文楽:遅れ馳せながら、国立文楽劇場「菅原伝授手習鑑」
5月の国立劇場は「国立文楽劇場開場三十周年記念・七世竹本住太夫引退公演」、千穐楽は26日。残念ながらチケット入手は叶いませんでした。
そんな事も影響してか、過日、横浜の放送ライブラリにて文楽関連の古いビデオを何本か視聴しました。文楽で検索すると約20タイトルがヒット。放映時期は1990年代後半のものが大半。写る技芸員らの若いこと。と言っても、世間一般では隠居の年代と思います。住太夫、人形遣いの玉男、蓑助、先代勘十郎、三味線の先代燕三。人形遣いの玉女はまだ左遣い。
住太夫の言葉をいくつか。「人物になりきる一歩手前で止めておく」「(泣きの浄瑠璃と言われるが)自分(太夫)は泣かない」「(情を語るには)素直な気持ちで」「松王丸の泣き笑いは、先代が顔を上げていけと」「言葉・地色・節。誰が誰に語っているかを判らせる」。往時、既に人間国宝、言葉お重み。年に数回観るか観ないかの私、それでも初めて観てから10数年が過ぎ、これらが少しは腑に落ちます。以前観た、住太夫が確か引退した越路太夫に稽古をつけて貰うビデオは見つかりませんでした。人間国宝にしてなお研鑽を怠らない様子だったのですが、それでも引退の日が来ます。
ここで遅れ馳せながら国立文楽劇場「菅原伝授手習鑑」。東京のチケット入手困難と思っていたので、4月に大阪に出向き、第1・2部通しで鑑賞しました。東京と同じく「国立文楽劇場開場三十周年記念・七世竹本住太夫引退公演」。
第1部が10時30分~15時30分まで、第2部が16時~21時少し前まで。各部に30分の食事休憩と数回の短い休憩。この長丁場は結構疲れますが、良くできた狂言だし、技芸員は真摯に取り組むから最後まで飽きません。
人形遣いは、ビデオで左遣いだった玉女が菅丞相、松王丸が当代勘十郎。「丞相名残の段」では咲太夫の隣に当代燕三。時の流れを感じました。
「引退狂言 桜丸切腹の段」で住太夫登場。低く重く語りだしました。深みを十分受け止められませんが、それでも見事な語りでした。ただ、声が少し細くなったような。暫く体調が悪かったとか、大阪市長の理不尽な横槍に心労も加わったかも知れません。引退の時期は、本人が一番判っていることでしょう。とにかく最後の語りを聴けて良かった。
他に「築地の段」、菅丞相が無実の罪を着せられて館に引きこもる場面、一昔前の玉男が目に浮かびました。肩を落とし背中を見せて落胆する菅丞相、頭を遣う手を外して正面を向いて後ずさりする玉男。毅然と人形を遣うその姿に、80過ぎの男の色気を感じました。今回の玉女は人形より本人の所作がばたばたしたと思います。人形遣いは見えないことにしても。次の機会を楽しみに。って、10年ほど元気でなければいけないでしょうけれど。
最近は上演芸術、文楽に限らずシェイクスピア・チェホフなどを含めて、伝統的なタイトルはつくづく素晴らしいと感じます。観るたびに自分を投影する、自分の観方に気付く一里塚のような気がしてきました。文楽は観るでなく、聴くと言うそうですが。もちろん、新作を否定しているわけではありませんけど。
(2013年5月24日記録)
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