路上観察:横浜大岡川
大岡川は、横浜・鎌倉市境に近い円海山に端を発して横浜港に注ぐ二級河川です。京浜急行南太田駅付近まで下ると、関内・伊勢佐木町の西側を流れる大岡川と、中華街と元町の間を流れる中村川に分流します。
下流に向いて撮った分流付近の写真、左が大岡川、右が中村川。上空の構造物は首都高速神奈川3号狩場線ですが、暫くは中村川の上空を覆います。
分流前の右岸に蒔田公園があります。以前は5月1日に開催されるメーデーの神奈川中央会場でした。今のメーデーは、みなとみらい地区の臨港パークで、4月中に開催されるようです。
横浜はその形をどんどん変えていますが、かっては分流点の下流側が海でした。何時ごろ埋め立てが始まったか。「大岡川河口部の新田開発は、横浜市域の中でも比較的早くから進められた。明暦二年(1656)に開発に着手し、寛文七年(1667)に完成したとされる吉田新田がそれである」と、文献(注1)にあります。吉田新田は現伊勢佐木町周辺。埋め立て前後の絵図(注1)を示します。
埋め立て前の絵図で、下方の海に突き出た砂嘴が横浜村。森林太郎(森鴎外)作詞の横浜市歌の一節に、「むかし思へば苫屋の烟 ちらりほらりと立てりし處」とあります。それが一変するのは、寛永七年(1854)の日米和親条約、通称「神奈川条約」が横浜村で行われたからでしょう。現在の横浜開港資料館の隣の広場に記念碑が建っています。
「神奈川条約」といいながら旧東海道53次神奈川宿、現横浜市神奈川区は対岸、絵図の右下です。ひょっとしたら横浜市でなく、神奈川市の方が的を射ているような気がしますけど、いきさつに突き当たっていません。
大岡川分流点を通る度に昔の風景を想像しますが、想像できるものでもありません。
(2013年5月1日記録)
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