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2021年4月

2021年4月 7日 (水)

旗立山(藤沢市村岡)

 大船・湘南江ノ島を結ぶ湘南モノレールの湘南深沢駅辺りから西に、JR東日本旧大船工場跡が広がります。その西外れに旗立山が聳えています。かねてより頂上に上ろうと思っていました。名前は山ですが、さして高くない丘ですから造作ないでしょう。

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 先日、宮前御霊神社に寄ったとき、女坂の途中に碑が建立されていることに気付きました。近づくと「旗立山の由来」と刻まれていました。

『旗立山の由来
 この碑の左上山頂に平坦地(平台山)が一二〇〇坪ほどあります。
 前九年の役(一〇五六)の出陣にあたり、源頼良がこの山に白幡を立て軍勢を集めたことからこの地は旗立山とよばれています。
 また、その子源義家も後三年の役(一〇八六)の時に同じように白幡を立てたとされています。(其のとき村岡城主鎌倉権五郎景正が初陣としてこの戦いに参戦しました。)
 この旗立山には葛原親王(桓武天皇第五皇子)が祀られていた塚があったとも伝えられています。
   平成二十一年三月吉日  以下、寄贈者名』

 この場所は現藤沢市ですが、かつては旧鎌倉郡です。鎌倉道上道を進むと、ここで鎌倉を出ることになります。近くに「陣出」の地名がありますが、旗立山と直に関係するかはまだ調べがついていません。

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 この付近に東海道本線新駅の計画があると聞きます。旗立山と右手の建物の間、実際の位置関係は南西と北東ですが、その間を東海道本線が通過しています。大船・藤沢間5㎞弱の間の新駅ですから、どうなるでしょう。

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  記録日:2021年4月7日

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御霊神社(藤沢市宮前)

 この世に恨みを残して死んだ者が怨霊となって天災や悪疫を起こすと考え、この死者を神として祀り鎮魂して災難を逃れ、平和と繁栄を願うのが御靈信仰です。

 宮前御霊神社は下り東海道本線が藤沢駅に到着する直前に左手に見える独立した丘の南面中腹に鎮座しますが、恐らく北から続く丘陵の先端部分でしょう。東海道本線が分断したと思えます。

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 北側の丘陵に村岡五郎良文こと平良文の居城・村岡城址があります。今は児童公園で碑が残るのみです。城址北東の二伝寺に、良文-忠光-忠通と伝わる三代の塚があります。忠通は三浦党・鎌倉党の祖とされ、曾孫に鎌倉五郎景政が連なります。

 宮前御霊神社は940(天慶3)年に村岡五郎良文が勧請して戦勝祈願したのが始まりで、旧村岡城の至近にあることからか神奈川県内の13社に分霊したとされます。神奈川県下の御霊神社は、旧鎌倉郡10社など合計20社に及ぶそうで、名称は御霊神社・御霊社・五霊神社・五郎神社など様々です。

 祭神は早良親王・鎌倉権五郎景政・葛原親王・高見王・高望王、権五郎が連なるのはその武勇によるものでしょうか。境内社は十二天王・疱瘡神・矢竹稲荷大明神・七面宮。

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 鎌倉道上道が北側斜面を数100mほどですが通過しています。古道の木立の切れ目から東海道本線、その先に湘南ヘルスイノベーションパークが見えますが、この一帯に村岡新駅を建設する計画があるようです。

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 南西1㎞強に川名御霊神社が鎮座するのは、やはり旧村岡城に近いからでしょうか。社名碑の揮毫者は海軍中将・東郷吉太郎。近くのJR東日本旧大船工場引き込み線跡の前身は横須賀海軍工廠深沢分工場で軍人の住宅もあったと云うことで、その関係でしょう。路上観察の種は尽きることがありません。

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  記録日:2021年4月7日

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