演劇:劇団サンプル「蒲団と達磨」
作 岩松了
演出 松井周
出演 古舘寛治、古屋隆太、辻美奈子、奥田洋平、野津あおい、
安藤真理、大石将弘(ままごと|ナイロン100℃)、田中美希恵(範宙遊泳)、
新名基浩、松浦祐也、松澤匠、三浦直之(ロロ)
会場 神奈川芸術劇場・大スタジオ
公演 2015年3月 6日(金)~15日(日)
鑑賞 2015年3月11日(水)
参考 公式HP
松井周・劇団サンプルは初めて。今回は岩松了の戯曲上演、普段と様子が異なるかも知れない。
昭和半ばを思わせる日本家屋の建て込み、見えるのは夫婦の寝室、蒲団が二組敷かれている。夫は寝巻、妻は留袖で各々の掛け布団の上に座っている。その日は娘の結婚式。長い沈黙の後に二人は話し始めるが。
多くの人物が登場。バスの運転手、夫の妹、妻の弟夫婦、家政婦とその彼氏、夫の(?)知り合い3人、妻の前夫。
俳優は皆、達者。流れは現代口語演劇。展開する話題にさしたる脈絡はない。ただし、場面場面を捉えればさもありなんの思いはする。シリアスか、コメディーか、不条理か。
冒頭の場面からして滑稽。
家政婦もいる恵まれた環境が想像できるが、結婚式から戻って大分時間は過ぎている筈だが、妻は着替えていない。運転手が傍らでごろ寝しているのに布団が敷かれている。一つ一つの出来事が旨く時間軸に嵌め込めない。伝統的な日本の夫婦関係がデフォルメされて表現されているのか。
夫婦の話題は様々に跳ぶ。妻が近所のアパートに部屋を借りたいと言ったこと。教師である夫が生徒から意外だと言われたこと。夫は、妻の前夫に時々会って別れた理由を聞き出そうとするが、要領を得ないこと。
妻が前夫に、夫が結婚してから変わったと言ったこと。夫は、変わったと言うのは、女に対して「やってもいい?」と言っていた男が「やらせろ?」と言うことかと詰め寄る。妻は、しばらく後に「回数のことを言っているんですか?」。
異質の話題は挟まるが、貫くのは夫婦の性生活とも思える。とするなら、他の登場人物が関与する余地は少ないのだが。
最後の場面、妻と夫・前夫が向き合って話している。そこでも要所に性生活の話題が出てくる。部屋の外に誰かがいる気配。夫は家政婦の立聞きかと思って声を掛けると、飛び込んできたのは妹。「兄さん」と泣きながら夫に抱き付く。夫は照れ臭そうにしながら二人は部屋を出ていく。
舞台は田舎の旧家のようだ。部屋は幾間もあるようだし、家政婦もいる。何より妹が「(兄さんは)学校の先生なんかで終わるようなひとじゃないのよ」などと言う。夫の家系には家父長制の意識がありそうだ。
夫も妻も再婚、年は離れている。妻には新しい家庭像がありそうだ。部屋を借りたいとか、結婚した娘の部屋は自分が使えないとか、前夫も交えた性生活の話題など。
周囲は、そのような家族に興味津々。家政婦は影に隠れて様子を伺うような所がある。友人たちは夫婦のなれそめが気になるし、未婚の妹の行く末も話題になる。
古い家族感と自立し始めた女性との葛藤が貫くテーマか。それは当事者の問題に留まらず、周囲に影響を与え、話題の中心にもなる。
岩松了は、答えを用意しない。漠然と漠然と話を進める。松井周は、面白さをちりばめながら脚本に忠実だ。面白さだけで評価するのは、この演劇を矮小化しそうだ。もっと考えろということだろう。
ただ、ここで描かれる状況から時代は大きく変化している。日本の伝統的な家族像が認識されていないと、面白い演劇に留まる気がした。「新・蒲団と達磨」が待たれる。
ところで達磨とは何か。
私の席からはっきり見えなかったが、夫の蒲団の下にはエロ本や小物が隠されている。ゆえに、蒲団に水をこぼされても動こうとしない。面壁九年の達磨のようでもある。あるいは、ギリシャ喜劇の女たちのセックスストライキに、手も足も出ない男たちのイメージも思い浮かぶ。さて、なんだろう。
(2015年3月23日記録)
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