« 横浜市都筑区川和の道祖神 | トップページ | 武蔵本牧の鼻 »

2020年7月21日 (火)

昔の海水浴場

 多くの海水浴場のオープンされない今夏ですが、古い新聞記事にある海水浴場の様子を。

 大正14年8月30日付けの「横浜貿易新報」に、県保安課調査による最近10日間の神奈川県下海水浴場入場者数の記事が掲載されています。その内訳は。

   葉山  118511  鎌倉  112520
   磯子  59182  本牧  37119
   子安  25756  横須賀 11235
   小田原  9560  藤沢   9351
   三崎   5963  大磯   1793
   浦賀   1771  川崎   1537

 例年なら、今頃賑わっている海水浴場も混ざっています。しかし横浜市内の磯子、本牧、子安が海水浴場であったことなど、知らない人が大半でしょう。

 江戸時代に遡れば子安辺りは、「江戸時代前期、魚を将軍家の台所に納めることによって特別権益をあたえられていた浦方」、すなわち御菜八ガ浦の一つでした。磯子、本牧も良い漁場であった筈ですが、人力に寄る運搬が主であった時代、江戸は遠かった。

 経済繁栄を欠くことは出来ませんが、それが環境破壊を引き起こしている事実を忘れてはいけないのだと思います。かつての海水浴場の近くを歩く機会があれば、昔の浜に建立されている漁師たちの慟哭の碑の前で立ち止まるのは如何でしょうか。

 写真は、本牧市民公園の一角に建立されている記念碑です。
20151116_3185

  (2020年7月21日記録)

| |

« 横浜市都筑区川和の道祖神 | トップページ | 武蔵本牧の鼻 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 横浜市都筑区川和の道祖神 | トップページ | 武蔵本牧の鼻 »