昔の海水浴場
多くの海水浴場のオープンされない今夏ですが、古い新聞記事にある海水浴場の様子を。
大正14年8月30日付けの「横浜貿易新報」に、県保安課調査による最近10日間の神奈川県下海水浴場入場者数の記事が掲載されています。その内訳は。
葉山 118511 鎌倉 112520
磯子 59182 本牧 37119
子安 25756 横須賀 11235
小田原 9560 藤沢 9351
三崎 5963 大磯 1793
浦賀 1771 川崎 1537
例年なら、今頃賑わっている海水浴場も混ざっています。しかし横浜市内の磯子、本牧、子安が海水浴場であったことなど、知らない人が大半でしょう。
江戸時代に遡れば子安辺りは、「江戸時代前期、魚を将軍家の台所に納めることによって特別権益をあたえられていた浦方」、すなわち御菜八ガ浦の一つでした。磯子、本牧も良い漁場であった筈ですが、人力に寄る運搬が主であった時代、江戸は遠かった。
経済繁栄を欠くことは出来ませんが、それが環境破壊を引き起こしている事実を忘れてはいけないのだと思います。かつての海水浴場の近くを歩く機会があれば、昔の浜に建立されている漁師たちの慟哭の碑の前で立ち止まるのは如何でしょうか。
(2020年7月21日記録)
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