演劇:SCOT Summaer Season 2013(2013年8月31日)(長文)
第2日目は3演目を観た。
「ディオニュソス」と「世界の果てからこんにちは」の間に、講演「鈴木忠志が語る、利賀」があったが、見送った。民宿において、夕食の時間が遅くなるし、入浴も集中してしまう。何回も聞いたことだし、失礼して近所の日帰り温泉に行く。利賀の山並みを身近に見ての温泉は、至福の時間。以前は、二山越えた(もちろん自動車)平村の日帰り温泉まで行ったけど、今は会場と民宿の中間で温泉に入れる。村民の憩いの場所だが、随分と箱物が増えたと感じる。
「世界の果てからこんにちは」終演後、舞台上で、富山県知事と南砺市長が大きな杵で鏡を割る。後は、観客も舞台上に上がって暫しの憩いの時。私は雨も降っていたので一杯を味わって、早々に民宿に戻った。民宿では知り合いと歓談。昔ほど飲まないし、夜更かしもしない。長い年月が過ぎたと感じた。
1.『インターナショナルSCOT公演・第1弾「禿の女歌手」(6カ国語版)』
演出 マティア・セバスティアン
原作 ウジェーヌ・イヨネスコ
出演 メアリィ(女中) アグニア・レオノーヴァ(リトアニア)
スミス夫人 キアラ・ナンティ (イタリア)
スミス氏 グ・ジンシェン (中国)
幻想の女中 カメロン・スティール (アメリカ)
マーチン氏 イ・ソンウォン (韓国)
マーチン夫人 ジュウ・イェンイェン (中国)
消防所長 ガイア・ロズベルグ (デンマーク)
会場 利賀山房
公演 8月24日(土)13:00、31日(土)11:00、9月1日(日) 11:00
鑑賞 8月31日(土)11:00
約束の時間を大幅に遅れてスミス家を訪ねるマーチン夫妻。さらに消防所長が訪ねて、交わされる会話に物語性はない。消防所長が帰り際に、「ところで、禿(はげ)の女歌手は?」と訪ねるが、その場限りのこと。
その台詞は、恐らくデンマーク語で発話され、私は理解できない。投影される翻訳もとびとびで、内容を理解するには不足する。テキストで、そう発話したと思っている。「禿の女歌手」は識別名のようなもので、内容を意味するものでない。不条理劇の所以である。
舞台後方の太い柱の間に巾広のゴムバンドが張り巡らされて、まるでフェンス。隙間から登場したり、弾力を利用したり。
6ヶ国語とは、各々の役者が母国語(多分)を使用して芝居が進行すること。意味を理解できないけど、音の連続として不自然さを感じない。SCOTのトレーニングに参加する各国の役者だろうが、どのくらいの練習で本番に臨むのか。身体表現は、それなりに理解できる。
試みとしては面白いし、芝居としてたまに付き合うのも良い。何より世界は広いと思えること(写真は利賀山房、手前は磯崎新設計のエントランスホール)。
2.『世界を震撼させたギリシア悲劇「ディオニュソス」』
原作 エウリピデス
演出 鈴木忠志
出演 テーバイの王・ペンテウス 新堀清純
ペンテウスの母・アガウエ 内藤千恵子
ペンテウスの祖父・カドモス 蔦森皓祐
ディオニュソス教の僧侶 竹森陽一、塩原充知、植田大介、
藤本康宏、平垣温人
ディオニソス教の信女 斉藤真紀、佐藤ジョンソンあき、
木山はるか、鬼頭理沙
会場 利賀大山房
公演 8月25日(日)14:00、31日(土)15:00、9月1日(日) 14:00
鑑賞 8月31日(土)15:00
抑制された身体表現から繰り出される、緊張感を帯びた言葉の交錯がこの芝居の肝要。それを欠けば、奇妙なものが残る。
ディオニュソス教と対峙するペンテウスは、ディオニュソス教に取り付かれた女たちの様子を探るべく奥山に入り込む。僧侶にそそのかされて武器を帯びず、女装して。あげく、僧侶たちに殺される。女たちの中に、生首を下げたアガウエも混じる。子殺しの事実を諭すカドモス、やがて起きたことに気付くアガウエ。原作に比べれば話は跳ぶように感じるが、これで充分伝わる。
何度となく観たこの芝居、主たる出演者も何度となく観ている。気になったのはディオニュソス教の僧侶、5人がユニゾンで台詞を言うが、どうも出だしが揃わない。鮮明さが不足して、緊張感が弱くなる。どうしたものか。今までにこのようなことを感じたことはなかったように思うが。
長く観つづけるということはこういうことか。良い時もあれば悪い時もある。ただ、昨日今日の出来不出来とは違う。ディクレッシェンドしていると思えるところが大きな問題だ。層の薄さが感じられる。
3.『これを見ずして、日本は語れない「世界の果てからこんにちは」』
構成・演出 鈴木忠志
出演 日本の男 新堀清純
その子供 中村早香
僧侶 藤原栄作、植田大介、藤本康宏、
石川治雄、平垣温人
花嫁衣裳の女 ビョン・ユージョン
紅白幕の女 内藤千恵子、斉藤真紀、佐藤ジョンソンあき、
木山はるか、鬼頭理沙
車椅子の男女 竹森陽一、加藤雅治、他7名
花火師 前田徹、他6名
会場 野外劇場
公演 8月24日(土)20:00、31日(土)20:00
鑑賞 8月31日(土)20:00
雨中。鈴木作品の名場面をコラージュした作品。「ピチカートポルカ」に合わせて、大きな籠に入った僧侶の踊りは「イワーノフ」だったか。5人の僧侶、紅白幕の女は直前に観た「ディオニソス」から。車椅子の男女は多くの作品に登場。
背景に、鈴木の近代日本史観が横たわる。台詞の一部を切り出せば、
女「ニッポンが、陛下、お亡くなりに」
男「ニッポンもいつかは死なねばならなかった。/このような知らせを一度は聞くだろうと思っていた。/明日、また明日、また明日と。/時は小きざみな足取りで一日一日を歩み、/ついには歴史の最後の一瞬にたどりつく。/昨日という日はすべて愚かな塵と化す、/死への道を照らしてきた」。
それに、消化不良を消化過剰と言い張る男の仏様問答、「男(養老院院長)」が一人うなぎを食べたことを知った「車椅子(入所者)」が我々にも食わせろと要求するうなぎ問答、「その子供」が歌う知られざる迷曲「夜の訪問者」などが組み合わされる。
筋にシンクロして花火を打ちあげるのは過疎の村の野外劇ならでは。森を赤く染める煙幕、地を這うように飛ぶ花火から「射ち来たる弾道見えずとも低し 三橋敏雄」を通して幾多の戦争が思い浮かぶ。
22年前の利賀フェスティバル10周年記念作品。場面場面に言及しても多くは伝わらない。劇中の打ち上げ花火も想像し難いだろう。シリアスな場面を散りばめながら、滑稽さを絶やさないこの芝居は、自ら確かめて下さいとしか言いようがない。
ただし、両手で足りないほど見てきた中で、今回の出来は最低、面白さ半減。なぜか。
この芝居が滑稽さを失えば、祝祭性は失せる。新堀は「ディオニソス」で圧倒的な貫禄を漂わせたが、ここでは滑稽さの表出に至らない。役柄を「日本の男」としているが、以前は「日本の老人」。「その子供」は「芸者・春子」であった。小金を溜め込んだ老人が愛人を囲いながら、大業なことを呟く所におかしさの伏線はあった。そう言えば、「その子供」は「ニッポンが。トウチャン、お亡くなりに」と言った。緊張感に欠けるが、聞き間違いか。
それと「車椅子の男女」。ユニゾンで台詞を言うが、ピッチのずれは台詞の厚みに繋がるとしても、言い出しのタイミングがずれては、鮮明さが失せるばかりでなく、心地よさも失せてしまう。
(2013年9月6日記録)
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