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2020年12月 6日 (日)

金沢道を辿る:金沢の古い地形

 これから暫くの間、鎌倉市・横浜市金沢区間の古道を考察します。始めるに際して次の2点を知って頂くと話が円滑に伝わると思います。

 金沢区の古称は武蔵国久良岐郡六浦荘、六浦荘には六浦本郷・釜利谷郷・金沢郷・富岡郷の4つの郷があり、本郷は地域の中心を意味します。往時は六浦荘が上位にあり、金沢郷を内包しています。ところが現在は、金沢区の六浦町・六浦東町・六浦南町であり往時とは広狭が逆転します。
 必要に応じて明記しますが、通常は現在の概念を用います。

 金沢区の地形は江戸時代に始まる新田開発、近年の沿岸部埋立で大きく変化します。
 しかし古道を変化させる要因は、朝比奈切通開削、瀬戸橋架橋です。朝比奈切通開削は、武相境の尾根を越える難儀を解消して鎌倉・六浦本郷をより密接に結びます。瀬戸橋架橋は、高々数10m幅とは云え通行を阻む潮の早い瀬戸の通行を容易にして六浦経由で鎌倉・金沢郷をより密接に結びます。より早く、より容易に通行できる道筋への変化と捉えられます。
 海が陸に奥深く入り込んだ近世初頭の地形に、後の変化の様子を重ねて示しておきます。

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 図出典:松田磐余「江戸東京・横浜の地形」 
     (神奈川県立金沢文庫(1993)による「金沢八景図」の主要部分を編集して簡略化)に加筆

   (2020年12月6日記録)

#大鎌倉 #金沢 #六浦

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