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2015年2月

2015年2月24日 (火)

写真:「エバレット・ブラウン湿板光画展」

  名称   エバレット・ブラウン湿板光画展
  会場   横浜三渓園・三渓記念館
  会期   2015年1月30日(金)~3月9日(月) 、詳細は要確認
  鑑賞日  2015年2月24日(火)

  参考   三渓園
       エバレット・ブラウン

 「エバレット・ブラウン湿板光画展」、それは何だとお思いでしょう。写真展ですが、実は湿式コロジオン法という、写真技術史の比較的早い時期、日本で言えば幕末頃に出現した技術を用いて、現代の三渓園を撮影した作品による展覧会というところがポイントです。

 湿板とは、ガラス板に感光材を塗布して写真撮影するのですが、感光材が湿っている間に撮影しなければならないと言う制約のある技術でした。今回の撮影では、園内に仮設の暗室を設置したそうです。

 湿板による写真は何度も見ていますが歴史的写真ばかりでしたので、今、目の当たりにできる風景が撮影されていることがとても興味深いです。もちろんモノクロムですが、とても柔らかなトーンに仕上がっています。
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   (2015年2月24日記録)

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2015年2月20日 (金)

美術:横浜美術館『田中望展』

  名称   田中望展「潮つ路」(しおつち)
  会場   横浜美術館 アートギャラリー1、Cafe小倉山
  会期   2015年2月7日(土)~3月1日(日) 、木曜日休館
  鑑賞日  2015年2月12日(木)ほか

  参考   入場無料 
        田中望展「潮つ路」(しおつち)HP 

 横浜美術館「New Artist Picks(NAP)」企画は、年に一度の若手作家支援事業。主旨のとおり、田中望はまだ東北芸術工科大学大学院博士課程に在籍中。VOCA2014でVOCA賞(大賞)を受賞したことは最近知り得た後付けの知識。

 昨年10月初め、「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ2014」に出かけた際、東北芸術工科大学会場やオープンキャンパスを見学した。そこで「東北画」という概念を知り、通路に展示されている作品を観て、非常に興味深く思った。私の理解はまだ浅いけれど「東北に土着する様々な風俗・習慣などを対象にして絵画作品を制作する」ということと思っている。
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 ヨコハマトリエンナーレ2014における「やなぎみわ 新作演劇『日輪の翼』(原作:中上健次)のための移動舞台車」、そのスカート絵は、やなぎみわと相談を重ねながら〈東北画は可能か?〉で制作された。と言えば、少しイメージが湧く方もおられるだろう。

 しかしアーティスト・トークを聞いて、田中望は東北画には直接関わっていないと言っていた。それは尊重すべきだ。

 再びしかしだが、展示された作品のモティーフやマチエールは、私には東北画だろうと思えた。東北画を牽引していける作家たりえると感じた次第である。まあ東北画に押し込める意味合いはさらさらないけれど。

 

 アートギャラリー1に展示されている作品は2点、「太宝市」と「潮つ路」。
 「太宝市」は山形県鶴岡市の山王日枝神社に奉納された作品。3泊4日の取材に出かけて、食べるものはどこでも共通するのではないかと思ったそうだ。普段は人通りの少ない商店街に、祭事で大勢の人が集まる。商店街の未来を見ているのではないかと関係者に言われて、突然奉納の話になった。
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 「潮つ路」は今回の為の新作。横浜に来るのは初めて(昨年8月)、港から黒船を思った。交易船は文化を運ぶ。北前船を考えたが絵が描けなかった。交易でないもの、食は命に関わると進んだ。
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 Cafe小倉山には、日本海に浮かぶ飛島の昔語り題材にした絵本クリカラ竜岩の奇話」原画が展示されている。
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 私の推奨です。って信用されないでしょうけれど、まあ観て下さい。若い作家のこれからを見守るのも美術を愛する一つの楽しみ。「ホイッスラー展」も良いけれど、ぜひ「田中望展」にも足を向けて下さい。

   (2015年2月20日記録) 

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演劇:岡崎藝術座「+51 アビアシオン,サンボルハ」

  作・演出 神里雄大
  出演   小野正彦
       大村わたる(柿喰う客)
       児玉磨利(松竹芸能)

  会場   横浜・ST スポット
  公演   2015年2月13日(金)~20日(金)
  鑑賞   2015年2月18日(水) 19:30~21:00
  参考   岡崎藝術座

 岡崎藝術座を観るのは初めて、名前は承知していた。それ以上の情報は把握せず、どのような演劇を展開しているかも知らなかった。情報化時代か情報時代か、現代がそのいずれかは知らないけれど、キーワード検索すればそれなりに情報は得られる時代だ。でも予備知識なしでことに臨むのも、たまには必要だ。

 「+51 アビアシオン,サンボルハ」も妙なタイトルだと思っていた。要はペルー国サンボルハ地区アビアシオン、劇中で直に語られたか否かは定かでない。それはさておき、ペルー・沖縄・札幌、多くの地名が出た。貫くのは南米ペルー出身の神里のルーツを探る旅の劇化。それに、メキシコ演劇の父と言われる佐野碩、ペルーなどへの支援を続ける実業家の神内良一の話題が絡む。

 ルーツを探る旅をテーマにするのは興味深い。国内でも、貧しい生活を逃れるためであったり、農家の次男坊・三男坊が生地を後にしなければならない状況はあった。それに海外が絡むならば、なお複雑な環境に投げ出されたことだろう。神里の経歴は認識しないが、それでも一般的な意味で、口に出したい多くのことがあった、あるいはあるような気がする。興味深いテーマだし、大いに語ってほしい所だ。

 しかし演出は言語表現中心で、身体表現にそれほどの情報量はなかった。すなわち、語られる内容をしっかり受け止められないと、理解も深まらない。よって劇団や神里についての予備知識は必要だったかも知れない。と後で思った。

 もう一つは、ルーツ探しと佐野碩や神内良一との絡みが良く理解できなかった。面白そうなエピソードではあるけれど、相互補完に至らないと感じだ。それも理解の深まらなかった理由だ。残念ながら荒削り、磨きが不足していたように感じる。

 しかし、岡崎藝術座・神里雄大に対して興味を失ったかと問われれば、決してそんなことはない。というより興味が増大した。理由は、扱うテーマが本格的であること、古い言葉で言えば社会派に属する優しい視点があるような気がするから。

 個々の舞台に善し悪しがあったとしても、それで劇団の良し悪しを判断するのは危険だろう。それで良い場合もあるけれど、岡崎藝術座は二度三度観てからの判断でも遅すぎることはない。また出かけよう。

 ここからは付けたし。直接、岡崎藝術座には関係ない。

 舞台を観ながら思い浮かんだことがある。SCOT・鈴木忠志の演劇で、良く野外劇場に響く劇中歌がある。

 『人多くして土地狭き/我が日本の悩みをば/我らが腕もて拓かなん/いざ赴かん新天地/五箇の闘魂火と燃えり』

 五箇とは越中五箇山のこと、劇中では五箇を利賀と置き換えていたと思う。秘境と言われる利賀から広島(?)などへ集団で入植して言った歴史があったようだ。その利賀は限界集落化して、無住の家も散見するようになった。一体全体、日本はどこに向かっているのだろうか。

   (2015年2月19日消記録)

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2015年2月15日 (日)

演劇:TPAMショーケース「ソーシャルストリップ」

  作・演出・脚本・出演   大道寺梨乃(FAIFAI)

  会場   ドゥイ山(横浜・石川町)
  公演   2015年2月8日(日)~10日(火)
  鑑賞   2015年2月9日(月) 19:00~21:50(休憩15分)
  参考   公式HP

 

 TPAM(国際舞台芸術ミーティング in 横浜)ショーケース(公募プログラム)中の一演目。昨年10月に横浜・黄金町の演劇センターF、その他でも上演されている。私は見損なっていたので、今回初めて見る。

 会場の「ドゥイ山」は、通常は「ドゥイのこども造形教室」である。建屋は築60年だったかで、元はクリーニング店。実は二年ほど前、寿町から石川町にかけての街歩きイベントの際に見学させて貰ったことがある。舞台はクリーニング店の作業場だった8~10畳ほどの広さの半分程、残る半分が15人ほどの客席とスタッフ席になる。

 舞台の中央にベッド、周囲に自分の部屋から持ってきた小物を並べる。さらに何着もの私服が掛けてある。演劇のために作られた場所でありながら、ある女性の部屋を覗き見しているようでもある。

 進行の基本パターンは、衣装を着替えながら衣装の来歴を語ること。例えば、どこだかの海外の街角で買ったとか、歌を唄って交換したとか。着替えは舞台隅、しかし客の視線を遮ることなどない。あるいは、ベッド上の大きな袋の中で着替えるとか。

 これだと飽きてしまうように思われらかも知れないが意外にそうでもない。下着姿をさらけ出すこともあるが、今時珍しいとも言えない。衣装や小物が自らのものであることが、すなわち自分史に繋がるということか。いやそんなに大それたものでもなく、青春の記憶の断片を浮かび上がらせる。

 身体がさらけ出されると共に、自分の青春の断片をもさらけ出す。そこに面白味や共感が感じられる。一人芝居に強い興味を惹かれないのだが、今回は一人ゆえに成功していたと思う。作戦勝ちか。

 

 いくつか気になる点もあった。

 今回はTPAMショーケースとしての上演であった。海外からの客もいるためか英語主体で進行、途中に日本語も挟まれた。通常は70分ほどの上演時間が90分ほどになって、間延びした感があった。通常版を観たい。

 中間でメイクさんが化粧した。お友達なのだろう、何気ない話をしながら。それはそれで良いとして、前後で大きな変化もなかった。豹変したら面白いのではないか。実は・・・、とか。

 劇中に流れた音楽が「The Ronettes - Be My Baby」、時代が合わないと思ったが、親が良く聞いていた曲とか。それも青春の記憶か。

   (2015年2月14日記録)

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2015年2月14日 (土)

音楽:チェンバロの魅力Ⅲ「Toccare ~ 触れる」

  チェンバロ・お話 大塚直哉

  会場       神奈川県民ホール小ホール
  公演       2014年2月11日14:00~16:00(休憩15分)

 

 メインはチェンバロのレクチャー・コンサート。今回のテーマは「Toccare」、触れるという意味。その後にチェンバロの見学、公開レッスンが続きます。

 指導者の話を聞く機会などありません。チェンバロという楽器に沿いますが、音楽の成り立ちや変遷など勉強になります。私自身は楽器も弾けないし、音楽の勉強も中学校まで、こういう機会をありがたく思います。

 大塚直哉は、「バッハ・コレギューム・ジャパン」などの通奏低音奏者としても活躍しているそうですから、あるいは聴いたかも知れません。ただ、単独コンサートは聴いたことがありません。強いて言えば前回の「チェンバロの魅力」です。

 

 レクチャー・コンサートのプログラムは次のとおり。聴いたことがあるのはJ.S.バッハのみ。
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 解説で気になった所は次のようなことです。

 フローベルガーのトッカータは2弾鍵盤用に作られていますが、上6本・下7本の楽譜に記載されているが、これは左手と右手用に分けてある、フレスコバルディは6本・8本、歌のように弾いて、途中でやめても良いとの指示がある。師弟関係で言えば、ルッツァスキー・フレスコバルディ・フローベルガ―。ダングルベールは、小節性のないプレリュードだが、トッカータと同じ。音の長さがないので響きをデザイン、響きを楽しむことが求められる。クープランの書は、触り方の書とも言われるが、タッチで音色が変わる。

 C.P.E.バッハは、トッカータに似ている。ファリオとは狂っているの意味、当時の人は聞いてびっくりしただろう。ドゥ・フリースはピアノ用に作曲されたが、チェンバロでも弾かれるようになった。J.S.バッハは40代で作曲されたが、当時、既に古くなっていたトッカータを挿入した。

 トッカータが判ったとは言えませんが一歩一歩です。私としては、スウェーリンクから旋律の明瞭になったことが印象深かったです。

 

 前回はあった質問時間がなく、すぐにチェンバロの見学・説明が始まりました。

 

 公開レッスンのプログラムは次のとおり。
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 興味深かったのですが、私は2番目まで聞いて退場しました。後の用もあったので。

 ゴールドベルクは3・40代と思われる女性でした。何番目の変奏か判りませんが、初めはとても平板な演奏と感じましたが、次第に表情がついていきました。
 インベンションは小学校3年の女の子でした。普段はピアノを弾いていて、チェンバロは初めて弾くとのことでしたが、とても上手と感じました。言われたこともすぐにフォローして、これからどんどん伸びるだろうと感じました。最後にカップラーを繋いで演奏しましたが、とてもふくよかな演奏になりました。

 少し余計なことですが、全ての子供に音楽でなくても良い、の特質に合わせた環境の与えることが大人の役割だろうなどと考えてしまいました。この小学校3年の女の子を様子を見ていてのことですが、この女の子には何の関係もないことです。

 

 私にはとても充実した時間でした。来年の開催もほぼ決定しているようでテーマは「舞曲」。年に一度は歯がゆい思いもすのですが、楽しみに待ちます。興味がありましたら、来年3月頃の県民ホールのスケジュールを監視して下さい。

   (2015年2月13日記録)

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2015年2月13日 (金)

演劇:SCOT「トロイアの女」

  原作  エウリピデス
  演出  鈴木忠志

  出演  神像            藤本康宏
      老婆/ヘカベ/カサンドラ  斎藤真紀
      花売りの少女/アンドロマケ 佐藤ジョンソンあき
      侍/ギリシャ兵       竹森陽一・植田大介・石川治雄
      老人・老婆/トロイア人   木山はるか・鬼頭理沙・中村早香・
                    平野雄一郎・竹内大樹
      廃車の男          加藤雅治

  会場  神奈川芸術劇場大ホール
  公演  2015年2月10日(月)
  鑑賞  2015年2月10日(月) 17:00~18:15

 

 舞台で繰り広げられる物語は遠い昔の話か、今どこかで起きていることか。それとも足元に迫っていることか。2500年ほど前に書かれたエウリピデス「トロイアの女」、そこから思うことは古典の深奥さ。人類は進歩していないということ。かなり晩生だがようやくそれに気づいた。

 鈴木忠志構成・演出「トロイアの女」は、岩波ホール・演劇シリーズ第1回公演として1974年から1975年にかけて上演された。記録映画を観たことはあるが、舞台は観ていない。再演もされているが、その後、上演は途絶えていた。
 昨年(2014年)の利賀フェスティバルに於いて復活再演された。一度は観たかった舞台だから、興味深かった。昨年暮れには吉祥寺シアターでも再演されたが、諸処の事情で出向かなかった。そして今回のTPAMに於ける一回限りの上演になる。

 二回目の観劇になると大分見通しは良くなる。細かくは異なる部分もあるが貫くものは変わらない。感想も変わらないので、昨年まとめたものを引用しておく。主要な配役は変化なし、その他は多少入れ替わっている。

 

 『舞台奥、上手から下手に廃車が積み重なって(注:今回は中央に二台ほど、後は上手・下手側に幕)場末のスクラップ置き場とも見える。あるいは戦争後の荒廃した雰囲気を漂わせていたとも言える。二重世界を行き来する演出は、鈴木忠志が多用する手法。廃車を積み上げたセットは他の演目でも見かける。ただし、今回は意外に感じたが、廃車そのものに重きがある訳でもない。

 生き残ったトロイアの女たちが、戦利品としてギリシャに連れ去られる運命にあることを知った王妃ヘカベの怒り・嘆きは凄まじい。戦争における敗者の哀れさ、なすがままの運命に抗えない女たちの悲しさを代表したものであった。

 トロイア王の息子・ヘクトールの妻・アンドロマケは、息子(人形)を八つ裂きにされ、自らはギリシャ軍兵士に犯される。気丈さも、屈強の兵士の前に意味をなさない。衣装は和服、様式美を保ちながら帯を解かれる場面が印象的。

 ギリシャ軍の兵士は征服者の横暴さを存分に見せつける。が、それは抑制されながらも統一された身体表現に負うところが大きかった。

 ヘカベの斎藤真紀、アンドロマケの佐藤ジョンソンあき、ギリシャ軍の塩原充知・植田大介・石川治雄、みなスズキ・メソッドの良き体得者だ。抑圧された身体表現とも思える部分もある。今回はギリシャ軍の三人に対して顕著だった。しかし、大きなスケールの背景を浮かび上がらせるには、自由奔放な身体表現は弱く、抑圧された身体表現にこそ弾ける力が内在すると思う。そんなことを改めて感じた。

 戦争の悲しさ・虚しさを象徴する演出がもう一つあった。神アポロンの存在。一言も発しないし、ただ立ち尽くしているだけ、と言って過言でない。どんなに悲惨な状況が出現しようとも、神は助けてはくれはしない。それにしても、この身体表現も誰にでも出来るわけでない。鍛えられし者のみが成し得るだろう。動と静、鈴木演出の凄さだ。

 冒頭に述べた現代への警鐘(省略)と捉えて間違いないだろう。「歴史にもおさらば、記憶にもおさらば」と言う訳にはいかない。胸に刻み込まなければならない。

 として、ここで終えて良いのだが何か一つ物足りなかった。コロスが存在しなかった。演劇の狙いは私なりに捉えたつもりだが、コロス本来の役割は不要にしても、遊び心があって良かった。初演時のキャストには、風呂敷を持ったコロス、ローソクを持つコロスが加わっている。どのような演出だったか知る由もないが、見たい気もする。どのような雰囲気だったのだろうか。 (2014年9月10日記録)』

 

 一つ気になったことがある。神アポロン、今回は神像だが、下手から膝を高く上げる独特の歩き方で登場した。途中で奇声を発した。下手客席を見つめるように立ち尽くしているが、何回か正面に向きなった。利賀フェスティバルの際は不動だったと記憶するが、そちらの方が良いと思っている。
 それにしても、神奈川芸術劇場でSCOTを観られるとは思っていなかった。TPAM関係者の努力の賜物だろう。感謝したい。

 添付の写真は、岩波ホール公演時の上演記録(出展:平成22年に日本女子大学目白キャンパスで開催された講演資料)。
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   (2015年2月12日記録)

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2015年2月12日 (木)

美術:「みちのくの仏像」展

  名称   特別展「みちのくの仏像」
  会場   東京国立博物館本館 特別5室
  会期   2015年1月14日(水)~ 2015年4月5日(日)
  鑑賞日  2015年2月 4日(水)

  参考   公式ホームページ

 いままでに東北の旅は6・7回ほど。訪れた寺院は、平泉の中尊寺・毛越寺、山形の立石寺、下北の恐山菩提寺、松島の瑞巌寺、強いて言えば30年以上前にいわきの白水阿弥陀堂。仏像の印象が残るのは中尊寺のみ。

 特別5室は、本館正面の大階段を上ると休憩スペースがありますが、その真下。大きな展示スペースではありません。そこに19組の仏像が展示されています。次の写真は作品リストです。
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 特に印象深かった仏像について、感想をまとめておきます。

 01a 最初は岩手・天台寺「聖観音菩薩立像」。平安時代・11世紀の作、像高118Cm、カツラの一木造り、なた彫りの美しい仏像。なた彫りと言っても荒々しくはありません。きれいに仕上げてから鑿跡を刻み直したようです。未完と思わせながら、確固たる美意識の存在に気づきます。

 既視感あり。2006年に東博開催の「特別展 仏像 一木にこめられた祈り」に出展されていました。鉈彫の仏像の一体として展示で、「みちのくの仏像」との意識は稀薄でした。

02a  岩手・成島毘沙門堂「伝吉祥天立像」。平安時代・9世紀の作、像高176Cm、ケヤキの一木造り。左右対称のように見えますが、右膝を前方に軽く突き出して、膝周りに少し膨らみを感じます。現在は素地が表れていて木目が美しい。解説は、東北で最も美しい仏像ではないかと言及しますが、単なる褒め言葉とも思えません。

 かって花巻市東和町「萬鉄五郎記念館」を訪れた時に前を通ったのですが、気になりながら素通りしました。毘沙門堂に「伝吉祥天立像」は少しおかしいと調べたら、御本尊は像高473Cm、日本一大きい「兜跋毘沙門天像」でした。

03a  最後に円空仏が三体、青森・西福寺「地蔵菩薩立像」、青森・常楽寺「釈迦如来立像」、秋田・龍泉寺「十一面観音菩薩立像」。一見して円空仏とは思えませんでした。初期に制作された円空仏らしく、素朴さは残るもののきれいに仕上げられて、鉈の跡はあってもかすかでした。側面から見ると、素材は少し厚い板状であったと推察できます。手短にあった古材の利用とも思えます。

 円空(1632~95年)は美濃国の生まれ、生涯にわたって諸国遊行しながら十二万体とも言われる仏像を作っています。東北に足を踏み入れた最初の記録は、「津軽藩日記」寛文6年正月25日(1666年)に残り、よって前年に東北に到着でしょうが、歓迎はされていないようです。他の記録を合わせると、足かけ4年ほどの東北・北海道の旅だったようです。

 

 「みちのくの仏像」という視点は珍しく思います。みな美しい仏像で、風雪に耐えたとの思いも湧きます。展示は小規模ですが、じっくり味わうには程良い規模。願わくば、もう少し広い会場でゆったりと展示して欲しいものです。次の仏像に移動する間、余韻を味わう時間が欲しいです。

   (2015年2月11日記録)

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2015年2月 8日 (日)

舞踊:Noism1「ASU ~不可視への献身」

  演出振付 金森穣
  衣裳   宮前義之(ISSEY MIYAKE)
  出演   Noism1

  演目   第1部「Training Piece」
       第2部「ASU」

  会場   神奈川芸術劇場ホール
  公演   2015年1月24日(土)~1月25日(日)
  鑑賞   2015年1月24日(土) 19:00~20:40(休憩20分)
  参考   公式HP

 

 コンテンポラリーダンスが何かは詳しく判らない。ただ漠然と、伝統的なバレエテクニックを身に着けたダンサーが、伝統的なバレーのコンテクストを突き破りながら表現を拡大していくダンスと捉えている。
 しかし、伝統的なバレーテクニックを身に着けていなければコンテンポラリーダンスたり得ないかと問われれば、そうでもないだろう。いささか矛盾した思いがある。

 金森譲は、モーリスベジャールに師事するなど伝統的なバレーの研鑽を積んでおり、カンパニーメンバーも伝統的なバレエテクニックを身に着けていると認識している。表現は伝統的なバレーのコンテクストを突き破っていて、間違いなくコンテンポラリーダンス。ただ、突き破り方が常に同じかと言えば、そうではない。常に変化している。

 今回で5演目を鑑賞したことになる。前作は「Noism設立10周年記念企画 Noism1 & Noism2合同公演 劇的舞踊『カルメン』」だが、俳優を狂言回しに起用するなど、それまでとは大きな変化を感じた。ただ、今までの流れからすれば、多少の違和感も感じた。今回はどうだろう。

 

第1部「Training Piece」

 Noismメンバーが毎朝行っている「ノイズム・メソッド」「ノイズム・バレエ」という2つの訓練メッソドを構成・演出してひとつの作品にしたもの。

 真上から当たる四角い光の中に、確か11人のダンサーが仰向けに横たわっている。パーカッションのリズムで、ダンサーは様々な動きを繋いでいく。照明は上下して光の様子は変化し、ダンサーは次第に高揚していく。

 衣装は、前半が軽そうな白のツーピース、上下共にゆったりと仕上がっている。途中でそれを脱ぐと、各々が異なる色の組合せのボディフィットした衣装に変わる。いずれも美しい。

 トレーニング主体なので、そんなものだろうと思った。20分ほどをリズムだけで進行する。どのようにタイミングを取っているのだろうか、ダンサーは音楽に対する感性も鋭いものが必要だと思った。

第2部「ASU」

 「ASU(アス)」は、アジアの語源となった言葉。

 アルタイ山脈周辺の諸民族は、喉を詰めた声で叙事詩を歌う。その叙事詩の装飾のために発達したのが喉歌という特殊な歌唱法。今までに聴いた音楽でもっとも近いのがモンゴルのホーミー、ただしホーミー特有の重音唱法は喉歌にはないかったように思う。

 喉歌の多くを知らないが、重要なことは低い重い調子で歌われて土俗的な印象を受けること。それが衣装に、舞台美術に、振付に大きく影響を及ぼしていると思えた。音楽が先に選ばれたか、方向性が定まってこの音楽が選ばれたか、興味あるところだ。

 薄明りの舞台、やや下手寄りの床に開いた四角い穴。本火が燃える大きめの皿を抱えたダンサーが、次々と穴から舞台に登場する。皿は舞台正面に一直線に並べられる。神秘的な始まりだ。これで呪術的な場面展開が予想できた。

 途中に、横たえられた木の作り物、それは幅広の板で編んだように見える、の下半分を四角い穴に差し込んで立てるが、呪術的な場面の典型だろう。

 天井から本水あるいは砂粒、実はゴムの粒らしい、がシャワーのように降りかかって、穢れを洗い流す場面も同様。

 全体の印象は、アジア版の「春の祭典」か。今まで4カンパニーの「春の祭典」を観たけれど、雰囲気はピナ・バウシュに近い。最後近くで、抱擁する男女を皆がリフトするのはベジャールを髣髴させた。意図がどこにあるかは別にして、私はそれをいささかネガティブに捉えた。先人の偉業を大胆に突き破ることを求めるという意味で。

 全体に筋は通っている。でも、物語性が感じられる重厚な場面の連続は、弾けるような場面を追いやって、重苦しい表現ばかりが残ったようだ。それが良いと感じる人も少なくないだろう。でも、つかの間で良いから楽しく感じられる場面があって良いと思った。流れからいえば、内容というよりは身体表現で。

 Noismに求めるのは良い結果ではない。より良い結果でもなく、最良の結果だ。期待値が高いので、過渡状態にあるであろう今は多少の不満が残る。長い目で見れば、どう変化していくかを見届けられる面白さがあるのだが。

 変化をしっかり受け止めるためには、変化を受け止められる器量が必要だ。観る方に課題を与えられた気もした。

   (2015年2月6日記録)

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2015年2月 5日 (木)

音楽:神奈川フィル第305回定期演奏会

  指揮   サッシャ・ゲッツェル(首席客演指揮者)

  独唱   チーデム・ソヤルスラン(ソプラノ)

  演奏   神奈川フィルハーモニー管弦楽団   

  曲目   コルンゴルト  :組曲「シュトラウシアーナ」
       R.シュトラウス :4つの最後の歌
       ブルックナー  :交響曲第9番ニ短調(ノヴァーク版)

  会場   横浜みなとみらいホール(1階13列22番)
  公演   2015年1月25日14:00~16:00(休憩20分)

 

 組曲「シュトラウシアーナ」   既に県民ホール定期演奏会を聴いているとはいえ、年が変わって初の定期演奏会、祝意を表す選曲であろう。とは言え、録音でも聴いたことがない。ポルカ・マズルカ・ワルツの3部からなる構成。ピッチカートで始まった曲は、シュトラウスⅡ世の「新ピッチカート・ポルカ」のようだ。「シュトラウシアーナ」とはそういうことと後で気づく。シュトラウスⅡ世の本歌取り、華やかさを増してウィーンの香りが色濃くなったのだろうか。まあ、知る由もないのだけれど。

 

 4つの最後の歌  ソヤルスランはゲッツェルより背が高いように見えた。足元がドレスの中で確認できないが。身体もがっしりした印象、声は太めと感じた。経歴には、「魔笛:夜の女王」役でデビュー、「後宮からの逃走:コンスタンツェ」「リゴレット:ジルダ」などに出演とある。オペラ歌手は運動選手ではないけれど、フィジカルの優れていることも大切だろうと感じた。

 「4つの最後の歌」は死をテーマにする哀しみを淡々と歌い上げる。ソヤルスランの声質にもよるのだろう、言葉の理解を欠く私にも思いは十分に伝わってきた。
 オーケストラ伴奏の歌曲を生で聴くのは初めて。録音のようにはいかないと思っていたが、オーケストラも抑制しつつ、歌手を良く引き立てていた。ビオラとチェロは終始二つのパートに分かれ、他のパートも曲によって分かれる。ホルンやヴァイオリンのソロ、フルートの鳥の描写などを含めて繊細な印象で響いた。
 オーケストラ伴奏による歌曲を聴く機会は初めて、基準がなかったけれどこんな感じに響くと言うことを知った。ただ、聴く機会は少ないので、次はオペラのソヤルスランを聴きたいものだ。

 交響曲第9番  休憩を終えてステージ上も賑やかになった。第1ヴァイオリンが1プルト増えて5プルト、ホルンが8など、ステージ一杯に楽員が広がっている。

 未完成の3楽章構成ながら1時間ほどを要する長大な楽曲。ブルックナーは未だ疎遠な作曲家で確固たる思いは無いけれど、作曲の経緯などを加味すれば深奥なものが底流に漂うのだろう。しかし長大な楽曲ながら、そこまで時間を要したとは思えないほど短く感じられた。それを軽みと言ってしまえば、この曲に対しての賛辞にはなりそうもないけれど、必ずしもネガティブな思いは込めていない。

 第2楽章の大胆な響きとリズム、それは「春の祭典」を想起させるように、あるいはもっと迫力を持って迫ってくるように感じた。そういう部分もあるのだが、生々しい方には落ち込まない、達観した響きに終始した思いがする。東洋的な雰囲気があるような気もするし。ゲッツェル+神奈川フィルの作り上げた世界だけれど、それも悪くないと思った。

 残念ながら録音では判らない所もあるし、生演奏を何回も聴きたいところだが、そう狙って聴けるものでもないし。修業は必須だけれど、さてどうしたら良いものか。

 コルンゴルトは本歌取りの面白さを含めて、楽しさ溢れる楽曲。R.シュトラウス、ブルックナーは閉じ行く人生の崇高さを表現しようとしたもの。しかし、わりと淡々と聴き入ったのは、演奏と当日のプログラムの妙のようなものだろう。門松が冥土の旅への一里塚ならば、年初にあたってさりげなく歳月の流れを感じるのも良いことだ。音楽は、そういうことをソフトに気付かせてくれる。

   (2015年2月4日記録)

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