音楽:神奈川フィル第291回定期演奏会
指揮 金聖響
独奏 ミハル・カニュカ(Vc)
演奏 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
曲目 リゲティ :アトモスフェール
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲
バルトーク :オーケストラのための協奏曲
会場 横浜みなとみらいホール(1階13列22番)
公演 2013年5月29日14:00~16:00(休憩20分)
リゲティ。現代音楽に対する私のイメージに合致。紙を破いたりマットを叩いたりする非楽音、特殊奏法、音の塊などが多用される音楽と言う意味。
この曲は音の塊を主体にして構成。音がコントロールされているので雑音にはならないけれど、知らない人ばTV放送終了後の「シャー」と言うホワイトノイズのように感じるかも知れない。その境界は人夫々だろうけど、試されているようにも感じる。
終了間際の波が寄せるような音。打楽器奏者が何かの両側を持って揺するように見えた。柳行李に豆を入れて波の擬音、まさか。実はピアノの弦を擦っていたようだ。唯一の特殊奏法か。
録音で聴くのはちょっとつらいが、神フィルはそう思わせない。つまらなくはないが、面白く感じるまでの余裕は無い。
ドヴォルザーク。配布されるリーフレットに首席チェロ奏者・山本裕康のコラムがある。今回は、ドボコンの初めてのレッスンの思い出に触れる。『最初の「シ」の音が響いていない、倍音が聴こえない、と2時間「シ」の音だけで終わった。それが毎週毎週何度も繰り返されたけど・・・』。
クリアな序奏、ホルンが私の心象風景のボヘミヤに誘なう。87小節目、満を持して独奏チェロ。毅然として力強い響き。この瞬間におおよその見通しが立つ。独奏チェロは存在感を示しながらも端正な演奏。演奏を休んでいる時に、振り返ってオケの演奏を見たりするのは、いささかお行儀が悪いと思うが如何。
神フィルの端正な演奏はいつものとおり。8番が頭を過り、ドヴォルザークの愛郷心をほのかに感じた。独奏チェロと相俟って、しみじみとした趣が感じられた。
バルトーク。第4楽章「中断された間奏曲」中間部に、ショスタコーヴィチ第7番第1楽章展開部を本歌取りした美しい中断。ショスタコーヴィチへの皮肉が込められているとする文書もある。しかし、小太鼓が刻むリズムに載った各楽器が印象的な旋律がクレッショエンドしていく様に、オケコンと同質のものを感じる。皮肉でそうならないと思う。
第1楽章、低弦の重々しい響きで始まり、金管斉奏で唐突に終わる。途中、管が短いけれど印象的な旋律を奏でる。第2楽章は、バスーン、オーボエ、クラリネット、フルート、トランペットと主役が移っていく。第3楽章は、第1楽章の主題を振り返りながら重厚な弦と管が対峙する。
第5楽章は、ホルンのユニゾンの後に堰を切ったように奔流する弦。全体が高揚して、鋭く終わる。
演奏後に限りなく気持ちが高揚する元気印の音楽。40分ほど先の終結に向かってクレッショエンドする、オーケストラの技量と指揮者のプランニング。演奏後の客席は、演奏に比例するように熱狂。いつもは控えて欲しい間髪を入れぬ「ブラヴォー」も、この曲では許される気がした。私は大事にしまっておいたけど。
アフター・コンサートで皆さんと飲んだ、いや飲みすぎたビールが最後まで旨かった。
(2013年7月3日記録)
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