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2015年11月

2015年11月23日 (月)

随想:歴史にもおさらば記憶にもおさらば、だがそれも良くない

 テロと戦争状態は異なるものだろうか。過激派組織や国家を持ち出してその差異を強調する試みもなされる。しかし、非戦闘員である一個人のさらされる状況を思えば、私はどちらも同じものと感じる。

 世の中には言葉に心血を注ぐ人たちがいて、言語学者はともかく、文学者だったり演劇者だったり。そういう人たちから多くの刺激を受ける。

 言葉に心血を注いで貰いたい人たちに政治家を加えたい。この書きまわしは、政治家が言葉に心血を注いでいないと感じるからだ。

 テロ行為は憎むべきもので撲滅すべきものだが、そのためにいかなる手段を取っても良い訳はない。気になって残しておいた小文「テロの定義とは(*1)」、全12ページの一部を引用しよう。

 「元来テロとは政府のひとつの行動を直接指していた。第二次大戦からその後数年の間、地域爆撃はテロ爆撃と呼ばれていた。今日ではこの側面は主流の使い方から姿を消している。国家テロ、とくに米国の国家テロが姿を消したからではない。私が本論で示そうとしたように、国家テロは消えてはいないのである。むしろ、国家テロを目に見えなくしようとする政治的動機をもつ運動の緒果、この言葉は歪曲された。言語から名前をつける手段が奪われたのである」。

 先日、横浜市南区の中村八幡宮境内で忠霊祠を見つけた。小さな社は簡素な鞘堂で覆われ、その内側左右に顔写真が掲げられていた。案内に「大東亜戦争をはじめとして戦死戦病死された中村八幡宮の英霊四百四十余柱を祀る」と記されていた。
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 亡くなられる直前に撮られた写真ではないだろうけれど、それでも年頃の男性は戦死だろう。
 しかし女性や子供は。一部の人たちは、可能性として第二次世界大戦の横浜大空襲に思い当たる。この辺りは被害が発生している。忠霊祠建立や往時の様子について知りたい。教えを請いに出向こうか。

 沖縄の平和の礎の前では言葉を失う。知覧の幼さの残る特攻隊員の写真を見て、さぞや無念であったろうと想像する。信濃デッサン館の私に描けないけれど稚拙さの残る作品を見て、後の芸術家の芽を断ち切ったと感じる。

 元に戻せないが、繰り返さないことはできる。原爆を落とされて、島の形の変わるほどの艦砲射撃を浴びて、大空襲で命や家屋を失った日本が、敗北を抱きしめて今に至ったことに思い至れば、テロ撲滅に対して重要な役割を帯びていると考えて不自然ではない。そのためにこそ「積極的平和主義」はある筈だが、この言葉も恣意的に捻じ曲げられている。

 「歴史にもおさらば記憶にもおさらば、だがそれも良くない」。演出家・鈴木忠志の舞台で頻出するフレーズだ。

  *1 「テロの定義とは?(Concerning a Small Matter of Definition)」
        C・ダグラス・スミス、加地永都子訳、世界・2004年2月号

   (2015年11月23日記録)

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