演劇:blan Class「始末をかく」
作 岸井大輔
出演 遠藤麻衣、橋本匠、武久絵里
会場 ブランクラス(京浜急行井土ヶ谷駅近く)
公演 2014年5月24日(土)~25日(日)
鑑賞 2011年5月24日(土)
駅近く、民家が続く中の集会場風建屋の2階。2室ある奥のフラットな板の間が会場。演技スペースを確保してなお、数10人の客が入れそう。とは言え、演劇とは無縁そうな何もない空間、P.ブルックに倣えば「裸の舞台」。
客は車座、終点が起点より少し外側なので渦巻き座か。渦巻きは進むにつれて、座布団・低い台・やや高い台・椅子・机と徐々に高くなる。最後の脚立は誰も座らなかったが。その中に、中心に向かうように椅子4客。
出演者の遠藤は美術家・俳優|二十二会、橋本は俳優・芸術家・トランスフォーマー、武久は彫刻家。まあ、一癖も二癖もあるような雰囲気を漂よわせるが、どのような展開でも目の前で繰り広げられるならば大抵のことは許容できる。
さて、当日の展開と言いたいが、私には説明困難。ネガティブな意味合いを込める訳でなく、単純に私の理解力・表現力を越えているだけ。
俳優がテキストを朗読する。暫くすると作家が出てきてテキストを同時に朗読する。信号も重なると雑音、意味把握はすぐに放棄する。暫くすると客にテキストが回され、適当な行数を朗読した後に順送りする。最大5冊のテキストが回る。あちらこちらで声が響く。
俳優は中央の椅子でシンプルな身体表現を試みたり、車座の外に出たり、客の間に入ったりする。客の続きを朗読したり、強制的に何人かの客を無視して先に進めたりもする。
やがてテキストが尽きて終わる。
テキストが回ってくると滑らかに読み上げようとする自分、演劇に参加する気持ちの芽生えか。予想外の展開に面喰らう自分が面白い。
途中から感じたのは、音楽みたい。しかも、「J.S.Bach:音楽の捧げもの」と特定していた。この曲は、フリードリヒ大王が宮廷を訪ねたバッハにハ短調のテーマを与えて即興演奏をさせたことを契機に完成した。テーマが与えられ、追いかけるように進行するカノンの形式、種々の楽器の組み合わせで演奏される、ことが演劇に重なった。
いっそテキストの最後に、先頭に戻る指定をすれば、この演劇は永遠に終わらない。ヨハン・シュトラウス2世の常動曲(無窮動)のようだ。終りは指揮者の一言が多いようだ。大昔、ラジオで聴いたベーム・ウィーンフィルは、ベームがたどたどしい日本語で「いつまでも」と叫んだ。演劇の場合、支配人が出てきて「いい加減にせんか」とでも叫ぶか。
ここまで読んで頂けたとしたらありがとうございます。判りにくい文章なのに。
最近、シェイクスピアや近松などの揺るぎない戯曲に興味惹かれることが多いです。しかし、新しい何かが生まれようとする場面に立ち会うのも、それに劣らず興味深く感じています。自宅から30分ほどの場所です。また出かけます。
(2014年5月28日記録)
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