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2014年4月

2014年4月21日 (月)

路上観察:花の吉野山(2014年4月15日)

 春盛りの吉野山を散策しました。桜開花状況は中千本から上千本あたりが見頃だと。

 近鉄吉野駅からバスで中千本駐車場へ。そこから徒歩で奥千本・西行庵まで上り、折り返して近鉄吉野駅まで下るコース。一本道で案内もしっかりして

いるので迷うことはありません。進むにつれて歩く人の数は減りますが、それでも前後に人が切れることはありません。

 花見ということで穏やかな山道を想像すると大変な間違い、標高差は上り400m、下り600m、距離で12Kmほどのハイキングになります。参考のため、当日のルートとプロフィールを掲載します。歩行3時間・小休止合計1時間ですが、私は歩き慣れていて早足ですから、平均的な歩行速度では3割増しの歩行4時間が目安と思います。
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 金峰神社を過ぎて少し上ると分岐になります。奥千本・西行庵付近は周回ルートになります。私は反時計回りを選択、右に進みました。
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 すぐにもう一度分岐、案内に従って左へ。
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 狭い急な道を下れば程なく西行庵前に着きます。
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 多くの方が休憩していますが、私も小休止。
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 歩きだすとすぐに苔清水、西行も喉の渇きを癒したことでしょう。
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 少しの間、谷の反対側を上りますが、振り返れば西行庵あたりの桜は少し早いけれど美しい。
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 尾根道に出たら先ほどの分岐まで進みますが、これ以降は下る一方です。
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 以下、ルートなりに名所を案内します。金峰神社の一本桜がに陽が差していていて美しい。
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 高城山展望台周辺はまだちらほらという感じ、遠く二上山が霞んでいました。
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 吉野水分神社の庭の桜も美しい。コの字型の社殿の一辺が腰掛けられるので、多くの人が小休止しながら桜を眺めていました。
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 花矢倉からは視界が利いて、蔵王堂や門前の街並みがすぐ傍に見えますが、桜は時期を過ぎたようでした。
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 賑わう門前町に陀羅尼助丸の店が、蔵王堂はすぐです。
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 ケーブルカーで駅まで下る方法もありますが、歩くほうが早そうなので歩きました。
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 昨年は奥千本でも桜の盛りを過ぎていましたが、今年は時期的には良かったと思います。天気もまずまずで桜を楽しみました。

 

 この10数年で4回訪れましたが、これで吉野は卒業するつもりです。訪れることがあるとすれば、以前から思っている飛鳥・石舞台脇から古道を歩く時だと思います。いずれ報告する機会があるかも知れません。

  (2014年4月19日記録)

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2014年4月 7日 (月)

路上観察:沖縄久高島・イザイホーの記録映画について

 イザイホーは、沖縄久高島の女が神になる12年に1度行われる島最大の神事。沖縄の霊地の中で最高の霊地と言われるフボー(クボー)ウタキ周辺で執り行われます。以前から興味があって、先日の沖縄旅行でも久高島に渡って、その風土を垣間見ました。原始共同体を貫く原始宗教の必然性、その背景を少し感じらとれたと思っています。

 イザイホーの何かは他サイトに譲って(詳しく知らないので)、ここでは次の記録映画を紹介しておきます。
  1966年版  モノクロ、49分 海燕社
  1978年版  カラー、第1部54分・第2部48分 東京シネマ新社

 神事は秘事の部分も多く、時間的にも一部の記録と知れますが、それでも圧倒されました。1978年以降の記録映画がないのはイザイホーが開催されないためでしょう。時代が開催を不可能にしてしまったと感じます。

 

 1966年版はDVDで入手可能です。有償ですが、興味あれば海燕社で調べて下さい。
 過日DVDを入手、繰り返し鑑賞しました。半世紀前の映像は今に比べて画質は劣りますが、限られた機材で少しでも良いものを残そうとする映画人の良心みたいなものが感じられます。

 1978年版は、NPO法人・科学映像館から第1部第2部、共に無料でネット配信されています。
 1966年版に比して、学術記録を前面に出して制作されていると感じます。ネット配信で視聴しましたが、実写で視聴すれば画質も鮮明になっていると思われます。その内容に興味を抱いたならば、今すぐ視聴可能であることを大変あり難く思います。

 沖縄へ、特に久高島へ旅行するならば、記録映像の旅行前の視聴をお勧めします。より深い理解に繋がる筈です。私は前後したので残念に思っていますが、久高島再訪を暫く後に計画するつもりです。例え、旅行の予定がなかったとしても、各地に残された祭り・神事の一つとして興味深く思われるでしょう。

 なお科学映像館は、日本各地の祭り・神事のネット配信をしていますので興味を抱いているものがあれば探してみては如何でしょうか。

 写真は久高島最古の家・大里家。イザイホー、大里家などについては、まずこちらの参照をお勧めします。
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   (2014年4月6日記録)

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2014年4月 4日 (金)

三月の観劇メモ

 三月に見聞きした舞台の感想は、「神奈川フィル297回定期公演」を何とかブログに掲載したけれど、次の三つをまとめ損ねました。むむむー。いつもメモだけれど、さらに簡単なメモでまとめておきます。

 

舞踊:J.S.バッハ「ゴールドベルク変奏曲」

 振付:山田うん、出演:高橋悠治(ピアノ)・川合ロン・山田うん(ダンス)、3月13日(木)、茅ヶ崎市民文化会館。
 二月に公演された山田うん振付「春の祭典」を観て、その延長で観に出かけた。高橋悠治への興味もあった。クラーヴィア練習曲でストーリーがあるわけでなく、音楽と振付が試される。主題は山田うんのソロ、上半身主体の表現、知らないけれど手話を思わせるような滑らかな腕の表現が美しい。徐々に全身の表現に拡大して第3変奏(?)まで山田うん。第4・5変奏を川合ロン、第6変奏から二人で踊る。曲の性質からして気持ちのクレッシェンドが途中で終わってしまった嫌いはあるが、こういう曲こそ見る側の目が試されると思うけれど、私の目は肥えていないから。変奏を終えて主題に戻る時は、最初の振付が繰り返されると思ったが、似てはいるけれど少し違った。
 ピアノは、ジャズ風に聴こえる部分もあって面白く感じたけれど、気になる部分も少なからずあった。

 

演劇:世amI「邯鄲」

 演出:金世一、出演:野澤遵宜・久保庭尚子・金恵玲・他、3月14日(金)、タイニイアリス。
 三島由紀夫の近代能楽集からの一編。かって幼少の自分の面倒をみて辞めて行ったお手伝い・菊の家を、18歳の次郎が訪ねた。次郎は菊の家にあるという邯鄲の枕に興味を抱いてやって来たのだった。その枕で夢を見て覚めると、何もかも虚しくなるというのだが。
 次郎と菊をベテランが、夢の世界を若手が演じて、原作の不思議な感じは良く伝わった。現代批判としての側面も十分に感じられた。ただ夢のような現代において、夢を現実化してしまうストーリーがどこまで有効か、何となく胡散臭く感じてしまう。他にやりようもないと思うが、能「邯鄲」がどのような様式美で表現するか、観たくなった次第。

 

演劇:KAAT+地点「悪霊」

 演出・構成:三浦基。出演:小河原康二(スタブローギン)・根本大介(イワン・シャートフ)・他。3月15日(土)、神奈川芸術劇場大スタジオ。
 大スタジオには何回も入ったがいつもと異なる雰囲気。横手方向にステージと客席を分け、ステージ外周は一段高く、そして中央部は一段低く地下壕を思わせる構造。雪が降りしきる。白い衣装を着けた役者は、ステージ外周を延々と走る。最初は何時か停まると思ったが、誰もがみな基本的に走る。停まった時に何かを演じる。
 内容もさることながら、走り続けるシンプルな身体表現に圧倒された。そう「ラヴェル・ヴォレロ」。ヴォレロは、徐々に高揚して最後の2小節の下降調の旋律で収束する。ステージでは最後に、役者が白い上着を脱ぎ捨てて色とりどりのインナーに変った。時代を駆け抜けて新しい時代を迎えると言うことだろう。
 ドストエフスキーの舞台化だが、舞台からドストエフスキーは思い浮かぶか。思い浮かぶくらいに原作を読み込んでいたら、本当に面白いぼだと思った。1/3で当日を迎えたことを残念に思う。再演までには、きっと読み込んでおきます。
 役者の体力も半端でない。『若者よ 体を鍛えておけ 美しい心が たくましい体に からくも支えられる日が いつかは来る その日のために 身体を鍛えておけ 若者よ(詞:ぬやまひろし)』を思い出した。

   (2014年4月4日記録)

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2014年4月 1日 (火)

音楽:神奈川フィル第297回定期演奏会

  指揮  金聖響

  演奏  神奈川フィルハーモニー管弦楽団

  曲目  藤倉大 :アトム
      マーラー:交響曲第6番イ短調「悲劇的」

  会場  横浜みなとみらいホール(1階13列22番)
  公演  2014年3月20日19:00~21:05(休憩20分)

 

 消え入るように演奏が終わり、誰もがフリーズ。静寂がホールを支配した。一人ひとりの胸中を去来したものは何か。無限に続くかと思えた静寂は、指揮者が体を弛緩させてオーベーションの嵐に変った。

 2011年3月12日、社会的混乱の中で開催された第270回定期演奏会はマーラー・第6番。客は700人。しかし、あの演奏会は救いだった。日常を淡々とこなす重みを示された気がした。演奏前、金聖響の「我々ができることは音楽しかない。精一杯演奏する」との挨拶、そして黙祷。今回、その演奏を聴いた客は聴いたなりに、聴けなかった客は聴けなかったなりに、3年前を思い返しただろう。

 そして、神奈川フィル常任指揮者・金聖響として最後の定期演奏会。本人の胸中を様々な思いが駆け巡ったであろうとは、長い静寂から想像するのみだ。

 

アトム。 弓を撥ねるようなボーイング、弦のかすかな響きで始まった。しかし、乾いた砂が固まらないように、いつまでも響きが響きのままで形にならない。打楽器に流れが渡る部分があって、打楽器のための、と形容してもよいようにも感じた。総じてとらえどころのない曲だったが、その印象こそとらえどころだったかも知れない。
 例えばマットを叩いたり紙を破ったり、色々なことが起こる現代曲ではなかった。種々情報がなければ、比較的新しいクラシック曲と感じたかも知れない。現代曲を捉える巾が広がった。視覚も駆使すると現代曲をより楽しめるという意味で、多くのファンが演奏会に通えば良いとも感じた。

 

マーラー・交響曲第6番。 第1楽章。何かが忍び寄るようで不気味な第1主題、アルマのテーマと呼ばれる愛の迸ばしりを感じさせる第2主題。緊張と弛緩が対峙しながらも繊細さは保たれる。明瞭な弦に管のアクセント、チェレスタの彩どり。神奈川フィルの懐の広さ、指揮者の統率力。

 第2楽章、アンダンテ。 いきなりヴィオリンが主題を奏で、管、そしてホルンへ。長閑な草原を彷徨う思いだが、紗をかけたような憂いが全体を覆う。屈託のない明るさに行き着かない思い。
 第270回ではスケルツォ・アンダンテの順だった。学究的なことに思い及ばないが、私はこちらの流れを好ましく感じた。一息入れて後半に臨む思いだ。まあ、音楽的に一息などなかったけれど。

 第3楽章、スケルツォ。 ティンパニーと低音弦の奏でるリズムの上にヴィオリンが主部を奏で、各楽器に引き継がれる。第1楽章を振り返るようだ。中間部でオーボエが優雅な旋律を奏でて展開。それらが再現された後に静かに終えた。神奈川フィルの様々な表情が見られて興味深かった。

 第4楽章。 演奏に30分ほど要する第6番で最長の楽章。主部で木管とヴィオリンが奏でる第1主題、ホルンが奏でる跳ねるような第2主題。注目のハンマーは、重く籠るひしゃげた音が2回。万感の思いを込み上げる音の中の音。再現部を経ることなく消え入るように終わってしまうせつなさ。

 総じて言えば、繊細な弦に逞しさも感じ、管は美しく安定していた。まあ、いつものことだ。そして、ティンパニーに代表される打の味わい深さなくして、悲劇に向かう過程を遺憾なく表現することは不可能だったろう。第6番は名曲。そして、名曲を名曲として響かせた名演が、金聖響と神奈川フィルの5年間の総決算だった。お疲れさまでした。

   (2014年4月1日記録)

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