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2021年5月14日 (金)

浦賀道を辿る(京急久里浜駅~京急県立大学駅)

 久しぶりに浦賀道を通して歩いてみようかと。
 昔は行き先が道の名前だったようですから、浦賀から北上する場合は、例えば鎌倉道に合流する六浦(横浜市金沢区)の地名を採って六浦道とするべきでしょう。でも街歩きの代表格の鎌倉道も、どちら向きに歩いても鎌倉道ですから、ここは分かりやすさで浦賀道にします。
 今は道に名前が付いていますから、国道16号線に沿って歩くことになります。

 

 京急久里浜駅からペリー公園に向かいます。1853年7月8日(嘉永6年6月3日)、ペリー提督率いる4隻の黒船が来航、上陸したところです。前は小さな入江、左手の千代ケ崎の向こうが浦賀湾口です。
 千代ケ崎は江戸湾防衛の台場で、後に千代ケ崎砲台になって東京湾に睨みを利かせます。砲台跡は閉鎖されていると聞きますが、たまに開催される横須賀市説明会の抽選には当たりません。
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 浦賀湾南岸の先端が燈明崎、復元された燈明台があります。1860(安政7)年1月19日、幕府初の遣米使節の随伴船咸臨丸が、燈明台を右舷に見て太平洋に進みます。
 浦賀湾奥方向、正面の小山手前が黒船の伝停泊地、一番奥に旧浦賀ドックが見えます。反対側は房総半島が目の前です。
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 浦賀奉行所跡に向かう途中、(源)為朝神社は悪疫退散。町内会館軒下の鏝絵、浦賀には多くの鏝絵が残りますので古い民家や神社などで探して下さい。鏝絵は伊豆の長八が有名ですが、横須賀にも石川善吉一派の仕事が残ります。
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 浦賀奉行所跡は更地になって、案内が設置されています。以前は社宅として利用されたアパートが何棟かありました。
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 西叶神社、東叶神社に参拝。東叶神社門前の日西墨比貿易港之碑は初見です。神社間は浦賀の渡しで。
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 確認ポイントは終えて、要約歩き出した思いです。京浜大津駅手前の「東京湾要塞地帯標」の案内、ところが案内標は未だ見つかりません。残っていないかも知れません。
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 大津駅近くの信楽寺(しんぎょうじ)に「坂本龍馬の妻・お竜さん」の墓があります。龍馬とは若くして死別、後に再婚して西村ツルとして近所で暮らしていました。大津町の町おこしは「お竜さん」
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 この後は県立大学駅で打ち切り、本日は25000歩弱。この先は山越え、上ったり下ったりを3回ほど繰り返すので。
 歩きに徹すれば、浦賀奉行所から六浦までは一日行程で良いと思います。(2021年5月12日実施)

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