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2020年6月25日 (木)

連載エッセイ「南仏の街で、僕はバレエのことを考えた。」を読んで

 小林十市 連載エッセイ「南仏の街で、僕はバレエのことを考えた。」全10回を読了、「【第9回】今回は“一問一答”でお届けします。」を興味深く感じました。

 小林は、かつて「ベジャール・バレエ・ローザンヌ」の元バレエダンサー、今は振付家・指導者ということで良いのでしょうか。
 
 家族がどうであろうと個人の生き方に関係ないとは言え、祖父は人間国宝の5代目柳家小さん、弟は柳家花緑というのは割とよく聞く話。なぜ彼がバレーダンサーになったか、母は俳優座養成所(16期生卒業)の小林喜美子(知らない)が、閃いたらしいのです。

 1990年代初めに何度かベジャール公演を見たのですが、その頃に彼も入団したようです。ジル・ロマンとショナミルクがソロの「春の祭典」、小林はコールドバレーだったようですが気付いていません。「タラサ、我らが海」では小林が最初に踊り出しました。
 とにかくこの数年前から色々な舞台芸術に接するようになりました、「四十にして立つ」です。

 2007年の新国立劇場「異人の唄 - アンティゴネ」に、演劇俳優で出演したのを一度見ています。

 一番最初に見たモダンダンスのカンパニーは「ローザス」で、そこに日本人が一人いました。後に池田扶美代と知れます。ベジャールは二番目か三番目です。何も知らないのに、物おじもせずによく出かけました。エッセーを読んで、昔を少し思い出しました。

  (2020年6月24日記録)

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