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2014年12月

2014年12月23日 (火)

演劇「2014年演劇の私的回顧」 (長文)

 2014年12月18日の朝日新聞夕刊の「回顧2014・演劇」、取り上げられた演劇のいくつかは私も観た。それに重ねて、私なりに回顧する。

 

 「カルメギ」はソン・ギウン脚本・多田淳之介演出、チェホフ「かもめ」を植民地時代の朝鮮に置換、虐げられた民族の悲劇を暴くとともに、古典の面白さと懐の深さが存分に伝わった。音楽もクラッシック曲あり、トレンディーな曲あり、鈴木忠志のそれが思い浮かぶ。多田演出は初めて、これからは見逃せないだろう。

 「マハーバーラタ~ナラ王の冒険」は宮城聡演出、特設の円形舞台で360度に展開される場面場面が野外にいるかのよう、照明に映える衣装も美しい。華ある美加理の演技にも惹きつけられた。ガムランっぽい生演奏の音楽も素晴らしい。

 岡田利規率いるチェルフィッチュは公演名を上げてないが、各公演を取り上げればきりがないだろう。見終えたばかりの「スーパープレミアソフトWバニラリッチ」、軽味ある身体表現から鋭い社会批評を繰り出す。全編にバッハ・平均律クラヴィーア曲集第一巻全曲が流れるが、ひょっとしてコンテンポラリーダンス、と感じる場面もあって身体表現も変化している。
 こんなの有りえないと途中で飛び出そうと思った「フリータイム」、以来、横浜での公演は見逃していない筈。毛嫌いしないで何でも観ることが大切だと、チェルフィッチュを観るたびに思い返している。

 三浦基率いる地点は「コリオレイナス」を取り上げるが、私の見たのは「悪霊」「光のない。」、難解で理解は進まなかったが、身体表現に圧倒された。演劇に限らないけれど、理解が進まなければ見聞きする価値がないだろうか、そんなことはない。現にその身体表現に圧倒された自分がいる。三浦演出も初めて。

 私はこれらの演目すべてを神奈川芸術劇場で観た。劇場に対する表彰制度があれば、神奈川芸術劇場は最右翼だろう。こうなると、観られなかった作品が気になるのだが。

 文楽の竹本住太夫引退。4月の国立文楽劇場「菅原伝授手習鑑」、声は少し細くなったと感じたが、名演だったのだろう。疑う訳ではないが、至芸を理解できるほど私は場数を踏んでいない。そんなに簡単に判るものでない。それでも観ておくことは大切だ。大阪市長の無理解さえなければ、もう少しその芸に触れる機会はあったのではないだろうか。

 

 ここからは新聞と離れる。

 ここ数年、これで最後と思いつつ夏に出かける利賀フェスティバル。エウリピデス原作・鈴木忠司演出「トロイアの女」を観た。かって記録映画を観て、いつか舞台を観たいと思っていて念願かなった。思いかなえば、観ない方が良かったかと。出来れば野外劇場でと思ったが、出来が悪かったわけではない。夢が一つ減ったということだ。
 26日まで吉祥寺シアターで上演中、興味あればどうぞ。二本立て・トーク付、疲れそうだから私は行かないが。

 青年団+大阪大学によるアンドロイド版「変身」。原作では虫に変身して家族に見放される主人公が、ここでは家族に愛されるようになるロボットに置き換えられる。ロボット自体にも興味があった。ロボットがペットになる日が来るかもしれない。

 演劇ではないけれど、ダンスも何公演か。

 Co.山田うん振付「春の祭典」。いまでも斬新なストラヴィンスキーの音楽に半端な振り付けでは跳ね返されるだろう。初めてみた Co.山田うん、刺激的だ。その後に観た「ゴールドベルク変奏曲」は、ピアノ生演奏によるデュエットだったけれど、これは少し控えめの賞賛に止めよう。

 金森穣率いるNoism「カルメン」。上質な舞台であったことを前提に、少し演劇臭が強すぎたと言いたい。演劇的な身体表現から遠ざかるところにダンスへの興味を感じるのだが、ちょっと逆行したか。来年はリュートピアで観たいものだ。

 9月に開催された「中韓ダンスフェスティバル」のオープニング公演。韓国の男性ダンスユニット「LDP(Laboratory Dance Project)」に強く惹かれた。プログラム中の20分ほどのパフォーマンスだったけれど、圧倒された。単独公演があれば絶対に観にいくだろう。

 

 2014年も様々な舞台を観た。多くの元気を分けて貰った気がする。多くの舞台人に感謝する。
 2015年は、衰えつつある身体をさらにしゃんとさせるために、もっと多くの元気を分けて貰おう。
 それにしても国家間のいがみ合いに関係なく、若き舞台人が史実を直視しながら交流する様子に感動する。舞台人の爪垢を煎じて為政者に飲ませたいものだ。博愛の味がするだろう。

   (2014年12月23日記録)   

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2014年12月 7日 (日)

演劇:Doosan Art Center+東京デスロック+第12言語演劇スタジオ「カルメギ」 (長文)

 原作      アントン・チェーホフ「かもめ」
 脚本・演出協力 ソン・ギウン
 ドラマトゥルク イ・ホンイ
 翻訳      石川樹里
 演出      多田淳之介

 出演( <>内は配役、()内は原作の配役を当てはめてみたもの )
  チヤ・ヌンヒ <女優>        (アルカージナ) ソン・ヨジン
  リュ・ギョヒク<女優の息子、作家志望>(トレーブレフ) イ・ガンウク
  チヤ・ヌンピョ<女優の兄>      (ソーリン)   クォン・デッキ
  ソン・スニム <女優の息子の恋人>  (ニーナ)    チョン・スジ
  塚口次郎   <女優の恋人、小説家> (トリゴーリン) 佐藤誠
  イ・ジュング <女優の兄の元部下>  (シャムラーエフ)イ・ユンジェ
  イ・エギョン <イ・ジュングの長女> (―)      オ・ミンジョン
  イ・エンジャ:愛子<イ・ジュングの末娘>(マーシャ)  チェ・ソヨン
  御手洗幸助  <教師>      (メドヴェージェンコ)夏目慎也
  ドクトル姜  <医師>      (ドールン)     マ・ドゥヨン
  いさ子    <看護婦>     (―)        佐山泉
  ミョギ    <朝鮮人の少年、下男> (―、ヤーコフ) 岡野律子

  会場     神奈川藝術劇場
  公演     2014年11月27日(木)~30日(日)、全5公演(追加1公演)
  鑑賞     2014年11月28日(火) 19:00~21:25
  参考     公式HP

 

 チェホフの「かもめ」には、多くの恋がちりばめられている。いずれも幸薄い。若者の一途さゆえの感傷、大人の老獪さが、それを増幅する。

 ソン・ギウンの脚本は、日本統治の1930年代の朝鮮を舞台にして、民族間の恋も付け加えた。日朝の力関係が個人にまで及んで、これまた幸薄い。

 「カルメギ」は、二つの流れを絡ませて男女の性、人の性、民族の性を炙りだす。「かもめ」にない配役を加えて日帝朝鮮を描く。「かもめ」同様、トレーブレフの自死で終わる。いや終わるのは芝居だけ、問題が解消する訳でない。

 「かもめ」は4幕の喜劇。「カルメギ」には幕もなければ場面転換もないが、4幕らしいことは伝わる。喜劇らしい場面は微塵もないが、断ち切れそうで断ち切れない幸薄い状態の連鎖こそが喜劇。翻案されても、原作の流れは良く保たれている。

 対面する階段状客席が舞台を挟む。舞台の様子は、韓国公演の動画を参考にされたい。役者は、スタッフが陣取る側から見て、上手から下手に向かう動線で演技する。逆向きの動きが何回か挿入されるが、状況に抗う意味合い。他に例が無くもないが、容赦なく進む時を可視化して見事。

 

 描かれる日帝朝鮮は、<朝鮮人の少年>の脳裏を過ぎった白日夢か。

 <朝鮮人の少年>が所在なさげに、何かを探すように舞台を歩き回る。所々で客席に向かって挨拶したりもする。やがて、黒のチョゴリチマを身に纏ったマーシャ、メドヴェージェンコなどが登場。暫くして<朝鮮人の少年>は、トレーブレフから話しかけられてヤーコフに変身する。この瞬間、舞台は現在から1930年代の日帝朝鮮へと時空を跳び越える。字幕に「カルメギ」、客席が暗くなる。

 日帝朝鮮が鮮明になるのはまだ後。ニーナが惹かれるようになったトリゴーリンとの再会のために東京を訪ねると約束したり、多くの朝鮮人が日本(内地)に憧れたりすることで、少しづつ明らかになっていく。

 日帝朝鮮を確かに感じたのは、<朝鮮人の少年>が日本の軍服を着て登場する場面。「かもめ」の三幕と四幕の間で二年が経過するが、「カルメギ」はその辺りで戦争が始まっていることになる。確かメドヴェージェンコが、<朝鮮人の少年>の首に旭日旗を回して、朝鮮人の帝国軍人が生まれる。

 凄い場面だ。日本の客と韓国の客で、受け止め方は大きく異なるだろう。日韓に横たわる問題が、この場面に凝縮される。

 

 この場面に先だって、夢か現か、現代と日帝時代が交錯する驚愕の場面がある。きざな衣装で登場したトリゴーリンが指で合図すると、K‐POPなどが鳴り響く。例えば「I AM THE BEST」。その中でニーナを口説く。スマホも登場する奇想天外。そして「内地と朝鮮は同じ国も同然」などと演説する。

 そこにあるのは強者の論理の押し付け。多少斜めに構えた演出は、シリアスな演出より反って深みを感じさせる。

 

 音楽について少し。冒頭、トレーブレフが蓄音機を操作して、バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番プレリュード、ショパン:ノクターン第2番、ラベル:ボレロ。ボレロはこの後に何回も繰り返される。

 バッハはチェロの聖典を意味し、ショパンからは映画「愛情物語」が想起される。ラベルは何かに突き進むイメージか。これらクラシック曲はこの芝居の性格を暗示、それに対するK‐POPなどは場面のあやどりと感じた。音楽が果たす役割は大きい。

 

 「カルメギ」は、「かもめ」を本歌取りして日朝の問題に鋭く切り込んだ。冒頭の劇中劇の省略、トレーブレフの服毒による自死など、多少の異なりはあっても違和感なく解決されている。

 役者は、日韓両国語に一部でエスペラント語も挿入されたが、これまたほとんど違和感を感じない。まあ、日本語しか判らないが。それに皆演技が達者。

 カーテンコールは全員が今の服装で登場する。あるいは私服か。ここで白日夢から覚める思いがした。

 この後、字幕が今に至る日朝の歴史を映し出した。それを見て壮大な喜劇が展開されていると感じた。「記憶にもおさらば、歴史にもおさらば。だがそれも良くない」とは、ある芝居の中の言葉。本当にそう思う。

 「カルメギ」の上演には多くの困難があったと想像できるけれど、それを乗り越えてここに至った舞台人に大いなる敬意を表したい。

   (2014年12月6日記録)

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