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2018年8月 4日 (土)

横浜の史跡と名勝『84.小机泉谷寺と廣重の筆』

 『84_4東紳奈川駅から横浜線に乗り替へて、菊名の次が小机駅、今はこの町も横浜市の一町に編入された。駅から右手へ城山の切通しを過ぎて五六町行けば、老松古杉の自らなす閑寂を風光のうちに、松亀山泉谷寺がある。この寺は浄土宗であって、関東十八檀林の総頭江戸三縁山増上寺の法類といわれ、昔はなかなかの貫録を示したものであった。

84a_2  この泉谷寺の本堂に、一立斎廣重描くところの大作があった。八枚の杉戸に桜の古木が横走し、しかも同じく苔むした枝からは、爛慢たる花の開いて居るさまが描かれて居る。数々あろうなれども、かような廣重の大作は、恐らく天下一品であろうと思はれる。

 この絵は郷土の史賞を探索する人々の間には、かなり古くから知れ渡って居るものであった。しかしいわゆる機感が熟せなかったか、ついに今まで多くの鑑賞家に、知られずに来たものである。近来不図したきっかけからこの大作も、天下に紹介せられるようになり、横浜としての誇りを、世に公にすることのできるようになったのは何としても愉快である。

 同じ小机町に村岡を姓とやる紺屋がある。この家は旧家であるが、ここにも未だ世に知られぬ廣重の筆がある。袋戸棚の四枚に、淡彩を施した四季の絵で、桜、杉山、菊に胡蝶、寒牡丹が風韻高く書かれ、これに亀山と号する人の手になる詩歌俳諧などが讃として添へられてあった.村岡家代々の伝うるところでは、この亀山と称する人こそ、泉谷寺の住持であり、しかも廣重とは兄弟の間柄であつたといふ松亀山の山姥から探って雅号としたものか、俚伝では後にこの僧、京の黒谷に移席したという話である。

 廣重は安政五年、齢六十二を以て没した。さすれば寺に来って長く遊び、天保の剃髪から太く俗人との交りを忌んだといふ話と照応して、見えざる歌川の筆道史に、一の逸話を残すものであらう。』

   出典:横浜郷土史研究会「横浜の史跡と名勝」 1928(昭和3)年


 泉谷寺は小机領子年観音霊場第一番。写真では茅葺の本堂と見受けられますが、すでに建て替えられています。広重の絵は非公開です。長い参道があって、いまでもなかなかの風格を漂わせています。

   (2018年8月4日記録)

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