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2013年9月 5日 (木)

演劇:SCOT Summaer Season 2013(2013年8月30日)(長文)

 富山県と言っても岐阜県境に程近い過疎の利賀村にて、2日間・5演目の演劇鑑賞を主目的とする3泊4日の旅行を終えた。まずは、第1日目は2演目を観た。その様子から。

 

 2013年8月30日8時過ぎに移動開始、横浜から東京・越後湯沢経由で富山着が13時半、途中の大雨で30分以上の遅延。駅前でレンタカー借用、途中で遅い昼食などしながら、南砺市利賀村利賀芸術公園近くの民宿着が16時過ぎ。

 他人から見れば、富山まで演劇鑑賞なんて何を物好きなと言われそうだけど、否定できない私がいる。1988年に初訪問、2000年以降はとびとびの訪問だが、それでも合計すれば20回近くを数える。丸々一週間、演劇観賞していた時期もあった。

 初訪問から4半世紀が過ぎた。村の人口は1800人から600人に減少。平成の改革で南砺波郡利賀村は南砺市利賀村に変った。「利賀国際芸術祭」が、「利賀サマーアーツプログラム」「SCOT Summer Season」と名実共に変化した。私自身も当然の成り行きで、壮年から老年に変った。

 結果的だが、横浜で生まれ育った私が限界集落の問題を垣間見た。平成の改革が、それに多少の加担をしているように感じた。運営の中核であるSCOT(Suzuki Comapny Of TOGA)の変遷も見てきた。かくして「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。」との思いに至る。

 

1.『高田みどりの打楽器と高野山南山進流聲明「羯諦羯諦-行く者よ、去り行く者よ」』

  演出   鈴木忠志
  出演   高田みどり
       SAMGHA/真言聲明の会
  会場   利賀大山房
  公演   8月24日(土)16:00開演、8月30日(金)18:00開演
  鑑賞   8月30日(金)18:00開演

 会場は体育館を改装した劇場。階段状の客席、目検討で定員400名程度(写真は、利賀大山房正面)。
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 舞台前方に種々の打楽器が配置されている。舞台後方の高さ2mほどの台上に、横一列で並ぶ円筒状の6つの台、登場した僧侶はそこに一名づつ座る。後で判るが、円筒状の台は一時、回転した。

 遅れて高田みどりが登場、演奏を開始する。打楽器の一々を記憶しないが、水盤の水を手で掬って落としマイクで拾う、大きさの異なる金銅鉢、りん、太鼓、マリンバ等。

 やがて声明(しょうみょう、旧字で聲明)が始まり、以降、交互に、同時に奏でられる。声明とは、仏典に節をつけた仏教音楽で儀礼に用いられるが、ここでは劇場用の演出が成されている、多分。

 プログラムによれば、唱えられた声明は、「大般若表白」「和訳般若心経」「云何唄(うんがばい)」「散華」「対揚」「般若心経」「舎利禮(しゃりらい)」。斉唱、独唱と合唱、般若心経は六声の輪唱でも唱えられた。

 打楽器と台の間の空間を、時々、車椅子の集団が下手から上手に通過する。簡単な物語があるようだが、深入りは避ける。

 展開された内容は事実として受け止めるが、その意味合いを理解するに至らない。理解できなくても、声明に奥深いものを感じることはある。例えば、東大寺修二会で唱えられる南無観など。寒い中に立ち尽くして聴き入れば、宗教の深奥に少し触れる気はする。翻って今回の「羯諦羯諦」は演出が過ぎて、宗教感は後退していると思えた。もっと素朴で良いだろう。

 

2.『岩舞台で繰り広げられる前衛漫画劇「新釈・瞼の母」』

  原作   長谷川伸
  演出   鈴木忠志

  出演   瞼の母      斉藤真紀
       日本人      石田治雄
       看護婦モンロー  佐藤ジョンソンあき
       その兄 大介   植田大介
       インテリヤクザ1 塩原充知
       インテリヤクザ2 加藤雅治
       看護婦2     小林清美

  会場   岩舞台(観賞回は新利賀山房に変更)
  公演   8月23日(金)21:30開演、8月30日(金)20:30、22:30開演
  鑑賞   8月30日(金)20:30開演

 股旅物に合羽が付き物という訳でもないが、完全雨仕度で会場に向かった。しかし、開演の暫く前から雨は上がっていたものの、野外から屋内の新利賀山房に会場は変更になっていた。雨もまた自然、出鼻をくじかれた思いだ。(写真は石舞台、後方に見えるのが新利賀山房)。
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 場の設定は病院か養護施設、意識不明瞭の女の回想のうちに物語が展開するのは、鈴木の常套的手法。その女は大介の母であり、後に日本人の母でもある。日本人は普通名詞でなく固有名詞、日本 人。台詞も、スペースを空けて発声していた。そこに、失われた日本的心情を重ねている。背景音楽にバーブ佐竹や北島三郎の歌謡曲が使われ、場面転換もなしに物語りは進む。

 言葉で言えば、何と安っぽい作りと思われそうだ。しかし、そうしないのが役者たちの技量。楽しめるし、大雑把に原作を認識していれば理解に苦しむこともない。

 かくして前衛的漫画劇は進行する。しかし、長谷川伸が日本人の心に波紋を立てたように、鈴木も波紋を立てただろうか。時代が違うと言ってしまえば身も蓋もない。それを知りつつ、鈴木は抗っているように思う。

 

 22時近くに民宿に戻って遅い食事、ほどなく就寝。かっては観てきた芝居をつまみに、知る人も知らない人も深夜まで酒を飲んでいたが、今はそういうことも無くなった。

   (2013年9月4日記録)

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コメント

民宿の夜は、私が行き始めた頃も深夜まで話に興じましたが、だんだんなくなってきましたね。
初めてでもそういう場で色んな話がきけて面白いのに。
時代なんでしょうか。

投稿: strauss | 2013年9月 5日 (木) 07時41分

ステレオタイプな表現をすれば、古きよき時代、ということでしょうか。決して社交的でない私も、話の輪に加わっていました。
この場合、演劇が話の核になるわけです。しかし最近は、演劇そのものより、演劇祭の雰囲気を味わいに来ている方が多いように感じられます。ゆえに話の核がなくなってしまった、という見立てはどうでしょうか。それと、お酒への接し方が、若い人たちと私たちの世代とで随分異なります。お酒を媒介にしたコミュニケーションが成立し難くくなっているとも思えます。時代と言えば時代なのでしょうね。

投稿: F3 | 2013年9月 5日 (木) 10時30分

納得です。
私も雰囲気が好きと言うのはありますが、まず演劇ありきですから。F3さんのような長老(いえ、失礼)のお話が聴けるのに。そこからそれぞれの世代の感じ方や考え方が出てくるから面白いんですよね。
と思うのはやっぱり若くないからでしょうか。

投稿: strauss | 2013年9月 5日 (木) 16時22分

いえ、充分にお若いですよ。
私は長老風で、真の長老は他にいそうですけどね。

投稿: F3 | 2013年9月 5日 (木) 17時15分

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