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2013年9月20日 (金)

歌劇:R.ワグナー「ワルキューレ」  (長文)

  作曲・台本  R.ワグナー

  指揮     沼尻竜典

  演出・装置  ジョエル・ローウェルス

  配役     ジークムント    福井敬
         フンディング    斉木健詞
         ヴォータン     青山貴
         ジークリンデ    大村博美
         ブリュンヒルデ   横山恵子
         フリッカ      小山由美
         ゲルヒルデ     田崎尚美
         オルトリンデ    江口順子
         ワルトラウテ    井坂恵
         シュヴェルトライテ 金子美香
         ヘルムヴィーゲ   平井香織
         ジークルーネ    増田弥生
         グリムゲルデ    杣友惠子
         ロスワイセ     平舘直子

  管弦楽    神奈川フィルハーモニー管弦楽団&
         日本センチュリー交響楽団による合同オーケストラ

  会場     神奈川県民ホール(3階12列29番)
  公演     2013年9月14日14:00~19:00(休憩30分・30分)

 

 ワグナーを敬遠していたのに、ふと「マイスタージンガー」を聴いて心揺さぶられたのは随分前のこと。以来、ワグナーを聴くけれど、それでも「リング」は例外にしておきたかった。

 「ワルキューレ」を聴いて、それが大きな誤りと気付いた。演奏に長時間を要するのは確かだが、途中で緊張感を切らさなかった。と言うより、次第に舞台にのめり込んだ。

 

 歪んだ作り物のプロセニアム・アーチ。すぐ後ろに暗転幕。床は舞台後方に向けて上り斜面。
 頻繁な場面転換は暗転幕を下ろし、吊物の多用と照明の活用でスピーディー。暗転幕に場面のキーワードが投影されたけれど、3階席からは読めたり読めなかったり。支障は感じなかった。

 

 第1幕、フンディングの館。

 序奏でヴォータンが束の間登場する。当然歌唱は無く、後で最後の場面と知れる。手にした杖が電気仕掛けで輝く。親切心の迸りを感じたが、音楽に任せて良いだろう。

 フンディングは仲間を引き連れて登場。第1幕の登場人物は、ジークムント、ジークリンデ、フンディングだから、後は歌唱のない、つまり役者。説明的な演出は、ジークムントとフンディングの対峙する緊張感を緩めた。

 終曲。ジークムントは、それまで誰も引き抜けなかった宝剣ノートゥングをトネリコの幹から抜き取る。父ヴォータンとの関係性が明瞭になる瞬間。おやっと思ったのは、トネリコの木が横たわっている。さらに、思わずオペラグラスで確認したのが剣のそり。日本刀ではないか、なぜ。

 福井敬(ジークムント)は明晰で重厚。あちこちの公演に出演している印象だけれど、それも納得できる。斉木健詞(フンディング)も大村博美(ジークリンデ)も役を全う。

 

 第2幕、険しい岩山。

 フリッカは車椅子で現れたが、後に歩くので一貫性はない。車椅子から、病性とか老人性のイメージは容易だし、そこから考えの及ぶこともある。しかし、考えが及んだとして、ここで新たな意味が付く加わるだろうか。

 フンディングはジークムントを拳銃で二発打つ。宝剣ノートゥングのおかげで、ここでは倒れないけれど、脈絡からして拳銃とは。

 横山恵子(ブリュンヒルデ)の戦乙女たる圧倒的な歌唱に強く惹かれた。

 

 第3幕、ブリュンヒルデの岩の頂。

 上手後方の床が割れて亀裂が作られた。ワルキューレ達が戦で果てた戦士を片付けている。手はもげ、首はもげても、無造作に籠付き台車に放り投げる。人形とは言え、上品な演出とは思えない。

 幼少のブリュンヒルデが登場する。ヴォータンの怒りに触れる場面での回顧だが。他にも歌唱しない役者が多く登場すのも特筆できる。

 オペラの醍醐味の一つは大合唱と思っているが、それに代わるのがワルキューレたちの歌唱、大いに楽しめた。

 全般的に旺盛な親切心が押し出された演出。しかし、小刻みな場面転換も含めて、余韻を断ち切り、イメージを萎ませる側面もある。現代演劇が、ほとんど何もない空間で劇的な効果を表現することを思えば、歌唱も演奏もあるオペラでは、演出過剰と捉えられても仕方ない。

 しかし、それを割り引いてなお、充実した舞台だった。

 沼尻竜典は、クリアな指揮振りと受けとめた。正確なところは判からないが、指揮をコミュニケーションと捉えれば、理解しやすい情報発信をしていたと感じた。過去公演でもそう感じていた。今回、その印象が特に強いのは、壮大な音楽の再現とも関係するだろう。

 ピット一杯の奏者。ハープは2台しか見えなかった。ハープが聴こえなかったが。
 第3幕の「ワルキューレの騎行」は、少し抑えた印象。演奏会用序曲とはまた異なるだろう。
 混成オーケストラだが、それを感じさせない。ピットに入った神奈川フィル(半分だけれど)も、また格好良い。

 歌手は、それぞれに魅力的。福井敬(ジークリンデ)は、欧州の歌手に比べると華奢に見えるが、歌唱は堂々、あちらにもこちらにも出演する訳がわかる。
 横山恵子(ブリュンヒルデ)は、戦乙女のドラマティックな歌唱と、神界を追放される薄幸な境遇の歌唱と、双方に惹かれた。調べたら、96年の小澤征爾指揮・浅利慶太演出の「蝶々夫人」のタイトルロール。ダブル・キャストの反対を聴いたが、今思えば残念。まだ異国の歌手が良いと思っていた私だから。今、その思いはない。

 

 レファレンスとして、NHK放映・2010年ミラノ・スカラ座・バレンボイム指揮・カシアス演出の映像を見てきた。CGを用いるなど新しい傾向も見られるけれど演出はシンプル。比較するつもりはないけれど、でもローウェルスの演出は特異と思える。

 しかし、全体は見事だった。演出がぶち壊したとも言えない。あるいは、歌唱・指揮・演奏をより讃えるべきだろうか、讃えるべきだろう。

 

 付け足し。この企画は、神奈川県民ホールが耐震補強等の改修工事のため、次回公演は2015年3月の「オテロ」です。待ち遠しい。

   (2013年9月20日記録)

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