美術:世田谷美術館「松本竣介展」
「生誕100年 松本竣介展」は、岩手県立美術館、神奈川県立美術館、宮城県美術館、島根県立美術館を巡回、今は最後の東京世田谷美術館で開催中(~2013年1月14日)。
私は神奈川県立美術館で一度鑑賞したが、東京世田谷美術館に巡回時に再度、鑑賞しようと思っていた。竣介の絵が好きだし、これだけの企画展が観られるのは、私にとっては最後の機会だと思うから。
同一の企画展が、アクセス容易な異なる美術館で開催されることも興味があった。会場、展示方法で印象が変わるのかなどと。早くに出かければ良かったが、結局、会期末が近づいた1月10日に出かけた。
全体の印象は、神奈川県立美術館での鑑賞時の『竣介は1948年、36歳で夭逝。人並みの寿命を送れたら、どれだけ偉大な画業を成し遂げたことだろう。いや、残した作品は多いし、内容も見事だし、既に偉大な画業を成し遂げていたのだが。』に尽きる。
例えば、「船越保武・松本竣介二人展」の案内チラシなどの展示を観ると、その思いは増す。船越の晩年の活躍が映像などで見られるだけに、若くして命を絶たれなければ竣介の記録も残っただろうなどと。
会場は第1会場、第2会場に分かれていた。作品が多いので、展示は少し窮屈な印象、天井も低いから余計にそう感じる。
第2会場に入ってすぐの部分は円弧状の壁面、そこに「画家の像」「立てる像」「三人」「五人」の4作品が並んで展示されていた。少し離れて交互に作品を観る。戦時下に描かれ、家族や自分、そして社会のことを思いやる竣介の強い意志が伝わってくるようだ。
神奈川県立美術館では、4作品が他の作品と並んで壁面にL字型になるように展示されていたと記憶する。特に「立てる像」が印象付けられる展示だった。
4作品に関しては世田谷美術館の展示が効果的、それぞれの館の特徴を生かして大いなる工夫が凝らされていると感じた。
松本の作品には、静謐を通り越して無響の印象を受ける。十代半ばに聴覚を失ったこが背景にあるだろ。戦争の臭いが充満している時代だったことも多分に関係するだろう。美術、広く芸術が、社会との係わり合いなしに存在することは不可能だ。もし松本が今に生きていたらどのような作品を残すだろうか。
生誕100年記念ではあるが、歴史が巡る兆しを訴えかけているようにも感じらた。心に沁みる美術展。終えてしまうのが残念、もっと出向けば良かった。
(2013年1月12日記録)
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