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2014年9月

2014年9月22日 (月)

演劇:静岡県舞台芸術センター「マハーバーラタ ~ナラ王冒険~」

  演出    宮城聰
  台本    久保田梓美
  音楽    棚川寛子
  空間構成 木津潤平

  出演    語り      阿部一徳
         ダマヤンティ姫 美加理
         ナラ王     大高浩一 他

  会場    神奈川芸術劇場・大ホール
  公演    2014年9月12日(金)・13日(日)、全3公演
  鑑賞    2011年9月13日(日) 18:00~19:50
  参考    公式HP

 

 演劇は概ね楽しいが、稀には楽しさを突き抜けて至福を感じることさえある。その一つに、この「マハーバーラタ ~ナラ王冒険~」を加えて良いだろう。

 マハーバーラタは古いインドの叙事詩。このエピソードは貴種流離譚、貴種漂流譚とも。
 ダマヤンティ姫は神々さえ虜にするほどの美しさだが、姫が選んだ夫は人間のナラ王。王は逆恨みした悪魔カリに呪いをかけられ、王の弟との賭け事に負け続けて、国さえ取られてしまう。落ち延びる王に健気に付き沿う姫。しかし、疲れて眠る姫の片袖を切り取って身にまとった王は、一人立ち去ってしまう。さて、王と姫の先行きは如何に、結末は如何に。

 通常は舞台の位置に、3mほどの高さのドーナツ形舞台が仮設されている。大きさはホール幅にほぼ等しい。正面手前に一段低くなった演奏用ステージ、そこに多くのパーカッション多が置かれている。いつもは客で埋まる階段状客席が、仮設舞台後方のさらに後方に見えている。
 正面での演技が多いことは言うまでもない。しかし舞台は、ある時は長い道のりを表し、ある時は異なる空間を左右に出現させて、自由自在に場面転換する。ある時は役者が客席に降り、ある時は壁のモンキータラップを昇る。

 音楽演奏で舞台が始まる。10人のパーカッション奏者、ポジションは頻繁に入れ替わる。楽器は見上げるような位置に置かれているので判らないし、見えても民族楽器主体のようで判らないけれど。音楽の種類はガムラン風だが、金属的な響きは強く無かったか、あるいは全く無かったように思う。
 身体表現に寄り添いながら、心理描写や情景描写に深みを加える。打撃音だけでまとめた音楽が雄弁。奏者が足腰でカウントを取りながら、目の前で生演奏を繰り広げる様も楽しい。実は役者らしいが、途中の出入りは舞台に載っていたということか。

 衣装デザインは高橋佳代。恐らく王は束帯、姫は十二単。他の役者も平安期の衣装風俗。そして、全ての衣装の色は象牙色。漆黒の野外舞台では息を呑むほどに、さらに美しく見えることだろう。衣装に心動かされることは少ないけれど、見事な仕事だ。

 俳優は皆達者でSPAC15年の歴史が伝わる。設立当初は時々出かけたが、ACMからの移籍者など鈴木忠志のカンパニーだった。その名残はあると思うけれど、7年を経て、SPACが宮城聰のカンパニーになっている。久しぶりにSPACを観るので、余計にそれを感じる。

 一部配役、それは帝釈天など仮面を付けた役だが、演技するムーバーと台詞を発声するスピーカーの役者が一体となって表現。発声の負担を軽減されたムーバーの大きな身体表現が、神の存在の大きさに繋がる。

 美加理の存在は大きい。SPAC所属か客演か未確認だが、それはさして重要でない。とにかく、この役者には華がある。声も清々しい。そのままで、美しいダヤマンティ姫の存在を納得させてしまう。ただ、それだけでない演技の確かさもあるし、モンキータラップを昇ったのが実は美加理という、機敏さも併せ持つ。

 進行中に現れる作り物も楽しい。ダヤマンティ姫を襲うトラ、象の鼻を模した作り物で押し寄せる大群の表現、おかしくも美しくも感じられる。
 遊び心も楽しい。姫の名前にこじつけてダヤマン・ティの宣伝、ナラ王が客席を彷徨、ある役者が客席に降りて特製手拭(?)を客にプレゼント、舞台上からの手拭撒き。そしてご当地サービスで「よこはま・たそがれ」を歌唱。

 貴種流離譚、エピソードの流れは大方の想像がつくけれど、110分の間、客の意識をそらさない演出も素晴らしい。既に述べたことの他に、多国籍の要素を集めたことも魅力的な舞台になった大きな要因。この公演はアヴィニョン演劇祭凱旋公演と銘打たれているが、西洋の客には異国情緒を、日本の客には近しい東洋の雰囲気を存分に感じさせる。すなわち、多国籍ながら東洋の集合体。異文明、異国が対峙ではなく、お互いに認め合えることを示した点も、特筆して良いだろう。政治の言葉が信じがたい昨今、確かな文化交流・民間交流が実践されたことだろう。

   (2014年9月22日記録)

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2014年9月15日 (月)

演劇:SCOT Summer Season 2014 (5終)

5.シラノ・ド・ベルジュラック

  原作  エドモン・ロスタン
  演出  鈴木忠志

  出演  喬三(シラノ)   竹森陽一
      クリスチャン    藤本康宏
      ロクサーヌ     木山はるか
      ド・ギッシュ    加藤雅治 、他

  会場  野外劇場
  公演  2014年8月23日(土)、30日(土)
  鑑賞  2014年8月30日(土) 20:00~

 

 本作上演の両翌日も何演目か上演されている。ただ、野外劇場で上演される打ち上げ花火付演目、その後の舞台上の鏡割りを以って、二週間に渡って開催される演劇祭の中締め・本締めの雰囲気はある。

 野外劇場で上演される演目には、「世界の果てからこんにちは」「シラノ・ド・ベルジュラック」がある。

 前者は鈴木忠志演劇名場面集の感があり、利賀の野外劇場のみ(多分)で限定上演される。
 後者は通常の劇場、例えば新国立劇場(2010年7月)でも上演されるが、その時は当然のことながら打ち上げ花火は上がらない。利賀での上演は多少間延びしているとも言える。

 いずれもご祝儀物と思うから、細かいことを言うのは無粋だとは思う。それに、どちらも両手の指で数えるほど見てきた。何度となく雨に降られた。今年も、しとしと雨が降り続いた。上演前に雨合羽が配られる劇場も珍しいだろう。雨にも負けず、盛期には1000人ほどが、今年で600人強の観客が舞台を見守った。

 

 大筋は次のようだろう。
 シラノは従妹のロクサーヌを愛したが、ロクサーヌは美貌の兵士クリスチャンを愛した。シラノは、自分の気持ちをうまく表せないクリスチャンの恋文を代筆する。が、何のことはない、自分の思いの発露する。やがてロクサーヌはクリスチャンを愛すようになる。しかしクリスチャンは、ロクサーヌが愛すのは自分でなく恋文と気付いて、自ら望んで戦場の露と消える。ロクサーヌは尼寺に入るが、訪れたシラノが恋文をそらんじていることで、自分が愛したのはシラノであったと気付く。

 文机に座す作家・喬三の空想世界として物語は展開する。和服姿の喬三、すなわちシラノ、他の役者も和服、すべてが日本的風景に同化している。見事に鈴木忠志の世界である。

 主演は竹森陽一、失意のシラノが良く伝わる。ロクサーヌの木山はるかも美しい。ただ、野外劇場という大舞台では、多少線が細いと感じた。かっては、新堀清純と内藤千恵子が演じていたので、初めて見る組み合わせと思うが、そのせいもあるかと思う。しかし、SCOTの俳優が演じればレベル以上にはなっているところが凄い。スズキ・メソッドの目指すところでもある筈だ。

 喬三がなぜシラノなのか、なぜ和服を着ているのか、などの疑問を持つかも知れない。しかし、西洋人を真似ればリアルと言ない。リアルは、どうしたら表出できるのか。突き詰めた結果が、喬三のシラノであり、和服でも構わないということ。肝心なことは、シラノ、クリスチャンのやせ我慢とロクサーヌの女心。突き詰めれば男女の愛。

 音楽は、歌劇「椿姫」の序曲と乾杯の歌、バロック風と思える無伴奏ヴィオリン曲。鈴木忠志の音楽に関する見識も、からたち日記から椿姫まで広範だ。そして選曲も実に見事。

 花火について少し。始まってすぐに打ち上げ花火、これは景気づけ。
 クリスチャンの戦闘場面で左右から水平に走る花火、「射ち来る弾道見えずとも低し 三橋敏雄」を思い出す。後世の人間が尊崇の念を抱いたとしても、殺された人間にとって何の役に立たない。この場面では決まったようにそのことを思う。花火の効用だろう。
 最後にナイアガラが光の壁を作る中、失意のシラノが傘を掲げて、池の上の花道に去っていく。終演と同時に、夏(休み)の終わりも感じる。

 この後、舞台上で鏡割り。今年は富山県知事、建築家の磯崎新、名前を聞き損なったが二人の学者?が、二つの四斗樽に杵を落とした。富山県知事は、かって静岡県の総務部長の時代に静岡芸術劇場の建設に関わっていたとのこと。磯崎新は、利賀村の野外劇場他、水戸芸術館、静岡芸術劇場の設計者。鈴木忠志の人脈も華麗、それも大事だと思う。

   (2014年9月15日記録)

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2014年9月10日 (水)

演劇:SCOT Summer Season 2014 (4)

4.トロイアの女

  原作  エウリピデス
  演出  鈴木忠志

  出演  老婆/ヘカベ/カッサンドラ 斎藤真紀
      少女/アンドロマケ     佐藤ジョンソンあき
      侍/ギリシャ軍       塩原充知・植田大介・石川治雄
      村人たち/トロイア人    鬼頭理沙・中村早香・平野雄一郎・
                    長田大史・陳祈伶・竹内大樹
      地蔵菩薩/神アポロン    藤本康宏
      廃車の男          竹森陽一

  会場  利賀大山房
  公演  20114年8月24日(日)、30日(土)、31日(日)
  鑑賞  2014年8月29日(金) 16:00~

 

 今年の利賀行は「トロイアの女」鑑賞が目的の一つ。案内には「25年ぶりに新演出で登場」と記されている。私がSCOTを観出したのがその頃だったから、あるいは鑑賞できた可能性があったかも知れないが、しかし観ていない。

 新演出を歌っているものの25年ぶりに再演する意義は何か。現在が戦前に似た雰囲気を醸し出していることへの警鐘を鳴らす意味がありはしないか。私自身が体験したわけでは無い。しかし、各種メディアを通してそのような指摘も頻繁だし、歴史書の類を読んで類似する雰囲気があるようにも感じる。

 古代の戦争を演劇として取り上げる意義は何か。広く人間の性ではない。一部権力者の残虐さ、一部権力者に操られる国民の本質を顕わすことだろう。と、そんなことを考えていた。

 

 舞台奥、上手から下手に廃車が積み重なって場末のスクラップ置き場とも見える。あるいは戦争後の荒廃した雰囲気を漂わせていたとも言える。二重世界を行き来する演出は、鈴木忠志が多用する手法。廃車を積み上げたセットは他の演目でも見かける。ただし、今回は意外に感じたが、廃車そのものに重きがある訳でもない。

 生き残ったトロイアの女たちが、戦利品としてギリシャに連れ去られる運命にあることを知った王妃ヘカベの怒り・嘆きは凄まじい。戦争における敗者の哀れさ、なすがままの運命に抗えない女たちの悲しさを代表したものであった。

 トロイア王の息子・ヘクトールの妻・アンドロマケは、息子(人形)を八つ裂きにされ、自らはギリシャ軍兵士に犯される。気丈さも、屈強の兵士の前に意味をなさない。衣装は和服、様式美を保ちながら帯を解かれる場面が印象的。

 ギリシャ軍の兵士は征服者の横暴さを存分に見せつける。が、それは抑制されながらも統一された身体表現に負うところが大きかった。

 ヘカベの斎藤真紀、アンドロマケの佐藤ジョンソンあき、ギリシャ軍の塩原充知・植田大介・石川治雄、みなスズキ・メソッドの良き体得者だ。抑圧された身体表現とも思える部分もある。今回はギリシャ軍の三人に対して顕著だった。しかし、大きなスケールの背景を浮かび上がらせるには、自由奔放な身体表現は弱く、抑圧された身体表現にこそ弾ける力が内在すると思う。そんなことを改めて感じた。

 戦争の悲しさ・虚しさを象徴する演出がもう一つあった。神アポロンの存在。一言も発しないし、ただ立ち尽くしているだけ、と言って過言でない。どんなに悲惨な状況が出現しようとも、神は助けてはくれはしない。それにしても、この身体表現も誰にでも出来るわけでない。鍛えられし者のみが成し得るだろう。動と静、鈴木演出の凄さだ。

 冒頭に述べた現代への警鐘と捉えて間違いないだろう。「歴史にもおさらば、記憶におさらば」と言う訳にはいかない。胸に刻み込まなければならない。

 として、ここで終えて良いのだが何か一つ物足りなかった。コロスが存在しなかった。演劇の狙いは私なりに捉えたつもりだが、コロス本来の役割は不要にしても、遊び心があって良かった。初演時のキャストには、風呂敷を持ったコロス、ローソクを持つコロスが加わっている。どのような演出だったか知る由もないが、見たい気もする。どのような雰囲気だったのだろうか。

   (2014年9月10日記録)

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2014年9月 6日 (土)

演劇:SCOT Summer Season 2014 (3)

  出演   曽静萍

  会場   新利賀山房
  公演   2014年8月29日(金)、30日(土)
  鑑賞   2014年8月30日(土) 14時~

 中国福建省泉州で生まれた梨園劇は、800年以上の歴史を持つ中国の最も古い伝統劇のひとつと紹介されている。北京を中心に発展した故に京劇と呼称される。中国の伝統演劇は数えるほどしか見たことがないので、梨園劇と言われても京劇との差異は判らない。地域以上の特徴があるのだろうか。

 男を想う女心をひとりで歌い踊る。楽団の伴奏つきである。楽器は、片足を打面に載せて微妙に音程を調整する太鼓を中心に、琵琶などの7・8人の編成。

 翻訳無しに一時間は長いと思うけれど、翻訳が付いたところで受け止め方に大きな差はないだろう。内容はおおむね想像できる。繊細な歌い踊りであり、情感は良く伝わった。ただ、まとまった感想にまでは至らなかった。

 

 後日談がある。9月4日に神奈川芸術劇場で開催された「日中韓芸術祭2014」に、同劇団が出演した。プログラムは、1.器楽演奏「四管」、2.演劇「玉真行」、3.演劇「蹴鞠」。

 「玉真行」は曽静萍がひとりで歌い踊る。「蹴鞠」は若手の編成、女性4人が鞠を蹴るが、鞠は棒の先に付けたものを男性が操り、道化が一人加わる。

 全体で30分ほど、曽静萍も15分前後だったので実力を出し切れていないかもしれない。が、若手と比べてその技量の確かさを確認した。見た目には、動作の円滑さの相違。プログラムも大分異なるけれど。次の写真はプログラムより引用。
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   (2014年9月6日記録)

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2014年9月 5日 (金)

演劇:SCOT Summer Season 2014 (2)

2.からたち日記由来

  作    鹿沢信夫
  演出   鈴木忠司

  出演   母親・チエコ  内藤千恵子
       長男:タカト  平垣温人
       叔父・ミチトモ 塩原充知

  会場   利賀山房
  公演   20114年8月22日(金)、29日(金)、31日(日)
  鑑賞   2014年8月29日(金) 21:30~

 

 俳優には過酷な演出である。と言えば、舞台狭しと動き回るエネルギ多消費の身体表現を想像されるだろうか。実際はその逆。正座したまま、上演中は寸分たりとも位置を変えない。上半身は、座卓に突っ伏したり、楽器を演奏したりはする。しかし、その程度の動きで1時間強、観客の興味を繋ぎとめる俳優のリアリティ、強靭な精神・肉体に驚嘆した。舞台を終えて男優は這いずって退場した。これは演技でないだろう。同一の詩姿勢を保ったために、単に立ち上がれなくなっただけだろう。

 茶の間だろうか、母親を真中にして3人は座っている。母親の傍らにチンドン、時々狂ったように「からたち日記」を歌い、客に聞かせた講談「からたち日記由来」を語りだす。長男は着流しでハーモニカを持ち、叔父は派手な姿でクラリネットを手にする。
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 多くのひとに愛された歌謡曲「からたち日記」は、島倉千代子の歌唱により1958年に大ヒット、『しあわせになろうね・・・』に始まる長いセリフが入る。ところがこの歌詞は大戦前の大正時代に書かれた、とは講談作者の主張。

 歌詞を作ったのは枢密院副議長、芳川顕正伯爵の娘・芳川鎌子。
 学習院を卒業した鎌子は結婚して一子を設けるが、夫との家庭生活に不満を感じて、芳川家の専属運転手との恋愛関係に陥る。やがて二人は列車に飛び込むが、鎌子だけが生き残る。この事実は、やがては天皇制打倒に至るかも知れないと政治問題化する。鎌子は芳川家を除籍され、尼になり、信州の寺で人生を終える。残された日記に、歌謡曲「からたち日記」の歌詞が書かれていたと言う。

 『いのち短し 恋せよ乙女』と歌われる「ゴンドラの唄」、『行うか戻ろか オーロラの下を』と歌われる「さすらいの唄」も交えて時代が暗示される。クラリネットを吹き、ハーモニカを吹き、チンドンをかき鳴らして、チンドン屋を稼業としていた一家であることを浮かび上がらせる。あるいは鎌子が、運転手が乗り移っていたのだろうか。

 内藤千恵子は、かってアガウエやロクサーヌを演じているが、今回の母親役も狂気を帯びて大いなる存在感を示した。平垣温人にしても、塩原充知にしても同じ。これだけ動きのない芝居を演じて客の緊張感を繋ぎとめるのは、ひとえに役者の非凡さだろう。

 作者・鹿沢信夫、初めて聞く名前だ。鹿沢信夫は、鈴木忠司や別役実と同じ学生劇団に所属した学生活動家、卒業後は貧しい人たちのために社会活動に従事したが、肺結核のため36才で夭逝したそうだ。しかし、鈴木忠司が若い時に書いた戯曲と言っても違和感はないのだが、まさかどっきりなどということはないだろうけど。

 ところで、鹿沢信夫の脳裏に焼き付いていた未来はどんなものだったろか。残り少なくなったとはいえ、今、私も考え直す時期かも知れない。あるいは貴方も。世間を眺めまわして。

 写真引用:http://www.chunichi.co.jp/article/toyama/20140823/CK2014082302000034.html

   (2014年9月5日記録)

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演劇:SCOT Summer Season 2014 (1)

 「SCOT Summer Season 2014 & 第1回利賀アジア芸術祭」。「SCOT」は「Suzuki Conpany of TOGA」の略。ここで「Suzuki」は演出家・鈴木忠司、「TOGA」は富山県南砺市利賀村のこと。利賀村は岐阜県境に近い山奥の過疎の村だが、ここで演劇祭が開催される。少しづつ形は変わっているが来年で40周年を迎える。行かない年もあったが四半世紀に渡って私の夏休みはここ、今年も2日間で5演目を鑑賞した。

 

1.スズキトレーニングメッソド公開  29日19時開演、創造交流館

 当初は上海戯劇学院とSCOTの共同制作による「シンデレラ」が予定されていたが、諸般の事情によりプログラムが変更された。

 事前配布のレジュメには3つの要点がまとめられていた。さらにその要点を抽出して次に。

  1.メッセイジを持たない人間に演技はない。
     メッセイジ=意見を効果的に伝達するための行為の様式あるいは遊
     び方が歴史的に蓄積され、多くの人々に共有されたものを、演技と
     呼称してきたということができる。
  2.観客がいないと演技は始まらない。
     身体を見せる見せられるという意識状態、言葉を聴かせる聴かれる
     という意識状態は自分以外の存在が視覚的聴覚的に自分に注意を払
     っていることを前提にしている。
  3.見えない体を意識化することが演技の前提条件である。
     身体が生活上で目的をよりよく果たすために必要なもの、身体行動
     に伴うエネルギーの燃焼と呼吸の調節、それと重心の支配である。

 20人弱の中国・台湾・韓国・日本・アメリカの俳優・訓練生による実演と鈴木忠司の解説を交互に繰り返しながら進行した。私は数回観たことがあるけれど、ここまでまとまったものを観るのは初めて。

 実演は (1)二拍子で足を踏みしめる (2)一点凝視でしてゆっくり前進 (3)水平に等速移動、さらに手の等速移動を加える (4)立位・座位・立位を素早く繰り返して安定性を失わない (5)立位になる際に爪先立ち、あるいは片足立ち (6)目をつむって片足立ち (7)腰を着いて上半身・下半身を浮かせて手足を動かす (8)短い木刀を両手に持ち、アンバランスな状態での身体コントロール (9)ロコモーションと称する、チェーン状に連なって組合せ動作 など。

 (1)では床が振動し、客席にまで伝わるほど力強い。(2)では集中力がひしひしと伝わる。以下、一般的には腰を落とす、安定した身体の動き、などと言われることに繋がるだろう。

 全員・中国人・男性・女性のグループなどに分けての実演、訓練期間の長い俳優は安定感がある。特に目をつむった時の差は如実だ。ふくらはぎの筋肉の着き方も差がある。

 解説中に挟まれた言葉で気になったのは、好みになってはいけない。基準が必要。この訓練を修得すれば鈴木忠司の演劇に出演できる。中国なんかに差を付けられた、とは国立の訓練機関などのシステム化を差を指すのだろう。

 何度も見るものでもないと思うが、一度は見ておいたら良いでしょう。

   (2014年9月4日記録)

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2014年9月 3日 (水)

美術:金沢21世紀美術館開館「中村好文 金沢の小屋においでよ!」

  名称   中村好文 金沢の小屋においでよ!
  会場   金沢21世紀美術館
  会期   2014年4月26日(土) ~ 2014年8月31日(日)、会期終了
  鑑賞日  2014年8月28日(木)・29日(金)

  参考   公式ホームページ

 

 中村好文は住宅建築中心に活動、家具製作も行なう建築家。著書も多いが、私は「意中の建築 上・下巻」を斜めに読んだだけ。案内されていた岡山の国宝「閑谷学校」に寄り道したことが記憶に残る。

 誰もが実現できないが、誰もが憧れそうな小屋生活。今回の企画は、酔狂で羨ましく思えるけれど、それは私の素人考え、そこに留まるものでもないだろう。とにかく面白そうだから観るのだ。美術館の無料ゾーンに展示されているのも嬉しい。

 展示は二カ所に。光庭に、原寸サイズのエネルギー自給自足を目指すひとり暮らし用の小屋「Hanem Hut」。長期インスタレーションルームに、鴨長明を初めとする過去の小屋主の紹介、「Hanem Hut」の設計図や制作記録ビデオ。

 

 光庭とは、美術館中央の屋外空間で、四方がガラスに囲まれている。美術館内からはドアーを通って出入りする。小屋の外形は、3160㎜W×4098㎜D×3203㎜H。写真は美術館内から。
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 写真は小屋の全景、居間、水回り。おおよその様子がお判り頂けるだろう。
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 写真は付帯するユーティリティを収めた別の小さな小屋。
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 写真は居間の片隅に掲げられているもの。そこに映る人物は、中村が小屋を設計するに際して触発された7人の小屋主。
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 長期インスタレーションルームには、7人の小屋主・小屋の概説が展示される。そのおおまかなメモを次に整理しておく。

  1.ヘンリー・デヴィッド・ソロー  小屋名「森の生活」
    小屋暮らしは1845年(28歳)~47年(30歳)、44歳で没
    小屋のワイヤ―フレームの模型展示。

  2.立原道造  小屋名「風信子(ヒヤシンス)ハウス」
    1914年生まれ、39年に24歳で没。小屋は未完。段ボールの模型展示。   

  3.高村光太郎  小屋名「高村山荘」
    1945年(62歳)~52年(69歳)、73歳で没
    戦意高揚の詩を作った責任を痛感して岩手に引き篭った際に住んだ

  4.猪谷六合雄 小屋名「特になし」
    1929年(20歳)~晩年(?)。写真展示?

  5.ル・コルビジェ  小屋名「休暇小屋」
    1952年(64歳)~65年(77歳)、77歳で没。
    小屋のスライド展示。

  6.堀江謙一  小屋名「マーメイド号」
    1962年5月12日~8月12日(24歳)。
    ヨット模型展示。小屋に見立てている

  7.鴨長明  小屋名「方丈庵」
    1208年(54歳)~16年(62歳)、62歳で没。

 他に「Hanem Hut」制作に関するスケッチ、図面(青焼き)などの展示。制作記録のビデオには、光庭で挙行された神式の地鎮祭などが記録されていて笑いが浮かんだ。宗教的行事が許されるのかなどとも思ったが、厳密にやってこそ何だろう、遊び、趣味?

 

 エネルギー自給自足の啓発もあるだろうし、モノづくりの啓蒙も込められているだろう。子供たちに理解は難しいだろうが、でも素材を与えて小さな小屋を作らせれてあげたら、喜ぶだろうななどとも思った。とにかく、楽しい企画だった。できれば、有料で良いから資料集を準備して欲しかったが、それが残念。無料の企画では無理だろうけれど。

   (2014年9月2日記録)

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2014年9月 1日 (月)

美術:金沢21世紀美術館開館10周年記念 「レアンドロ・エルリッヒ ― ありきたりの?」

  名称   レアンドロ・エルリッヒ ― ありきたりの?
  会場   金沢21世紀美術館
  会期   2014年5月 3日(土) ~ 2014年8月31日(日)、会期終了
  鑑賞日  2014年8月28日(木)

  参考   公式ホームページ
       レアンドロ・エルリッヒ展の遊び方 芸術新潮 2014年7月号 P80-85

 

 レアンドロ・エルリッヒ、って誰。あなたが21世紀美術館に行ったことがあるならば、「プール」の制作者と言えば、ああ、とうなずかれるだろう。通称「レアンドロのプール」、正式には「スイミング・プール」、多くのひとに愛される作品の制作者。

 私が思う21世紀美術館の顔となる制作者は、多い。コミッション・ワークの制作者では、フロリアン・クラール(アリアのためのクラングフェルト・ナンバー3)、レアンドロ・エルリッヒ、アニッシュ・カプール(世界の起源)、ジェームス・タレル(ブルー・プラネット・スカイ)。コレクションの制作者で印象深いのは、ヤン・ファーブル(雲を測る男(いつも屋根の上に))、オラファー・エリアソン(反視的状況(展示中))、船越桂(冬に触れる)、ヤノベケンジ(タンキングマシーン(展示中))。

 この中には、既に21世紀美術館で個人展開催の制作者もいる。他の美術展で多く取り上げられた制作者もいる。作品の性格上、個人展にまとめにくそうな制作者もいる。そういう観点で絞り込めば、レアンドロの個人展は日本初だし、21世紀美術館を代表する作品の制作者の一人だし、10周年記念企画としてまことにふさわしい。

 

 「見えない庭」は、八角形の温室風の小さな建物に鏡が仕掛けられて、光景は連続するのに反対側に見えない部分が生じる。すなわち、向う側の人が見えなくなったりする。暫くは不思議感が漂って周囲を何周かした。

 「エレベータ・ピッチ」は、壁にエレベーターのドアーがしつらえてあって一定間隔で開閉を繰り返す。ドアーが開けばそこには大型のディスプレイに投影されるエレベーター内の客の姿、様々な客の姿を映し出す。

 「階段」は、ビルの螺旋階段を切り出して真横に倒したような作品。立ったままにして、ビルの最上階から真下を見下ろす雰囲気になる。

 「リハーサル」は、部屋半分に奏者が抱えたような位置にヴァイオリンやチェロが置かれ、残る半分には椅子にボー(弓)が置かれている。客がボーを人が構えると、ハーフミラーに、あたかも演奏しているような己の姿が合成される。

 

 全部で8作品、「スイミングプール」を加えれば9作品が展示された。「スイミング・プール」から想像できるように、レアンドロの作品はどれもユーモアとアイデアに溢れていた。美術あるいは現代美術などと堅苦しいことを言わずに、老若男女、誰にも親しまれる作品が並んでいた。

 レアンドロは1973年、アルゼンチン・ブエノスアイレス生まれ。まだ若いし、これから多くの作品を発表するだろう。作風も変わっていくかも知れないが、いまはこれで良い。美術あるいは現代美術の垣根を低くした功績は大きい。でも、首を傾げさせるような作品も、いつか発表されることを期待したい。

 ところで、金沢21世紀美術館の開館は2004年10月9日。当時は働いていたが、社内報に掲載された美術館全景を見て驚いたことを記憶する。美術館らしからぬ美術館。鑑賞は、夏の旅行中に寄るだけなので、まだ6・7回。遠方ゆえ断片的な情報にしか接しない。でもこの十年間の足跡は見事だと思う。益々の発展を祈念したい。

   (2014年9月1日記録)

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