呼ぱれていましたが、天正年間から「石上渡し」と呼ばれるようになったと『皇国地誌』にあります。
 江戸時代初期には幕府の右筆(書記)を務めた旗本大橋家の知行地(所領)となり、うち九石分は鵠沼神明の空乗寺領に寄進されました。
 その時代、一六五四(承応四)年にこの地蔵が造立されました。鵠沼の現存最古の石仏です。』

鵠沼は境川の氾濫原に位置します。明治期の地図では川筋が大きく蛇行しています。今は直流に改修されているので、特に調べない限り気付くことはないでしょう。地蔵は、かつての川筋に合わせて造立されているので、いまは突拍子もない位置になってしまいます。
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造立されたのは江戸時代になって50年も過ぎた頃、世の中は落ち着いて人々が金沢・鎌倉・江ノ島巡りや大山詣に出かけるようになった頃でしょう。  (2022年6月21日記録)

#武相二万歩 #大鎌倉 #江ノ島道 #鵠沼 #片瀬 #境川 #石上地蔵

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2022年6月 6日 (月)

逗子市やまなみルート

やまなみルートを歩きました。朝比奈切通の南側に平行する古道です。六浦の古老は、回顧話に「塩を作って藤沢辺りに売りに行くと、魚の保存のために幾らでも売れた」とありますが、この道を通ったことでしょう。なお歩行記録の途中の行止りは公園の閉鎖(曜日注意)のためです。

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地形的には、在日米海軍横須賀基地司令部の管理下にある「池子住宅地区及び海軍補助施設」、それ以前は帝国海軍の弾薬庫でした。その北側の逗子市・横浜市・鎌倉市の市境の尾根道です。
現在は住宅地区で通行できませんが、逗子市・横浜市の市境は相武国境道で、やまなみルートと直交します。
また六浦方面と鎌倉中あるいは海浜部の間は丘陵続きでした。現在は「鎌倉逗子ハイランド」造成で丘陵が切断されました。

歩くのは3回目ですが、歩いて楽しいルートではありませんし、お薦めもしません視界が開けず、今の時期はかなり草木も繁っています。
なぜ歩いたかと云えば、GPS記録の取直し、古道案内の写真の撮り直しでした。さらには昔の旅人や戦に向かう兵隊がどこを通過したかを想像するためです。

添付写真は案内板、六浦・朝比奈方面分岐、山道を抜けて金沢方面、ルート脇には現状や往時を思わせる標柱。途中で十二所果樹園展望台に寄り道(往復約300m)すれば、東京湾・相模湾を遠望できて多少はハイキング気分に浸れます。

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   (2022年6月6日記録)

#四次元的路上観察 #武相二万歩 #大鎌倉 #鎌倉 #逗子 #横浜 #やまなみルート #池子

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