随想:神奈川フィル・次回(291回)定期コンサートの私的メモ(終)
本日(2013年6月29日)は、神奈川フィル第291回定期演奏会の開催日です。プログラムは、
リゲティ :アトモスフェール
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲(独奏:ミハル・カニュカ)
バルトーク :オーケストラのための協奏曲。
会場であるみなとみらいホール付近は、初夏の陽射しに包まれています。
私的メモを、今回を含めて4回整理しましたが、リゲティに到達しませんでした。それでも、いつにも増して、CDを聴いたり、大してわかりもしないのにちょっとスコアを広げたりしました。
スコアを見て気付いたのは、やはり我が家のステレオでは聞こえない音があることです。音量を絞って聴くせいもありますが、ppくらいでの演奏は音が出ているか判然としません。演奏会では視覚も加わりますので、ppppくらい(あるでしょうか)でも音を認識できます。それだけに留まるものでありませんが、やはりライブは良い。録音は次善です。
本日はまず、録音とライブの差のようなところを意識したいと思っています。
バルトーク:管弦楽のための協奏曲は、積んであったCDの中に「サイモン・ラットル:バーミンガム市響」があったので聴きました。3種類聴いて差異には気付くのですが、それを表現するのは難しい。よそ様の評を良く見聞きする必要があります。
それと、第4楽章「中断された間奏曲」が、ショスタコーヴィチ:第7番、第1楽章展開部の主題を引用しているとのことだったので「ロジェストヴェンスキー:ソ連文化省交響楽団」をそれを聴きました。第1楽章だけで30分近い演奏のその半分以上を占める「戦争の主題」。バルトークが引用した背景は定かでありませんが、結果として、美しく、見事な本歌取りになっていると感じました。
ショスタコーヴィチも見事です。小太鼓が刻むリズムに載って様々な変奏が次第にクレッシェンドしていく様は、忍び寄る戦争を暗示して怖いくらいです。「ラヴェル:ボレロ」が思い浮かびました。
本日の二つめは、管楽器に注目したいと思っています。
私的メモであって深みのあるものではありませんが、記録を演奏会後に見直せば、自分なりに感じることはありそうに思います。
本日は、開演前にロビーコンサートがあるようです。少し早めに出かけます。
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