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2013年4月20日 (土)

路上観察:大阪造幣局・桜の通り抜け(2) (2013年4月16日) (やや長文)

 旅の締めくくりは“桜の通り抜け”でしたが、出発はJR天王寺。谷町筋に沿って南から北に向かう名所旧跡巡り。訪問順に紹介します。
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 “四天王寺”。聖徳太子創建。南から北へ仁王門・五重塔・金堂・講堂を一直線に配置する四天王寺式伽藍配置と中学校で習いました。現在の伽藍は第二次世界大戦後に再建されたもの。
 能「弱法師」の舞台。四天王寺の西門が、極楽の東門に向いていることが伏線です。
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 “清水寺”。西を望めば通天閣、古くは目の前に難波津が広がっていたことでしょう。あきらかに上町台地と判る展望が開けるのはここだけでした。
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 “大江神社”。境内に芭蕉句碑「あかあかと日はつれなくも秋の風」があります。句は「奥の道細・金沢過ぎ」で詠まれていますから、この辺りの地名・夕陽ヶ丘にちなむものでしょう。
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 “愛染堂・勝鬘院”。聖徳太子ゆかりの勝鬘院は、豊臣秀吉による再建。大阪最古の木造建築で重要文化財。初めて見た時は組手に威圧されました。
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 “生国魂(いくたま)社”。文楽「曽根崎心中」は、通常、ここ生玉社前の段から始まります。いくつもの境内摂社がありますが、その一つが文楽関係者を祭る浄瑠璃社。広く芸能の神様として信仰されているそうです。他に、井原西鶴像など。
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 “久成寺”。文楽「曽根崎心中」の主人公・お初の、2002年に再建されたお墓があります。
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 “高津宮”。格式高い古社。桜の名所ですが、時期はとうに過ぎていました。古典落語「高津の富」「高倉狐」「崇徳院」の舞台だそうで、五代目桂文枝碑があります。昨年、桂三枝改め六代目桂文枝の襲名がありましたけど、そのお師匠さんです。
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 “誓願寺”。井原西鶴の墓があります。
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 “近松門左衛門墓”。ビルとガソリンスタンドに挟まれた猫の額ほどの場所が法妙寺跡。道路拡張で寺が移転したけれど、それにつれて墓を移すと、国指定史跡が解除されるそうで、苦肉の策としてこのような形になったようです。
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 “難波宮跡”。草原の中に後期難波宮の基壇があります。上部がコンクリートで固められているのはやや興ざめです。大阪歴史博物館に寄る時間がありませんでしたが、次の機会に。
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 この後、寝屋川を渡り、大川を越えて“桜の通り抜け”へ。

 “泉布観”。明治初期に造幣局の応接所として建てられ、大阪府で現存する最古の洋風建築、重要文化財。「泉布」は貨幣を、「観」は館を意味して、明治天皇の命名だそうです。通常は館内に入れませんが、かって一般公開日に入ったことがあります。豪華な内装でした。(内部写真は2001年撮影)
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 “大長寺”。文楽「心中天網島」の道行、小春・冶兵衛は「南無網島の大長寺」へ向かいます。境内にある二人の比翼塚を一目見ようと想っていたのですが、門が閉ざされていて適いませんでした。初めての訪問だったので、ちょっとショック。
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 “桜宮”を過ぎれば、JR桜ノ宮駅はすぐです。
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 名所旧跡を点で案内しましたが、大阪城の南に広がる谷町筋に沿って無数とも思える社寺が連なっています。なぜ、こんなにも多くの社寺が存在するのか、その理由はこれから調べたいと思います。

 移動距離16Km、移動時間4時間、所要時間6時間、ほぼ平坦なウォーキング。大阪観光のイメージとはかけ離れているかもしれませんが、私には結構面白い一日でした。

  (2013年4月20日記録)

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