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2012年10月 7日 (日)

演劇:新国立劇場「リチャード三世」(長文)

  作    ウィリアム・シェイクスピア
  翻訳   小田島雄志
  演出   鵜山仁
  美術   島次郎
  音響   上田好生

  出演   リチャード三世 岡本健一
       マーガレット  中嶋朋子
       リッチモンド泊 浦井健治 他

  会場   新国立劇場・中劇場
  公演   2012年10月3日(水)~10月21日(日)、詳細要確認
  鑑賞   2011年10月3日(水) 18:30~22:10(休憩20分)
  参考   公式HP
  注    『 』内は、小田島雄志訳・リチャード三世・白水ブックスより引用

 

 リチャードの王位簒奪の野心は、妻・身内・家来・市民、ありとあらゆるものを踏み台にして省みない。その伏線は、冒頭のリチャードの独白に潜む。

 『ペテン師の自然にだまされて寸詰まりのからだにされ、醜くゆがみ、できそこないのまま、未熟児として、生き生きと活動するこの世に送り出されたのだ。』
 『おれは色男となって、美辞麗句がもてはやされるこの世の中を楽しく泳ぎまわることなどできはせぬ、となれば、こころを決めたぞ、おれは悪党となって、この世の中のむなしい楽しみを憎んでやる。』

 岡本健一は、厭世観をばねに詭弁を弄し残虐な行為を繰り返し、時に幼児性や愛情の切望を表出してリチャードの屈折した精神を描いた。2009年のヘンリー六世におけるリチャードの配役の際に今回を見通していたのだろうか。壷にはまった好演。

 リチャードの狂気はリチャード一人で成し遂げられたものでなく、忖度する取巻きの存在があってこそ。その関係が岡本を中心に良く伝わってきた。初日ながら良い仕上がりと感じた。

 前半は第三幕まで、クライマックスに向けて期待を大いに膨らませた。

 

 第4幕。リチャードは王位に就くも地位の安泰に不安を抱く。地位を確固たるものにするため、新たな殺戮、姦計を画策。
 ヘンリー六世の妻・マーガレットは、怨念を抱いて辺りに潜み、リチャードの命運の傾きを見守ったが、その序章を見届けてフランスへ渡ろうと心を決める。が、エリザベスたちと出くわし、女たちは身の回りに起きた殺戮の過去を顕にする。

 女優陣は、男性社会における女子供の立場を描き出す。なかでも中嶋朋子は、落ちぶれてなお尊大な気持ちを失わず、悲劇のマーガレットの執念を漂わす汚れ役を好演。

 

 第5幕。ポズワースの平原、対峙するリチャードとリッチモンド。決戦を翌日に控えて幕営する二人にヘンリー六世たちの亡霊が現れる。

 ヘンリー六世の亡霊が叫ぶ。『(リチャードに)思い起こすがいい、ロンドン塔にあったこの身を。絶望して死ね。ヘンリー六世がおまえに命じるのだ、絶望して死ね!』『(リッチモンドに)おまえを将来の王と予言したヘンリーが、こうして眠りにあるおまえを励ますのだ、生きて栄えよ!』。凄い場面だと思う。それまでの歴史が凝縮されているようだ。

 ヘンリー七世となるリッチモンドは、まだ頭上に翳されない王冠の上に赤バラと白バラを重ね、長かった薔薇戦争を終結を示す。心安らかになる場面だ。

 浦井健治は、リッチモンドを上品に演じてリチャードとの対比を明確にした。ヘンリー六世ではタイトルロールを好演したが、その雰囲気を引き継いでいる。良い役回りであることは確かだが、持って生まれた雰囲気もありそうだ。

 

 美術は、ポズワースの平原を意識しているだろう、荒涼とした雰囲気が基調。リチャードとリッチモンドの幕営は、舞台中央の回転舞台で表現。一方向への回転は、巻戻せない時の流れを表わすようでもあるが、私は回転舞台に多少の違和感を感じた。舞台機構を用いない演出は考慮されなかったのだろうか、素朴さを損ねたように思う。
 戦いの最中に、一時、照明を吊ったバトンが下がって上がった。ハプニングではないだろう。面白いと思ったが、二階席からは視野が妨げられた。問題になるほどのことはないけど。

 音楽はショパンとシューマンのピアノ曲を認識したが、他もあっただろうか。意外性を感じたけど悪くはない。リチャード三世が消え去る時の「シューマン:子供の領分から見知らぬ国と人々について」はちょっと付きすぎか。

 衣装は、主要な役が往時を思わせる服装、他は背広だったり、S.ジョブスを思わせるTシャツにGパンだったり。違和感はない。役柄が識別できれば目的は達成する。

 

 良く判ってはいないけれど、新国立の「ヘンリー六世」「リチャード三世」はシェイクスピア演劇のスタンダードではないかと思っている。
 例えば、新国立のヘンリー六世の後に観た「蜷川幸雄演出・ヘンリー六世」は圧縮上演。新国立のリチャード三世の前に観た「野村萬斎演出・悪三郎」は翻案上演。いずれも見事だったが、商業的に折り合いをつけているところはあっただろう。商業性を無視して良いとは思わないが、新国立が古典を古典のままに上演する使命は大きい。その意味で大きな成果だが、俳優・スタッフがさらに大きな成果に膨らませた。

 シェイクスピアにしろギリシャ悲劇にしろ、文楽を始めとする日本の伝統芸能にしろ、古典は古典として次世代に引き継ぐべきものだと強く思った。

   (2012年10月7日記録)

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