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2020年4月19日 (日)

横浜の浦島太郎伝説

 かつて観福寿寺が、京急神奈川新町駅辺りの山手・横浜浦島が丘にありました。廃される時、浦島太郎伝説に関する事物は、七島町の蓮法寺と神奈川本町の慶雲寺に分けられました。

 横浜の浦島伝説は、逸失した「丹後国風土記」に伝わった内容と民間伝承が合わさったもののようです。「風土記」は、帰郷した丹後の人浦島が玉手箱を開けた結果、若さを失って老人と化すところで終わります。が後段の説明に、太郎は武蔵の出身であり、丹後から箱根峠まで玉手箱を開けずに保持していたとされます。

 観福寿寺に伝わった縁起は、丹後で老爺となった浦島が、父母の菩提を弔うために神奈川にやってきたことになっており、太郎は父母の墓のそばに庵を結び、姫から贈られた菩薩像(竜宮守護の本尊)を安置したとされます。

 慶雲寺は幕末にフランス領事館として使われた史実が残りますが、同時に浦島寺として知られます。境内の観音堂には、浦島観音と両脇に浦島太郎・乙姫像が祀られています。観音は亀の上に立ち、浦島は玉手箱を持っています。堂脇の石柱には、淳和天皇勅願所と刻まれ、脇に父・浦島太夫、子・浦島太良と刻まれています。
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 この観音堂は、いつ行っても閉ざされていて拝することが出来ないので、ある時寺の人に聞いたら子年開扉だと。5・6年前の事だったと思います。今年は子年、先日念願をかなえましたが折しもコロナ禍、開扉期間が短縮されてしまいました。次の子年を待って下さい。あるいは特別開扉があるでしょうか。

 蓮法寺の門前に亀の像、京急子安駅近くに埋められてしまいましたが浦島太郎の足洗川碑があります。  (2020年4月19日記録)
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