鎌倉道中道(新橋~上柏尾)
鎌倉道中道の新橋(いたち川)から上柏尾(国道1号)までの中間まとめです。距離は約8.5km、小高い丘の尾根道の筈で、それらしい道筋が残ります。しかし大規模開発による団地内を進むことも少なくありません。
いたち川は相武尾根の西側に端を発し、大船の北側で柏尾川に合流します。「出で立ち川」の転訛とも云われ、鎌倉の北の外れです。鎌倉道中道は新橋(にいばし)で川を超えますが、北詰で戸塚方面(西浦賀道)と弘明寺方面(鎌倉道)に分かれます。
吾妻鏡に「七瀬の祓」が何度か記録されています。元は朝廷の公事の一つで、天皇の災禍を負わせた人形を、勅使七人が七カ所の瀬に持参、祓をして流します。鎌倉幕府も準じて行ないますが、その一カ所がいたち川です。
また鎌倉年中行事に「公方様御発向」が記録されています。1416(応永23)年、上杉禅秀の乱を鎮めるために足利持氏は出立します。吉日を選び、いたち川に至って昼休み、吉例により「御酒三献御湯漬參」、装束を改めます。御酒三献とは神式の結婚式の三々九度に残りますが、祝宴を行ったということでしょう。装束改めは、威儀を正して進んできて、ここで旅装に変えたということでしょう。
證菩提寺は新橋の少し上流側、石橋山の戦いで源頼朝の身代わりで戦死した佐奈田与一の菩提を弔うため、頼朝建立と伝わります。
上柏尾で中道と旧東海道が交差します。付近の王子神社は、ご由緒に護良親王の御首を本殿下に埋葬したとあり、近くに首洗い井戸もあります。
途中の史跡は追ってまとめます。鎌倉道は鎌倉に近付く方向で歩くのが筋だと思います。いずれ一気に。
参考 「全譯吾妻鏡」 永原慶二 新人物往来社
「群書類従・第二十二輯」 塙保己一 平凡社
「轍 Wadachi ソフトウェア 公式サイト」
(2022年4月29日記録)
#四次元的路上観察 #武相二万歩 #大鎌倉 #鎌倉道 #中道 #いたち川
| 固定リンク | 0
コメント