音楽:音楽堂バロック・オペラ「メッセニアの神託」(日本初演)
曲目 アントニオ・ヴィヴァルディ「メッセニアの神託」(日本初演)
台本:ファビオ・ビオンディによるウィーン版(1942年)の再構成版
音楽監督・ヴァイオリン
ファビオ・ビオンディ
演出 弥勒忠史
出演 ポリフォンテ :マグヌス・スタヴラン (テノール) 男
メロペ :マリアンヌ・キーランド (メゾゾプラノ) 女
エピーティデ :ヴィヴィカ・ジュノー (メゾゾプラノ) 男役
エルミーラ :マリーナ・デ・リソ (メゾゾプラノ) 女
トラシメーデ :ユリア・レージネヴァ (メゾゾプラノ) 男役
リチスコ :フランツィスカ・ゴッドヴァルト(メゾゾプラノ) 男役
アナッサンドロ:マルティナ・ベッリ (メゾゾプラノ) 男役
演奏 エウローバ・ガランテ
会場 神奈川県立音楽堂
公演 2015年2月28日(土) 15:00~18:20(休憩20分×2回)
昨年11月、神奈川県立音楽堂開館60周年記念週間として色々なコンサートが開催された。今回のオペラは、少し遅いが掉尾を飾る特別企画。
舞台上に四角い小舞台、ステージ脇に続く左右の花道。残る舞台のスペースは海岸・砂浜の見立て。背の高い移動式衝立4枚が緞帳がわり、意外に機能的と感じた。
指揮はビオンディの弾き振り。演奏者はステージと客席の間のスペースに配置されたが、少し窮屈そう。楽器は良く見えなかったが、ホルンはバルブなしのナチュラルホルン。他もピリオッド楽器が使用されていただろう。指揮者脇の蓋を外したチェンバロは、演奏者が舞台に正対する配置だが、レチタティーヴォの伴奏を考慮してのことだろう。
歌手はテノール一人にメゾゾプラノ六人。これは出演者の末尾に記載したが、本来は男性歌手、ただしカストラート、に割り当てるパートに女性を起用したから。見た目の判りにくさはあったが、採り得る最善が選ばれたのだろう。
オペラの筋は、ポリフォンテによる王国乗っ取りの謀略と、エピーティデによる王国の奪還とエルミーラへの愛のドラマ。ギリシャ悲劇が底流にある。エピーティデはクレオンの偽名を名乗ってメッセニアに帰還するが、「アンティゴネ」でテーバイを乗っ取ったクレオンに通じるのだろう。ギリシャ悲劇に通じていると、もっと深い意味が隠されていることに気付くかも知れない。
最初に讃えよう、出演・演奏・演出・スタッフを。学究的な香りもそこはかとなく漂いそうな本公演、それも休憩込とは言え3時間20分の長丁場を飽きさせることなく、というよりこれがバロック・オペラだと言わんばかりのパフーマンスを繰り広げた。恥ずかしながら、予習もせずに臨んだにも関わらず、心より楽しめた。多少でも予習しておけばもっと楽しめた筈と、臍を噛む思いをした。
演奏は明るい響きでメリハリがあって堪能した。当然ながらイタリア的と感じたが、とても端正な演奏でもあった。管は魅力的だったが、特に二人のホルンが美しい音色、演奏も見事で心惹かれた。
歌唱は、一人の歌手がレチィタティーヴォとアリアを歌って退場、次の歌手が登場して同じように繋ぐ。それが最後まで延々と繰り返された。正確にそうであったと言うのは、ちょっと心許ないが。そして、最後を除いて重唱がない。アリアは、A・B・Aと旋律が回帰され、後のAの部分で華麗な装飾が加えられた。ある意味単調だが、それを単調たらしめない歌唱が要求されるということだ。そして、飽きさせることはなかった。
全員が見事だった。その中で最も魅力的だったのは、トラシメーデ役のユリア・レージネヴァ。ちょっと小柄ながら、声もクリアで技巧も見事、それを確かな表現で伝えられないのがもどかしいけれど、一つ抜き出ていることは判った。カーテンコールでの拍手も一番大きかった。
演出も変にぎこちない仕草を要求せずシンプルに徹したことが、良いパフォーマンスに結びついたと言える。弥勒自身がもともと歌手だから、コンサート・ホールでのオペラという制約を加味して考え抜いたことだろう。
衣装も和風あるいはアラビア風とも感じさせる、薄衣を重ねたようなゆったりしたデザイン。舞台に柔らかな雰囲気をもたらして見事。写真でも添えたいところだが残念。
ほぼ満席の客も讃えて良いかと。実にタイミングの良い拍手で歌手を盛り上げた。歌手も、客席の反応が心強かったのではないだろうか。とかく問題視される演奏会における拍手だが、今回は実に見事で気持ち良かった。
音楽堂のバロック・オペラは何回か聴いたが、今回は傑出していたと思う。これからも継続して欲しい企画だ。
(2015年3月18日記録)
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