路上観察:横浜大岡川に残された街の記憶・1
11月2日の『水辺荘まちあるきツアー「消えた運河を探しにゆこう」』は、街の記憶を掘り起こす視点が興味深く感じられました。そこで、復習と自主テーマ設定?のために、もう少し歩き回ろうと、過日、第1回目を実施しました。
今は希薄ですが、横浜中心部に張り巡らされた運河は、生活に密着していた筈です。
子供の頃、近所の川(帷子川水系)には、原木を組んだ筏が係留されていました。ある日、ポンポン船がやって来てどこかへ運び去り、また新しい筏がやって来たりしました。とんぼ吊の記憶もありますけど、危ないからやめなさいと言われたことは無く、せいぜい気を付けなさいでした。
ツアーで気付かされたのは、護岸に残る痕跡。人と川の結び付きが、左右護岸に残る、あるいは残された痕跡から見えるのではないか、まず、その視点で護岸を丹念に見ました。一部を歩いたのみで、後に例外が出るかも知れませんが、左右護岸で明らかな差がありました。詳しくは追ってホームページに整理のうえ掲載しますが、私が認識した要点をここでまとめます。
まず、説明を判りやすくするために、次の写真でポイントを指摘します。
この写真は、整備されて現用される船着場です。現在の用途は親水と認識します。ポイントは、右側(下流側)がスロープ、左側(上流側)が階段の形状です。スロープ・階段に注目して区分すれば、次のとおりです。
1.スロープ・スロープ
2.スロープ・階段(上流・下流の区別はしない)
3.階段・階段
4.スロープのみ
5.階段のみ
歩いた範囲は一本橋から旭橋、途中に7橋あります。結果は次のとおりです。
右岸 1.スロープ・スロープ 7箇所(全て埋められている。痕跡に注目)
左岸 2.スロープ・階段 1箇所現用、1箇所埋められている
5.階段のみ 4箇所
何かありそうだと思いませんか。少しの資料を見た限りですが、大岡川左岸はもともと陸地、右岸は埋めて立て地と言って間違いないでしょう。
スロープは荷物運搬、階段は人が利用すると想定すれば、右岸は荷物運搬の必要な商工業地、左岸は人が生活する居住地だった、などと想像できます。まあ、これから少しづつ調べようと思っています。
今後、残る部分の様子を調べること、上流のどのあたりまで痕跡が残るかが次の調査ポイントになりそうです。天気の良い日に散歩かたがた出かけます。どこかにまとまった資料もありそうですが、自から調べるのが面白いんです。
(2013年11月9日記録)
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