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2020年8月14日 (金)

柏尾通り大山道追分

 旧東海道戸塚宿の江戸寄りにある追分から大山に向かう道が柏尾通り大山道です。歌川広重描く『東海道五十三次細見図会・程ヶ谷』で様子が知れます。旅の一行が大きな木刀を担いでいますが、大山に奉納する風習があったそうです。白丸が追分、後方に大山が描かれています。

1_20200814114601(引用:国立国会図書館デジタルコレクション)

 追分に不動堂があります。閉ざされているので中の様子は詳しく分かりません。賽銭を投げ入れる僅かな開口部から覗いた限りでは、大山道と刻んだ台座の上に不動座像が載っているようです。少し先に進んだ永明寺別院門前の道標に類似すると感じます。

2_20200814114601 3_20200814114601

 堂前に道標4基、燈籠1基、庚申塔1基が建立されています。道標の方向指示が実際の向きと合わないものは、周辺から移設したと考えられます。

 ここで話題にするのは最も大きな道標1基です。
 明治5年、下総葛飾郡加村の船大工鈴木松五郎の建立です。これから明治初めはまだ大山詣が続いていた、建立主が加村の船大工であることから江戸川を利用した舟運が盛んだったと想像します。船大工も繁盛して立派な道標の建立に至ったのではないでしょうか。

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 加村は現流山市ですが、河口の現市川市から江戸湾(東京湾)へと繋がります。横浜市金沢区の上行寺開山は、現市川市にある中山法華経寺3世日祐上人です。舟が神奈川湊(大山道)を経由して六浦湊(上行寺)へと進むのは造作ないことでしょう。江戸湾(東京湾)の舟運は意外に発達していたのではないでしょうか。

 1基の道標から逞しく想像しましたが、これを仮説として裏付けの資料を探します。
 
  (2020年8月14日記録)

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