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2018年8月25日 (土)

横浜の史跡と名勝『40.久保山官修墓地』

 横浜市営久保山墓地の一角に長州藩官修墓地があります。どのような性格の墓地かは案内の碑文で知れます。

『長州藩官修墓地
 慶応三年(一八六七年)におこなわれた大政奉還によって起った戊辰戦争(一八六八年)は日本を混乱の渦に巻き込んだ。
 この戦いにより数多くの戦士が傷つき斃れたが、当時の日本医学は銃創を治療する技術が貧弱で、官軍の負傷者は横浜に送られイギリス人医師ウィリアム・ウィリスが野毛(後に大田陣屋内に移転)に解説された横浜軍陣病院(後の東京大学付属病院)で治療した。
 しかし、不幸にも亡くなった者は明治七年七月に久保山共葬墓地が定められた時ここに移送された。
 この墓は長州藩士のもので墓碑を見れば奥州白河、棚倉、若松などの戦いで負傷したことがわかる。
 この官修墓地以前神奈川県が管理していたが、ほとんど無縁のままの状態で荒廃していたため、この度旅西区観光協会並びに山口県においてその整備が行われた。
                            昭和五十六年三月
                            西区観光協会
                            山口県』

 戦士の墓碑は7基ありますが、背面の経歴で「鳥羽之役」「小田原之役」で負傷した者もいると知れます。
20180824_9672 20180824_9655

 久保山墓地には、他に土佐藩と西南之役の官修墓地はがあるようです。異境の地で永眠する人のいることを多くの人に知って頂きたいと思います。最寄駅は相鉄線西横浜駅、ほぼ南に向かって久保山墓地に入り、島茶屋の前を道なりに上ると案内があります。途中で保土ヶ谷道を横切ります。

   (2018年8月24日記録)

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