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2014年4月 4日 (金)

三月の観劇メモ

 三月に見聞きした舞台の感想は、「神奈川フィル297回定期公演」を何とかブログに掲載したけれど、次の三つをまとめ損ねました。むむむー。いつもメモだけれど、さらに簡単なメモでまとめておきます。

 

舞踊:J.S.バッハ「ゴールドベルク変奏曲」

 振付:山田うん、出演:高橋悠治(ピアノ)・川合ロン・山田うん(ダンス)、3月13日(木)、茅ヶ崎市民文化会館。
 二月に公演された山田うん振付「春の祭典」を観て、その延長で観に出かけた。高橋悠治への興味もあった。クラーヴィア練習曲でストーリーがあるわけでなく、音楽と振付が試される。主題は山田うんのソロ、上半身主体の表現、知らないけれど手話を思わせるような滑らかな腕の表現が美しい。徐々に全身の表現に拡大して第3変奏(?)まで山田うん。第4・5変奏を川合ロン、第6変奏から二人で踊る。曲の性質からして気持ちのクレッシェンドが途中で終わってしまった嫌いはあるが、こういう曲こそ見る側の目が試されると思うけれど、私の目は肥えていないから。変奏を終えて主題に戻る時は、最初の振付が繰り返されると思ったが、似てはいるけれど少し違った。
 ピアノは、ジャズ風に聴こえる部分もあって面白く感じたけれど、気になる部分も少なからずあった。

 

演劇:世amI「邯鄲」

 演出:金世一、出演:野澤遵宜・久保庭尚子・金恵玲・他、3月14日(金)、タイニイアリス。
 三島由紀夫の近代能楽集からの一編。かって幼少の自分の面倒をみて辞めて行ったお手伝い・菊の家を、18歳の次郎が訪ねた。次郎は菊の家にあるという邯鄲の枕に興味を抱いてやって来たのだった。その枕で夢を見て覚めると、何もかも虚しくなるというのだが。
 次郎と菊をベテランが、夢の世界を若手が演じて、原作の不思議な感じは良く伝わった。現代批判としての側面も十分に感じられた。ただ夢のような現代において、夢を現実化してしまうストーリーがどこまで有効か、何となく胡散臭く感じてしまう。他にやりようもないと思うが、能「邯鄲」がどのような様式美で表現するか、観たくなった次第。

 

演劇:KAAT+地点「悪霊」

 演出・構成:三浦基。出演:小河原康二(スタブローギン)・根本大介(イワン・シャートフ)・他。3月15日(土)、神奈川芸術劇場大スタジオ。
 大スタジオには何回も入ったがいつもと異なる雰囲気。横手方向にステージと客席を分け、ステージ外周は一段高く、そして中央部は一段低く地下壕を思わせる構造。雪が降りしきる。白い衣装を着けた役者は、ステージ外周を延々と走る。最初は何時か停まると思ったが、誰もがみな基本的に走る。停まった時に何かを演じる。
 内容もさることながら、走り続けるシンプルな身体表現に圧倒された。そう「ラヴェル・ヴォレロ」。ヴォレロは、徐々に高揚して最後の2小節の下降調の旋律で収束する。ステージでは最後に、役者が白い上着を脱ぎ捨てて色とりどりのインナーに変った。時代を駆け抜けて新しい時代を迎えると言うことだろう。
 ドストエフスキーの舞台化だが、舞台からドストエフスキーは思い浮かぶか。思い浮かぶくらいに原作を読み込んでいたら、本当に面白いぼだと思った。1/3で当日を迎えたことを残念に思う。再演までには、きっと読み込んでおきます。
 役者の体力も半端でない。『若者よ 体を鍛えておけ 美しい心が たくましい体に からくも支えられる日が いつかは来る その日のために 身体を鍛えておけ 若者よ(詞:ぬやまひろし)』を思い出した。

   (2014年4月4日記録)

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