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2015年1月 7日 (水)

演劇:チェルフィッチュ「スーパープレミアムソフトWバニラリッチ」

  作・演出 岡田利規
  音響   牛川紀正
  編曲   須藤崇規

  出演   店長        矢沢誠
       まみやSV     足立智充
       客1        上村梓
       バイト1・いがらし 鷲尾英彰
       客2        渕野修平
       バイト2・うさみ  太田信吾
       バイト3・みずたに 川崎麻里子

  会場   神奈川芸術劇場・大スタジオ
  公演   2014年12月12日(金)~21日(日)
  鑑賞   2014年12月12日・21日
  参考   公式HP

 

 コンビニエンスストア店頭で展開する喜劇、いや悲劇か。
 前作・前々作の『地面と床』『現在地』では重いものを見たが、本作は方向性を大きく変えた。しかも、バッハの「平均律クラヴィーア曲集第1巻」の響きに合わせて進行する、コンテンポラリーダンスの趣さえ漂わせる一面もあった。

 「平均律クラヴィーア曲集第1巻」のクラヴィーアとは鍵盤楽器の総称、今はピアノかチェンバロによる演奏が大半。今回はチェンバロ風、恐らく電子楽器だろう。半音階づつ上昇する音階の長・短調、全24調のプレリュードとフーガで構成される。すなわち全48場面で綴られた。

 

 始まりはハ長調のプレリュード、グノーがアヴェマリアの旋律を付けたので、名前は知らなくとも聞けば気付く人は多い筈。分散和音による上昇音型の繰り返しは明るい未来を感じさせるが。

 うさみがいがらしに語りかける。うちの店で一番発注ミスかましているのは店長じゃないか。俺とかいがらしさんが発注した時は廃棄ロスが少なく、いい線いっている。何年店長やっているか知らないが、あんなに発注スキル低いままでいられるのが逆にわかんないって感じゃないですか。

 ハ長調のフーガ。いがらしとうさみの対話。店長はここ数年セックスレスではないか。その噂、俺も聞いたことあるんですけど、本当なんですか。ていうか、その噂流してるの俺だけどね。

 

 客1は、よく真夜中に現れて主にアイスを買って行く。自分自身も深夜のコンビニに寄ることに疑問を持つが、寄った以上は何かを買わなければと思っている。それを見ていがらしは、客が全員バカだと思っている。うさみも同調する。

 みずたには新人、俳優をやっている。初対面なのにバイトたちは素っ気ない挨拶を交わす。うさみは、最初にやってもらいたいことは掃除、清潔感はコンビニの命と指導する。いがらしは、チャラチャラとやればいいよ、てきとうにね。間違ってもバカみたいにまじめにやる必要ないからね。

 客2はたまに現れて、こんな不毛な仕事を文句も言わないでやるのかと嫌味を言い、何も買わずに帰る。最後にしっぺ返しを食らう。

 まみやSVは、このコンビニの発注量が少ないと怒る。他にないぞ、こんなバカな店。廃棄ロスよりチャンスロスを心配しろよ。

 ある日、みずたにが客1に「スーパープレミアムソフトWバニラリッチ」が発売されると告げる。前進の商品が販売停止になって意気消沈していた客1は大いに期待する。しかし期待は裏切られ、善意で伝えたみずたには窮地に立たされる。

 

 残すは後二つ。ロ短調のプレリュード。店長が切れる。なんだよー、やってられないよー、まったくよー、ふざけんなよー。

 淡々と平均律第一巻が進んできて、この場面にだけシンセドラム音が重なる。もちろんバッハの音楽にそんなものはないけれど、音楽も店長に加勢した。持って行き場のない上下からの圧力の爆発。

 この場面の身体表現で、ダンサー・振付家のマースカニンガムが思い浮かんだ、特に晩年の。2回見ただけだが、2回目は移動式のレッスンバーを携えながら、上半身主体で踊っていた。既に下半身は自由にならなかったのだろう。それが思い浮かんだ。これは演出でなく、もう振り付けだ。

 最後、ロ短調のフーガ。客2の悲惨な様子、バイトの痛烈なしっぺ返しは劇場で確認されたい。

 

 岡田の観察は微に入り細を穿つ。コンビニの内情を想像できても、実際の所はどうだか。しかし、ここで描かれた全てのことはあり得るそうだ。しかも、全体的に喜劇調だから観ていて面白い。廻り回って自虐的とも言えそうだが。ここで止まっても、良質な笑いを楽しめる。

 思いを一歩進めればかなりやばい世界が描かれている。暗澹たる日本の未来を予感させるとも言える。そういう意味で、『地面と床』『現在地』と焦点の当て方こそ異なるものの、深い所に迫っている。大きな問題を感じさせる。大雑把に言えば、自由主義経済の傷口を暴きだす試みと言える。

 ところで、なぜ「平均律第1巻」か。学究的な匂いが強い、音楽の旧約聖書とも讃えられるこの曲集に岡田は何か含みを託したか。恐らくそれはない。強いて言えば目くらまし、細分化された全48場面を違和感なしに繋ぐためだろう。

 いや話は逆で、「平均律第1巻」を選んだから全48場面の構成に仕上げざるを得なかったのだ。「ゴールドベルク変奏曲」ならば、「インヴェンション」ならば、どのような仕上がりになっただろうか。演劇と音楽の関係も興味深い。

 最初に観たチェルフィッチュの「フリータイム」では、思わず劇場を飛び出そうと思ったほど、その身体表現に違和感を感じたが、今はなくなった。切れかかった店長の身体表現を筆頭に、スパイラルを一周して一段上に到達したと感じた。バッハの効果もありそうだ。

 

 大きな見えざる者に対して怒れる若者が求められている。その時のために、身も心も鍛えておいて欲しい。チャラさの中にそのことを、岡田は埋め込んだような気がする。

   (2015年1月7日記録)

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