« 2014年2月 | トップページ | 2014年4月 »

2014年3月

2014年3月24日 (月)

路上観察:『第6回ゆいゆいウォーク』後日(2014年3月10日)

 北谷町砂辺馬場公園内にある米軍上陸記念碑へ。昨日、見つからなかった公園は、その後の調べで判りました。米軍上陸記念碑は読谷村にもあって、それは昨年訪れていました。どちらも読谷村にあると混同していました。

 公園は、遊具が随分豪華と感じたほかは何の変哲もない児童公園。記念碑は直ぐに見つかり、碑文は次のとおりです。
01 02

『第二次世界大戦米軍上陸地モニュメント
 1945年4月1日に米軍は、海面を黒く覆い尽くす戦艦・巡洋艦・駆逐艦・砲艦計219隻から山の原形を破壊する程に熾烈な艦砲射撃後、北谷西海岸から上陸した。日本で唯一の悲惨な地上戦は、一般住民をも巻き込み沖縄県全土で20万余の尊い人命を奪い去った。
 私たちは、沖縄戦の体験と実相から、戦争の不条理と残酷さを正しく次代に伝え、平和の理念として戦争につながる一切の行為を否定する。そして、平和憲法の人間尊重の精神に立脚した未来永劫の平和な北谷町の建設を図るため、沖縄戦の風化を許さない歴史的礎として、米軍上陸地碑をここに建造する。
     1991年4月1日
     北谷町長 島袋雅夫』

 目の前の美しい海に、米軍軍艦が忽然と現れた時の人々の驚きはいかばかりだったでしょう。負け戦とは知らされていなかったでしょう。10数Kmに広がって上陸作戦が始まったそうです。
03

 防波堤の先端で振り返れば美しい砂浜(人工とも)が見えます。左手から右手へジョット機が飛行し、大きく旋回して高度を下げてきます。嘉手納飛行場への進入路が目の前です。飛行機によっては少し余計に旋回し、真上を通過します。短時間でどの程度判ったかは心許ないのですが、基地の一端を垣間見た思いがしました。
04 05_2 05a

 識名園へ。琉球王家の別荘として1979年に建造、第二次世界大戦でほとんどの建造物が破壊されたそうです。現在見られる姿は復元で、1995年に完成、世界遺産にも指定されています

 池の周囲を巡る池泉回遊式庭園の中に主な建造物があります。橋や池の中にある六角堂は中国風と感じますが、そうかと言って中国だとも言い切れないような、折衷の感じがしました。
06 07 08

 敷地が広大とは言えませんが、木々の間を通る道はうねっていて奥深さを感じさせます。全体の造りは簡素に見えますが、飾り立てない美しさを感じました。
10

 首里金城町石畳道へ。元は首里城から延びる4km、総延長10kmの官道であったそうです。第二次世界大戦で大半は破壊されたそうですが、この付近の数100mが往時の姿を金城町に現存する238mの区間が首里金城町石畳道としてその姿を現在に伝えているとのこと。
12 13 14

 途中で見かけた「石敢當」は板状に加工した自然石でした。旅行中に随所で見かけましたが、殆どはタイル状の物が塀に埋め込んでありました。「石敢當」を「いしかんどう」と読みましたが、沖縄では「いしがんとう」と読んでいるようです。中国起源の魔除けだそうです。
11

 この後、首里城の門前まで行きましたが、昨年見学したし時間も少なくなってきたので帰路に着きました。
 来年、可能なら普天間基地周辺を大きく周回する「てだこウォーク」に参加したいと思っています。沖縄について知るべきことは多いですが、部分的にでも歩いて回れば視点も変ると思います。

   (2014年3月23日記録)

| | | コメント (0) | トラックバック (1)

2014年3月21日 (金)

路上観察:『第6回ゆいゆいウォーク』第1・2日(2014年3月8・9日)

 『ゆいゆいウォーク』は報告済みなので、ゴール後の行動を。

 第1日。海中道路で平安座島から浜比嘉島へ。平安座島に戻って宮城島、伊計島へドライブ。

 平安座島への道筋はウォーキングイベントのコース。降りだした雨の中をまだ大勢の皆さんが歩いていました。

 海中道路は、良い天気の日の満潮の時が美しいそうです。
 浜比嘉島は、琉球開びゃくの神・アマミキヨが住んだと伝えられる島、集落に拝所や御嶽(ウタキ)が点在するようですが自動車では判りません。浜辺(写真)の散歩だけでした。伊計島の伊計ビーチは、海水浴やキャンプでにぎわうそうですが、今は閑散。あるいは天気のせい。
01

 

 第2日。宜野座ドームから名護市辺野古へ。

 集落を抜けて辺野古漁港脇の砂浜へ。静かで美しい。砂浜に設置された金網フェンスが日米境界。
02 03

 フェンスに基地移設反対の横断幕が結び付けられていました。報道で見かける光景でしたが、見学と思われる方が数人いただけ。もし基地反対の人がいたら、私はどういう態度で接することができたか心許ない。「がんばって下さい」とは言えません。70年近く耐えているのですから。「がんばります」と無責任に言えないし。
04 05 06

 砂浜の全景、右側の小さな島に竜宮神をまつった御嶽(うたき)、そこも埋め立て予定地に含まれるそうです。竜宮神の前から浜の全景、堤防の右がキャンプシュワブ側、左が辺野古漁港。基地と日常生活が目と鼻の先。
07 08

 

 残波岬を目指して東岸から西岸へ。天気が良ければ美しいのでしょうが、風が強くて寒くて早々に退散。沖縄も寒い。近所で沖縄そばのランチ。
09 10

 

 読谷村(実は間違い)の米軍上陸記念碑を探してさまようも、結局あきらめました。

 

 中村家住宅を目指して西岸から東岸へ。国の重要文化財、戦前の沖縄の住居です。当時の上流農家の生活を知る上で貴重な遺構だそうです。美しく豊かな生活が営まれていたことが容易に想像できました。
11 12 13

 

 中城(ナカグスク)城址へ。昨年見逃し、世界遺産に指定された城址見学の最後です。海を見下ろす山城、野積みの石垣の構築技術が素晴らしい。細かくは判りませんが、勤めている時にレンガ積みの構造物は散々見ましたので何となく。昨日通過した勝連城が見える筈ですが確認できません。一昨日訪れた久高島遥拝所もありましたが、島も確認できません。抜けるような青空の時に訪れたいと思いました。
14 15 16

 

 沖縄中部の距離感が少し判りました。東西方向はさほど広くない。

   (2014年3月20日記録)

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年3月18日 (火)

路上観察:『第6回ゆいゆいウォーク』前日(2014年3月7日)

 早朝一番の便で羽田から那覇へ、さらにレンタカーで安座真港に移動。荒れた海に歓迎されながら神の島・久高島に渡る。11:45着。

 沖縄の祖先といわれる神・アマミキヨが、海の彼方からやって来て最初に辿り着いたのが久高島、琉球神話の聖地とされる。神は暫くして沖縄本島に渡っていったそうだ。

 世界遺産の斎場御嶽(せーふぁうたき)の最奥部の三庫理(さんぐーい)から久高島を遥拝できる。後日訪れた世界遺産・中城城址にも久高島遥拝所があった。

 久高島では、年間30ほどの神事が生活に組み込まれているそうだ。最大の神事は12年に一度行われるイザイホー。ただし1978年を最後に挙行されていない。時代におもねてまで存続することを拒否したのだろう。その気持ちは尊い。イザイホーの古い記録の断片を見て、一度訪れたいと思っていた。

 南北に長い久高島。南端の徳仁港周辺に集落。集落を抜ければ植物が繁茂し、切り開いた畑がある。その中に北へ向かう道が続く。所々に浜への入口がある。およそ唯物的な存在は見当たらない。
01 02 03

 北端がカベール岬、アマミキヨはこの岬に初めて降り立ったと言われる。風が強く、雨、後で思えば波しぶきだったかも知れないが、を頬に感じたので長居せずに引き返した。暫く海原を見つめていたら、何か感じることがあっただろうか。
04

 中間あたりに沖縄の七つの御嶽の一つ、最高の霊地であるフボー(クボー)御嶽があった。以前は男子禁制だったそうだが、今は何人も立入り禁止。入り口から祈るのみ。
05 06

 集落に、久高殿・ウドゥンミャーと外間殿・ウプグイと呼ばれる二大祭祀場があった。と言いながら準備不足で久高殿に寄り損なった。外間殿には都会とは異なる時が流れているように感じた。
07

 大里家は島で一番古いとされている家で、悲しい言い伝えもある。今は無住だが手入れは行き届いていた。お会いした島の人から「どこから来たの?」と言われて一言二言。何と、石川島播磨がまだ石川島だった40年程前に、横浜磯子で働いていたそうで「随分、変っただろうな」と。
08

 宿泊は久高島宿泊交流館、民宿もあるようだ。できればもう一度行きたい。様子が判ったので次は一泊、夕陽・朝陽や夜空、静寂を味わいたい。少しだけ神に近づけるかも知れない。
09

 3時間ほど滞在、少しだけおだやかになった海を安座真港へ。そのままうるま市のホテルへ直行した。

   (2014年3月18日記録)

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年3月17日 (月)

路上観察:第6回ゆいゆいウォーク(2014年3月8・9日)

 沖縄県中部東側の金武湾周辺で、2014年3月8日(土)、9日(日)に開催された「第6回ゆいゆいウォーク」に参加しました。ウォーキングイベント規模は、沖縄リーグと言うことで小さなものでした。でも沖縄を歩きたかったこと、イベント前後の日程で沖縄に関する知見を広めたかったことから参加しました。

 両日のスタート・ゴール地点が異なるので、両者の中間と思えるうるま市内のホテルに宿泊、移動はレンタカーを利用しました。土地勘がなく、特に朝の移動時間などの見当が付きませんでしたが、どちらへも30分以内で到着したので、結果的に正解でした。

 

 第1日目は20Kmコースに参加。うるま市の具志川ドームをスタート・ゴールにして、世界遺産の勝連城、観光地として有名な海中道路を横目(30Kmコースは渡る)に見るコースでした。
20140308_

 勝連城は1年前に訪れていますが、今回は徒歩で通過したので地形が良く判りました。周辺を含めて起伏が多いと感じました。70年ほど時間を遡らせて、向こうの小高い所に米軍が見えた光景を想像しました。この辺りで戦闘があったか否かは未確認ですが、その恐ろしさを少しだけ感じました。(写真は、勝連城)
001

 勝連城と海中道路を除けば、観光案内に乗るような場所はないようでした。逆に言えば、日常の生活空間を通過したと言えますが、それはそれで良かったと思います。(写真は、平敷屋タキーノ公園、海中道路遠望、藺草畑)
002 003 004

 08時30分スタート。低気圧が近づいていて天候不良でしたが、雨に降られる前の12時10分、先頭を行くコースマスターと同時にゴールしました。正味03時間40分、勝連城の見学に10分ほど費やしています。

 

 第2日目は10Kmコースに参加、宜野座村農村公園宜野座ドーム(雨天予想のため)をスタート・ゴールにして、漢那ダム、金武湾に面した海岸近くを歩きました。
20140309_

 折角ですから20Km程度は歩きたいところですが、それより長いコースは26Kmでした。スタート時刻・ホテルの朝食時間と出発時間などを加味すると、ちょっと間に合いませんでした。

 宜野座ドームは阪神タイガースのキャンプ地、その余韻が残っているようでしたが、他に観光地らしき場所はありませんでした。(写真は、ドーム内での歓迎演奏、阪神ターガースの歓迎看板)
005 006

 09時00分、集団の後方からスタート、途中でコースマスターに追いつき、少しお話しながら一緒に、10時40分ゴール。正味01時間40分。20Km前後までのコースでは、小休憩込みで1Kmを10分で歩きます。両日とも平均的なスピードで歩き通しました。(写真は、漢那ダム上での30Kmコースマスターとのすれ違い、海岸沿いからうるま方面)
007 008

 
 

 参加の目的は、ウォーキングと沖縄に関する知見を広げるためでしたから、名所・観光地の通過は少なかったですが、逆に言えば日常生活空間を垣間見るようで、それなり満足でした。しかし、ウォーキングを目的にしている方は、物足りなかったかも知れません。

  (2014年3月17日記録)

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年3月 4日 (火)

演劇:世amIプロデュース「天主物語」

  原作   泉鏡花
  演出   久保庭尚子

  出演   老婆・富姫   森田小夜子
       図書之介    吉田俊大
       男       仲谷智邦
       女1      木母千尋
       女2      鈴木みらの

  会場   アトリエ第七秘密基地
  公演   2014年2月21日(金)~23日(日)、全4公演
  鑑賞   2014年2月23日(日) 14:00~15:15(休憩なし)

 多くを知らないけれど、「天主物語」が制約の多い小劇場系の舞台で演じられたことはあっただろうか。どちらかと言えば、伝統芸能の大物役者が演じる舞台がスタンピングされている。それは絢爛豪華であろうと想像するものの、見たことはないのだが。

 ビルの地下室、何もない長方形の空間。二分した片方が客席でおおよそ50。

 場面は播州姫路・白鷺城天主の第五重。舞台は階段状で高楼をイメージしているのだろう。様々な様子から客席と舞台を入れ替えていると知れる。つまり普段の客席が舞台、舞台が客席になっていた。いつもは客が入退場する上手の通路、舞台後方の階段を利用して、役者が登退場する。客が入場する前から抑さえられた照明の下、舞台には図書之介が微動だにせず座っていて、異界の雰囲気を放っていた。

 原作で役名のある登場人物を数えると19、他に大勢。これを5名で演じるから相当無理があるのは見る前から承知していた。それを如何に乗り越えて客を納得させるか、そこに面白みがあり、小劇場系演劇の醍醐味があると言える。

 老婆の妄想?のうちに前半の物語は展開するという入れ子構造。富姫と図書之介は役が固定。男・女1・女2が様々な衣装・声色・動作で役を入れ替えた。

 図書之介の登場の仕方、要求した身体表現、音楽の使い方などに鈴木忠志風が感じられた。久保庭は長いこと鈴木忠志の下で重要なポジションにあったから、その影響の排除はなかなか難しいだろう 

 

 制約の多さを如何に乗り越えるかに興味を絞れば、ある程度成功していただろう。その上で。

 役者は皆しっかりした身体表現をしていた。流れは原作に忠実であるから、想像で補なえる部分もあったが、それはそれで正しい?演劇への接し方だろう。一人何役も変るので、原作を知らないとやや混乱しそうに感じた。富姫と図書之介にフォーカスして、禁断の愛を浮かび上がらせるように多少整理しても良いと感じた。

 音楽は比較的多用された。ここで具体的に曲名を指摘できないが、かなり違和感を感じた。流れに抗うような選曲の仕方もありだろうが、ここでは成功したと感じられなかった。最小限の音響効果あるいは省略してしまった方が良いと感じた。

   (2014年3月4日記録)

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2014年2月 | トップページ | 2014年4月 »