金沢道を辿る:金沢の古い地形4
往時、鎌倉から釜利谷に向かって武相尾根を超えると長い谷戸の最奥、進むに従い谷戸は開け、やがて内海の北端になります。
江戸時代になって世の中が落ち着くと物見遊山に出かける人も増えます。江戸を起点にすると、鎌倉・江の島巡りは三泊四日の旅程だったようです。金沢経由で鎌倉に向かうと、金沢近くになって能見堂を通過します。現在は削平された跡が残ります。
幕末の浮世絵師・歌川広重は金沢の金沢八景を描いていますが、この八つの景勝地は能見堂から見えたものです。金沢八景は改めて案内しますが、その一つ「小泉夜雨」が、長い谷戸を抜けて初めに見る内海の辺になります。
この周辺の様子を、横浜市歴史博物館の中世金沢(往時は六浦)のジオラマで示します。
金沢文庫駅近くの正法院の裏、赤井不動まで上ると目の前に「小泉夜雨」の光景が広がります。もちろん海などありませんし、事前の知識がなければ気付くこともないでしょう。足元のバス通りまで海が入り込んでいました。正面の丘の右側に現手子神社が、左側が「小泉夜雨」の地です。
(2020年12月20日記録)
#大鎌倉 #金沢 #六浦
最近のコメント