東海道と開港場を結んだ横浜道
1858年に結ばれた日米修好通商条約は、神奈川・長崎・新潟・兵庫の開港と江戸・大坂の開市、通商は自由貿易とされています。
ここで神奈川とは東海道神奈川宿周辺と捉えられ、各国は周辺に領事館や公使館を設置します。しかし幕府は人の往来の激しい街道筋に外国人が居住して事件が発生することを恐れます。各国と調停不調のままに約束の期限の3カ月前に、独断で辺鄙な横濱村を開港場と決定します。
準備は多々ありますが、東海道筋と開港場を如何に結ぶかも大きな課題でした。そこで埋立地の先端を結ぶ横濱道を造成することにします。
現横浜駅西口の西数100mを通過し、現在も辿れます。往時の様子は五雲亭貞秀の横浜絵で窺えます。変り様を比較するのも興味深いと思います。
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