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2013年9月

2013年9月30日 (月)

演劇:ハイバイ「月光のつつしみ」

  作    岩松了
  演出   岩井秀人

  出演   姉(直子)   能島瑞穂(青年団)
       弟(民男)   松井周(サンプル)
       宮口      平原テツ(ハイバイ)
       牧子      永井若葉(ハイバイ)
       若葉      上田遥(ハイバイ)
       男(田中正二) 坂口辰平(ハイバイ)

  会場   神奈川芸術劇場・大スタジオ
  公演   2013年9月20日(金)~9月26日(木)、全9公演
  鑑賞   2013年9月26日(木) 14:00~(休憩なし)

  参考   公式HP

 

 始まりは背中を見せての発話など、口語演劇の流れと思った。終われば、口語演劇をかなり逸脱する部分を感じた。それは何か、私には劇的なるものへ向かうベクトルと思えた。

 久しぶりに衝撃を受けた。心地良くないけれど、目を反らす訳にいかない衝撃だ。日頃は養生シートを被せてある人の本質をむき出しにしたらどうなるか。交わされる会話の一語一語を徹底的に突き詰めたらどうなるか。極めて攻撃的な空間に変貌するだろう。

 

 舞台中央には居間、奥に向かって玄関に繋がる廊下が延びる。上手にはカーテンで仕切られた寝室。下手には少し高くなった台所、その奥には窓がある。カーテンの開け閉め、ライティングによるアクセントの変化はつけても、2時間20分ほどの長丁場に場面転換はない。

 宮口と牧子は婚約中、牧子は妊娠している。弟(民男)と若葉は夫婦。姉(直子)は教師だったが、生徒との関係において退職して間もない。弟と宮口は幼馴染。弟は姉を強く慕っている。宮口も幼い頃の思い出から、姉にほのかな恋慕がある。男(田中正二)は姉の元同僚。

 各々に交わされる会話から、これらの関係が判る。事件と言えば、牧子はリストカットで血まみれに。姉は、夜遅く突然現れた男(田中正二)に、元職場に戻って欲しいと言われながら小箱を渡される。しかし後に、降り始めた雪の中へ、窓から放り投げる。

 ラスト、姉と弟は、雪の上がった外に出て小箱を探す。二人の声は次第に遠ざかる。

 

 各々の関係や出来事は、一部の説明に過ぎない。牧子がリストカットに至る直接的な要因は判らない。必ずしも牧子に向けられたと言えない、小さな軋みの積み重ね。言葉の暴力と言うよりは、言葉が自分を迂回するように思えた時、存在への疑問が生じたかも知れない。

 出演者はみな達者、中でも能島瑞穂は怪優。彼女のトーンが、全体の雰囲気を決定していた。彼女を観ている筈だけど、今回は強烈な印象を植え付けられた。一言一言は筋が通るのだけれど、寄せ集まると理不尽。そんな役柄を納得させられた。

 昔、女房や息子は、青年団系の演劇をごちゃごちゃした家族関係を見せられていやなどと言った。最近はそれもありなどと言う。私は今になっていやだと思うようになった。いやは強い意識下にあって、どうでも良いとは異なるのだが。

 他の演出・出演の舞台が観たくなった。他のハイバイも観たくなった。テキストも読んでみよう。

   (2013年9月30日記録)

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さわやか横浜:『渋さ知らズ』まちなか練り歩き・ミニライブ (2013年9月29日)

 横浜のみなとみらい地区から山下公園界隈を散策すると、週末は、かなり高い確率で何かのイベントに遭遇します。今日、赤レンガ倉庫では「ゆるキャラ」のイベントが開催されていたようです。私は硬派ですから、象の鼻パークの「渋さ知らズ」のパフォーマンスを見に出かけました。

 出発は神奈川芸術劇場、私は象の鼻パークで待ちうけました。まずは、山下臨港線プロムナードを練り歩きながら向かってくる一行です。
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 象の鼻パーク内でパフォーマンスする一行。
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 しばし休憩の後、象の鼻テラスを背景にパフォーマンスする一行。音をお届けできませんが、ビッグバンド・ジャズ(今日はそれほどの大編成でない)も心地良かった。
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 興味あれば、10月5・6日、神奈川芸術劇場へ。

   (2013年9月29日記録)

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2013年9月27日 (金)

音楽:J.S.バッハ 無伴奏ヴァイオリン全6曲演奏会

  独奏   小笠原伸子(Vn)

  曲目   J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのための
                 ソナタ   第1番 ト短調
                 パルティータ第1番 ロ短調
                 ソナタ   第2番 イ短調
                   (休憩)
                 パルティータ第2番 ニ短調
                 ソナタ   第3番 ハ長調
                 パルティータ第3番 ホ長調
                 アンダンテ(アンコール)

  会場     横浜みなとみらいホール小ホール(13列7番)
  公演     2013年9月23日(月・祝)14:00~16:00(休憩15分)

 

 少し長めの間をとり、自分自身に気合を入れたように感じた。パルティータ第2番・シャコンヌが始まる。

 演奏に15分ほどを要するシャコンヌは、全6曲のどの楽章より長く、パルティータ第2番の他の4楽章合計より長い。第一番からソナタ・パルティータと順に演奏すれば、短調の曲の最後の楽章。

 シャコンヌを心待ちにするところがある。夜中に一人でCDを聴いたら、涙滲むのを禁じ得ない。ましてや目の前の演奏ならば。でも器楽曲なのだ。

 話を先頭に戻す。

 

 小笠原の「無伴奏ヴァイオリン全6曲演奏会」は今回が10回目。後で判ったが、成人式の着物を仕立て直したドレス着用。胸から腰への模様が、並のドレスと異なる感じ。余計なことだが、和服を前後逆に着て衣装とする演劇集団SCOTを随分見たから、その印象に近いものを感じた。

 いずれにしろ、10回続いたことは偉業だし、ドレス一つとっても本人の感慨深い演奏会だったことだろう。80歳まで続けたいとか。それが何年後だか何十年後だか調べもしないが。私は今年で2回目、10回までは聴き続けたい。その先は運が良ければ。

 

 前半3曲からは淡々とした味わいが。小笠原はヴァイオリン固有の音色を鮮やかに引き出し、それをホールに引き渡す。両者が相俟って豊かに響くが、演奏はあっさりした印象。悪い意味を含めていないが。身の弛緩する思いがした。

 後半3曲からは劇的な味わいが。曲間の小笠原の短い話にヒントがあった。「パルティータ第2番は受難物語。ソナタ第3番は鐘が鳴り響いて聖霊化。パルティータ第3番は天国」。涙滲ませて、楽しい気分で終わるのはそう言うことか。私は言語化できなかったが、確かにそういう思いはする。

 演奏について多くを語る蓄えはないけれど、気付いた点を。
 使用ヴァイオリンはモダン楽器だと思うけれど、刺激的な音の無いふくやかな音色。ヴィブラートは少な目と感じたけれど、絶対的な尺度がないから的を射ているかどうか。パルティータ第3番は、私の思いより早目の演奏だった。

 と言うより、これからも聴き続けて、小笠原の演奏が「バッハ・無伴奏ヴァイオリン」の基準になれば良いと思っている。

 アンコール、演奏会後に懇親パーティ。タフだ。

 

 この演奏会、神奈川県立音楽堂主宰「メサイア」、小林道夫「ゴールドベルク変奏曲」が、私の恒例の音楽会になりつつある。そろそろチケットの手配だ。

   (2013年9月27日記録)

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2013年9月25日 (水)

演劇:RUKADEN Produce R3「跫(あしおと)/不完全犯罪」

  作・演出 川松理有

  出演   仲谷智邦、金世一、久保庭尚子

  会場   新宿タイニーアリス
  公演   2013年9月20日(金)~9月23日(月・祝)、全6公演
  鑑賞   2013年9月22日(日) 14:00~15:30(休憩なし)

Rukaden  ビル地下のさして広くない部屋を二分、片方が舞台、残りが階段状の客席。舞台と言っても土間に最小限の照明と音響設備。客席といっても5・6列。出演者は、男二人で一人は韓国人、女が一人。与えられた時間は90分。
 この条件からどのような芝居を生み出すか。

 タイトルで判ったつもりだったが、前後半の二本立てではなかった。そう認識しても間違いとではないけれど、通しで巧妙な仕掛けが施されていた。音楽で言えば、主題と変奏。しかし、一つしかない変奏が、実は主題だったかも知れない。

 

 「跫(あしおと)」。国際結婚した夫婦。夫は自殺したと思われる妻の足音に夜な夜な悩まされる。カウンセリングの医者は、夫が妻を殺したと疑い、真相を突き止めようとする。ところが逆転、再逆転。

 仲谷智邦(医者)が台詞を発した時点で、SCOT所属の経歴があると推察。良く通る声、重厚な言い回し。腰の据わった身体表現。後で確認、推察は正しかった。
 久保庭(妻)も長いことSCOTに所属していたので、演技は同質。金(夫)の日本語発話に少々たどたどしさがあるけれど、演技能力に不足無し。芸達者三人は期待を裏切らない。

 

 「不完全犯罪」、開演前の案内が「まじめに見ないでください」と言っていた。基本的に同じ状況。カウンセリングを受ける妻、そこへ夫が帰ってくる。妻は医者を見積もりにきた漆喰屋とごまかす。

 ベットの隅で赤いイアリングの片方を拾った妻、日頃の行動から後輩との浮気を疑っている。後に結婚することを匂わせながら、破産しかけている医者の協力を得て、夫を亡き者にしようと企てる。

 金庫に秘密があると見当をつけた妻は、何とか金庫を空けたい。ありふれた4桁の暗証番号を次々に推定。0220をオニツマと、しばらく続く語呂あわせが笑いを誘う。そして、漆喰屋を装う医者と妻の会話の端々に疑いを向ける夫、取り繕うように言い訳する二人が、またおかしい。

 途中に前半の種明かしを挟みながら、最後は誰も居なくなった、としておこう。

 

 前半をまじめに演じれば演じるほど、後半の滑稽さが生きる。良くできた台本だ。しかし、大爆笑の手前で止まるのも台本ゆえ。それを上品と思うか、徹底さが足りないと思うか。

 役者たちに客いじりを要求するのも無理、客はそれを承知だろう。とすれば、上品な笑いが充満したと捉えて良い。楽しい90分だった。

   (2013年9月25日記録)

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2013年9月22日 (日)

随想:適正露出とは

 散歩の際には大体カメラを携行します。記録写真を撮るようなものですから、写れば良しとしたい所ですが、できればきれいに撮りたいとも思います。

 昨日の散歩の最後、横浜桜木町のヨコハマ創造都市センターで、コーヒーを飲みながら、露出を変えて何枚も写真を撮りました。仕様機種は割と初期の NIKON D70、レンズは AF-S NIKKOR 10-24 の10mm近くで撮影。

 左からカメラ任せ、+1絞り、+2絞り。
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 少し調整するときれいに撮れるものです。ただ、カメラの機能向上は著しく、併用する D300 だと、カメラ任せでも、結果は異なりそうです。次の機会に試します。

   (2013年9月22日記録)

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2013年9月20日 (金)

歌劇:R.ワグナー「ワルキューレ」  (長文)

  作曲・台本  R.ワグナー

  指揮     沼尻竜典

  演出・装置  ジョエル・ローウェルス

  配役     ジークムント    福井敬
         フンディング    斉木健詞
         ヴォータン     青山貴
         ジークリンデ    大村博美
         ブリュンヒルデ   横山恵子
         フリッカ      小山由美
         ゲルヒルデ     田崎尚美
         オルトリンデ    江口順子
         ワルトラウテ    井坂恵
         シュヴェルトライテ 金子美香
         ヘルムヴィーゲ   平井香織
         ジークルーネ    増田弥生
         グリムゲルデ    杣友惠子
         ロスワイセ     平舘直子

  管弦楽    神奈川フィルハーモニー管弦楽団&
         日本センチュリー交響楽団による合同オーケストラ

  会場     神奈川県民ホール(3階12列29番)
  公演     2013年9月14日14:00~19:00(休憩30分・30分)

 

 ワグナーを敬遠していたのに、ふと「マイスタージンガー」を聴いて心揺さぶられたのは随分前のこと。以来、ワグナーを聴くけれど、それでも「リング」は例外にしておきたかった。

 「ワルキューレ」を聴いて、それが大きな誤りと気付いた。演奏に長時間を要するのは確かだが、途中で緊張感を切らさなかった。と言うより、次第に舞台にのめり込んだ。

 

 歪んだ作り物のプロセニアム・アーチ。すぐ後ろに暗転幕。床は舞台後方に向けて上り斜面。
 頻繁な場面転換は暗転幕を下ろし、吊物の多用と照明の活用でスピーディー。暗転幕に場面のキーワードが投影されたけれど、3階席からは読めたり読めなかったり。支障は感じなかった。

 

 第1幕、フンディングの館。

 序奏でヴォータンが束の間登場する。当然歌唱は無く、後で最後の場面と知れる。手にした杖が電気仕掛けで輝く。親切心の迸りを感じたが、音楽に任せて良いだろう。

 フンディングは仲間を引き連れて登場。第1幕の登場人物は、ジークムント、ジークリンデ、フンディングだから、後は歌唱のない、つまり役者。説明的な演出は、ジークムントとフンディングの対峙する緊張感を緩めた。

 終曲。ジークムントは、それまで誰も引き抜けなかった宝剣ノートゥングをトネリコの幹から抜き取る。父ヴォータンとの関係性が明瞭になる瞬間。おやっと思ったのは、トネリコの木が横たわっている。さらに、思わずオペラグラスで確認したのが剣のそり。日本刀ではないか、なぜ。

 福井敬(ジークムント)は明晰で重厚。あちこちの公演に出演している印象だけれど、それも納得できる。斉木健詞(フンディング)も大村博美(ジークリンデ)も役を全う。

 

 第2幕、険しい岩山。

 フリッカは車椅子で現れたが、後に歩くので一貫性はない。車椅子から、病性とか老人性のイメージは容易だし、そこから考えの及ぶこともある。しかし、考えが及んだとして、ここで新たな意味が付く加わるだろうか。

 フンディングはジークムントを拳銃で二発打つ。宝剣ノートゥングのおかげで、ここでは倒れないけれど、脈絡からして拳銃とは。

 横山恵子(ブリュンヒルデ)の戦乙女たる圧倒的な歌唱に強く惹かれた。

 

 第3幕、ブリュンヒルデの岩の頂。

 上手後方の床が割れて亀裂が作られた。ワルキューレ達が戦で果てた戦士を片付けている。手はもげ、首はもげても、無造作に籠付き台車に放り投げる。人形とは言え、上品な演出とは思えない。

 幼少のブリュンヒルデが登場する。ヴォータンの怒りに触れる場面での回顧だが。他にも歌唱しない役者が多く登場すのも特筆できる。

 オペラの醍醐味の一つは大合唱と思っているが、それに代わるのがワルキューレたちの歌唱、大いに楽しめた。

 全般的に旺盛な親切心が押し出された演出。しかし、小刻みな場面転換も含めて、余韻を断ち切り、イメージを萎ませる側面もある。現代演劇が、ほとんど何もない空間で劇的な効果を表現することを思えば、歌唱も演奏もあるオペラでは、演出過剰と捉えられても仕方ない。

 しかし、それを割り引いてなお、充実した舞台だった。

 沼尻竜典は、クリアな指揮振りと受けとめた。正確なところは判からないが、指揮をコミュニケーションと捉えれば、理解しやすい情報発信をしていたと感じた。過去公演でもそう感じていた。今回、その印象が特に強いのは、壮大な音楽の再現とも関係するだろう。

 ピット一杯の奏者。ハープは2台しか見えなかった。ハープが聴こえなかったが。
 第3幕の「ワルキューレの騎行」は、少し抑えた印象。演奏会用序曲とはまた異なるだろう。
 混成オーケストラだが、それを感じさせない。ピットに入った神奈川フィル(半分だけれど)も、また格好良い。

 歌手は、それぞれに魅力的。福井敬(ジークリンデ)は、欧州の歌手に比べると華奢に見えるが、歌唱は堂々、あちらにもこちらにも出演する訳がわかる。
 横山恵子(ブリュンヒルデ)は、戦乙女のドラマティックな歌唱と、神界を追放される薄幸な境遇の歌唱と、双方に惹かれた。調べたら、96年の小澤征爾指揮・浅利慶太演出の「蝶々夫人」のタイトルロール。ダブル・キャストの反対を聴いたが、今思えば残念。まだ異国の歌手が良いと思っていた私だから。今、その思いはない。

 

 レファレンスとして、NHK放映・2010年ミラノ・スカラ座・バレンボイム指揮・カシアス演出の映像を見てきた。CGを用いるなど新しい傾向も見られるけれど演出はシンプル。比較するつもりはないけれど、でもローウェルスの演出は特異と思える。

 しかし、全体は見事だった。演出がぶち壊したとも言えない。あるいは、歌唱・指揮・演奏をより讃えるべきだろうか、讃えるべきだろう。

 

 付け足し。この企画は、神奈川県民ホールが耐震補強等の改修工事のため、次回公演は2015年3月の「オテロ」です。待ち遠しい。

   (2013年9月20日記録)

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2013年9月12日 (木)

随想:SCOT Summaer Season 2013 観劇料なしのこと(やや長文)

 四半世紀も利賀村に通うと、大それたことはないにしても小さな思い出はいくつもある。

 横浜生まれで横浜育ちの私が感激したのは、初めて行った年に天の川を見たこと、蛍の乱舞を見たこと。数年を経ずして共に見られなくなったが。
 民宿で、一時の歓談をした人たちは方々から来ていた。後で引用する鈴木忠志の話にも出てくる。一時の歓談をした人の中に、次の年の舞台に立っていた人がいた。
 何時だったか、野外劇場の数列前に、当時の竹下登総理大臣、小渕恵三・綿貫民輔衆議院議員が並んで観劇していたことがあった。著名人も多く見かけた。きりの良い舞台終了後に鏡割りをするが、吉行和子に注いでもらったことがあった。元気だろうか。

 

 後に今年の思い出になるであろうことの筆頭は、観劇料が無くなったことだろう。詳しくは鈴木忠志のブログを参照願いたいけれど、要点をかいつまめばこんなことだろう。

 『30年ほど前、一緒に写真をと言った女性は五島列島福江島から来た。高校卒業、就職したらこんな時間は取れないだろうからと。野外劇場の舞台は一時間強、それを見るために費やした時間と金銭を思い絶句した。小樽や境港から来た若い女性も居た。日本のどこから来るにも利賀村は遠い。

 当時の観劇料は3千~4千円、全舞台(注:10前後)を見ればかなりの出費。会話した人だけ無料にもできず、さびしい気分の握手をした。本当はウレシイ握手なのに。

 私も若い頃は貧しかったから、来日公演を見るに決心が要って、入場料金を理不尽に感じたりもした。滅多に接することの出来ないものだからこそ低料金で見せるべきではないか、などと勝手な理屈を捏ねたりした。

 30年近く引きずったこの気分に、今年から分かれることにした。利賀村での舞台公演、全活動を公開する。若く貧しい若者たちにどれほどの助けになるかは分からないが、40年近くにわたって、励まし助けてくれた人たちへの、ささやかなお礼になればという思いだ。先のことは定かではない。ともかく今年は、ガンバッテ、ヤッテミルカ!』

 私の場合、観劇料がなければ費用は三割がた減っただろう。今は舞台数が往時の半分くらいだけれど。今でも民宿に泊まらず、キャンプサイトで寝起きしながら舞台を見る人もいる。「爪に火を灯す」など今では死語かも知れないが、そういう状況に置かれていて、それでも舞台を見たいと思う人には福音だろう。カンパニーがどうするかなどの詮索は無用としたい。それなりの見通しはあるだろう。

 ただ、ドネーションまで拒否している訳でない。封筒に名前を書き、その中にお札なり硬貨なりを入れてボックスに投げ入れる。それと、事前登録は必須だから、勘繰れば誰がどれだけ投げ入れたかは判かると言うものだ。そうだとしても、一般的なドネーションと大して変らない。

 私は、今までの経験に照らして相当額を投げ入れた。今のところは何とかなるから。今後、融通が利かなくなれば些少な額で見させて貰おう。一回こっきりの観劇でもない。生きている間、折に触れて楽しもうと思うならば、観客とカンパニーは共存共栄の筈だ。どこかでバランスをとらなくてはならない。
 ただ、それが生活の芸術化へ一歩近づくきっかけになるなら素晴らしい。仮にそうならなかったとしても、その試みは素晴らしいと思うが。

   (2013年9月12日記録)

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2013年9月 9日 (月)

路上観察:SCOT Summaer Season 2013 後・後々日(2013年9月1・2日)

 9月1日、小雨。金沢に向かう。

 トンネルで山の反対側に出ると、眼下に旧利賀村役場が見える。平村や世界遺産・相倉合掌集落へは、正面の山並みの左手の峠を越えると近い。今日はこのまま山肌を砺波平野に下る。
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 金沢も雨。目的は21世紀美術館のみ。

 日程に合わせて何でも観るが、企画展『フィオナ・タン「エリプシス」 』『イザベル&アルフレド・アキリザン「住む:プロジェクト―もうひとつの国」』は、今ひとつ心が動かない。

 『島袋道浩:能登』は、小規模なインスタレーションながら共感できた。2010愛知トリエンナーレの三河湾の小島をテーマにしたインスタレーション、2011ヨコハマトリエンナーレの『人間性の回復』『燻製!』。島袋の作品からは「芸術の生活化」が感じられて好きだ。
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 美術館に近い割烹料理屋でランチ。郷土料理は治部煮のみ。後は刺身・天ぷらなどだが、加賀野菜など地のものを使用しているのだろう、素材にしっかりした味が感じられて美味。ちょっと贅沢。

 

 この後、富山に戻ってホテルで小休止。夜は越中八尾の「風の盆」見学、様子は掲載済み。

 

 9月2日、雨。帰りの電車までの6時間ほどの時間、レンタカーで高岡市に向かう。

 高岡市万葉歴史館を再訪。大伴家持を中心にした越中万葉の資料展示が充実。学究的な感じだけれど、映像やジオラマを使用した平易な導入部がある。

 歴史館の近所に、国分寺跡・国庁跡・大伴神社などがあり、背後に二上山がある。また、海の向こうに立山連峰が聳える観光ポスターなどで知られる雨晴海岸が近い。

 家持は万葉集の最終編集者と言われ、万葉集の最後を「新しき年の初めの初春の 今日降る雪のいやしけ吉事」で飾る。また、現代のサラリーマンのように、大宰府・佐保・恭仁・越中・平城・難波・因幡・大宰府・多賀城と、勤務地を転々としている。なかなか興味深い人だ。資料を購入したので、追って精読しよう。
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 なお多少の時間があったので、金屋町の町並みを見学した。

 近くに鎮座する有磯正八幡宮は、「有磯造り」と呼ばれる銅板葺の屋根、藩主前田利長公奉納と伝えられる石垣が周囲を囲んで重厚な雰囲気。
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 金屋町は、石畳の両側に格子・格子戸の家並みが連なる。鋳物品卸の店で座敷に上げて貰ったが築200年とか。ガラス窓は後に取り付けられたそうだが。静寂の中、バッハの無伴奏チェロ組曲が流れていた。
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  (2013年9月9日記録)

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2013年9月 7日 (土)

演劇:SCOT Summaer Season 2013(2013年8月31日)(長文)

 第2日目は3演目を観た。

 「ディオニュソス」と「世界の果てからこんにちは」の間に、講演「鈴木忠志が語る、利賀」があったが、見送った。民宿において、夕食の時間が遅くなるし、入浴も集中してしまう。何回も聞いたことだし、失礼して近所の日帰り温泉に行く。利賀の山並みを身近に見ての温泉は、至福の時間。以前は、二山越えた(もちろん自動車)平村の日帰り温泉まで行ったけど、今は会場と民宿の中間で温泉に入れる。村民の憩いの場所だが、随分と箱物が増えたと感じる。

 「世界の果てからこんにちは」終演後、舞台上で、富山県知事と南砺市長が大きな杵で鏡を割る。後は、観客も舞台上に上がって暫しの憩いの時。私は雨も降っていたので一杯を味わって、早々に民宿に戻った。民宿では知り合いと歓談。昔ほど飲まないし、夜更かしもしない。長い年月が過ぎたと感じた。

 

1.『インターナショナルSCOT公演・第1弾「禿の女歌手」(6カ国語版)』

  演出   マティア・セバスティアン
  原作   ウジェーヌ・イヨネスコ
  出演   メアリィ(女中) アグニア・レオノーヴァ(リトアニア)
       スミス夫人    キアラ・ナンティ   (イタリア)
       スミス氏     グ・ジンシェン    (中国)
       幻想の女中    カメロン・スティール (アメリカ)
       マーチン氏    イ・ソンウォン    (韓国)
       マーチン夫人   ジュウ・イェンイェン (中国)
       消防所長     ガイア・ロズベルグ  (デンマーク)

  会場   利賀山房
  公演   8月24日(土)13:00、31日(土)11:00、9月1日(日) 11:00
  鑑賞   8月31日(土)11:00

 約束の時間を大幅に遅れてスミス家を訪ねるマーチン夫妻。さらに消防所長が訪ねて、交わされる会話に物語性はない。消防所長が帰り際に、「ところで、禿(はげ)の女歌手は?」と訪ねるが、その場限りのこと。

 その台詞は、恐らくデンマーク語で発話され、私は理解できない。投影される翻訳もとびとびで、内容を理解するには不足する。テキストで、そう発話したと思っている。「禿の女歌手」は識別名のようなもので、内容を意味するものでない。不条理劇の所以である。

 舞台後方の太い柱の間に巾広のゴムバンドが張り巡らされて、まるでフェンス。隙間から登場したり、弾力を利用したり。

 6ヶ国語とは、各々の役者が母国語(多分)を使用して芝居が進行すること。意味を理解できないけど、音の連続として不自然さを感じない。SCOTのトレーニングに参加する各国の役者だろうが、どのくらいの練習で本番に臨むのか。身体表現は、それなりに理解できる。

 試みとしては面白いし、芝居としてたまに付き合うのも良い。何より世界は広いと思えること(写真は利賀山房、手前は磯崎新設計のエントランスホール)。
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2.『世界を震撼させたギリシア悲劇「ディオニュソス」』

  原作   エウリピデス
  演出   鈴木忠志

  出演   テーバイの王・ペンテウス  新堀清純
       ペンテウスの母・アガウエ  内藤千恵子
       ペンテウスの祖父・カドモス 蔦森皓祐
       ディオニュソス教の僧侶   竹森陽一、塩原充知、植田大介、
                     藤本康宏、平垣温人
       ディオニソス教の信女    斉藤真紀、佐藤ジョンソンあき、
                     木山はるか、鬼頭理沙

  会場   利賀大山房
  公演   8月25日(日)14:00、31日(土)15:00、9月1日(日) 14:00
  鑑賞   8月31日(土)15:00

 抑制された身体表現から繰り出される、緊張感を帯びた言葉の交錯がこの芝居の肝要。それを欠けば、奇妙なものが残る。

 ディオニュソス教と対峙するペンテウスは、ディオニュソス教に取り付かれた女たちの様子を探るべく奥山に入り込む。僧侶にそそのかされて武器を帯びず、女装して。あげく、僧侶たちに殺される。女たちの中に、生首を下げたアガウエも混じる。子殺しの事実を諭すカドモス、やがて起きたことに気付くアガウエ。原作に比べれば話は跳ぶように感じるが、これで充分伝わる。

 何度となく観たこの芝居、主たる出演者も何度となく観ている。気になったのはディオニュソス教の僧侶、5人がユニゾンで台詞を言うが、どうも出だしが揃わない。鮮明さが不足して、緊張感が弱くなる。どうしたものか。今までにこのようなことを感じたことはなかったように思うが。

 長く観つづけるということはこういうことか。良い時もあれば悪い時もある。ただ、昨日今日の出来不出来とは違う。ディクレッシェンドしていると思えるところが大きな問題だ。層の薄さが感じられる。

 

3.『これを見ずして、日本は語れない「世界の果てからこんにちは」』

  構成・演出 鈴木忠志

  出演    日本の男    新堀清純
        その子供    中村早香
        僧侶      藤原栄作、植田大介、藤本康宏、
                石川治雄、平垣温人
        花嫁衣裳の女  ビョン・ユージョン
        紅白幕の女   内藤千恵子、斉藤真紀、佐藤ジョンソンあき、
                木山はるか、鬼頭理沙
        車椅子の男女  竹森陽一、加藤雅治、他7名
        花火師     前田徹、他6名

  会場   野外劇場
  公演   8月24日(土)20:00、31日(土)20:00
  鑑賞   8月31日(土)20:00

 雨中。鈴木作品の名場面をコラージュした作品。「ピチカートポルカ」に合わせて、大きな籠に入った僧侶の踊りは「イワーノフ」だったか。5人の僧侶、紅白幕の女は直前に観た「ディオニソス」から。車椅子の男女は多くの作品に登場。

 背景に、鈴木の近代日本史観が横たわる。台詞の一部を切り出せば、
 女「ニッポンが、陛下、お亡くなりに」
 男「ニッポンもいつかは死なねばならなかった。/このような知らせを一度は聞くだろうと思っていた。/明日、また明日、また明日と。/時は小きざみな足取りで一日一日を歩み、/ついには歴史の最後の一瞬にたどりつく。/昨日という日はすべて愚かな塵と化す、/死への道を照らしてきた」。

 それに、消化不良を消化過剰と言い張る男の仏様問答、「男(養老院院長)」が一人うなぎを食べたことを知った「車椅子(入所者)」が我々にも食わせろと要求するうなぎ問答、「その子供」が歌う知られざる迷曲「夜の訪問者」などが組み合わされる。

 筋にシンクロして花火を打ちあげるのは過疎の村の野外劇ならでは。森を赤く染める煙幕、地を這うように飛ぶ花火から「射ち来たる弾道見えずとも低し 三橋敏雄」を通して幾多の戦争が思い浮かぶ。

 22年前の利賀フェスティバル10周年記念作品。場面場面に言及しても多くは伝わらない。劇中の打ち上げ花火も想像し難いだろう。シリアスな場面を散りばめながら、滑稽さを絶やさないこの芝居は、自ら確かめて下さいとしか言いようがない。

 ただし、両手で足りないほど見てきた中で、今回の出来は最低、面白さ半減。なぜか。

 この芝居が滑稽さを失えば、祝祭性は失せる。新堀は「ディオニソス」で圧倒的な貫禄を漂わせたが、ここでは滑稽さの表出に至らない。役柄を「日本の男」としているが、以前は「日本の老人」。「その子供」は「芸者・春子」であった。小金を溜め込んだ老人が愛人を囲いながら、大業なことを呟く所におかしさの伏線はあった。そう言えば、「その子供」は「ニッポンが。トウチャン、お亡くなりに」と言った。緊張感に欠けるが、聞き間違いか。

 それと「車椅子の男女」。ユニゾンで台詞を言うが、ピッチのずれは台詞の厚みに繋がるとしても、言い出しのタイミングがずれては、鮮明さが失せるばかりでなく、心地よさも失せてしまう。

 グゥァンバレ、SCOT(写真は2007年の舞台より)。
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   (2013年9月6日記録)

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2013年9月 5日 (木)

演劇:SCOT Summaer Season 2013(2013年8月30日)(長文)

 富山県と言っても岐阜県境に程近い過疎の利賀村にて、2日間・5演目の演劇鑑賞を主目的とする3泊4日の旅行を終えた。まずは、第1日目は2演目を観た。その様子から。

 

 2013年8月30日8時過ぎに移動開始、横浜から東京・越後湯沢経由で富山着が13時半、途中の大雨で30分以上の遅延。駅前でレンタカー借用、途中で遅い昼食などしながら、南砺市利賀村利賀芸術公園近くの民宿着が16時過ぎ。

 他人から見れば、富山まで演劇鑑賞なんて何を物好きなと言われそうだけど、否定できない私がいる。1988年に初訪問、2000年以降はとびとびの訪問だが、それでも合計すれば20回近くを数える。丸々一週間、演劇観賞していた時期もあった。

 初訪問から4半世紀が過ぎた。村の人口は1800人から600人に減少。平成の改革で南砺波郡利賀村は南砺市利賀村に変った。「利賀国際芸術祭」が、「利賀サマーアーツプログラム」「SCOT Summer Season」と名実共に変化した。私自身も当然の成り行きで、壮年から老年に変った。

 結果的だが、横浜で生まれ育った私が限界集落の問題を垣間見た。平成の改革が、それに多少の加担をしているように感じた。運営の中核であるSCOT(Suzuki Comapny Of TOGA)の変遷も見てきた。かくして「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。」との思いに至る。

 

1.『高田みどりの打楽器と高野山南山進流聲明「羯諦羯諦-行く者よ、去り行く者よ」』

  演出   鈴木忠志
  出演   高田みどり
       SAMGHA/真言聲明の会
  会場   利賀大山房
  公演   8月24日(土)16:00開演、8月30日(金)18:00開演
  鑑賞   8月30日(金)18:00開演

 会場は体育館を改装した劇場。階段状の客席、目検討で定員400名程度(写真は、利賀大山房正面)。
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 舞台前方に種々の打楽器が配置されている。舞台後方の高さ2mほどの台上に、横一列で並ぶ円筒状の6つの台、登場した僧侶はそこに一名づつ座る。後で判るが、円筒状の台は一時、回転した。

 遅れて高田みどりが登場、演奏を開始する。打楽器の一々を記憶しないが、水盤の水を手で掬って落としマイクで拾う、大きさの異なる金銅鉢、りん、太鼓、マリンバ等。

 やがて声明(しょうみょう、旧字で聲明)が始まり、以降、交互に、同時に奏でられる。声明とは、仏典に節をつけた仏教音楽で儀礼に用いられるが、ここでは劇場用の演出が成されている、多分。

 プログラムによれば、唱えられた声明は、「大般若表白」「和訳般若心経」「云何唄(うんがばい)」「散華」「対揚」「般若心経」「舎利禮(しゃりらい)」。斉唱、独唱と合唱、般若心経は六声の輪唱でも唱えられた。

 打楽器と台の間の空間を、時々、車椅子の集団が下手から上手に通過する。簡単な物語があるようだが、深入りは避ける。

 展開された内容は事実として受け止めるが、その意味合いを理解するに至らない。理解できなくても、声明に奥深いものを感じることはある。例えば、東大寺修二会で唱えられる南無観など。寒い中に立ち尽くして聴き入れば、宗教の深奥に少し触れる気はする。翻って今回の「羯諦羯諦」は演出が過ぎて、宗教感は後退していると思えた。もっと素朴で良いだろう。

 

2.『岩舞台で繰り広げられる前衛漫画劇「新釈・瞼の母」』

  原作   長谷川伸
  演出   鈴木忠志

  出演   瞼の母      斉藤真紀
       日本人      石田治雄
       看護婦モンロー  佐藤ジョンソンあき
       その兄 大介   植田大介
       インテリヤクザ1 塩原充知
       インテリヤクザ2 加藤雅治
       看護婦2     小林清美

  会場   岩舞台(観賞回は新利賀山房に変更)
  公演   8月23日(金)21:30開演、8月30日(金)20:30、22:30開演
  鑑賞   8月30日(金)20:30開演

 股旅物に合羽が付き物という訳でもないが、完全雨仕度で会場に向かった。しかし、開演の暫く前から雨は上がっていたものの、野外から屋内の新利賀山房に会場は変更になっていた。雨もまた自然、出鼻をくじかれた思いだ。(写真は石舞台、後方に見えるのが新利賀山房)。
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 場の設定は病院か養護施設、意識不明瞭の女の回想のうちに物語が展開するのは、鈴木の常套的手法。その女は大介の母であり、後に日本人の母でもある。日本人は普通名詞でなく固有名詞、日本 人。台詞も、スペースを空けて発声していた。そこに、失われた日本的心情を重ねている。背景音楽にバーブ佐竹や北島三郎の歌謡曲が使われ、場面転換もなしに物語りは進む。

 言葉で言えば、何と安っぽい作りと思われそうだ。しかし、そうしないのが役者たちの技量。楽しめるし、大雑把に原作を認識していれば理解に苦しむこともない。

 かくして前衛的漫画劇は進行する。しかし、長谷川伸が日本人の心に波紋を立てたように、鈴木も波紋を立てただろうか。時代が違うと言ってしまえば身も蓋もない。それを知りつつ、鈴木は抗っているように思う。

 

 22時近くに民宿に戻って遅い食事、ほどなく就寝。かっては観てきた芝居をつまみに、知る人も知らない人も深夜まで酒を飲んでいたが、今はそういうことも無くなった。

   (2013年9月4日記録)

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2013年9月 3日 (火)

路上観察:越中八尾「風の盆」(2013年9月1日)

 越中八尾「風の盆」の雰囲気を少し味わってきました。

 日本200名山の一つ、岐阜県境近くに聳える金剛堂山。その裾が富山平野に接する手前に位置する八尾町は、坂の町です。

 さらに山奥の利賀村で開催される国際演劇フェスティバル(今年からはTOGAサマー・シーズン)に通いだしてから、何度となく八尾町を通り過ぎ、あるいは散策しました。今年は開催時期が8月末と遅かったことから、「風の盆」に足を延ばす予定を加えました。

 

 八尾町には主要な道筋が二本、途中で少しずれますが坂の上から下まで通っています。普段は懐かしさを感じさせる静かな街並みですが、夜には道の両側に並ぶ雪洞に灯りが点って幻想的な雰囲気に。中でも諏訪町辺りは「日本の道100選」の一つ、石畳の美しい風景が広がります。(昼間の写真は2008年撮影)。
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 JR越中八尾駅から最も遠い(高い)所まで一旦歩き、帰りながら踊りを見ようとの方針を立てました。夜の早いうちは、十一あるおわら保存会(恐らく各町単位)単位で輪踊りをしているようです。小耳に挟んだ情報や人の動きを観察しながら移動しました。

 西新町の輪踊りは既に始まっていたため、観客の輪の後ろに付きました。胡弓・三味線などによる哀調を帯びた伴奏、腰を深く落としてから跳ね上がるきびきびした男踊り、膝を中心にして身を反らせる決めポーズが何とも美しい繊細な女踊り。先祖供養・五穀豊穣、さらに若い男女の出会いの場でもあったことでしょう。良く見たいという思いと、静かな中で躍らせたいとの思いが交錯します。
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 東新町で、踊り始めようとする場に行き着きましたので、じっくり見させて頂きました。この支部の少女だけが早乙女衣装で踊るそうです。子供の頃から、伝統を受け継ぐ準備を始めるのでしょう。輪踊りの要の女性は移動することなく、その場で踊り続けました。きっと踊り上手なのでしょう。あまり大きな所作の踊りではありませんでしたが、袂や裾の動きは限りなく美しい。
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 踊りがこれから佳境に入ることは承知していましたが、富山市内まで戻るため、21時過ぎ、街中から外れて駅に向かいました。途中での夜景で坂の町が実感できるでしょう。駅近くの観光バス発着場には、多くの人が列をなしていました。写真は一部で、少なくともこの三倍ぐらいはいたでしょう。多くの方が八尾に来ていることになります。
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 少し判ると、次への興味が増します。機会あれば再訪したい思いを抱きました。

  (2013年9月3日記録)

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