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2022年3月

2022年3月21日 (月)

BankART KAIKO「都市デザイン横浜展」鑑賞、影は?

 良く街歩きするので、この企画展で取り上げられた現地の様子はある程度承知しています。総じて光の部分が取り上げられ、影の部分の言及はありません。ここで云う影とは、抽象的な影であり実際の影です。
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 会場中央に横浜市中心部のジオラマが据えられています。豆粒ほどの自宅が確認できるほど丁寧に作り込んだものです。何代もこの地で生活してきて、勝手に中心部になった感じはあります。かつて横浜湾奧にあった三菱
造船所が移設、その跡にみなとみらい地区が開発されて、中心部に躍り出た訳です。この辺りは東海道線沿線の住宅密集地で、造船所に通勤する人たちで賑わう小さな飲食店なども連なっていました。
 何時の頃だったか用途地域指定変更で中層ビルが建ち始め、個人と資本が入り混じるようになりました。今は空地も目立ち、企業買い占めの印象があります。個人商店は徐々に店じまい、住民の老齢化も進んで限界集落の様相を呈しています。地域共同体は継続できるのか、これは抽象的な影です。
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 実際の影とは。最近、高層ビルの作り出す影の多い街になったとの思いを強くしています。
 例えば、旧横浜市庁舎跡に180mだかの高層ビルが建つようです。写真にビルの高さを推定して白線で追記していますが、写真上端をさらにはみ出します。冬至の太陽南中高度は30度少々ですから影は240mほどで横浜公園を被うでしょう。公園の花壇・遊び場から見てビルの位置は西南西で、午後の遅くに影が延びて夕方が早く来るようなものでしょう。ビルは敷地の南側に建つようで、北側の関内駅との間は広場にでもなるのでしょうが、日当たりは確保、影は敷地外でしょうね。旧市庁舎も殆ど影にならないでしょう。
 ベイスタジアムも、コロナに打ち勝った証のスタンド増設、ほとんど利用されないデッキ建設で殺風景になりました。
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 企画展の一部あるいは全部の写真は、周囲の様子で今冬の、影の延び具合から昼過ぎに撮影したことでしょう。写真にビルの影を白線で枠取りしました。随分長く、そして人々が憩う部分を被います。
 現在、赤レンガ倉庫の西側に、地上7階・高さ35m強の(仮称)横浜地方合同庁舎を建設中です。赤レンガ倉庫広場に影が届くでしょう。それだけでなく、万国橋から赤レンガ倉庫方面への景観を潰します。
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 観光客や市民の憩いの場を影で覆ったり、景観をぶち壊してどうするの。カジノ計画中止は良いとして、時に何もしないことも重要ですが、政治・行政は何かすることが、強いて言えば金をつかうのが好きなようです。人口減は避けられませんし、我慢できるものは我慢する。良い未来のために重要でしょう。

  (2022年3月21日記録)

 

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2022年3月18日 (金)

伝源範頼の墓

 伝源範頼の墓があるのは、横浜市金沢区片吹の太寧寺です。京急線金沢文庫駅と能見台駅間の西側に位置する小寺です。墓は本堂左手にあります。何度か行きましたが参拝する人も見かけず、ひっそりとしています。由緒については寺前の案内を次に引用します。
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 『鎌倉初期の武将源範頼は、源義朝の六男で、源頼朝の弟です。範頼は義経と同様に兄頼朝に疑われ、伊豆修禅寺に幽閉され、梶原景時らの討手を受け最期を遂げたことになっていますが、太寧寺の寺伝では鉈切まで逃れて、海に向いて建つ太寧寺へ入って自害したとされています。
 太寧寺は、はじめ瀬ヶ崎一七二春地(現、関東学院大学付属小学校々地内)にありましたが、昭和十八年、追浜飛行場拡張工事のため、現在地に移転し、裏山にあった伝源範頼の墓も、これに伴い移りました。
 また、太寧寺の名は範頼の法名「太寧寺殿道悟大禅定門」から付けられたもので、同寺には、範頼公の位牌や画像などが寺宝として遺されています。』

 ここで鉈切の地は武相国境の東端、瀬ケ崎が海に落ち込む辺りで横浜市金沢区になります。後に金沢八景と称される風光明媚な地であったと推察できます。未確認ですが、範頼は蒲冠者と呼ばれていましたが、助けてくれた人に「蒲」の使用を許したことから、周辺には「蒲」や「蒲谷」姓が多いそうです。
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 追浜飛行場は海を挟んで横須賀市になりますが、帝国海軍航空発祥の地です。跡地は日産自動車株式会社追浜工場になっています。周辺には予科練誕生の地などの戦跡が多いです。
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  参考:新編鎌倉史(新編相模国風土記稿. 第6巻 / 蘆田伊人 編集校訂)
 
  (2022年3月18日記録)

  #四次元的路上観察 #武相二万歩 #大鎌倉 #横浜市 #金沢 #源範頼 #太寧寺 #戦跡


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2022年3月 8日 (火)

富岡総合公園(旧横浜海軍航空隊跡地)

 富岡総合公園(横浜市金沢区富岡東)は、旧横浜海軍航空隊(飛行艇隊)跡地に立地しますが、跡地は公園以外に利用されている部分もあります。

 国道16号を折れて、海側に下る道路に隊門跡が残ります。この前方右手に公園が広がり、左手高台に北台展望台があります。
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 さらに下って平地になった左手に神奈川県警察機動隊が立地、その中の大きな倉庫上の建物は、航空隊第三格納庫でした。戦時中の建物が現存するのは、横浜大空襲の戦火はここまでは及ばなかったのか、攻撃対象からは外されたのか。
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 公園には路上観察で何回も来ていますが、今回は隅を回って戦時中の遺物を探しました。路上観察に含めるか否かは分かりませんが、一帯の特徴を示すものですから触れない訳にはいかないでしょう。

 南側敷地境界で境界杭を見つけました。4・5本でしたが、境界は長いのでもっとあって良さそうなものです。埋もれてしまったか、端から無いものかは分かりません。
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 機動隊敷地に対面する崖に、塞がれていますが防空壕と思われる痕跡がいくつも残っています。防空壕は死語かも知れません。痕跡は、崖を注意深く観察すれば容易にみつかります。
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 通路から少し入った藪に何かわからない構造物がありました。新しそうなので、戦時中の遺物ではなさそうです。落ち葉が深く積もる所もありますので、棒切れ持参で探りながら進むことが必要そうです。
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  参考:「横浜金沢の戦跡」 横浜金沢の戦跡を調査する会 2012年7月

  #四次元的路上観察 #武相二万歩 #大鎌倉 #横浜市 #金沢 #富岡 #戦跡

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2022年3月 6日 (日)

大庭御厨:藤沢市の神明社

 藤沢本町駅から大庭城址まで、藤沢市中央部の路上観察を実施しました。先日の茅ケ崎神明社巡りの続きのつもりです。

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 皇大神宮は、通称を神明宮、烏森神社とも称され、土甘郷総鎮守と称されます。土甘はとがみ、藤沢の古名の砥上が原に通じます。住所は鵠沼神明2丁目で、海岸近くが鵠沼と思っていましたが意外と広い。旧東海道を西に進めば、遊行寺を出てから北に膨れ、神宮の少し北側を通過しますが、江戸時代でもまだ湿地が広がっていたという事でしょうか。

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 万福寺の山号は鵠沼山、山号に地名の付く寺院は古くからあるという事か、気になっています。近くに首塚、空乗寺、すぐに引地川。

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 引地川は深いコンクリート護岸で風情に欠けますが、緑道や親水公園が設けられています。桜は咲き始め、散歩に良い季節です。4・50分歩くと、大庭城址の丘陵が見えてきます。写真では見えませんが、左側に大山が見えます。

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 大庭神社は式内社、雰囲気はありますが少し寂れている感じ。

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 右岸に渡り戻るように進むと舟地蔵、名前の通り地蔵が舟に乗っています。旗などが靡いて今も信仰が続くと伺わせます。

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 大庭神社旧跡は訪れる人も無さそうで、ひっそりしています。すっかり公園になっていて、古に思いを馳せるにはかなりの飛躍が必要そうです。

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 付近の神明社で、神明社(城の神明)は外し、芙蓉神明社はどう見てもゴルフ場内にあって入れそうになく、大庭神明社は前回参拝したので今回は寄りませんでした。西俣野はサバ神社巡りあるいは御霊神社巡りに含めた方がよさそうです。

 路上観察としては、藤沢本町周辺と大庭城址周辺は分けた方がようさそうです。藤沢本町周辺は遊行寺を含めて藤沢宿で見所は多いです。大庭城址は公園になっていて城の雰囲気は喪失しています。周辺にもう少し見所を見つけないと。

   #四次元的路上観察 #武相二万歩 #大鎌倉 #大庭御厨 #藤沢市 #神明社 #大庭城址

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2022年3月 4日 (金)

大庭御厨:茅ケ崎市の神明社

  大庭御厨は、鎌倉権五郎景正が大庭郷内の山野を拓いて伊勢神宮(内宮)に寄進しました。その範囲は藤沢市大庭周辺と思っていました。調べると藤沢市・茅ケ崎市・寒川町に及ぶので、範囲修正して観察するつもりです。多少記録漏れがありますが、旧鎌倉郡西部から西側の観察実績です。中央の空白部分に大庭城址があります。

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 先日、茅ケ崎市内を歩きました。土地勘も手掛かりもないので、伊勢神宮の荘園ということで神明宮を辿ってみました。次の五社を一回り、約13kmでした。寄り道はしませんでしたが、道筋で他の観察もしました。

  1.神明大神 茅ケ崎市赤羽根468
  2.神明大神宮 茅ヶ崎市円蔵2282
  3.神明宮  茅ケ崎市十間坂3-11-41
  4.神明社  茅ケ崎市下町屋1-6-19
  5.神明神社 茅ケ崎市松尾3-24

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 ご由緒の案内は、3.神明宮と5.神明神社はありませんでした。2.神明大神宮は関連の案内もあり、頼朝が欧州攻撃に際して意見を求めた大庭景能の像もありました。

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 知らない土地はまず歩くことが手始めで、そのうち公共交通利用の知恵も付くでしょう。

   #四次元的路上観察 #武相二万歩 #大鎌倉 #大庭御厨 #茅ケ崎市 #神明社

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