伝源範頼の墓
伝源範頼の墓があるのは、横浜市金沢区片吹の太寧寺です。京急線金沢文庫駅と能見台駅間の西側に位置する小寺です。墓は本堂左手にあります。何度か行きましたが参拝する人も見かけず、ひっそりとしています。由緒については寺前の案内を次に引用します。
『鎌倉初期の武将源範頼は、源義朝の六男で、源頼朝の弟です。範頼は義経と同様に兄頼朝に疑われ、伊豆修禅寺に幽閉され、梶原景時らの討手を受け最期を遂げたことになっていますが、太寧寺の寺伝では鉈切まで逃れて、海に向いて建つ太寧寺へ入って自害したとされています。
太寧寺は、はじめ瀬ヶ崎一七二春地(現、関東学院大学付属小学校々地内)にありましたが、昭和十八年、追浜飛行場拡張工事のため、現在地に移転し、裏山にあった伝源範頼の墓も、これに伴い移りました。
また、太寧寺の名は範頼の法名「太寧寺殿道悟大禅定門」から付けられたもので、同寺には、範頼公の位牌や画像などが寺宝として遺されています。』
ここで鉈切の地は武相国境の東端、瀬ケ崎が海に落ち込む辺りで横浜市金沢区になります。後に金沢八景と称される風光明媚な地であったと推察できます。未確認ですが、範頼は蒲冠者と呼ばれていましたが、助けてくれた人に「蒲」の使用を許したことから、周辺には「蒲」や「蒲谷」姓が多いそうです。
追浜飛行場は海を挟んで横須賀市になりますが、帝国海軍航空発祥の地です。跡地は日産自動車株式会社追浜工場になっています。周辺には予科練誕生の地などの戦跡が多いです。
参考:新編鎌倉史(新編相模国風土記稿. 第6巻 / 蘆田伊人 編集校訂)
(2022年3月18日記録)
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