« BankART KAIKO「都市デザイン横浜展」鑑賞、影は? | トップページ | 鎌倉道中道(新橋~上柏尾) »

2022年4月 3日 (日)

金沢権現山公園(円通寺客殿)

 相模国鎌倉郡渡内村(現藤沢市)の名主・福原高峰は、江戸時代末の1839(天保10)年に「相中留恩記略」がを編纂します。相中とは相模国を指しますが、武蔵国金沢(現横浜市)の、御宮、瀬戸明神者、瀬戸橋、竜源寺、塩焼場、名主団右衛門、称名寺、能見堂に言及します。

 御宮についての言及を抜粋すれば、『御宮は社家分村の内、小名引越にある円通寺の境内、岩山に祀り奉る。万治年中、八木次郎右衛門殿、此辺の代官たりし時、岩を切り開き勧請し奉り、御供料七石を寄附し奉りといふ。・・・・・・円通寺は天台宗にて、江戸浅草東光院の末、日輪山と号す。開山高栄は寛文二年二月遷化す。御別当なり。』となります。

 御宮とは東照宮のこと。この地に東照宮が祀られるようになった経緯は定かでないようです。しかしながら徳川家康が関が原の戦い直前の1600(慶長5)年、大阪から江戸に戻る途中、後に金沢八景と称される景勝の地・金沢を遊覧して景色を気に入り、大御所になってからも駿府から江戸に赴く際には金沢に立ち寄ったと云われます。

 円通寺は別当寺で、その客殿は御宮を詣でる上客を迎える建物として利用されたと考えられています。「げんかん」「げんかんざしき」「おくざしき」「ひろま」といった接客用の場を南側に、「だいどころ」など生活の場を北側にまとめています。華美にはしらず、落ち着いた空間にまとめられています。
03_2022040317070104_2022040317070107_20220403170701

 建築年代についての確かな資料はないようですが、様式・技法から江戸時代後期か末期と推定できるようです。

 客殿の前から高見に上ると、現休憩デッキ付近に「御宮」があり、その前に急な階段が配置されていたようです。
06_20220403170701 05_20220403170701

 円通寺客殿の背後の山を権現山、それに続く御伊勢山と云いますが、フェンスで閉ざされていて通行不能です。南側の上行寺辺りから入ることになります。以前に入ったときは小径が付いている程度で、所々に何かがあるような状態でしたが、詳しく調べていません。いずれ変化しているか否かを観察に行ってみます。
01_20220403170701

 京浜急行金沢八景駅西側、高架駅舎の西側階段を下りる途中から公園に接続しています。駅から徒歩一分。見学は無料、管理休憩等に自販機・公衆トイレがあります。
 長いこと修復・整備事業を実施していましたが、2022年4月2日から公開されています。

#武相二万歩 #大鎌倉 #武蔵 #六浦 #金沢 #権現山 #円通寺 #相中留恩記略

| |

« BankART KAIKO「都市デザイン横浜展」鑑賞、影は? | トップページ | 鎌倉道中道(新橋~上柏尾) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« BankART KAIKO「都市デザイン横浜展」鑑賞、影は? | トップページ | 鎌倉道中道(新橋~上柏尾) »