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2017年3月

2017年3月27日 (月)

「共謀罪」法案についての多少の思い

 テロ対策のためと言われる「共謀罪」法案の審議が進んでいる。国家テロなる言葉もあるように、テロの定義はあいまいだ、少なくとも私の中で。そこで頼りにしているのは古い雑誌の記事、全文掲載はできないので肝心と思われる部分を引用しておく。多少とも参考になるか。

 「明確な政治発言を促進する会」は、ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックスの2002年10月10日号から続けて3号で、次のような広告を掲載した。

 『懸賞募集…「テロリズム」定義する。条件は、(a)戦法としての特徴を明確にする、ただし(b)米国の軍事戦略・戦術を除くこと。この二つの条件をかなえる定義を最も早く提出した者には賞金1000ドル提供。』

 発起人たちには、米国政府が「対テロ戦争」を開始しながら、政府当局者も国民も「テロ」とは何かについて完全に混乱しているよう見えたからである。

 『明確な定義なしには、どこを攻撃し、攻撃する資格があるのは誰かについて確信が持てないではないか。米軍がこのような戦争を行いうる主体であるためには、上記の(a)および(b)という条件を満たすような「テロ」の定義が可能でなければならない。このような定義を下せる人がいることを期待して、私たちは懸償募集のスポンサーになる決意をしたのである。』

 『ではいったい、テロとは何なのか。
 私たちが驚いたのは、応募者の誰ひとりとして、手始めにオックスフォード英語辞典(OED)その他の古い権威のある出典にあたるという、自明の手段をとらなかったことである。OEDの定義はためになる。

 テロリズム…
 1.フランス箪命当時、一七八九年から一七九四年まで政権党が命令し実施した脅迫による統治。「恐怖」政治(一七九三~九四)。
 2.(一般的に)選択した相手に恐怖を与えることを意図する政策。威嚇という方法を採用すること。恐怖を与えている、あるいは恐怖にさらされているという事実。
 「テロ(テロリズム)」とはもともと、一部の国民を無作為に殺害して国艮を服従させようとして政府が用いた方法を意味した。「恐怖政治」に決定的に重要なことは、法律の崩壊であった。法の支配の下であれば、どのような行動に出れば国家の暴力がふりかかるか、かなり確実に考えることができる。』

 『テロの意味はその後さらに拡大し、国民を相手にした国家の戦争の一戦略だけでなく、国民が国家を相手に行使する戦略、あるいは植民地の住民が宗主国に対して行使する戦路も含むようになった。また、国家間の戦争にも用いることができる。これは敵の士気をくじく戦略であり、犠牲者を選ぶのに際して一切のルールを拒否し、敵のグループの誰一人安全ではいられないようにする。』

 『「いっさいのルールを拒否する」とは、国家が国民に向けてテロを行っている場合は、一般に知られている刑法を無視することで、どのような行為が罰せられるのか、国民にまったく分らないようにすることを意味する。戦時下の軍隊の場合は、非戦闘員の殺戮を禁止した戦争法に従わないことで、誰ひとり攻撃を免れる道はなくなることを意味する。』

 「テロ」の語感に「恐怖政治」の意味合いは希薄だ。「共謀罪」法案に反対する者の意識は、「恐怖政治」に向くのだろう。私もそう感じている。

出典:題名:テロの定義とは?(Concerning a Small Matter of Definition)
   著者:C・ダグラス・スミス
   訳者:加地永都子訳
   書名:世界・2004年2月号 P97-108
   発行:岩波書店

   (2017年3月27日記録)

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2017年3月24日 (金)

2017年3月23日の国会証人喚問について

 昨日は風邪気味のため外出せず、国会証人喚問を通して視聴した。解明すべき事態の当否を別にして、証人喚問の推移を私なりに総括すれば、次のようになる。

 虚偽の証言をすれば偽証罪に問われるとの状況下での籠池氏の発言は、明瞭で、小気味よいくらいのテンポだった。もちろん刑事訴追の恐れのある個所で発言回避に物足りなさは感じたが、致し方ないだろう。全体的として誠実に対応したと判断できた。

 非難されるべきは与党議員、真実を追求するベクトルはほとんど感じられなかった。この件に関して、早く沈静化させようとの意図が滲み出ていた。最初の質問者・西田参院議員は、「資金繰りが見通せないない中で学校経営に乗り出したのが悪い」と畳みかけたが、「議員の言っていることは的外れ」と一蹴された。仮に資金繰りが問題であっても、土地がを購入できて、学校建屋が形を表している現実こそが問題であろう。下地衆院議員に至っては、発言の端々で威圧、恫喝しているようにも感じた。そして「梯子をかけたのは大阪府知事で、証人が滑り落ちた」と。これは、とりようによっては大阪府知事が便宜を図ったと言ったととれるが、どうも自滅の感が強い。
 近々の選挙もうわさされているようだが、与党議員は選挙の際に刺客を立てられないように点数稼ぎをしているのではないかと感じた。真実の究明などどうでも良いと言うように。

 野党議員は、政権へ打撃を与える意図もあったと思えるが、総じて証人に寄り添うような態度を見せながら、真実に迫ろうとの意思が感じられた。例えば、枝野衆院議員が証人の発言に対して「経緯からしてにわかに信じがたい(阿部夫人への問い合わせに対して、谷さんからのFAX回答があった)のだが、偽証罪に問われることがあります。」と再確認をするようなところ。

 証人喚問が終了して退出しようとしている証人のもとに歩み寄って挨拶していたのは恐らく宮本衆院議員、音声は無いけれど様子からして労っていたと思われる。議員も様々と感じた。

 証人喚問は真実を追求する場だから、証人の口から出た数々の関係者は、いかがわしい思いがなくても証言をするべきだろう。証人の重みを持った発言に対抗できるのはそれしかない。
 いかがわしいことがないのになぜ証人喚問をされなければならないのか、などの発言は印象操作であり、レッテル貼だろう。   (2017年3月24日記録)

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