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2020年5月

2020年5月26日 (火)

感想「黒川能 船曳由美著 集英社」

 1_20200526142901黒川能(重要無形民俗文化財)の名前を何で知ったか定かでない。かなり古くから頭の中にある。
 山形県東田川郡櫛引村黒川(現鶴岡市黒川)で真冬に行われる神事能、即ち人に見せる能ではなく神様に見ていただく能。奉納される環境・条件を想像して、その場に臨むことはないと思って、詳しく調べたことがない。

Photo_20200526142701 昨年末に新聞1ページ(2019.12.9朝日新聞夕刊)を使った黒川能の紹介記事を見て、能は年に何回か奉納されることを知る。村に黒川能を紹介する会館が出来ていることも。その場に臨む姿を何となく想像できるようになる。直後に本書を知るのは、一読のうえ鶴岡に行けとの啓示のように思えた。

 著者は1962年に平凡社入社、翌年創刊のグラフィック雑誌『太陽』編集部に配属される。まだ新米の時代に、周囲の人たちにも恵まれ、初めて黒川能のカメラ取材を実現させる。成果は『太陽』1966年2月号「雪国の秘事能」にまとまる。以来半世紀の揺籃期を経て本書がまとまる。秘事能を中心に、一年を送る村人たちの緻密な記録に心動かされる。優れた民俗学的な記録になっていることに敬意を抱く。
 ただし想像できるだろうが内容は地味である。

 なぜ著者と黒川能が出会ったか。『太陽』の特集で祭りや伝統芸能を取り上げようと思ったところ、先輩が農民詩人・真壁仁の詩集を貸してくれて「農民の伝統芸能ならば黒川能につきる」と言われたことがきっかけになる。こう言い切れる慧眼の先輩の存在が本書を生み出すことになる。

 年に何回か奉納される能のメインは「王祗祭」、旧正月にあたる2月1・2日に催される。村は上座・下座に別れ、それぞれに能太夫以下、幼児・少年・若者・長老、年齢・経験に応じた役割分担がある。何しろ氏子ならば誰もが能を奉納できる、いや義務とさえ言われている。
 現在、能五流が保有するレパートリーは260番前後、黒川能はその倍以上の540番ほどある。その年の能が披露される当屋は持ち回りである。

 1日、春日神社の御神体「王祗様」を当屋に迎え、夜を徹して能5番・狂言4番、付随する神事が催される。
 2日、「王祗様」は神社に還り、両座は春日神社に参集する。幼児の大地踏み・翁・三番叟・神事を挟みながら能を奉納する。上座・下座のレパートリーに重複はない。

 現在は当屋が公民館に代わるなどしているようだが、その本質はなお伝えられている。伝統を伝えるのは困難な時代だが、末永く続いて欲しい。

 最後に詩の冒頭を引用する。

   しろき面の翁 粛々と舞ひぬ
   くろき面の翁 嬉々と舞ひぬ
   敬恭と感謝とかれにあり
   喜悦と祝福とこれにあふる
     どうどうたらりたらりら
     ちりやたらりたらりら
   ・・・   

 真壁仁「神聖舞台」は、まさに「翁」が舞い始められているようだ。著者は気難しいと言われた能太夫の家に、真壁の書の軸が掛けられているのを目の当たりにした。伝統と現代文学の幸福な融合がそこにある。信頼関係が存在する。

 進行をまとめたタイムテーブルが添付されるとより理解が進む。否、自分で作れば良いのだ。

    
 
  (2020年5月26日記録)

 

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2020年5月10日 (日)

能の中の六浦

1.六浦が登場する曲目

 横浜市中で能の舞台となっている場所は、六浦の他に無いようです。

 この場合、六浦と云っても現金沢区の範囲を指していて、現六浦町ではありません。鎌倉時代の行政区分は、六浦荘の下位に六浦本郷・金沢郷・釜利谷郷・富岡郷があります。現在は金沢区の下位に六浦町があります。どちらの六浦かは、文脈で判断します。

 ここでは、六浦荘が舞台となる曲目、六浦の地名が出る曲目を整理します。

2.登場者が辿る道筋

 六浦を舞台とする曲目は2曲、六浦の地名が登場する曲目は1曲あります。登場者たちが辿る道筋は次のとおりです。

  「六浦」  都~鎌倉山~六浦(称名寺)~(航海)~安房の清澄
  「放下僧」 下野国~瀬戸の三島(瀬戸神社)
  「鵜飼」  安房の清澄~(航海)~六浦~鎌倉山~津る(都留)~いさは(石和)

 鎌倉山は現鎌倉市深沢地域のそれを思い浮かべますが、どうも違うように思えます。
 「六浦」と「鵜飼」では辿る向きが逆ですが、鎌倉山~六浦~安房の清澄を辿ります。現金沢区大道で想像できるように、海上交通を含めて主要道だったことでしょう。

3.能「六浦」

 作者不詳の作品で「むつら」と読みます。
 あらすじは、「東国行脚の僧が相模国六浦の称名寺に立ち寄ると、周囲の山々は紅葉の盛りなのに、紅葉しない一本の楓を見つけます。不審に思う最中に一人の女がどこからともなく現れ、訳を語ります」。

 六浦の称名寺が舞台となりますが、次の台詞に出てきます。
 『~明け行く空も星月夜鎌倉山を越え過ぎて、六浦の里に着きにけり着きにけり』
 『千里の行も一歩より起るとかや。遥々と思ひ候へども、日を重ねて急ぎ候ふ程に、これははや相模の国六浦の里に着きて候。この渡りをして安房の清澄へ参らうずるにて候。又あれに由ありげなる寺の候を人に問へば、六浦の称名寺とかや申し候程に、立ち寄り一見せばやと思ひ候』。

 六浦は武蔵国にあって相模国ではありませんが、相模国鎌倉郡と一体と思われている証かも知れません。称名寺の山号は金沢山、六浦ではなく金沢と思われるでしょう。鎌倉時代は六浦荘金沢郷で、現在と広狭が逆転しています。
 鎌倉山から六浦、海を渡って安房の清澄へ向かうことが分かります。

Photo_20200510012701

4.能「放下僧」

 一説に世阿弥の作品で「ほうかぞう」と読みます。
 あらすじは、「下野国の住人・牧野小次郎は父の仇利根信利を討つべく、出家の兄に助成を頼みます。二人は流行の放下と放下僧に身をやつして故郷を立ち、人の集まる瀬戸の三島明神にて仇に出会うのを待ちます」。

 瀬戸の三島が舞台となりますが、次の台詞に出てきます。
 『それがし存じ候ふは、このごろ人の玩び候ふは放下にて侯ふほどに、おん身は放下僧におんなり侯へ、殊にかの者禅法に好きたるよし申し侯ふ間、禅法を仰せられうずるにて侯、また人の多く集まり候ふは瀬戸の三島にて侯ふほどに、瀬戸の三島へおん出であらうずるにて侯』。

 放下は大道芸の一種です。瀬戸の三島明神は、現横浜市金沢区の瀬戸神社のことで、瀬戸三島明神とも呼ばれます。

5.能「鵜飼」   

 一説に榎並左衛門・世阿弥改作の作品で「うかい」と読みます。

 あらすじは、「安房清澄の僧たちが甲斐の国行脚に出かけます。辿り着いた石和で鵜飼の老翁に出会い、殺生を生業とする罪深さを説きまが、鵜飼は若い頃よりの生業で今さら改められないと。僧は数年前に密漁の見せしめで殺された鵜飼の話をすると、自分がその亡者と明かして懺悔に鵜使いの様子を見せて消えます。僧たちが経を手向けると、地獄の鬼が現れて亡者が救われたと告げます。

 舞台は甲斐の石和ですが、道筋の六浦が次の台詞に出てきます。
 『行末いつとしら浪の、安房の清澄立ち出でゝ、六浦のわたり鎌倉山、やつれはてぬる旅姿旅姿。拾つる身なれば耻られず、一夜かり寝の草むしろ。鐘を枕の上に聞く、津るの郡の朝立も、日たけてこゆる山道を、過ていさはに着きにけり着きにけり』。


6.参考文献
 1.「能楽ハンドブック第3版」 小林保治編 2008年4月20日 (株)三省堂
 2.「謡曲全集上巻」 明治44年1月1日 国民文庫刊行会
 3.「謡曲選」 松田・小林・石黒・斎藤編 1997年6月1日 (株)翰林書房
 4.「謡曲集」 横道万里雄・表章校注 昭和38年2月5日 (株)岩波書店

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2020年5月 5日 (火)

黒澤明『姿三四郎』のロケ地、横浜市西区の浅間神社

 街歩きで立ち寄る浅間神社は、いろいろな切り口があります。由緒に源頼朝がでてきますし、江戸名所図会には人穴が描かれています。ここでは映画の話題を。

 映画監督・黒澤明の初作品は1943年公開の『姿三四郎』、主演は大河内傳次郎です。クランクインは前年12月、芝生の浅間神社境内のロケと伝わります。
 神社は1945年5月の横浜大空襲で焼失しています。焼失前は神明造(?)、今は浅間造になっています。三四郎と小夜が出会う階段も作り変えられていることは歴然です。周囲に映っている家並みは、旧東海道側と恐らく三ツ沢から下って来る大坂、現在の浅間下交差点の山寄りだと思います。

 Shrine1Shrine2  Up1Up2 Down1 Down2
 公開から80年弱経過しています。どこでも街並みは変わっているでしょうが、横浜中心部は第二次世界大戦の横浜大空襲で焼失していますから、他のどこより変化しているでしょう。映画に留められている街並みは、記録としても貴重に思います。
Street1 Street2

 神社から500mほど南西の浅間台は、1963年公開の『天国と地獄』のロケ地です。タイトルバックに往時の横浜駅西口の様子が留められています。著作権保護期間中ですから、興味あればDVDで視聴して下さい。

 

  出典:「姿三四郎」 1943年 東宝株式会社

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