随想:神奈川フィル・次回(291回)定期コンサートの私的メモ(2)
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲(以下、ドボコン)に関して。
CDを聞きながら、我が家の古いステレオは、記録された音がどこまで再現しているのか。それに、我が家は街中なので生活音が響いています。今日は、軍用ジェット機の飛行音も間歇的に響きます。時に軽くバリバリと。それでも聴くのだ。
ソリストはミハル・カニュカ。チェコ生まれで50代前半、師にポール・トルトゥリエが連なります。トルトゥリエは、昔、神奈川県立音楽堂で「アルペジオーネ」を聴きました。その頃の演奏家は多少判ります。後の20年ほどは演劇鑑賞等に軸足があって、最近の演奏家が判りません。カニュカは初めて。当日の楽しみに。
ドボコンで強く感じるのは、ドヴォルザークの愛国心、というより愛郷心が的確と思いますが、です。
それは、第1楽章のクラリネット提示の主題ですぐに感じます。チェコに行ったことはないのに、最初の6小節で印象付けられます。音楽は不思議です。「新世界より」「アメリカ」、スメタナの「我が祖国」などに同様のものを感じます。
独奏チェロは、87小節目からクラリネットが提示した主題を弾き始めます。毅然として力強く。ここでオーケストラと独奏チェロが出揃います。最初の聴き所でしょう。
第2楽章も、オーボエ、ファゴットに支えられてクラリネットが主題を奏でます。広がる草原、すぐに独奏チェロが弾き始めて、草原はさらに広がります。
第3楽章は、チェロ、コントラバスがリズムを刻む中、ホルンが弾むように主題を提示、オーボエ、クラリネットが引き継いで、弦が引き継いで。そして踊るように独奏チェロ。実に格好良い。
聴き所、一つはドヴォルザークの愛郷心、一つは管の響き、そして朗々と奏でる独奏チェロ。一つならば、独奏チェロは当然だから、ここは管の魅力に絞りたい。「新世界より」第2楽章のホルンを指摘するまでも無く、ドヴォルザークは管の魅力を存分に引き出すと感じます。
CD2枚を参考に。ジャクリーヌ・デュ・プレ:チェリビダッケ:スェーデン放送響とヨーヨー・マ:マゼール:ベルリンフィル。録音の加減もあるでしょうが、デュ・プレに豪快さ、ヨーヨー・マに繊細さを感じました。
デュ・プレは1967年の録音、1945年生まれだから22歳の時。今、元気ならばどのような演奏をするでしょうか。42歳の死は、運命とは言え早すぎます。
(2013年6月20日記録)
| 固定リンク | 0
コメント