金沢道を辿る:金沢の古い地形3
白山道(しらやまみち)は、鎌倉・金沢間を結ぶ最初の古道、武相尾根越えになります。呼称は、かつて釜利谷奥にあった白山寺(はくさんじ、白山堂とも)へ行く道の意味です。最初は鎌倉・釜利谷間、後に称名寺付近間まで延びます。現在、鎌倉・釜利谷間は古道を失ないましたが、釜利谷・称名寺付近間は概ね古道跡を辿れます。
往時、鎌倉から釜利谷に向かって武相尾根を超えると長い谷戸の最奥、進むに従い谷戸は開け、やがて内海の北端になります。
現在、谷戸は宅地化していますが、狭い道筋は地形に沿い、うねるように延びて古道の俤が感じられます。横浜市歴史博物館の中世金沢(往時は六浦)のジオラマと現在の写真で雰囲気が伝わるでしょうか。
往時、内海が見えだす辺りは、少し時代が下ると金沢八景・小泉夜雨の景勝を称賛された場所です。
やがて内海の浜辺は海に突き出た白井崎に遮られます。
現在、京浜急行金沢文庫駅の西側に平行して見える小高い丘が白井崎です。各所を削られて細っていますが。駅前ロータリから建物の間に先端部が、駅のプラットホームから左右に延びる小高い地形が、谷津浅間社の参道途中から丘陵部から延びる岬跡が確認できます。
往時、谷津の富士坂切通を抜けると、称名寺の裏山・金沢山から続く君が崎が横たわります。先端を回り込んで称名寺付近に向かいます。
現在、君が崎の先端は、金沢文庫駅の南東数100m、君が崎交差点脇の小高い丘で確認できます。北側のバス通りを駅から称名寺まで歩くと、削平されていますが起伏で、かつての岬がそれとなく感じられます。
地形は大きく変化しましたが、古の俤を見つけ出すのも路上観察の楽しみです。
(2020年12月18日記録)
#大鎌倉 #金沢 #六浦
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